トーレカは神々の元へ誘う

 闇を抜けた先は決まって『アーゼ・バルダニガ』の祭壇だ。アーゼ自治領の一つアーゼ・バルダニガは、アーゼが信仰する獣の神バルダニガを奉る神殿を中心とした宗教都市。その最奥にあるバルダニガが寝床にしている場所が、俺が前世と来世の世界を行き来する出入り口になる。
 遺跡めいた石を積み重ねた建物には多くの緑が生茂り、水が流れ、果実が実る。青空が天井といえるような神殿とは思えぬ開放感の中に、動物達の気配が満ちている。大樹の根本は多くの落ち葉でふかふかになっていて、俺も寝床にできると思うくらいだ。
 バルダニガが俺の前を悠然と歩いて進むと、神殿の関係者が気がついて恭しく頭を下げた。佐々木がササとして行動していた時に着ていた、白いフード付きの外套に紺色の糸で雄々しい牛の刺繍が施されている。彼らは獣交官。バルダニガの器の子孫達で、獣の声を民に伝えるアーゼの信仰と伝統の要となる者達だ。
「おかえりなさいませ。バルダニガ様」
 豊満な女性獣交官は俺に笑みを見せると、ふと顔を上げる。大きく影が過ぎると、強風が吹き付けた。思わず顔を庇い頭上を過ぎた気配を追って見遣れば、巨大な鳥が大樹の枝に止まった。
 真紅の羽は日の光に炎のように煌き、嘴や足は金粉を塗したかのように輝く。人を乗せても十二分な巨体、片翼だけでも馬を繋げた馬車と同等の大きさを誇る。世界で最も大きく、その翼で世界を巡る渡り鳥。空の神の器、精霊の命の源である風を生み出すとされる、巨鳥タシュリカだ。かの鳥を神の使者と信仰する地域は多い。
 その背から飛び降りたのは、翼を広げたタシュリカが真紅の糸で刺繍された白い外套を着込む若者だ。
「おいおい。ファルナン。ササは一緒じゃないのかよ」
 気怠そうな顔で俺に文句を言うのは、イゼフの息子トーレカだ。彼は父親の跡を継いで将軍になったが、同時にアーゼの獣交官の長でもある。歴代の獣交官の中でも数名しか心を通わせたことがない、タシュリカの繰り手だ。
「仕事が忙しいって断られた」
 トーレカは飛びついてきたバルダニガを、わしわしと撫で回す。
「ササにはササの生活があるからな。落ち着いたら来てくれるだろ」
 なぜ、そう言い切れるのか。トーレカ曰く、佐々木は思考も行動も父親と同じなのだという。確かに佐々木は『行きたくない』とは言わなかったので、来てくれそうだとは思っている。実際、バルダニガがここにいるというのは、佐々木がこの世界を意識しているからだろう。
『ササの代わりに俺が来たよ! トーレカ、嬉しい?』
「嬉しいぞ、バル。いつも元気で良いな」
 にやにやと笑顔を崩さないトーレカに、俺は訊ねる。
「何か変わったことはあったか?」
 俺の問いにトーレカは『いや。何も』と、素っ気無く応えて歩き出す。流石に来世の格好はこの世界には合わないので、トーレカの善意で神殿内に俺の部屋を用意してくれた。子供達はアーゼ・パセカに遊びにいかせているとトーレカの声を聞きながら、ファルナンとしての鎧を着込んでいく。しばらくすると、ランフェスバイナの騎士団長ファルナンが鏡の前に現れた。
 そんな俺をへらへらと見ていたトーレカは、テーブルに用意した茶菓子を摘みながら言う。
「一応、タシュリカに頼んで毎日見て回ってるけど、ランフェスバイナの跡地はなーんも変わんないな。ランフェスバイナから偶然出ていて助かった者は、アーゼで避難民として受け入れを開始してる。予想通りって言っちゃあ悪いが、生存者は多くない」
 ランフェスバイナが消失されたと思われる時刻は朝方。入国者を受け入れる大門の開く前と聞いている。トーレカの言葉は俺の予想を肯定するだけだったが、実際に言葉として聞こえてしまうと落胆が滲んでしまう。俺はトーレカに礼をする。
「助かる。ランフェスバイナを代表して、礼を言わせてくれ」
