マドラ海岸恒例 蟹三昧

 吸い込まれそうな空を見上げて、その空は見たことがあると少女は思う。
 ぼうっと空を映しこむ双眸は今を見ておらず、彼女が記憶の中を旅しているのは側から見ても明らか。少女はあっちへふらり、こっちへふらりと足を向けては、自分の知らない世界に感じる懐かしさを探していた。そして、幼い仕草の物語る彼女の短い経験の中で、その懐かしさの理由を知りたいと思っている。彼女の意識は記憶を彷徨い、現の言葉は溶けて足の赴くままに記憶と現の界を歩くのだ。
 マドラ海岸の海風が、少女の髪を揺らす。暗闇では亜麻色に見える色彩のそれは、光の具合で七色に輝く螺鈿の光沢を持っていた。純白のドレスの上で映える輝きは、一つの芸術のように美しい。
 そんな彼女に近づく影が3つ。
「こらこら、そこ行くお嬢さん」「今は我らが主人に捧ぐ狩りの真っ最中」「お帰りなさい、お戻りなさい」
 そう口々に言うのは、極彩色のマントを翻す鳥人達。火山に住まう火喰い鳥の羽を織り込んだ真紅のマントは火花を振りまき、怒ったような表情の嘴から上を覆う仮面を着けている。砂漠の地方に暮らす黄褐色の羽を持つ飛べない鳥の羽の外套からひょろ長い足をちらつかせた鳥人は、大きな黒曜石の瞳を付けた仮面で顔の半分を覆う。最後の一人は緑豊かな森で慎ましく暮らす碧玉と言われる小鳥の羽のマントをケープのように寄り添わせ、微笑むような糸目の仮面を装備している。嘴からは表情は伺えず三者三様の鳥人は、一人の少女を取り囲んでいた。
 少女の名前は真珠姫。そう名づけられたのは、可憐な真珠のような白い頬やあこや貝のような不思議な純白のドレスが由来ではない。胸元が開かれたドレスには、子供の頭ほどの特大の真珠が埋まっている。
 そう埋まっているのだ。目元を潤ませた幼さの残る童顔と違いたわわな胸元の膨らみに、大粒の真珠が挟まっているのではない。真珠は肌に半分ほど埋まっている。肌と真珠の隙間は全くなく、胸元に両手をもってそわそわする少女に螺鈿の光沢が右往左往する。
 今は殆ど見かけることも無くなった種族であるのだが、それを鳥人たちが珍しがることはない。
「ど、どうしよう。私はどこにいけば良いの?」
「進まなければそれで良い」「我らは追わない見送らない」「何処へなりとも」
 鳥人達は踊るような足さばきで、少女の足元の砂浜は丸い円が描かれつつあった。見渡す限りの大海原に寄り添う白い砂浜も、ヤシの木を揺らす風も、風に乗る鴎達も誰一人少女に手を差し伸べてはくれない。真珠姫は陽炎とは異なる揺らぎの中から、知っている人影を探していた。
「どうしよう…。瑠璃君…」
 少女の困り果てた声は、風だけが聞いている。
「おいおい、取り囲んでいたら何処にもいけないだろう?」
 そう声を掛けてきたのは、空色の外套に羽根飾りをつけた仮面の男だった。仮面の目元は獣のように描かれ、人間らしい顔半分は親しげな笑みが浮かんでいる。彼は鳥人とは異なり、人間だった。鳥の嘴を彷彿とさせる変わった形の空色の胸当ての鎧を着込み、空色の鳥の羽を織り込んだ外套がたっぷりと彼の体を覆っている。
「誰も入れるなといったのはお前だ」「丸腰の少女にこの先は危ない」「我らが主人の捧げものに手をつけるかも」
 三者三様の反論に、青年は『はいはい』と愛想よく答えた。
「この子の面倒は俺が見るよ。さぁさぁ、海ペンギン達が風に乗せた噂を確かめに、お前達も行ってくれ」
「サボるんじゃないぞ」「我らが主人は噂の結果を楽しみにしている」「そうだ。のんびりはしていられない」
 そう三者三様に言われ、鳥人達は三色の風になって消えた。残った熱気と砂塵と森の香りを、潮風が吹き払う。真珠姫が恐る恐る彼らが去ったことを確かめている中、青年が散歩ですれ違うような呑気さで歩み寄った。
「やぁ、お嬢さん。怪我はないようだけど、歩けるかい?」
