さいわい、独り立ちはできそうだ

 舞台の上に二人の男性が、華麗な演舞を魅せている。一人は純白の鎧をまとい真っ青なマントを翻す、顔の整った若者。もう一人は黒づくめの年配の男で、アーゼで最も有名なベテラン俳優だ。黒づくめの男が大きくマントを翻すと、舞台の上を大きな影が遮り、純白の若者が舞台の上を転がった。
「なぁ、ファルナン。こんな無駄な戦いを、俺達はいつまで続けていかなきゃいけないんだろうね。もう、良い加減飽きてきたよ。この魔王の力があれば、君の国を滅ぼせそうだ。そうして、戦いを終わらせたいな」
 親父ならこれくらい言いそう。
 目の前で繰り広げられているのは、ササが書き残していった今回の戦争を物語風に仕上げた話だ。俺がササの言葉を書き留めたオリジナルから広まったこの話は、誰が使っても良いということでアーゼでは本になったり演劇の題目として大人気だ。今回は休戦協定が結ばれる記念に、アーゼ屈指の劇団によるランフェスバイナの特別公演だ。
 大聖堂の入り口を舞台に見立てた公演は、広間を人で埋め尽くし、隣接する家の窓や屋根からこぼれ落ちんばかりの人を集めた。これも、全てはササの手腕と言えるだろう。
 イゼフ役の俳優が、ぐったりとしたミアリアーク役の美女を抱きとめる。
「君を殺さないかわりに、大事なものでもいただくとしようか」
「ミアリアーク!」
 この戦争をもとにした物語である為に、役者は実在のする人物だ。主な役はファルナン、ミアリアーク、そして俺の親父であるイゼフのたった3人で構成されている。ファルナンが親父に殺されて生まれ変わって戻ってきたとか、親父が力が使えなくなって後継者のササが来たとか、少しでも理解がややこしいことは全部省かれた。
「あぁ、ミアリアーク! 俺の全て! お前が死ぬかもしれないなんて、俺はとても耐えられない。しかし、竜将軍の絶大な力に争う力は、今の騎士団には残されていない。どうすればいいんだ?」
 ファルナン役の俳優が、一人残された舞台で苦しげな胸の内を明かす。
 ササ自身が珍しいと言ったが、この物語には恋愛要素をたくさん盛ったらしい。親父は差し詰め、ファルナンとミアリアークの恋路を邪魔する引き立て役だ。結果的にはそうなったかもしれないが、実際の親父だったら『君らの恋は君らでなんとかしろよ』とか言いそうである。
 そんなファルナンとミアリアークの愛しみ合いが評判を呼んで、休戦協定を結ぶ前だというのにアーゼに遥々来たランフェスバイナの密入国者の数のなんと多かったことか。アーゼの壁って意味を返納する必要があるほどに、ダルフが機能してなかった。
 頭を抱え苦悩するファルナン役の周りを、ゆっくりとイゼフ役が歩く。
「団長君。よーく考えてごらん。君は、なんで戦争しているんだい?」
「なんで…?」
「俺は国を守る為。ランフェスバイナは昔、アーゼ王国を滅した。混乱を極めたアーゼの地は、1つに戻ることはできず5つの自治領に分かれて存続するので精一杯だった。君達に負けて、俺の大切にしているものが脅かされるのを俺は拒む」
 親父はササにそんなことを話す暇があっただろうか。だが、他人には大抵そう話していた。アーゼの民を殺しバルダニガを滅ぼそうとするランフェスバイナを妨害し、アーゼの滅びを回避する。それが親父が戦争をする理由だった。
 イゼフ役が大きく腕を広げて訴える。
「君は何の為に戦っているんだい? 俺は俺の命令の元に戦争をしている。君は? どうなんだい。君の意思のもとに、戦争してるのかい?」
「俺は…命令されて…」
 ほお! イゼフ役が大袈裟に反応した。
「君は女王に命令されたから、国を滅ぼすのか! じゃあ、女王が命令したらミアリアークも殺すんだね!」
「そんなこと…!」
 剣を握り睨むファルナン役に、イゼフ役が悠然と言い放つ。
「よーく考えるんだ、ファルナン。君が、何のために戦うのか。その、理由を…ね」
 舞台が暗転して、美しい少女の独唱が入る。ランフェスバイナの女王役の少女は、その劇団一番の歌い手が求められる。神の恵みを朗々と歌い上げる美しい讃美歌は、実際にランフェスバイナで歌われているものだ。観客の中には涙を流しているものもいるらしく、人々の波が揺らいでいる。
 歌が終わると、控えていたファルナン役が女王役に訴える。
「ランフェスバイナの神の代弁者であり、神の名を冠した国の王よ。アーゼを如何なさいましょう?」
「我らが神はアーゼの根絶を望んでおられます」
 ランフェスバイナの初公演だからだろう、観客はどよめく。アーゼも結局は親父がファルナンに殺されたことは、伏せたまま国葬を行った。厳密に言えば神に操られたファルナンなので、親父を殺す意図はファルナンになかった。それでも、親父の心臓を刺し貫いて殺したのは、ファルナンだ。色々とややこしいから、ダルフをぶっ壊した正体不明の何かと相討ちになって死んだと俺は報告した。伝言ゲームは真実をねじ曲げて広がっていくもんだ。
