前世の記憶は中二病じゃない!

 俺の名は高槻 守(たかつき まもる)。ごく普通の高校一年生、とは断言できない。
 どう普通でないかというと、まず剣道の腕が良い。幼い頃から始めた剣道は無敗ともいえる輝かしい勝率で、今では強化選手として招集されるほどだ。運動神経がいいから、サッカーも柔道もバスケットボールも、どの部活の部長よりも上手くできる。助っ人として呼び出せれば勝利は確定と、勝利の神様みたいな扱いを受ける。お礼なのかお供えなのか賄賂なのか、色んなプロテインを貰えるのは嬉しいものだ。
 学業だって決して悪い点数ではない。学年トップ10に食い込むことは難しいが、全科目を平均より上に留める程度にはできる。人当たりや物腰は乱暴ではなく、運動ができるから、勉強もそこそこだからと鼻持ちならない態度は取らない。
 見た目も良い。ストレートの髪はさらさらで、日に焼けた肌、切れ長の瞳。引き締まった体で腹筋もきちんと割れているので、水泳の授業は女子生徒の歓声が聞こえてくる。ファッションモデル雑誌のスカウトも時々来て、ちょっとした小遣い稼ぎに応じたこともあった。
 そんな俺は、当然、いや必然的にモテる。
 この学年、この学校、この学区、それらで手紙を出そうと勇気を持つ女子達からは、余さずラブレターを貰った。丁寧に返事を返し、彼女らの甘やかな失恋談として人生の思い出になった。泣く子もいた、なぜフるのかと傷ついた子の代わりに殴り込んでくる勇ましい子もいた。そんな彼女らに、俺はこう答えた。
 『俺には好きな女性がいるんだ』
 そういえば、ほぼ全員が納得してくれた。
 だが、好奇心のある一部の者は首を傾げる。なぜなら、今の俺には女子と付き合っている時間はない。剣道の練習に、運動部の助っ人。塾にすら行く暇がないので、自宅に帰れば自習を欠かすことはできない。今時の同年代がするゲームや映画などの娯楽を楽しむ時間もないのだ。女子と仲良く過ごす時間を捻り出すことは、俺だって出来やしない。
 それでも『俺には好きな女性がいるんだ』と言うし、嘘ではない。本当に好きで、愛して、結婚を約束した女性がいるのだ。
 名前はミアリアーク。美しくて、仕事熱心で、恋人である俺にすら冷たい目で見下ろしてくる。華麗な剣術はまるでダンスのように優雅で、高い魔力で生み出された氷の魔術は芸術だ。騎士団内だけでなく敵国にすら『氷の魔女』と恐れられている。
 いま、ゲームの女の子に恋してるのかって思っただろう?
 実際にそのことを話した人が一人だけいた。その人はとても年上で女性で、ゲームや漫画やアニメに詳しい所謂オタク趣味を持った人だった。案の定、ここまで話したら『君はゲームかアニメのキャラクターが好きなのか?』と言われてしまった。しかし、流石はオタク。そこで卑下するように笑ったりはしない。検索をかけてどんなキャラなのかを探ったが、検索結果に出てこないことに頭を抱える羽目になった。うーん、創作? インディーズゲームか? そう唸って検索の幅を広げていく姿は正直申し訳なく思ったものだ。
 そう、ミアリアークは創作でもインディーズでも、ゲームやアニメや漫画のキャラでもない。
 俺の前世の恋人なのだ。
 俺はごく普通の高校一年生ではない。前世の記憶を持ったまま生きているのだ。
 いま、中二病かと思っただろ?
 実際にそのことを話した人が一人だけいた。その人はとても年上で女性で、ゲームや漫画やアニメに詳しい所謂オタク趣味を持った人だった。さっきの前世の恋人のことを話した人だ。その人は微笑んで肩に手を置き『いずれ、治るよ』と優しく言った。
 違うんだ! 中二病じゃねぇ! 俺の秘められた右腕がなんて馬鹿なこと思ったりしない!
