転生したって恋人だろう?

 ランフェスバイナの大聖堂は玉座の間。王は神の言葉を告げ、神の恵みを代行する。
 特に現在女王として君臨しておられるシルフィニア陛下は、歴代の王族の中でも抜きんでたお力を持っておられた。神の力を代行するとまで言われた、絶大な光属性の魔法。慈悲は民の全てに行き渡り、冠婚葬祭の際には出来る限りお顔を見せる。空を覗き込むような蒼い瞳は、まるで神に覗き込まれているかのよう。容姿も人々が神を模したような完璧さであった。
 そんなシルフィニア陛下が奇跡を起こす。なんら不思議ではない。
 俺は硬い床に足が付くのを感じた。そして体の重みが加わる。顔を上げて目を開けば、まず視界に入ったのは女王陛下のうっとりとするような微笑みだ。どんな功績をあげても、ここまで至近距離でこのお方を見上げたことはない。白金の睫毛のひとつひとつ、きめ細やかな頬、整った顔立ちの中央にすっと走る鼻梁、ふっくらと艶やかな唇。それらが、俺の帰還を喜ぶように綻んでいる。あまりにも誇らしく、顔が火照った俺は慌てて頭を垂れた。
「ファルナン団長!?」
 懐かしい声。俺は女王陛下の前なのに、勢いよく声の方に振り向いてしまった。
 真紅の絨毯の上に、純白のフルアーマーが窓から差し込む日光で輝いている。懐かしい顔ぶれだ。誰一人変わらない。俺は思わず涙が浮かんだ。高槻 守として生きてきた人生分の歳月が経っての再会であったけれど、名前も顔も誰一人忘れたことがない。
 声を上げた親友のマシェン。彼は来世でも友人だ。2つ年上だったからこそ、運動神経が良い俺と仲良くしてくれる。快男児を絵に描いたような大柄で豪快な笑顔の似合う男は、まるで戦車のような大きさを誇るフルアーマーの存在感を遺憾なく発揮して主張している。出会えて嬉しいと、声に出さなくても彼の全てが物語っている。
 そして、親友の隣で畏るミアリアーク! どれだけ会いたかったことか!
 俺は陛下に深々と頭を下げ、身を引いて階段を駆け下りた。鮮明になる仲間達に、俺は喜びを爆発させた。
「皆! 無事でよかった! 変わらないようで嬉しいよ!」
 少し怪訝な顔を見上げる。見上げる? 体格の特に良かったマシェンは、ファルナンでも見上げていた。しかし副団長であり恋人であるミアリアークと、同じくらいって変じゃないか?
 ようやく違和感を感じた俺に、ミアリアークが冷えた声色で呟いた。
「…子供?」
 そ、そうだ! 死んだ時のファルナンは27歳。今の俺よりも一回りは年上じゃないか! 身長も体付きももう子供ではないけれど、まだ成人に達した大人びた顔つきには程遠い…! 剣道を極め重りをつけた木刀を振り回して修練していたが、騎士団のフルアーマーを装備して鋼鉄の剣を持って戦えるか。今までは自信に満ちていたが、急に不安になって萎んでいく。
「その方は確かにファルナンの来世です」
 陛下の声が集まった騎士達の疑惑をなぎ払った。
 そして、あろうことか陛下は段を下り、俺の目の前に歩み寄った。騎士達が慌てて畏る中、膝をつきそびれた俺の手を陛下は取った。まるで真綿に包まれるかのように柔らかくて暖かくて、良い香りがする。うっとりしてだらしなくなりそうな顔を、必死で真面目に繕う。
「貴方が死したファルナンの記憶を保持して来世を過ごしている献身の心に、我が国は甘えとうございます。ファルナンの命を賭した術で、アーゼの戦力は大きく落ちています。どうか我らが神が維持せし平和を乱す、アーゼの魔王バルダニガを倒してください」
