ボイスレコーダー

 そのボイスレコーダーは、新マルクス採掘場の爆発事故の取材の時に手に入れたものだった。
 大爆発から燃え広がった大火災は、採掘場に蓄積されたリクシール33に引火し全て吹き飛ばした。その衝撃は凄まじく、ヘミスシティのスラム街のいくつかの建物が倒壊する程度に揺らしたという。大火災と同時にヘミスシティと新マルクス採掘場の間の路線で、鉄道の脱線事故まで起きている。取材に向かった当初は、疫病に右往左往するヘミスシティが落ち着いていると思うほどの混乱ぶりだった。
 新マルクス採掘場の最寄駅は凄まじい爆風によって倒壊していた。それでも駅は暮らしの中心であった為に、脱線事故の怪我人と大爆発から逃れた多くの人が集まっていた。消防士の父親が戻ってこないと泣き叫ぶ子供を、きつく抱きしめる母らしき女性。脱線事故に巻き込まれた家族を探す男。この極寒の世界であっても、火災の残り火は空気を温めていた。血や焦げ臭い匂い、足の踏み場もなく溢れた人々の苦悶の声はヘミスの地獄に慣れたつもりの自分でも吐き気が込み上げる。
 それでも私はヘミスデイリーの記者として腕章を締め、写真を撮り、人々の言葉に耳を傾けた。私はボイスレコーダーを愛用している。人の記憶とは曖昧なもので、口から放たれた言葉は空気を震わせた瞬間から齟齬が生まれてしまう。目の前でメモを取ったとしても、微妙なニュアンスは自分の解釈によって塗り変わる。
 できるだけ生の声で。できるだけ現実に近く。それがヘミスデイリーで最も古株の先輩の言葉だった。
 ボイスレコーダーを再生しながら、記事を書いていく。毎日毎日陰鬱な記事ではあるが、新マルクス採掘場が再起不能になった今、目の前に待ち受ける不幸は誰の身にも平等に降りかかる。電気は使えなくなり、暖房器具の燃料も失われる。国は本格的に南への移住計画を推してくるだろう。
 ぼんやりと考えているうちに、ふとポケットが重いことに気がついた。何かが入っている。無意識に探った手が取ったのは、先輩が愛用している型に似た録音と再生しか出来ないハンディタイプのボイスレコーダーだった。使い込まれているのか塗装が剥げて地金が光っている。ボタンを押して再生させると、録音されているのは一つだけだった。
『私の罪を聞いて欲しい』
 男の声だ。聞き取りやすく、どっしりとした安定感を感じる声。聞き覚えのある声だ。私は取材相手の声を覚えるのが得意なので、以前取材したことがある人物なのだろう。
 誰だろう。私は首を傾げながら、ボイスレコーダーの音声に集中する。
『マルクス新採掘場の爆発事故は私のミス…だ。消防隊長の私が義務を果たせなかった。私は目の前の火災より、列車の暴動に巻き込まれた妻子を優先して…。尊き地球よ。死んでいった勇敢な部下達に永遠の安寧を…発掘場の人々に安息を…。許してくれ…ゆるし…』
 最後は嗚咽で聞き取れなくなっていた。
 この告白が消防隊長のものかは証明できないが、声に作話のようなわざとらしさはない。煮詰められた後悔と苦悩は、血を吐くような、空気を吐き切った肺から声を絞り出すような苦しげな響きがある。この言葉はきっと真実だろうと、私は判断する。
 しかし消防隊長が現場に残り指揮をしたとして、結果は変わっただろうか。私は顔を上げ、窓から見える採掘場の跡を見る。
 全ては燃え尽き、全てが瓦礫になった。生き残った人々の希望を手折る程度に、何も残っていない。
 死体安置所の取材にも行った。火災や脱線事故によって死んだ怪我人の死体に混ざって、多くの自殺した遺体が混ざっている。その中には採掘場の監視員も混ざっていて、遺体のポケットには同僚の元へ行くと走り書いたメモが残っていたという。