 まるで近所の馴染みに話しかけるように、青年は明るい声色で真珠姫に話しかけた。だが、明るい声色を掛けられれば人は、警戒を解く者と警戒を深める者と二分する。ましてや、青年の手には青年の背丈よりも長い槍がある。臆病な真珠姫は、当然後者だった。青年は怯えて後ずさる少女に、明るい口調を崩さず話しかける。
「歩けなくても構いはしないのだが、この先に進んではいけないよ。この先は、彼ら風読み師達の狩場になるからね」
 青年は言いながら真珠姫の後ろを指差した。なかなか振り向かない真珠姫だったが、青年の指先が一向に後ろを指し示して動かないので恐々と振り向く。ヤシの木と茂みの中には獣道と表現できそうな、一本の道らしきものがある。
「その道を通っていけば街道に出られる。茂みが怖かったらちょっと海岸を沿って歩いて、茂みが切れた所からあっちの方へ向かってごらん。街道はこの海岸線に沿って通っているから、必ず辿り着けるよ」
 そう良い終えれば、青年は何の未練もないように真珠姫に背を向けた。真珠姫は慌てて振り返って、彼女にしては大きな声を青年の背に向けて放った。
「あ、あの」
 青年は足を止めて顔だけを真珠姫に向ける。青い輝石と鳳の尾羽の飾りが、きらりと光る。
 真珠姫は青年が振り返ったのでびくりを体を強張らせたが、青年がその姿勢で待ち続ける。青年の無言の促しが、臆病な真珠姫の言葉をゆっくりと紡がせた。
「る、るりくんを しらない?」
 質問を聞いた青年は空を見上げ、たっぷりと考えたのだろう。そしてにこりと口元を微笑ませた。
「もしかして、君の騎士かな? 残念だけど、俺は知らないなぁ」
 でも大丈夫。青年は明るい口調は、真珠姫の不安に一切寄り添わず跳ね除けるように続いた。
「もう珠魅狩りがいる時代じゃないから、街道で待っていても大丈夫だろう。街道の通行人が君を見ていれば、君を探す『るりくん』に君のいる場所が伝わるかもしれないよ。この先にいるようなら、俺が責任持って君が街道へ向かったと伝えておくよ」
 じゃあ。背を向ける背中に、真珠姫は思わず手を伸ばした。ふわりと残された空色の端を掴むと、青年は露骨に不機嫌そうな雰囲気で真珠姫を見下ろした。その突き刺さるような不機嫌さに、咄嗟に手を離しそうになる真珠姫だったが、ぐっと堪える。
 一向に手を離す様子のない真珠姫に、青年は溜息とともに不機嫌さを吐き出した。青年は先ほどの明るさとは打って変わった、穏やかだが低い声だ。
「何か用があるのか?」
 真珠姫は縋る眼差しで青年を見上げるばかりだ。そんな真珠姫の眼差しと青年の視線が絡み合う。見つめ合ってしばらく、青年はふっと息を吐いて愛想を崩した。膝を折り真珠姫に視線を合わせる。外套を握る手を外させ、青年の無骨な日に焼けた手がほっそりとした白魚の手を包んだ。
「仕方がない。君の騎士が迎えにくるまで、俺が代わりを務めて差し上げよう」
 そして獣の目元を描いた仮面を外すと、そこには涼やかな好青年の顔があった。すっと通った鼻梁、目元はやや目尻がきついが優しげな口元と雰囲気が威圧感を相殺していた。
 真珠姫ははっとする。
 そうして、どうして自分が彼の外套の裾を掴んででも引き止めたのか、その理由をはっきりと理解した。私は、この人を知っている。真珠姫は彼の顔を見て確信した。
「俺の名はセレスタイン。友人の為にカニを獲りにきたんだ」
「かに?」
 そう、カニ。セレスタインが笑った。


 ■ □ ■ □


 マドラ海岸の美しい白浜と青い海は良く知られているが、とても観光地化できない理由がある。それが白い砂浜を縦横無尽に駆け抜け、砂煙をあげて鮮やかなドリフトを決めるカニ達の存在である。触れればパリンと砕ける脆弱な甲羅を持つカニではあるが、砕けた甲羅で怪我人は続出、白い砂浜は真紅に染まる。実際、カニを踏みつけたことで海ペンギンを辞め森に移住したペンギンがいるという、妙に信憑性の高い都市伝説まであるほどである。
 色とりどりのマントを着込んだ鳥人達が、風でカニ達を搦め捕り手際よく袋に納めている。その作業をしている鳥人の一人がセレスタインと真珠姫に目を留めた。
