地球教史の金箔聖画

 コンクリート剥き出しの壁には、生活感を感じさせる様々なものが掛けられている。沢山本を置きすぎて板が少し撓んだ本棚。ヨハンが拾ってきてくれた部品で初めて飛んだロケットの設計図。OPUS工場が作った、実際に打ち上げたロケットの模型。防水防寒に優れた、外出用のコート。分厚いカーテンの向こうには、二重窓が嵌っている。暖炉の傍には薪が山と積み上げられ、ポットやコップや紅茶がサイドテーブルに乗って寄り添っている。
 ぱちぱちと爆ぜる暖炉の赤と手元に光るランタンの光が届く範囲以外は、これらは常に闇に呑まれていた。いや、一つだけ夜空に光る星のように、闇の中で光るものがある。
 ヨハンが教会から回収してきた聖画だ。
 このマルクスタウンの教会は、この地に広く信仰されている地球教の教会では比較的新しい。小さい町であることもそうだけれど、へミスに比較的近いために総本山の教区だったのだろう。このマルクスタウンに教会が建てられたのは、採掘場で栄えたからだと思われる。今では採掘場としての能力はマルクス新採掘場に譲ったとはいえ、このOPUSロケット工場の存在がこの地に教会を存続させたと言っていい。
 教会が新しく建てられる時、総本山より聖なる品が贈られる。芸術品の価値ある一品に巫女の祝福や教会の洗礼を受けた、尊き地球へ人々の祈りを届ける役目を受けた貴重な品だ。それは繊細な彫刻であったり、美しいステンドグラスであったり、教会そのものであったり様々だ。マルクスタウンの教会は、絵だった。
 絵は尊き地球の絵。広大な銀河は黒々とした金属に、繊細で緻密な祝詞が刻み込まれている。漆黒の銀河の中央に宝石を砕いた顔料はキラキラと輝き、生命の輝きを湛えた地球が美しく表現されていた。そして地球の輪郭を描くのが、今も輝きを失わぬ金箔。絢爛豪華な額は壊れてしまって簡素な額に収まっているが、美しさが損なわれることは一切ない。
 毎日、聖画に向かって祈る。
 目を閉じ、手を組み、尊き地球を象徴する聖なる品の前に膝をつき、無心になって祈る。私と世界の境界が曖昧になって、生も死も問わず全ての魂が見上げる星々のように感じる。祈っている間、疫病が流行る前と変わらない世界が愛しかった。この疫病で多くの人が死んでしまった世界において、贅沢とすら言える。
 目を開けて現実を見る。薄暗い打ちっぱなしのコンクリートに掛けられた、尊き地球を最高の技術で人が描いた絵を見上げる。頬を叩き、気合いを入れる。
「さぁ、フェイ。今日も頑張るよ!」
 ロケットが実際に打ち上がる見通しが出てきた今、用意するべきことは実際の宇宙葬に必要な準備だ。儀式的なことは私一人の身体があれば足りるが、ロケットに載せる祝詞や捧げ物の準備は前もってしなくてはならない。
 特に大変なのは祝詞。テーブルの上にはペンとインク、そして今では手に入れるのがとても難しい紙が広がっている。極寒の寒さと雪に侵食されて、湿気てよれていない紙はなかなか見つからない。これもヨハンが探して探してようやく見つけてくれた貴重品だ。決して無駄には出来ない。
 椅子に座り、背筋を伸ばし、大きく深呼吸を繰り返す。目を閉じて、開くいて、ペンを取る。
 さぁ。フェイ。祈りを込めて、一文字一文字丁寧に書きなさい。
 そう幻聴が聞こえる程に言われた言葉が、今も耳の奥に木霊している。私は物心付いた頃には地球教の教会に居たので、文字が美しいことは手に指が付いている事と同じくらい当たり前だった。更に儀式に用いる地球文字も、普段使う言葉と同じくらいに使いこなした。地球を旅立ち悠久の年月を経ても受け継がれる地球文字は、今は失われた言葉だ。私達が普段使っている言葉は、長い年月に意味が歪み変質した地球語とは異なるものになってしまっている。
 巫女には名前と同じ地球文字の名前がある。もちろん。私にも。
 目の前の真っ白い紙には、びっしりと地球文字が書き込まれていた。この地で死んだ魂達が銀河へ還る際、英霊達の加護を賜る嘆願から始まる祝詞だ。宇宙葬のロケットには、この祝詞が書き込まれた紙と捧げ物などの儀式的なものを積むことが決まっている。特に祝詞には私よりも以前の巫女達の名前を書くことで、銀河に辿り着いた魂達を導いてもらう声かけを果たす。大事なことだ。決して疎かにしてはならない。