 監視員は何を見て生き残り、そして同僚の後を追って自殺したのだろう。全ては推測の域でしかない。
 私は自分のボイスレコーダを取り出す。再生させれば事務的な声が流れた。
『疫病の感染が確定すると、リストバントの装着が義務付けられます。感染者のID番号、移動制限区域が記録されています。移動勢現区域外を出てしまった場合、軍の指示に従って移動してください。指示に従わぬ場合は、処分されます』
 嫌な話題。再生される取材内容の数々は、嫌な話題ばかりだ。歯を食いしばった鈍い音が、脳味噌のすぐ下で弾けた。
 私達のデイリーヘミスは、嫌な話題ばかりしか書けずにいた。疫病が流行する前は、品薄になるくらい人々が挙って買った私達の新聞は今では発行部数が半分以下に落ち込んでいた。理由は明白。買い手が減っているのだ。死んでいる、とも言える。
 最近最も売れた話題が、地球教の長老の死の記事だったなんて最悪じゃないか。
 ブラックボックスを解析したらテロ事件だった飛行機墜落事故。教会に鉄槌を下し、巫女の白い祭服を死装束に変えると叫ぶ決起集会。ヘミスシティ封鎖とそれに対する暴動事件。疫病が長く続いたために、紙も印刷会社も販売してくれる店舗も失い廃刊することになったデイリーヘミス。あぁ、最悪な話題ばかりだ。良い話題はこの世界にはないのか。
『ヘミスは地獄だと聞いてはいたが、これほどとは…』
 そんな声が聞こえてきた。それは旧型の、消防隊長の声が吹き込まれたボイスレコーダーからだった。
 声は聞き覚えがある。ヘミスシティから南の地域の自警団の取材に行った時、この男性の声を聞いた気がする。この絶望し切ったご時世では貴重な、献身に燃える声色が頼もしかったのを覚えている。
『今だって十分に地獄だ。空港に発電機や備蓄が多く残ってて、拠点として助かってはいるさ。だが、狼が多くて空包が尽きそうだ』
 この声も聞き覚えがある。マルクスタウンのロケット工場の社長によく似ている。疫病前の最後のロケット打ち上げを成功させた工場の取材は、今思い出しても気持ちがいいくらい良い記事だった。
 『まぁまぁ。ヨハン。ロケットの部品になりそうな機材が、近くの建物にありそうなんだから』そう取り成すような声色の声を、危うく聞き逃すところだった! 偉いぞ、私の耳。自画自賛しながらも、ボイスレコーダーに話しかける。
「ロケットの部品だって?」
『うわ! このボイスレコーダー、勝手に喋り出したぞ!』
 あからさまな驚きと、面倒ごとに関わってしまったような面倒そうな響きがボイスレコーダーのメッシュから放たれる。私の勘が告げる。このヨハンという男から、大スクープの気配がする。私が、デイリーヘミスの編集者一同が探し求めた、この世界を変えてしまいそうな大きな波を感じるのだ。
「ヨハンさんと申しましたね。貴方はロケットの部品を手に入れようとしているのですか? それをどうするんです?」
 ボイスレコーダーから大袈裟な音がする。まるで転倒して巻き込んだ様々なものを、床にぶち撒けたような音だ。当然ヨハンという男のものだろう『なんで、こんな変なものを拾ってしまったんだ!』的な悲鳴に似た声も聞こえる。
『ヨハンは地球教の巫女様とロケットを製作しているんだ』
 やはり自警団の取材で聞いた声だ。気持ちを穏やかにさせる柔らかな声が、優しく耳朶に触れる。しかし、内容はとんでもないことだ。私は思考が吹雪のように荒れ、ホワイトアウトの只中に放り込まれたような衝撃を受けた。
 地球教の巫女とロケットを製作している?
