宇宙葬感謝記念トロフィー

 俺はなぜここにいるんだろう? 気が付いた時には見渡す限りに人が犇めき合って、一つの方向へ流されていく。のろのろと足を進める度に隣り合う人々と肩が触れ、流れに逆らうことを許してはくれない。
 宇宙葬だー! 男の子の甲高い声が後方で打ち上がる。そんな子供の声を聞いて、かさりと手元の紙の束が音を立てた。
 『マルクスタウン29回宇宙葬』と書かれたパンフレットがあった。
 何気なく広げてみると、町長の言葉が目に飛び込んできた。マルクスタウンは小さな町ですが、高名な民間ロケット工場の存在によって宇宙葬の主催を任されております。今回は三回目の開催という栄誉に預かることができました。我が町を見下ろす丘に建てられたOPUS工場、そして地球教長老、尊き地球に感謝いたします。
 町長の言葉の後に地球教の長老アマデウス・ヤン、OPUS工場長マシュー=メイソンの言葉が続いている。ページを繰ればマルクスタウンのアクセス、巫女の通るルート、町のレストランや旅館、コミュニティセンターで休憩ができるという案内が細やかに綴られている。ロケットの限定キーホルダーや宇宙教から町に進呈されたトロフィーのレプリカの宣伝もある。
 あぁ、そうだ。俺は薄明るい空を見上げた。
 今日はマルクスタウンの宇宙葬の日だ。ここにいる人達や俺は、ロケットが打ち上がるのを見に行くんだ。寝起きでもないのに、なぜ忘れていたんだろう。足元をすり抜ける子供に追い抜かれ、遅々として進まない行進は退屈でぼんやりする。山を登る道が二手に分かれていて、一つはフェンスで区切られているものだから、惑わされた人々の止まった足が流れをせき止めているのだ。
「こら! ヨハン! 走るんじゃない!」
 大きな声が前へ突き抜けていく。声を追うように、体格のいい男が人々を退けて進んできた。しかし、俺の前は特に人が密集して進めそうにない。男は『まったく、あの子は…』と零して、足を止なくてはならなかった。人々を掻き分けて進んで来た為か、整えようとする呼吸は荒い。あまりにも苦しそうだったので、俺は思わず声を掛けた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。腕白な息子がはしゃぎ過ぎて、先に行ってしまってね。恥ずかしい限りだ」
 責任感の強さを感じる、低く穏やかな声色だった。子供が他所様に迷惑を掛けるのではないかと、心配しているのが伝わってくる。俺はそんなやんちゃな息子の父親の心配を払拭しようと、空を見上げた。雲のない空は明るく、風は凪いでいる。ロケットは予定通り打ち上がると、空が告げているかのようだ。
「心配しなくても、行く所は一緒だろう?」
 この山の上には、宇宙で上がった人の名前が刻まれた霊魂記念広場、宇宙葬の祭壇、ロケットの発射場がある。男性は俺の言葉に『そうだな』と小さく頷いた。
 息が落ち着いてきた男性は、再び前に視線を向けた。滅多に山を登らない人が多いのか、流れが遅くなっているのがわかる。まだ山を登らなくてはならないのかね。今年は人が少ないわね。インフルエンザが流行っているんですって。囁きが細波のように耳朶を撫でていく。
「君もロケットの打ち上げを見にいくのかい?」
 隣の男性から問いかけられる。俺はロケットが大嫌いなのだが、ここにいるという事はロケットの打ち上げを見にいくんだろうとは思った。ロケット。ロケット。最近はそればかり考えている。降りしきる雪の中から部品を集めて、ロケットを作って、打ち上げて、最近打ち上げに成功するまで十機以上が墜落したり打ち上がらないのを見ていた。
 そうだと思う。俺は曖昧に答えて、前を見た。人が少しずつ動き出した。
「今日は絶好の打ち上げ日和だ。今回のロケットも無事に宇宙に上がるだろう」
「俺の知り合いも、良くそう言うよ」
 俺の知り合い。そんな単語がするりと紡がれ、誰だったろう?と首を傾げた。
 耳の奥に声が残っていた。ロケットを打ち上げ、宇宙葬を必ず成功させると自らを励ますような言葉。次は成功する。次は大丈夫。そう、呪文のように繰り返す。俺の声ではないなら誰の声だったのか、それが薄明かるい空に霞んで分からずにいる。
 俺の返答に男は湧いた好奇心を言葉にしたようだ。弾む声が俺に問いかける。
「君の知り合いもロケット技師かね?」
「どうなんだろう?」
 ロケット技師と言えるような存在だったろうか? そう自分に問いかけてみれば、答えは『いいえ』と返ってきた。
 打ち上がらないロケット。空中分解して打ち上げ花火になったロケット。車のエンジンを分解して改造したもの、風力発電の羽根を使ったガラクタの寄せ集めで出来たもの。話し始めると思い出せない記憶とは裏腹に、滑らかに言葉が滑り出る。こんなに愚痴を言える程の人を俺は思い出せないのかと、自分自身が驚くほどだった。
 霊魂慰霊碑が坂の上にひょっこりと頭を見せ始めた頃、俺はようやく一息ついた。
「失敗ばかりで、成功が想像できない」
 俺の言葉に快活な笑い声が返ってきた。
「最初から成功できる天才なんていないさ」
 俺の長話を随分と楽しげに聞いていたらしく、男は目を輝かせて俺に言った。
「私は君が友達となんて面白いことをしているんだろうって、感動すらしているよ。一からロケットを設計して、車のエンジンをロケットエンジンに転化するとか、有り合わせの材料をカスタマイズするとか、ロケットへの情熱をひしひしと感じるよ! 私も隠居したら挑戦してみたいものだ…!」
 面白い事をしているのだろうか? きらきらと輝く目を、俺は死んだ目で見ているだろう。
 面白くなんかなかった。身を切るような寒さの中で震える記憶がひょこりと顔を出せば、まるで吹雪のように押し寄せてくる。車のエンジンを取り外すのも、風力発電の羽を手に入れるのも、苦労したと一言で片付けるには余りある。何時間かかっただろう。いや、何日掛りだっただろう? ちらつく雪の中、押し潰されそうな静寂の中、独り俺は面白くもないガラクタ集めを何故していたんだろう?
