高槻守は頼りの綱に拒否られる

 俺は高槻 守。前世の記憶を引き継いだまま転生した高校生だ。
 俺は記憶にある限りで最大の難題に直面し、ここにやってきた。ここ。佐々木 恵の家だ。
 育ち盛りの食べ盛りな俺は、目の前の夕食に思わず目を輝かせてしまう。揚げたての唐揚げが油切り用のトレーの上に、山と積まれているだけでも壮観だろう。さらに筍の煮付けに、シーチキンを載せたグリーンサラダも大皿でテーブルに乗っている。俺の買ってきた飲み物は、一人暮らしには大きめだろうテーブルに乗り切らずに床に置かれている。さらに俺と目の前の男のために、大盛りの親子丼まで用意されている。
 これだけ食べれば流石に家での夕飯は、いらないと思うだろう? だが、食ってしまうのだ。それでも全てを消費してしまうほどの練習量を、転生しても継続している。俺は剣道の全国大会で2位の成績を納めたばかりだ。
 俺の前では黒犬と戯れる年上の男がいる。柔らかい黒髪に整った目鼻立ち、青いネクタイのスーツ姿が着慣れているのに、怠そうな笑みのお陰で胡散臭くなって台無しになっている。彼は佐々木 透(ささき とおる)。この家の主人の弟だ。
 透は黒犬の毛深い毛皮を掻き混ぜるように撫でながら、台所で片付けをしている背中に話しかける。
「姉貴はお人好しにも程があるよ。捨て犬拾って、ストーカー野郎とまで仲良くなるなっつーの」
 真面目な人間の神経を逆撫でするような、気怠い口調である。
「本人を目の前にして、ストーカー呼ばわりするなよ」
「ストーカーじゃん。お前、まだ近藤につきまとってんだろ? 良い加減、通報でもされとけば?」
 悔しくても反論できない。結婚し子供と幸せに暮らすはずだった前世の恋人と、来世で再会を果たせたんだ。また結婚できると思うだろ? 今度こそ幸せにしてやりたいって、思うだろ? だから告白して、待ち伏せしてでも連日のように想いを告げる。小遣いは全部捧げる花代に変えた。
 その行動の一部始終を幼馴染みとして想い人の横で見てきたのが、この佐々木 透だ。
 今思えば、透のいう通りストーカーだ。美亜が俺を通報しても、文句など言えないだろう。10歳も年下だから、見えない聞こえないと流してくれていたのだろう。前世で婚約者だったから、想いが通じると思って付き纏ってましたなんて警察に説明したら絶対頭がおかしい奴って思われるわ。
 冷静になってきて、顔から火が出るほどに恥ずかしい。どんだけ、独り善がりだったんだろう。
「なぁ、姉貴。どうしてストーカーと仲良くしてんだよ」
 佐々木 恵は全く不機嫌を隠さない表情で振り返った。普段は温厚で理想的な大人を体現した佐々木であるが、身内は対象外らしい。いつもはうっすらと持ち上がっている形しか想像できない口元は、完全にへの字だ。追加の唐揚げを手に、俺の斜め前に座ると手酌で酒をグラスに注ぐ。
「私の楽しいお独り様生活を死守するのに、形振り構ってらんないの」
 流石の佐々木も身内には敬語を使わないのだろう。素の佐々木の口調は、女性にしては低めな声の質も加わって彼女の前世にすごく似ている。今こうして聞いていても、敵対していた時の緊張感に胸を押されるような感覚を覚える。
 前世でも他国に知られるほどの酒好きで酒豪だったのは、死んでも治らなかったらしい。かなりの量を飲んでいるはずなのに、赤くもならない不機嫌顔が頬杖で潰れる。
「近藤は頑固だからな。姉貴が押し負けるに、次のフライト先の特産テキーラ賭けてあげるよ」
「テキーラは魅力的だけど、私が負けず嫌いなの、透だって知ってるだろう? シェアハウスなんか、絶対嫌だ。透だって、帰国した時に飯食って居座れる家が無くなったら困るだろう? どうして協力してくれないのさ」
「無理無理。相手が近藤の時点で勝てねーし。姉貴は他人が絡めば強いけど、自分のことだけだと全然ダメダメだからな」
 佐々木が痛いところを突かれたように呻く。
