巫女図案の花札

 女達の声が賑やかに私を囲んでいる。私のロケットの図面を見ながら、『これは良い』『それは駄目』と評価するのに忙しい。OPUS工場に出向いてくるような若い巫女はアドバイス済みだけど、この第一教会から動かなかった年配の巫女達はじっくりと眺めて痛い所を指摘する。
 コールドスリープが施されると決まって、居住区の奥にある研修施設を改築した場所。そこに当時の巫女の人数分のコールドスリープ装置が整然と並んでいる。床も見えなかった様々なケーブルを押し退けて、焚き火を起こしたのは私が眠っていた装置の横だ。2年前に電力が尽きて機能停止したが、最も状態が良いと想定される装置だからだ。
 メンテナンスの為の開閉口は、寒さで凍結していた。火の熱で溶かすなんて、まどろっこしい事はしない。凍りついた扉を固定したネジごと、ドライバーをねじ込んで強引にこじ開ける。
 まぁ。背後から見守っていた巫女達が、声を上げる。雑ねと、呆れた声がする。相変わらず大胆と、楽しそうな声がする。手っ取り早くて良いじゃないと、拍手が湧いた。馴染んだ、想像通りの反応。鐘を打てば響くように、期待した通りの、いつもの彼女達。
 私の手は、小さい子供の手になっていた。
 ロケットの勉強が楽しくて、貪るように技術や知識を吸収していた。民間のロケット工場がロケットを打ち上げたと、宇宙葬に赴いた巫女から聞けば床を転げ回って悔しがった。後ろから覗き込むように私に話しかけた彼女達の体温を、今も覚えている。
『ねぇ、フェイ。ヨハンって男はどうなのよ。良い感じなの?』
 大事なロケットの部品を手に入れようって時に、くだらない話を持ちかける空気の読めなさも相変わらずだ。私は工場で散々投げかけられた質問に、ため息で返した。
「ヨハンはヨハンよ。体の大きい子供ね」
 あらー。女達の声がコーラスのハーモニーのように響き渡った。
 見た目は熊のように大きい、中年に差し掛かる男性だ。しかし、中身は子供。それは仕方のないことだ。最後の宇宙葬が執り行われて直ぐに、疫病は流行りだし、津波に飲み込まれるように破滅していった。生きることすら難しい世界で、誰がヨハンに教育を施せただろう。疫病が流行り人々が死に絶えた時のまま、大人になることも出来ず子供のまま独り生き延びたのだ。
 そんな相手に、期待しているような恋愛感情なんてない。そんなことより、ロケットだもの。
 こらこら、良い加減になさい。そう巫女達を嗜めたのは、最年長の巫女だ。
『大流行を生き延びたとはいえ、ずっと独りだったんでしょう? むしろ、そんな子供がこの終わらぬ冬の空の下の死者の都を探索して、貴重な部品を持ち帰れるなんて素質は十分あるわね』
 そう、ヨハンは凄い。冷却装置を取り外しながら、私は思う。
 ロケットが嫌いだと声高に言うが、知識は大したものだ。車のエンジンを分解する時は失敗こそすれ、最終的にはロケットのエンジンに改造できる程度に状態の良い物を調達した。どこに何があるのか、推測し見つけ出すのは簡単なことじゃない。それでも、ヨハンはマルクスで、採掘場で、へミスで、ロケットの材料を探し出してきた。今思えば、随分と無茶をさせたものだ。
 それに、巫女だけが持つとされた魂を認識する力。魂の声を聞き、宇宙葬が行われるまでの間の安寧を齎す。巫女の重要な務めだ。ヨハンが魂達に影響を与え、今、世界はこれ以上もないくらい宇宙葬への期待を募らせている。ヨハンはこの白く輝くほどの期待が、見えているだろうか?
 でも、あの大きな熊みたいな影を見ると、私はほっとするの。
 帰ってきたって。人を殺す寒さで抱きしめてくる死神から逃れて、戻ってきてくれたって嬉しくなるのよ。無事に戻ってきたってことだけで、本当はもう何も要らない。
「本当に、助けられています」
 ふと、口元が笑っているのに気が付く。ロケットの最後の部品。冷却装置が外れたのだ。
 冷却装置は小さい見た目とは違い、ずっしりと重かった。抱えてコールドスリープ装置の置かれた部屋から、教会の入り口に持っていくだけで息が上がり汗だくになる。更に扉の隙間から外を見れば吹雪いている。こんなんじゃ、下山なんて無理だわ。
 朽ちかけたテーブルや椅子を分解して、簡易的なソリを作る。冷却装置を麻縄でソリに固定させ、引っ張れるようにソリから私が持つ用の麻縄を垂らす。
 もう、下山するだけ。その時は、そう思ってた。
 聖山の標高は高い。山の天気は変わりやすいというけれど、終わらない冬の山は吹雪に閉ざされている。聖山に最も近いヨハンが作った拠点で、吹雪が止むまで2日待ったけれど運が良かったんだわ。
 暗くなって、うっすらと明るくなって、また暗くなる。その間も、轟々と地鳴りのように吹雪が教会を揺さぶっていて、とても下山できる状況じゃない。
 工場を出て何日経っただろう。一週間…は、経っているはず。
 ヨハン、心配させちゃってるだろうな。私を探してくれるかしら。使った形跡のある拠点を探って、私がここに向かっているのに気が付いたかな。それでも、こんな吹雪だもの。登ってはこれないわね。
 変なの。迎えになんか、来る訳ないじゃない。頬っぺた叩いて、怒鳴っちゃったのよ。私はヨハンよりもお姉さんのはずなのに、どんな時も笑顔で魂を導く巫女なのに、本当に駄目ね。
 ねぇ、ヨハン。私だって貴方みたいにロケットの部品くらい、持ってこれるんだからね。この部品があれば、ロケットは宇宙に届くわ!