 私は教会に居た時とは比べ物にならない程の集中力で、祝詞を仕上げていた。暖炉に近いテーブルで作業をしているのは、寒さで手が震えて文字が乱れないためだ。真っ白い紙の上を暖炉の光が踊り、目がとても疲れている。
 今回送る魂は、私が今まで経験したことのない数になるだろう。疫病が流行る兆しの頃に行われた最後の宇宙葬。それからどれだけの人が死んだ? もう、この世界には私とヨハンしか居ないと言われても冗談とは思わなかった。
 目を開けたら迎えてくれる筈だった長老。目覚めたら一緒に美味しい物を食べに行こうと笑った巫女達。また会おうと頼もしげに頷いてくれた地球教の司教達。誰も、誰もいなかった。死んでしまった。彼らを、私は銀河へ送り出さなくてはいけない。
「う」
 呻き声を押し込めるように掌で口を押さえ、急いで椅子から立ち上がって机から離れる。涙が汚れた床の上に点々と落ちていく。祝詞を書いた紙を濡らして文字が滲んだら最初からやり直しだ。魂達がふわりと私を取り巻いた。
『フェイ…私達を銀河へ…』
「わかってる! わかってるから…!」
 吐き出すように叫ぶと、涙が止まらなくなる。冷たい床に座り込み、涙を流して吃逆を上げて、気持ちが落ち着くのを待つ。仲間の巫女の名前を書く度に思い出が吹き出して、涙が止まらなくなる。家族のような人達だった。肉親よりも家族と呼べる人達だった。それらを、宇宙葬の儀式に則って死者として扱うことが、人としての私が拒否していた。
 巫女としてのリン・フェイは粛々と儀式をしたがった。
 自分の手で親しい存在を宇宙に還せることが誇らしいとすら思っている。それは正しかった。
 魂達が宇宙へ還りたがっている。魂達の安寧に繋がることを為すことは巫女の使命。それも正しかった。
 次のロケットは宇宙へ届くかもしれない。宇宙葬の準備は必要だ。正しいことだ。
 今、一番親しい存在であるヨハンの苦しみが、魂達が還ることで軽減できる。ヨハンのためだ。正しい。
 正しい。正しい。全部正しい。
 だからこそ、それを拒絶する自分自身が苦しかった。胸を抑えるように蹲り、駄々をこねる子供のように丸くなる。瞑って暗くなった世界で、鋭敏になった感覚はヨハンを探していた。OPUSロケット工場のどこかで彼が立てるかもしれない物音を、雪掻きをする音を、探してきたロケットの材料を運んでくる音を探していた。
 ヨハンはマルクス新採掘場で燃えずに残ったロケット燃料を運ぶので忙しい。ソリに積んで引いてくるのだ。最近はようやく往復3日程で行き来出来るようになってきた。工場を出発したのは昨日だったじゃない。じゃあ、行ってくる。そうソリを片手に雪の中に消えていった背中を見送って何度目になるのかしら。もう、有触れた日常の一幕。
 別れることに慣れなさい。
 ふと、長老の言葉が浮かんだ。慣れない。慣れないよ。だって、いきなり皆死んでしまったんだよ? いきなり、生き残っているのは私だけだなんて受け入れられないじゃない。宇宙葬をしたら、もう、二度と逢えない。約束したよ? 宇宙葬をします。皆を銀河に送りますって、約束したよ。巫女として次の黄金の百年を担う使命を、果たそうって思ってるよ。
 でも。でも。『でも』が積み重なって重く蓋をする。ぴったりと蓋になったそれで、胸が張り裂けそうなほどに溜まっていく。苦しい。魂達の言葉が急かす。出来ないこと難しいことを、今すぐにと、駆り立てる。
 悩み苦しむ時は、祈りなさい。尊き地球は、還るべき銀河は全てを包み込んでくれる。
 長老の言葉に背中を押され、私はもう一度聖画の前に膝をついた。頬は乾いた涙の跡でぱりぱりと引き攣るけど、擦って拭う気にはなれなかった。手を組んで、目を閉じて、尊き地球へ祈る。
「全ての魂が少しでも幸せになれますように…」
 巫女としてのフェイの願いを
「ヨハンが幸せになれますように」
 表現の難しい同居人としての願いを
「私は、ちょっとだけでいいから」
 幸せになれますように。
 私の、幸せってなんだろう。ヨハンに出会えて、言葉では表せない尊き地球の計らいで、こんな地獄のような絶望の中でも満たされているというのに。別れることに慣れて、巫女としての私と、フェイという私が合致することが幸せなんだろうか? 少なくとも、苦しくはなくなるかもしれない。
 魂が舞う世界で思う。フェイの幸せは、どこにあるのだろう?
 尊き地球は絵の中から私を見下ろしている。