「おい、セレスタイン。お前が受け持っている大物が残っているぞ」
「分かってる分かってる。あいつもあれが食べたいってゴネてるんだから、頑張らねーとなぁ」
 セレスタインの軽口に、風読み師達が色めき立つ。
「この無礼者が! 我らが主人が許しているとはいえ、我々はお前の軽口を許容せんのだぞ!」
「はいはい。ごめんなぁ」
 怒鳴られてビクビクしているのは、にこにこと返すセレスタインの隣に立つ真珠姫である。そんな真珠姫を気の毒そうに見ている風読み師達は、今度は自分達が叱られないようにとせっせと手を動かし始めた。
 そんな彼らを愛おしげに見る空色の双眸を見上げて、真珠姫はおずおずと問う。
「あの、大丈夫?」
 セレスタインは真珠姫の問いに空色の瞳を少し見開き、一呼吸後ににっこりと笑った。その笑みは真珠姫の胸を熱くする頼もしさがあったが、懐かしさはなく初めて見るような新鮮さしか感じられなかった。
「心配してくれてんのか。へーき、平気。俺と彼らの主人とは付き合い長くてね。ちょっと嫉妬されてんのさ」
 そう言いながら先を歩く。ひらりひらりと揺れる外套を見て、真珠姫は記憶にないと思うのだ。空色ではなかった、そう思う。
 セレスタインは白い砂浜を歩き通し、歩きにくい岩場の上を猫のように身軽に進んだ。彼は真珠姫に対して細やかに気遣い、滑りやすい所では必ず手を貸し、ドレスの裾が海水に浸るような深場は抱き上げて進む。それでも、真珠姫が出来る事は最低限にさせた。真珠姫の土に一度も塗れたことの無さそうな手は、いつの間にかゴツゴツとした岩や欠けた貝殻に細かい傷が無数に付いていたのだ。それを見て、セレスタインは『君のるり君に叱られてしまうな』と笑うだけだった。
「あの…」
 真珠姫がそう声を掛けたのは、岩場を超え洞窟に入って暫くのこと。波が寄せては返す音が洞窟内で無数に反響し、洞窟の至る所で水滴が水面に落ちる音楽が絶えることがない幻想的な空間で真珠姫はついに足を止めた。セレスタインは踝まで浸かった水面で見えぬ先が、深いかどうかを槍の穂先で確かめるのに忙しく振り返らずに尋ねる。
「どうした? 今更引き返すのは困るんだが」
「ち、ちがうの…」
 そこで真珠姫の言葉が途絶えてしまったので、セレスタインはようやく振り返った。訝しげな表情がなぜか懐かしい。
「その…セレスタインさんは、私のことを知ってる?」
「どういう意味だい?」
 真珠姫は頭の中で問いたいことが、ぐるぐるのぐちゃぐちゃになっているのは分かった。何を聞いたらいいのか、何を聞くべきなのか、見た目よりもずっと幼い精神の少女にはセレスタインの問いの範囲が広すぎて分からなかったのだ。
 薄ら寒い洞窟の中で、寒さに凍えるように身を震わす真珠姫は脆く儚くも美しい。そんな真珠姫の混乱が鎮まるのを、セレスタインはじっと待った。闇の精霊ジェイドがうっかりと姿を垣間見せてしまうほどの時間を掛け、ようやく真珠姫は口を開いた。
「私、あなたを見て、懐かしいって思ったんです」
 ほほぉ、それはそれは。セレスタインが意地の悪い、芝居掛かった笑みを見せる。それは酷く懐かしい笑みだった。彼が槍をくるりと一回転させ、その不敵な笑みを深くする。真珠姫は思わず手をさ迷わせた。何かを取らないといけないと心の中がざわめいたが、その手は衝撃と共に岩壁に付かねばならなかった。
 まるで真横で落雷があったかのような轟音。しょっぱい水しぶきは、セレスタインの空色の外套が遮ってくれる。空色を頭からかぶった真珠姫は、隙間から巨大なカニを見るのだ。岩のようにごつごつとげとげとした甲殻、見たこともないほどに大きなハサミ。ぎょろりと二人に向けられた眼に、真珠姫は悲鳴を喉に詰まらせる。
 そのカニこそフルメタルハガーと呼ばれた海岸の主であるのだが、真珠姫はそれどころではない。
「その話は、俺の用事が終わってからにしよう」