 地球教は巫女のコールドスリープを計画し実行したが、新マルクス採掘場の爆発事故による電力の不安定さから継続が不可能なのではと噂されていた。すでに数人の巫女が亡くなった長老の代わりに祭事を務めており、その噂は新聞記事にできる程度の信憑性を帯びていた。
 疫病から何年経った未来なのだろう。だが、何年であろうと巫女が生き残ったのだ。
 そしてOPUS工場の社長に似た声。声色は声帯の形に依存するのか、親子の声色は非常に似ている。ヨハンと呼ばれた男性はOPUS工場の関係者だ。疫病後もロケットを上げようとし失敗はしたが、ロケット製作のノウハウと設備がある環境が存在する。
 目の前に空が見えた。
 ロケットが打ち上がる轟音が衝撃を伴って体を貫き、遠く後ろへ津波のように飲み込んでいく。思わず上がった顎が、空を駆け上る一つの光を見上げる。遥か上空。重力から逃れ銀河へ届く輝きが、空に旅立っていく。
 旅立つ。
 旅立てるのだ。
 この疫病によって溢れた魂達が、銀河へ還るために旅立てる。
 宇宙葬が行われるのだ。
 奇跡とか感動とか、そんな言葉すら陳腐だった。言葉が伴わない。殴りつけるような打ち上げの時の轟音が、私を飲み込み粉砕していく。興奮が意志を燃やし、紡ぐ言葉は乱暴と思うほどの勢いで放たれた。
「最高だ! デイリーヘミスの復活号の一面の見出しは『ロケット、銀河に届く!』これで決まりだ!」
 これを記事にしなくて、何を記事にする。
 誰もが待ち望んだ、宇宙葬が行われる。誰もが諦めていた事が、残された人々によって可能性になろうとしている。なんて素晴らしいんだ。こんな記事を書けるなんて、私は幸せな記者だ。
 興奮は長年開かれずカビ臭くなった文字の引き出しを全て開け放ち、私自身を飲み込む表現の洪水にもみくちゃにされる。その表現一つ一つを厳選して文字を組み立てるも、気持ちが早って折角拾い上げた言葉が次々とこぼれ落ちる。だめだ。私一人で記事を書こうだなんてだめだ。最高に記事にしないといけない。記念すべきデイリーヘミスの復活号なんだ。編集部全員で、最高の言葉を人々に送り届けなくては…!
 私はもう浮き足立っていた。今すぐ駆け出して、編集部の皆を探し出さねばとソワソワと落ち着かなくなる。それでも止まっているのは、誰がどこにいるのだろう、誰から見つければいいのだろうという順序を考えているからだ。爆発してしまいそうな興奮を鎮めるために、焼け石に水とばかりに大きい独り言を言う。
「あぁ、忙しくなる! 忙しくなるぞ! 編集長を見つけて、仲間の記者達にも声を掛けないとロケットが打ち上がってしまう! この大スクープ、他所の記者には絶対に渡さない! 絶対に最速でデイリーヘミスが刊行する!」
 時間との勝負だ。ロケットが明日にでも打ち上がってしまうかもしれない。気ばかりが早る。
『まだ、打ち上がってすらいないぞ』
「今まで失敗続きなんて、取材の時間が一秒でも長くなるメリットだ。一度でも打ち上がったら成功じゃないか! 尊き地球が記事を書けと言っている!」
 彼らとの出会いは尊き地球がもたらした運命だ。
 あぁ、写真はどうする? カメラマンは見つけても、カメラは持ってるんだろうか? まぁ、カメラマンはカメラが自らの心臓みたいな連中だから、心配いらないだろう。打ち上げの瞬間を捉えるためにも、最優先で見つけに行った方がいい。
「書き出しは『デイリーヘミスが親愛なる読者の皆様に記事をお届けできる事、尊き地球と巫女とOPUS工場に感謝を』。いや、書き出しは大事だ。もっといろんなパターンを考えて、相談しないとな!」
 私は駆け出した。とりあえず、誰か見つけよう! 人手を確保すれば、人探しも早く終わる。取材も編集も人探しも同時進行だ。
 なに、デイリーヘミス編集部は全員プロだ。取材する相手を探すのも、記事のネタを探すのも、他の新聞社に劣ることはない。すぐに誰か見つけてみせる。そして瞬く間に編集部全員が揃うだろう。
 皆で書くんだ。復活号を。喜ばしい宇宙葬の再開を。
 私は、デイリーヘミス一同は探していたんだ。希望に満ちた未来への記事を。
 『おい、だから、まだ』そんな言葉が聞こえた気がした。君らの努力は、私達の最高の一面でお応えしよう!