 面白かったのか? いいや、そんな筈はない。俺は自分に投げかけた疑問に首を振った。
 ロケットなんか大嫌いだった。思い出せない知り合いに会う前から、心の中にあった気持ちだった。何故嫌いなのか、切っ掛けは昔の事で思い出す事は出来ない。でも自分からロケット作りの手伝いをしようなどと、思うはずがない。
 どうして俺はロケット作りの手伝いをしていたんだろう?
 ロケット作りなんか楽しくない。でも、俺は楽しくもない事をしているのだ。
「おぉ。ロケットが見えてきたぞ」
 男の弾んだ声が、周囲の騒めきから飛び出して耳に飛び込んでくる。坂道を登り切り、丘の雑木林の向こうに空へ向かってぴんと背伸びをしたロケットが見える。その美しい尖頭は少ない日差しをキラリと反射し、傷一つない滑らかなボディの上を彗星の尾のような光を伴って駆け下りてくる。周囲の誰もがロケットを見上げて、素晴らしいとか、これで死んだ魂達が宇宙へ還れると囁いている。
「ようやく追い付いたわ。あなた、ヨハンは見つかった?」
「いや、まだだ。発射台へ続く道まで進んでしまったのかもしれんな」
 隣にいた男性が誰かと話している声に振り向けば、男性の知人だろう女性が話しかけている。福与かで人をホッとさせるような大らかさを持った女性だ。彼女は小さく俺に会釈した。
 人の流れは霊魂記念広場と宇宙葬の祭壇を抜けて、ついに発射台へ真っ直ぐ伸びる道へ着いた。男は探していた子供を見つけたらしく、厳しい口調で短く叱ると肩車をした。かなりキツく叱られたのに、少年は『宇宙葬が始まるんだ!』と父親の肩から転げ落ちそうなほど興奮している。
 誰も足を止めない。発射台へ続く道を進んでいき、ロケットの足元は人だかりが出来ている。
 危険だ。宇宙葬のロケットは有人でもない、ただ宇宙に上がるだけの推力のみを積んだものだ。それでも、あれだけの鉄の塊が成層圏を抜ける為に、発射には強力なエンジンの噴出が起こる。ロケットの至近距離に居たら、生身の人間は燃え尽きて死んでしまうだろう。どうして誰も疑問に思わない。危ないじゃないか。
 俺は前を行く男の肩を軽く叩いた。あれだけロケットを楽しげに語っていた男だ。ロケットに群がる人々の危険性くらい分かってくれるに違いない。男は振り返り、子供が不思議そうに俺を見下ろしていた。
「これ以上近づいたら、危ないんじゃないのか?」
「何を言っているんだ?」
 男は不思議そうに返してきた。子供も俺の言っている事が分からないのか、キョトンとしている。
「皆、ロケットに乗るんだよ。宇宙へ還るんだ」
 何を言っているんだ?
 俺は目を白黒させた。
 宇宙葬のロケットは人間を乗せる為のロケットじゃない。エンジンや制御コンピューター、燃料タンク、そして魂を導く為の儀式で用いる祭具が入る小さいスペースがあるだけ。ロケットは姿形の無い魂を宇宙に送る為だけのもので、人間が入り込む為のスペースなど用意されていない。
「君だってそうだろう?」
 俺も? 俺もってどういう事だ?