 そう不敵に笑ったセレスタインは、躊躇わずにフルメタルハガーに突っ込んだ。全身が固い甲羅に覆われた大蟹の弱点は、爛々と光る双眸しかない。セレスタインの槍は只管に眼に向けられているが、カニとて急所である目を守るため分厚く巨大なハサミで槍を弾く。
 火花が散り、金属の打つかる甲高い音鈍い音が、今まで洞窟で奏でられていた調べを追いやる。
 洞窟でも比較的広い場所であるここに、どうして来ることができたのだろうと疑問に思うほどにカニは巨大だった。ハサミを振り回せば天井や壁にぶつかり、岩が崩れ洞窟が揺れる。ついに悲鳴をあげた真珠姫を抱え、セレスタインは落下物の少ない場所まで下がるより他ない。
「うーん。固いなぁ。とはいえ、身を風でかき回して切り刻むような筋組織破壊系の技使って、食べるところ痛めたらあいつ怒るだろうなぁ。繊維質じゃないし蟹味噌は許してくれるかな」
 ぶつぶつと戦略を立てているのだろうセレスタインの横顔は凛々しい。真珠姫はそんな顔をぼうっと見上げていたが、はっと我に返って周囲を見渡す。
「あの、逃げなくて大丈夫なの?」
 真珠姫の言葉に、セレスタインがけたけたと声を上げて笑う。
「逃げたら、別の意味で俺の命が危ない。でも、名案だ。ここで戦うのは危なすぎる」
 そうセレスタインが笑みを拭う。さっと真珠姫を抱き上げると、次の瞬間二人がいた場所に大岩が落下した。いや、それは大岩ではなくフルメタルハガーそのものだ。大蟹はその立派な甲殻からは想像もできない跳躍で、洞窟の中を跳ね回る。
 真珠姫を抱えながら、セレスタインは大笑いだ。
「いやー。生きが良くて良いことだなぁー!」
 がん! がぁん! どぉん! フルメタルハガーが暴れまわる音が、洞窟を揺さぶり脆い部分を崩落させる。真珠姫はあまりの恐ろしさにセレスタインにしがみつくが、丸く膨らんだ風変わりな胸当てで上手くしがみつけずにいる。セレスタインがしっかりと抱きとめてくれているとはいえ、真珠姫は振り落とされないように必死だ。
 閃光が走り、光の精霊ウィスプが走る。
 セレスタインは真珠姫を抱えているというのに器用に槍を振りかざし、ジンの笑い声が響く。ジンは洞窟に溜まった塩水をかき混ぜて、光を惑わす。真珠姫は真横を粉砕した光の魔法の威力に震え上がるが、セレスタインは意に介さず走り抜けた。そうしてついに眼前に迫った、白昼に飛び出したのだ!
 海のさざ波と、強い潮風が真珠姫とセレスタインをあっという間に包む。
 眩しさに目を細めた真珠姫は、耳元をすーーーっと息が吸い込まれて行くのを感じる。何事だろうと見上げた真珠姫は、体が傾いていくのを感じた。セレスタインが仰け反り、次の瞬間真珠姫の脳天を貫くのではないかという大声を発したのだ!
「おーーーい! メガロード! 助けてくれーーーーー!」
 声が潮風に拐われ、空中に溶ける前に、セレスタインと真珠姫が飛び出してきた洞窟への入り口が弾け飛んだ。フルメタルハガーが飛び出し岩場の上に着地すれば、その振動でセレスタインは抱き上げている真珠姫もろとも転倒する。だが、セレスタインは立ち上がれなかった。次の衝撃で、二人は再度岩場の上で転んでしまったからだ。
 真珠姫は震えながらに何が起きているか見ようと、一生懸命目を開けた。セレスタインの肩の向こうで、見たこともないほどに大きな翼が青空を覆い隠している。
『ほぉ! これが噂の大蟹か!』
 それは、人ならざるものの声。
 生き物ならば空気で喉を震わし発する声であるのだが、その声は明らかにそのように発したものではなかった。かといって、心の中に語りかけるテレパシーの類ではない。
 空気そのものが、巨大な影が感嘆の声を上げているのをひしひしと伝えている。真珠姫は海風があまりの嬉しさに速度を上げて舞い上がり、遥か向こうで大きめのつむじ風になるのを見た。そして、大蟹を押さえつける巨大な影も。
「竜?」
 それは古の伝説で良く描かれるドラゴンだ。真珠姫は恩人の家に住む子供達が貸してくれた本で見たことがあった。あまり読み書きができない真珠姫に、森他人の子供達が『先生ごっこ』と称して昔話の本を読み聞かせてくれるのだ。その本に良く描かれた、巨大で、怖そうで、とても強いドラゴンがそっくりそのままの姿でここにいる。