「高槻さんの近藤さんへの想いは本物なんだ。彼の恋愛を成就させて、ハッピーウエディングエンドでまるっと解決したい。でも、こんなに頑張ってフラグ一個も立たないって、難易度高過ぎだよ。顔面偏差値高い子で主人公補正だってあるのに、箸にも棒にもかからないって別ルート確定してんじゃないの? はぁ…。もう、本当に泣きそう」
 俺の味方をしてくれるのは大変ありがたいが、オタク用語満載でとても純粋な応援に聞こえない。
 佐々木は今、近藤 美亜からシェアハウスをしようと持ちかけられている。いや『持ちかけられている』という表現は正しくない。行政執行ってくらいの強制力を伴っていて、油断していると電気とガスの解約手続きされそうになったり、引越し業者が予定の確認の電話をしてきたりするらしい。仕事が忙しい佐々木は完全に後手に回って、飲んでないとやってらんないと言わんばかりにグラスの中身を飲み干した。
「あねきー。ストーカー野郎と結婚させられちまうなんて、近藤が可哀想だろー」
「そんな言い方されると、罪悪感湧くからやめて」
 俺も胸が痛いのでやめてほしい。
 黒犬と戯れあっていた透が、時計を見るといそいそと身支度を整え始める。鞄の中に荷物を放り込み、洗面台の鏡を見ながら髭を剃り髪を整える。歯磨きをして、スーツのシワを伸ばすと、それなりに清涼感のある若者の出来上がりだ。
 機内持ち込みできるサイズのキャリーケースを片手に、見送りにきた黒犬を撫でる。
「じゃあ、姉貴。いってくる」
「はいはい、気をつけて。忘れ物したとか言って、戻ってくるんじゃないぞ」
 出張に出かける透を玄関まで見送った佐々木は、そのまま玄関に立ったままだ。狭い廊下と佐々木の足に窮屈そうに嵌っていた黒犬の尻尾が、引きちぎれそうな程に振られる。数分もしないうちに扉が開き、佐々木は忘れ物をした弟の顔に社員証を押し付けた。
「言った直後から忘れ物をするな。もう無いか?」
「ないない。たぶん。おーよしよし。バル。帰ってきたら遊んでやるからなー」
 わしわしと黒犬を撫で回し、今度こそ透は出掛けて行った。静寂に包まれた室内で、佐々木が深い溜息と共に背中を丸める。
 玄関から戻ってきた佐々木は、先程までの刺々しさも不機嫌さも嘘だったのでは無いかという穏やかさで俺の前に座った。グラス2杯分の水を一気飲みすると、眼鏡の奥から酔いの微塵もない瞳が俺を見る。
「お待たせしました。用件をお伺いしましょうか」
 佐々木 恵もまた、己の前世を知っている人だ。前世の記憶を持っているわけではなく、彼女は前世の世界に連れて行かれ、そこで彼女の前世としばらく行動を共にしていた。前世での彼女の名前は、イゼフ。前世の俺を殺した敵国の将軍である。
 佐々木は前世の世界に連れて行かれるまでは、平凡な一般市民だった。介護の仕事をしていて、今時珍しく無い独身一人暮らし。普通では無い点を強いてあげるならゲームやアニメ、漫画や小説といった娯楽を愛して創作までするに至る、オタク趣味くらいなものだろう。穏やかで誠実で、どこどなく信頼できる雰囲気で、俺は彼女だけには前世の記憶のことを話したことがあった。まさか、宿敵の来世に俺の最も繊細な部分を打ち明けていたなんて、今でも信じられないが。
 そんな佐々木の元に俺が訪れたのには理由がある。
「私のところにわざわざ来たんです。バルダニガに前世の世界に連れて行ってもらう以外の、お願いがあるのでしょう?」
 佐々木が一般人でなくなった理由は、主に彼女の傍で丸くなっている黒い大型犬の形をしたもののせいだ。
 この黒犬こそ、前世の世界で魔王と恐れられた獣の神バルダニガである。黒竜の姿のバルダニガは前世の俺の国に多大な被害をもたらした、具現化した脅威ともいえるだろう。神の1柱であるために、その力は絶大だ。しかしその力を行使するためには、神を宿せる存在『器』の協力が必須である。その器が目の前の飼い主こと佐々木 恵なのである。
 俺は胡座をかいていた足を正座に直し、背筋を伸ばして佐々木を見た。