 逆光に塗りつぶされて表情の見えない男の上で、キラリと子供の白髪が輝いた。ロケットの方を指差して、『あれなぁにー?』と母親らしき先程の女性に聞いている。俺も指先に導かれるようにロケットを見た。
 あの逆らう事もできない人の密度を掻き分けて、一人の女性がこちらに向かってくる。白いフードが顔半分を深々と覆っているが、若い印象を感じさせる首元が見える。彼女はまるで人々が居ないかのように、何者も避ける事も妨げられる事もなくこちらに向かってゆっくりと向かってくる。
「あの方は巫女様よ。たった12名で我々数百万の民のお世話をしてくださるの。宇宙葬の為にマルクスタウンに来てくださったのよ」
 巫女。宇宙教には巫女という12人の特別な女性達がいる。彼女らは魂を視認し、霊と会話する。遥か彼方の宇宙に存在する地球からやってきた人類が、この大地から宇宙へ昇り地球へ還る為の宇宙葬という儀式は巫女が取り仕切ることになっていた。
 フードの隙間から黒髪が見える。心臓が胸と突き破りそうな勢いで、がなり立てて苦しい。
 巫女は神聖な存在だった。一般人がこうも近くで見ることすら稀で、いつも宇宙教の教会の奥深くで礼拝をしているという。だが、俺は、彼女を見たことがある。今、自分に真っ直ぐ向かってくる彼女を、俺は巫女として以外に知っている気がしてならなかった。
「かっこいい!僕も巫女になる!」
「巫女は『女』しかなれないから無理よ。お父さんと同じロケット技師になったら?」
「やだー! お父さんと一緒はやだー!」
 子供の声が頭を殴って来る程に響いてくる。頭が痛い。ズキズキと痛む。頭の痛みが全身に広がって、立っているのすら辛くなってくる。息を詰めて痛みを堪えている間も、後ろから人は押し寄せて俺はジリジリとロケットに近づいていく。
 これ以上ロケットに近づきたくない。それは、発射の際の熱が危ないというような理由がある訳ではなく、嫌な予感がするような言葉にできない感情の為だった。後ろからじりじりと背を押す人々を押しのけ、宇宙葬から逃げ出したいとすら思う。しかし、人々は聳り立つ壁のようで、願いが叶いそうになかった。
「お父さんは凄い人なのよ。お父さんがロケットを作らなかったら、宇宙葬はできないの」
 そんなことはない。ロケットはロケット技師でなくても作れる。痛みの間にそんな言葉が浮かんでくる。
 華奢な背中に梳き解された黒髪。ロケットの設計図の図面を引く背中は、女性のものだ。彼女はロケット技師じゃない。痛みで暗む世界で、黒髪の女性が振り返る。胸に手を置き、自分に言い聞かすようにいうのだ。
「技術と礼節作法を身につけた者だけが巫女と呼ばれる」
 知った声に顔を上げる。巫女は、もう目の前にいた。彼女の純白の衣の額部分に縫い込まれた、宇宙教の紋章の金の糸一本一本が見分けられるほどだった。
「でも、私は巫女失格。巫女は魂の安寧を願う。でも、私は私個人の願いとして、ある魂に苦痛を伴っても良いから生きて欲しいと思っているの」
 巫女が顔を上げた。白い肌に艶やかな黒髪とパッチリとした黒い瞳が美しい、少女と女性の間の頃合いの巫女。張り詰めた顔を見ていると、心がざわついた。そんな顔をしないで欲しいと、心の何処かで俺自身の声がする。
 巫女は目を伏せ、俺は後ろから押されて彼女と擦れ違おうとしている。鼻先に油の匂いを感じて、俺はとっさに巫女に向けて腕を伸ばした。
「じゃあ、僕ロケット技師になる! お父さんと同じ、ロケット技師に!」
「はいはい。好きなものになってください」
 子供とその母親の声が聞こえる。そうだ、好きなものになればいい。好きなように生きればいい。俺には、それができる。この見渡す限りの人全てが出来なかった事が、俺にはできるのだ。俺はまだ、死んでいないのだから…!
 息を吸う。紡ぐべき名前は体が覚えていた。
「フェイ!」
 巫女が、フェイが振り返った。
「俺はロケットを作る! ロケットを作って、魂達を送り出して、俺は生きる!」
 そうだ。魂達があんなに嫌いで苦しかったら、死んでそいつらみたいになってしまえば楽になれる。でも、そうしなかった。死ぬのは怖かった。でも、死のうと思えばいつでも出来た筈だ。死にたくなかったんだ。だから、俺はフェイの腕を掴んだ。
 密集していた周囲の人々がパッと光に変わってしまうと、全てが真っ白になって何も見えなくなる。鮮明な痛みが体を貫くようで思わず呻くと、フェイの顔が見えた。『ヨハン?』そう信じられないような彼女の声、夜空から流れ星が落ちた気がする世界、頬に落ちた水の感触。痛みの他にどんどん世界が感じ取れるようになる。
 フェイの表情を見た俺は、初めて彼女が傍にいて良かったと思った。