 真珠姫があらん限りに目を見開いて見上げるドラゴンは、空色の飛竜だった。恩人の家の大木よりも大きな翼を持ち、巨大な体を支えるがっしりとした足で大蟹を押さえつけている。尻尾は嬉しげに波を叩いて大きくし、ハサミはじゃれつかれていると思っているのか鋭い顎で軽くあしらわれてしまう。
『早速食べようじゃないか! 生もいいが、茹でるのも良いのだよな?』
 押し寄せる歓喜の風に、セレスタインは「はいはい、そうですね」と投げやりに答えた。その答えに不満だったのか風は身を切り裂くほどに強くなり水しぶきが痛いほどに肌を叩く。
『一番美味しい食べ方はなんだ!』
「一通り食ってみれば良いだろ! でかいんだから!」
 風がパタリと止むと『それもそうか』と竜が抑え込んでいた大蟹を解体し始めた。生物の頂点と言われるドラゴン相手では、人間相手に圧倒した大蟹の甲羅も意味をなさない。ばきばきと小枝でも折るかのように、ドラゴンは大蟹の足を折り関節を踏みしだく。
 セレスタインは複数の風読み師を呼んで、いくつかの指示を出す。熱風で茹でるとか、持ってきた柚子胡椒とポン酢はいつでも出せるようにしておけとか、事細かい指示だ。風読み師達が取ってきたカニは、カニサラダにしようとか笑い声も聞こえる。
 そうしていくつか言葉を交わすと、セレスタインは真珠姫をようやく下ろした。
「あれが、俺の友人のメガロードだ」
「竜とお友達なの?」
 ちょいちょいと指し示された先を目で追う真珠姫の言葉に、セレスタインは頷いた。
「あぁ、なんでもマナストーンの分身。知恵のドラゴンという伝説的存在らしい。食い意地の張った好奇心旺盛な奴だよ」
 なんでも海賊ペンギン達が風に流した『マドラ海岸にカニが大量発生している』という噂を聞きつけて、部下である風読み師達を総動員してカニ狩りに来させたのが始まりなのだという。大気中のマナを食べて生きられるほどの存在であり、ファ・ディール創世記から存在するような古の賢者であるのに好奇心は未だに尽きることがない。まぁ、面白い奴だよ。そうセレスタインが締めくくると、真珠姫に笑いかけた。
「さて、カニも獲ったことだし、君をるり君の所に連れて行ってやらないとな」
 騎士役を引き受けたんだから、そこらへんはきちんとしないとな。そうセレスタインは荷物をどこからか引っ張り出して、一瞬にして旅人の装いだ。そんな彼が、思い出したかのように声をあげる。
「そうだ、君の質問の答えだが」
 セレスタインと真珠姫の視線が結んで外れることはない。たっぷり一呼吸間を置いて、セレスタインは言う。
「正直、俺も君を見て懐かしくは思う。だが、人違いだろう」
「どういう…意味?」
「君は珠魅という種族だ。少し昔ファ・ディール全土が戦争の火で覆われた頃に、珠魅が暮らす都市は悉く崩壊し今は殆ど居なくなってしまった。君のその胸元の核を見て、懐かしいと思う奴もいるだろうな」
 真珠姫はセレスタインをまじまじと見上げた。そんなお爺ちゃんには見えない。
「るりくんが言ってた。仲間を探しに行こうって」
 セレスタインは『なるほど』と頷いた。
「君とるり君はよほど若い珠魅なんだな。ならば、滅び去った珠魅の事など知らずに、昔に囚われる珠魅に関わらず生きていくんだ。彼らは無垢な君らに絶望しか与えないだろう」
 なにを、知っているの? 真珠姫の問いを遮るように、セレスタインは痛みを堪えるような笑みを浮かべ、真珠姫の頬に付いた泥を外套で拭う。
 泣いてはいけないよ。誰も救われないから。そうセレスタインが言った気がしたが、快活な声と真珠姫の手を引く感触に上書きされてしまう。
「さぁ、宿場町に降りて風呂でも入ろう。君の騎士に、泥だらけの姫君をお返ししたんじゃぁ怒られちまうからな!」
 じゃあ! いってくるなー!
 そう声を掛けた先で、竜が吠えた。空気が『美味しい』という喜びで満ちている。