「佐々木さん、助けて欲しいんだ」
 佐々木がびっくりするくらい苦い顔をする。半眼になって俺を見ると、不満げな声が帰ってくる。
「どうやら君の中での私の扱いは、国民的アニメの便利道具を出してくれるロボットのようですね」
「いや! そういう訳じゃ…!」
 助けて! そう未来から来たロボットに、泣きつく眼鏡の少年。確かに今の俺は、その少年と全く同じ状況だ。問題が起きて、その問題を解決するための努力をしたり対策も考えずに、目の前の佐々木に泣きついている。
 佐々木は唐揚げを口にしながら、淡々と説明するように話し出す。
「私は極普通の一般市民なんですよ。誰でも出来るとされる介護職を生業とする、この世界では有触れたモブなんです。近藤さんの幼馴染みの姉的な設定はあれど、名前もないような背景の賑やかしが精々なぱっとしないフツーの人なんですよ。君みたいな主人公っぽい子が助けを求めるなんて、お門違いにも程があります」
 傍の黒犬も主人の言葉を援護するように顔を上げた。
『そうだそうだ! 俺はフツーの黒犬だぞ! トールに連れてってもらった、ドックランで友達できたの! 皆と仲良くできて偉いだろ!』
 魔王のくせに犬ライフ満喫してんなよ。
「普通の人は喋る犬っぽい魔王の飼い主しないぞ」
「うぅ! 私はこんなにも平凡なのに、なんでこんなことに…!」
 項垂れる佐々木には可哀想なことではある。バルダニガが力を行使する為には佐々木が必要であるとはいえ、佐々木自身に力があるわけでは無い。職業柄年齢の割には体力はあるが、運動音痴と評価して良いくらいにセンスがない。これに佐々木自身の『他人を攻撃するなんてとんでもない』という協調の理念が加わって、この世界では一般大衆に埋没できてしまうのだ。バルダニガを使わない条件ならば、俺は佐々木を圧倒できる。
 だが、バルダニガを行使するセンスは、使われているバルダニガ曰く歴代最高。
 頼らざる得ないのだ。彼女が金輪際関わらないと決めたことを、反故にして協力してもらわなくてはならい。俺はまっすぐ佐々木を見つめる。
「実は、ランフェスバイナが滅んでしまったんだ」
 佐々木が顔を上げた。よく聞こえなかったのか、きょとんとした顔で俺を見返す。
「何ですって?」
 俺は噛み砕くように、ゆっくりと言った。
「ランフェスバイナが、跡形もなく、消し飛んで、しまったんだ」
「え? あ、その、嘘でしょ?」
 そうであったらどれだけ救われるだろう。だが、嘘ではないのだ。
 ランフェスバイナは一夜にして消えた。あの広大な大聖堂を中心とした街並みが、抉られるように消えたのだ。広大なクレーターが、この街は消えたんだと笑うように広がっている。それを上空から見た俺は、戦慄した。
 あの大聖堂にはミアリアークがいたのだ。明日にはアーゼの視察を終えて、帰ってきて笑顔で迎えてくれるはずだった笑顔。それが、もう、見れない。今回の視察には子供達を同行させていて助かったが、母の死をどう説明すればいいのだろう。目の前が真っ暗になってしまいそうだった。
 誰がやったのだろう?
 まだ、この脅威は続くのだろうか?
 それらの疑念に駆られる中、救いの手を差し伸べてほしいと真っ先に俺が飛びついたのが佐々木とバルダニガだったのだ。
「助けて欲しいんだ」
 俺は深々と頭を下げた。そんな俺の後頭部に『無理です』と佐々木が言葉を投げつける。
 酷いと思う。ランフェスバイナにどれだけ多くの人間が暮らしていたと思っているのだろう。その日、偶然かの地を離れていた住民以外が尽く消失したのは脅威でしかない。ミアリアークがなぜ死なねばならなかったのか、それが知りたい。確かに佐々木にとっては前世の世界で、何の関係もない。だが、俺は思うのだ。見捨てないでほしい。助けてほしい、と。
 縋る思いで俺が顔を上げると、佐々木はスケジュール帳を覗き込んで渋い顔をしていた。
「同僚に急病と御不幸出ちゃって、明日から3連続夜勤です」
 それは、確かに、無理だ。