 ヨハン。まだ、怒ってるかしら。
 …どうして、私は此処に居るんだろう。
 早く、ヨハンに会いたい。
『フェイ、心ここに在らずですね』
 入り口の前に焚き火を起こし、膝を抱えて吹雪が収まるのを待ち続ける私に穏やかな声が掛けられた。いや、待ち続けている間、巫女達や使徒達が話しかけてくれた。懐かしくって、私は小さい幼い頃に戻って微睡むように穏やかな懐かしい日々を過ごしていた。
 今だってそう。勝手にラジオを分解して、膝を抱えて隠れている。
 私を見つけてくれた使徒は、優しい笑顔を浮かべて私を抱き上げてくれた。ぐっと高くなった世界は、質素で飾り気のないけれど隅々まで掃除され整頓され、花が生けられた生まれ育った教会。テーブルクロスは先代の巫女が趣味で作った美しいパッチワークで、私の座る席の正面に縫いつけられたロケットが大好きだった。窓から強い日差しが差し込んでいて、レースのカーテンが吹き込む風に揺れている。
 巫女とは違い魂は見えないけれど、尊き地球を伝える役目を持つ使徒。私は優しいこの使徒が大好きだった。染み付いた香木の匂いを、胸いっぱいに吸い込む。
『私は心配していました。貴女が私達を宇宙へ送ったら、貴女は死んでしまう。あんなにお別れが嫌いだった小さい女の子に、孤独に耐えて未来を築けなんて酷い仕打ちだと思ったものです』
 心配性だったわね。ラジオを分解して、見つかって言われたことは『感電しなくて良かった』だったわ。幼い私が抱っこって両手を開くと、嬉しそうに笑って抱きしめてくれた。大好きだった。
 私の知る世界の全て、教会の皆が、大好きだった。
 幼い頃は宇宙葬で別れることが、嫌で嫌で、泣き叫んだりしたわ。大事な人ともう二度と会えないなんて、辛くて嫌で、宇宙葬なんてしたくないって幼い私の気持ちは痛いほど良く分かる。
 疫病で全て失われたと、目覚めて理解した時、世界が終わったかのような絶望があった。言葉の通り、私は役目を終えたら死のうと思った。この世界でロケットを打ち上げるのがどれほど大変かも知らないくせに、もう、役目を終えたことを考えていたのよ!
 今だったら、ヨハンに失笑されて、私も笑い話で済ましてしまうわ。
 私は使徒に降ろしてもらう。もう、私は子供の姿ではなかった。
「今はもう、大丈夫です」
 使徒が身を引く。少し見上げるほどの長身の陰から、巫女達に支えられて丸まった背中が進み出る。記憶の中の姿より、ずっと、小さかった。こんなにも小さく、年老いていたんだ。
 親のように慕っていた地球教長老アマデウス=ヤンは、私をしっかりを見上げてにっこりと微笑んだ。その頬や口元に浮かんだシワの一つ一つが、懐かしくて愛おしい。枯れ木のように骨と皮だけの手が、私の頬に伸ばされた。膝を折ると暖かい感触が優しく触れる。
『フェイ。其方は大切な人を得た。言葉では語れぬ魂と出会ったのは、尊き地球のお導き』
 私は長老の手に自分の手を重ねて、長老の瞳をじっと見つめた。
 言葉では語れない。幼い生意気な娘は良く分からないと、長老を困らせたものだった。でも、今なら分かる。相手の瞳を見るだけで、相手が何を語りたがっているかが分かる。それは言葉で表現できない、強いて表現するならば尊き地球への感謝の気持ちが強く沸くようなもの。かつて見上げることが出来た星空の星の数のように、目の前にあって明確に示すことのできないものが、今でははっきりと分かる。
『疫病前の最後で、黄金の百年の始まり。46代目巫女リン=フェイ。其方に銀河へ導いてもらえること、この地上の魂達を代表して感謝する』
 あぁ、長老。宇宙葬なんてしたくなかった、皆と一緒に死にたかったリン=フェイはもういません。帰るべき場所があって、救いたい人がいるんです。
 私は生きます。黄金の百年が始まるかは分からないけれど、地球教の教えを、技術と礼節を身につけた巫女という存在を、途絶えさせることなく伝えてみせます。どうか、どうか、宇宙から見守ってください。再び巡り会うその日まで、私達を包み込んでください。
『さようなら。フェイ。再び銀河で巡り会わんことを』
 誇らしいのに、悲しくなどないのに、なぜか涙が出る。それでも私は笑う。巫女だから。皆の希望として、導き手として、リン=フェイとして、生きていくって決めたんだもの。
「さようなら、長老。皆。私は皆に出会えて、幸せでした」
 尊き地球よ。最後に、お別れを告げることができる機会を、ありがとうございます。
 私は、全ての魂を導いてみせる。
 ヨハンと、一緒に。ロケットで。