 ふわりと完璧な掌が俺の顔にかざされる。光が溢れて体がじんわりと暖かくなるのを感じた。これは祝福だ。陛下は生まれたもの全員に祝福をお授けになる。全てのランフェスバイナの民の平穏と幸せを願って施される祝福は、歴代王族だけが施すことのできる秘儀だ。これで俺は心身共にランフェスバイナの民となれたのかも知れない。
 伏せられた白金が、畏る騎士達を見回した。
「皆もファルナンへ、惜しみない協力を…」
 騎士達の爆ぜるような返答が、大聖堂に響き渡った。

 ファルナンの装備一式は未だに残されていた。白銀に金の飾りと縁を持ち、空の青を彷彿とさせるマントの付属した特注のものだ。これは死際に着ていた物ではなく予備ではあるが、寸分違わぬ性能だろう。着てみれば少々大きいが、装具のベルトを調整すれば問題ない程度の誤差だ。そうして鏡の前に立った俺は、前世の記憶に残っているファルナンそのものだった。
「あぁ、ファルナン。帰ってきてくれて嬉しいよ!」
 マシェンが強面を綻ばせた。俺がファルナンであることに懐疑的だったかつての仲間達も、俺の振る舞いや口調、仕草にかつてのファルナンを見出していた。もう俺がファルナンであることを疑う者はいない。
「しかし死んで生まれ変わっても、死ぬ前の記憶を持ち続けているだなんて、流石は俺達の団長だ! 本当に…よく…帰ってきて…ぐすっ!」
 涙脆いマシェンにつられて、複数の幹部達が目頭を拭う。あの戦場でファルナンの遺体を見てきただろう彼らが、こうして復帰する俺の姿を見てこみ上げるものがあるのだろう。長年、ランフェスバイナのために尽くしてきた仲間だ。二度と出会えないと思っていたからこそ、再会の喜びは互いに一入だった。
 気の早い奴は『ファルナン団長の復帰祝い』と託けて、宴会の準備を始めているらしい。喜びに浮き足立つ気持ちは伝播し、騎士団中に蔓延しつつあった。
 ただ一人を除いて。
 皆の輪から少し離れた所で腕を組み眺めている、美しい立ち姿を見た。ミアリアークは滅多なことでは感情を表に出すことはない。心根の優しい彼女のことだ。俺が生まれ変わってでも戻ってきた喜びよりも、安堵の方が強いのかもしれない。そう、一旦は納得させてマシェンに視線を戻す。
「俺がイゼフに殺されてどれくらい経ったんだ?」
「まだ半月も経っていない。ファルナン騎士団長は敵国将軍に重傷を負わされ治療中と、民には伝えてある。騎士団でもお前の死亡を知っているのは、ここにいる隊長格と女王陛下くらいだろう。アーゼは知っているだろうが、お前が死んだ噂は今のところ流れていない」
 なるほど。俺が高槻 守に転生して過ごしてきた年月は、この世界には適応されないのだろう。おそらく、このまま俺が民の前に姿を表せば、ファルナンが死んだとは誰も思うまい。俺を殺した竜将軍だけは、さぞや驚くだろうがな。
 あの飄々とした中年男が驚く顔が目に浮かんで、小さく笑みを浮かべる。
「アーゼの様子は?」
「ファルナンを殺害して、竜将軍が王都に雪崩れ込んで来ると思ったが全く動きなしだ。野営地はそのままに、留まっている」
 竜将軍。俺の宿敵。あの男は頭の回る切れ者だ。俺の死に混乱した騎士団にトドメを刺せる、このチャンスを逃すことはあり得ない。ましてやフェルナンの死際、イゼフは大した怪我を負わせることはできなかった。竜将軍の異名を持つ通り、規格外の強さを持っていたな。
 俺は笑みを深めた。
「…ということは、効いたんだな」
 何が? そう訝しげな仲間達に、俺は笑った。
「女王陛下より俺は秘術を賜った。対象の魔力を分断する秘術を、俺の命を対価に行ったんだ。奴が追撃してこなかったということは、秘術は成功したんだ。きっと、奴はもう黒竜を生み出すことが出来なくなっている」
 魔力は人に宿る。その魔力を分断するということは、魔力は人に宿れず、人も新たに魔力を宿すことはできない。