 実際に前世の最後の記憶だってあるんだ。
 あれはアーゼ連合国の将軍に追い詰められた時だった。竜将軍と呼ばれる彼は黒い竜を具現化させる強大な魔力の持ち主で、たった一人で戦局をひっくり返すとんでもない男だった。剣技も一流で頭も回る。奴を前に敗北を喫した回数は数知れない。そいつに胸に長剣を突き立てられた。思い出しただけで心臓がぎゅっと痛む。
 だが、ランフェスバイナ王国の騎士団長である俺も、ただで殺されてやれる程お人好しではない。残された部下の為、そして愛するミアリアークの為に、この後の戦局を少しでも有利に持ち込みたかった。
 相手の癖毛が額に掛かる程に間近にいた宿敵。その肩を掴んで、俺は笑った。いつまでも竜将軍なんて、俺達を虫けらのように遇らう日々が続くと思うなよって笑って見せた。もう、肺に血が流れ込んで半分溺れて言葉なんか喋れなかった。俺は秘密裏に女王陛下から賜った禁術、命を対価に相手の魔力を分断する術を解き放ったのだ。
 そこで前世の記憶は終わっている。間違いなく、そのまま息絶えただろう。
 実際にそのことを話した人が一人だけいた。そう、オタクの人。その人はもう、俺を馬鹿にしたりはしなかった。ひどく真面目な顔で話を聞いて『君は作家の道に進んだ方が良いんじゃないか? 最近は素人もアイデア次第で書籍化する小説を生み出すんだ。学生なら、それだけで注目も集まるかもしれない』と話してきた。違うって!俺の死際を勝手に創作にしないでくれ!
 本当ならオタクの人の言葉を飲んで、普通の高校一年生として生きることも出来たと思う。来世の世界は本当に平和だ。毎日戦いに明け暮れ、敵兵を屠り重くなるばかりの重積を重ねる必要はない。スポーツは純粋に技量を上げることを目指していて、それは眩しいくらいに尊いことだった。
 でも、俺は前世のファルナンの記憶を忘れたくないと思っている。
 なぜかって、そりゃあ、こんな平凡で平和な世界よりも刺激的だ。それに生まれた時から記憶がある。前世の記憶は俺の一部と片付けるには大きな範囲を占めていた。俺が剣道や運動にこれだけ秀でているのも、前世の経験に助けられているからだ。それにインターネットで検索すると、前世の記憶を持っている人だっているのだ。俺が前世の記憶を持ったまま生きていたって、良いんだ。
 はぁ。ため息が溢れて、目の前を走っていくトラックに轢かれていく。行き交う人の喧騒、車や電車の騒音、明るく輝く電気の光。それらが俺を取り囲んで、大切に想う気持ちを嘲笑う。
「残してきた騎士団の仲間達。守りたかった王国の民達。彼らのことを忘れたくない。例えゲームだろうが中二病だろうが創作だろうが思われたって良い。忘れないで、胸に秘めて、生きていく。それくらいは、しても良いだろう?」
『ファルナン…覚えていたのですね』
 柔らかな声が記憶を叩く。忘れもしない。ファルナンが剣を捧げた女王、シルフィニア陛下だ…!
 首を巡らそうとした時には、白く輝く光が傍で弾けた。まず見えたのは雲ひとつない晴天を閉じ込めたような色彩。光が肌を、踝まで伸びた豊かな髪へと形作っていく。純粋無垢を意味する純白のドレスが視認できた時、黄金の輪を嵌めた腕が俺に伸びて涼やかな音を立てた。
『どうか…再び力を…』
 喜びで震える。ファルナンが嘘でなかったことが、死んでなお求められていたことが、嬉しかった。皆が俺を覚えていて、俺と同じ気持ちであったことに涙が滲んだ。平凡な生活から抜け出して、スリルと波乱に満ちた懐かしい世界に心が躍る。
 もう高槻 守であることは、どうでも良かった。
 俺は恭しく膝をつき、その手を取った。