 ランフェスバイナも、実は自分たちが信じていた神様が、獣の神を殺す為にアーゼを滅ぼすつもりだったなんて受け入れられないだろう。シルフィニア女王が崩御され王政維持が難しくなったのでランフェスバイナと、竜将軍イゼフが死に同盟軍の防衛機能が落ちたアーゼが、互いに和平の道を進むと知らされているはずだ。
 しかし、ササの凄いところは、真実を演出に作り替えてしまったことだ。
「ランフェスバイナの神よ。俺は空の下に在る全ての人に幸せであってほしい! それがいかに不可能なことであったとしても、努力を惜しまず、誰かの苦しみに寄り添い誰かの涙を拭うことを誇りにして生きたい!」
 うわー。俺だったら一生言う機会のない台詞。ファルナンなら言いそうなのがすごい。
「俺が仕えるべきは神ではない! 俺が仕えるのは民なんだ!」
 女王の姿が、巨大な純白の竜に変ずる。実際には竜の頭と巨大な布でできた竜を複数人で操るんだが、それが高さだけでもファルナン役の倍はあって迫力満点勝てる気がしない。ファルナンを悠然と追い詰める純白の竜が、突如、動きを止めた。
 イゼフ役が乱闘に加わり、瞬く間に竜の体を切り刻む。
 激しく立ち回る中、ファルナンを殺そうとした一撃をイゼフが庇う。ファルナンは竜の隙をついて、その眉間に剣を突き立て打ち倒すのだ。この信じられない現実を、演劇の演出として知らしめる。この場にいた誰もが、伝言ゲームで歪んだ真実ではなく、ちょっとした演出で見聞きした限りなく近い現実を知るのだ。
 バルダニガはササを手放しで褒めた。もう、ランフェスバイナは清らかな神ではいられない。純白の竜の姿を演劇で見た信仰している民の影響で、もう完璧な人間の姿すら維持できなくなってきたそうだ。さらに要素が加われば、性格にすら影響が出てくるだろう。神話の時代からずっと続いた諍いが、こんな形で終焉するとは思わなかったと、腹を抱えて笑い転げていた。
「イゼフ…俺をどうして庇って…」
 横たわるイゼフ役を抱き、ファルナン役は苦悩する。
「はは。なんでだろうね。俺、君の宿敵なんだけどね。あぁ、ファルナン。俺が死ねば戦争が終わるよ。終わったら…平和になるんだ。君は奥さんと…子供と…幸せに……」
「イゼフ! 死ぬな!」
 演劇とはいえ、親父が死ぬところは見たくない。本当に親父なら言いそうなところが嫌だった。死際の言葉は誰も聞くことができなかった。一番近くにいたササですら、気がついたら致命傷を負っていて死んでいたと言っていた。
 観客がイゼフ役の死に涙ぐんでいるのも、少し嫌だった。お前らは演劇で感動しているんであって、親父の死を悼んでくれているわけじゃないんだろうって思うと嫌だった。
 そしてファルナンとミアリアークの婚礼、そして平和な未来を誓って終わる。拍手は鳴り止まない。花びらが舞い、歓声が役者を褒め称え、広場にいつまでも残って持て余した熱狂を分かち合っていた。

 俺はトーレカ。新しいアーゼの将軍なんて地位は、俺には不相応だ。竜将軍として活躍した男が親父であるだけで、俺は大した戦果を挙げられた訳じゃない。親父は英雄として死んだ。今も、親父の残した指針がアーゼを導いていて、生きているかのように民から尊敬されている。
 しょうがない。行ってこいって言われたら、行くしかねーし。
 塵一つ落ちていなさそうな鏡のような大聖堂に、お腹の大きな美女と一人の騎士が待っていた。新しくランフェスバイナを導く立場になったミアリアークとファルナンだ。神の代弁者である王族が居なくなり、このランフェスバイナで脈々と続いた王政が維持できなくなった。その為に、臨時の政権として騎士団が王国の運営に携わることになる。
「では、休戦協定の調印を…」
 一つの小さいテーブルに向かい合い、書面に互いにサインを書く。
「これで、平和になるのか。なんか、変な気分」
「お互いの国が平和に生きていくのに、必要なことよ」
 紙切れ一枚。燃やして破れば終わりじゃないか。守る義理もないって、突っ撥ねたって良い。でも、まぁいいか。
「わかってるよ。大事なのは、これから約束を守るって実行の方だろ?」
 平和。親父が目指した、戦いのない世界。ササが語った毎日が普通に繰り返される世界。
 生まれた時から戦争やってたアーゼに生きてきた俺には、少しわからない世界だ。ファルナンみたいにササも手伝いに来て欲しいって、俺は面倒くさがりだから思うんだ。でも、ここはササの前世、俺の親父のイゼフの世界だ。ササの生きる場所じゃない。もう、十分手伝ってもらったんだ。これからは俺たちで頑張らないとな。
 でも、一度聞いたんだ。俺は来世でもササと知り合えるのかって? だって、もう二度と会えないのも寂しいじゃん。一応、前世では息子だった訳なんだしさ。
 そうしたら、来世でも会えるって言ってた。俺、ササの弟なんだって。クソ生意気で困るって、苦い顔してた。ほんと、親父が困った時の顔そっくりで、笑っちまうよ! 来世でも、俺達は変わらなそうで死ぬのが楽しみになるな。
 ササは俺なら大丈夫だろうって、帰ってったんだ。任された分、頑張らねーとな。