 当然、この世界には魔力を宿せぬ人は多くいる。だが、竜将軍と名を馳せるほどの強い魔力にものを言わせて攻めていたイゼフは、魔力が使えなくなって方向転換を余儀なくされたのだ。今までのような無敗の暴君のような攻め方はできまい。
「流石はファルナン! あの竜将軍の力を封じるなんて、お前にしかできやしない! お前なら、お前なら、アーゼの魔王をも滅ぼしてしまうに違いない!」
 俺の言葉に騎士達が表情を明るくし、喜びの雄叫びを上げた。歓迎の宴を開くぞと言えば、多くの人が動き出す。いや、マシェンが追い出したというべきだろう。瞬く間に人払いがされていく。
 ただ一人を除いて。
 ミアリアーク。俺の、ファルナンの恋人。
 一人部屋に残っていたミアリアークに、俺は歩み寄った。美しい腰まである藍色の髪。細められた瞳、薄い唇。どれもこれも長年焦がれた形のままだ。喜びのあまり抱きついてしまいそうだったが、それこそがミアリアークが嫌がることでもある。
「ファルナンの遺体を確認して、郊外の墓地に葬ったわ」
 俺は頷いた。ファルナンの死を隠すということは、国葬するべき英雄がひっそりと葬られたからだ。隠すべき死だった。俺をこうして呼ぶことも女王陛下が決断されていたならば、知らすべきではない死である。
「私の愛した人は死んだの。婚約の話は終わったわ」
 確かに、俺は高槻 守であって、ファルナンではない。姿は瓜二つだが、生まれも育ちもランフェスバイナに縁もゆかりもない来世の世界だ。ファルナンの記憶を持っていても、俺を構築するものはミアリアークの愛したファルナンとは違うものが多く含まれてしまったのは否定できない。それでも、俺はミアリアークを愛し続けてきた。その想いに偽りはない。ランフェスバイナの神に誓っても良い。
「いや、俺はファルナンだよ。生まれ変わっても、ずっと君を想っていた。会いたいと願っていたんだ」
 嘘じゃない。本当のことだった。そして、この事実には理由がある。
 ミアリアークの来世にも会った。目の前のミアリアークに瓜二つで、性格もクールで厳しくて痺れるような人だ。出会った瞬間にミアリアークだと理解して、速攻で告白した。その告白は秒速と言える速度で却下された。最初の告白の時、俺は幼稚園児だったし相手は中学生だった。そう、来世の俺とミアリアークは10も歳が離れていたのだ。諦めずに告白を続けていたが、未だに俺の想いが受け入れられたことはない。
 俺が恋人であるミアリアークに傾倒してしまうのには、来世の彼女への届かぬ思いがあるのだ。
「嘘よ」
 顔を背けるミアリアークに、俺はそっと触れた。小刻みに震える二の腕を支えるように。
「嘘だと思うなら、確かめる?」
 あぁ、ファルナン。前世の俺。お前は本当に大した男だ。目の前の彼女の絶望が、前世の俺の名で希望を宿すのがわかる。来世のミアリアークに想いひとつ届けられない俺とは、雲泥の差だ。年齢、立場、色々考え何度もシミュレーションしても現実しなかった、応じてくれる彼女。それが目の前にあるという現実が、俺を高揚させる。
「生まれ変わって15年。ずっとお前に焦がれていた俺の想い。受け取ってくれないか?」
 背丈が同じくらいには成長していた、成長期の自分に感謝している。こうして、キス一つするのに彼女に屈んでもらう必要がなかったことは、神様の計らいに違いない。抱き寄せた柔らかな体を留めて、俺を間近に見る蕩けるような眼差しを見る。求めていた眼差しに、俺が蕩けていくようだった。
「ミアリアーク…」
「ファルナン…」
 その言葉の先はいらない。俺とミアリアークは二度と戻らないと思っていた温もりを、確かめ合った。