「いらねー。そういう約束だし」
 ひらひらと手を振るトーレカは、少し生真面目な顔になる。そんな顔をすれば、地位相応の威厳が出るのだが助言はしない。改善するのも面倒と言われるからな。
「しかし、不気味だよな。強大な魔法で薙ぎ払われたとか、地震で崩れたとか、火事で燃え尽きたとか、津波に呑まれたとか、国が滅ぶだろう災害を色々考えてはみたがどれも当てはまらない。綺麗に平らな地面があってさ、小石一つ転がってないんだぜ? なんかもう、神様の仕業って思っちまうよ」
『えー。俺はランフェスバイナを壊せそうにないなあ』
 やろうと思えば出来るだろ。そう思えど、言わない。
『でも、正解に近そうな考えだと思うな。今の俺は器がこの世界にいないから、誰がやった、どうやった、までは感知できそうにない。でもこの世界に器がある神々の誰かなら、俺よりも知ってるんじゃないかな』
 バルダニガはテーブルに乗り上がって、焼き菓子を一つ失敬した。甘い。美味しい。そう頬らしい部分をもごもごと動かしている。この真っ黒い闇は、生きるために食べる必要があるのだろうか?
「器のある神々か…。世界樹を器とするプランパス。水の神の器はテテラ海の鯨だったっけ。大地の神の器であるルズール大火山は、絶賛噴火中で近づいたら死ねるぜ。空の神トラティアの器は精霊と言われているが、どこにいるかはタシュリカも知らない」
 流石タシュリカの繰り手。詳しい。素直に感心する俺の思考に割り込むように、バルダニガは『あとはー』と呟く。
『器はないけど自身を損壊させられたって意味で、ランフェスバイナ本人かな? あそこまでされて息してるかは疑問だけど、ササの物語のおかげで世界中の人間に認識されたから滅んではいないと思うよ』
 ランフェスバイナ。俺の仕えた王国が信仰していた神。かの神が齎す恩恵にただ浴するばかりの日々は、豊かで平穏だっただろう。アーゼとの戦争も長年続いていたが、いずれ神の力がアーゼを滅ぼすとまで信じられていた。奇跡を起こす神の代行者である女王の元、どこまでも幸せで発展していくと約束された王国。
 その国の名を冠する神が、実は獣の神を殺すためにアーゼを滅ぼそうとしたなんて、誰も分からなかっただろう。剣を握り、先頭に立ってアーゼを攻撃していた俺ですら知らなかった。思わず、右手に視線が落ちる。今はもう血の匂いすらしない右手から、視線を闇に向ける。
「話ができるのか?」
 価値観が違い過ぎるのか、この目の前の獣の神のように意思の疎通ができるかどうかも怪しい。
 元々、殺されそうになるくらい仲の悪いバルダニガは、この問いに即答しなかった。うーん、うーんと体を揺らして考え、焼き菓子を3つほど食べてようやく返答が返ってきた。
『一番仲良いのは空のトラティアだけど、ササなしで精霊を捕まえるのは難しいかな。今後次第では被害を被りそうなプランパスは、把握はしようとするかもね。うーん。そうだね。世界樹に聞きに行ってみようか?』

 そうだ、プランパス大森林に行こう。そんな、どこかで聞いたことがありそうな言葉を聞きながら、タシュリカの背に揺られること数時間で目的地に着こうとしている。
 プランパス大森林は植物の神の器、世界樹を中心とした植物の国である。一つの大陸全土を覆う大森林は人を拒む。実際にランフェスバイナから、かの国に行こうとするならば、数ヶ月の船旅を経て大陸唯一の港に上陸する。しかし大森林の入り口付近の神殿に詣でるまでしか立ち入れず、それより深く入ろうとするなら深い霧に惑わされ二度と出てくることは叶わない。それは伝説でも警告でもなく、事実だった。多くの冒険家が挑み、そして飲み込んだ。
 世界樹の根元まで行って帰ってこれるのは、タシュリカを繰る事ができる者だけだ。
「これが全部、森なのか…。すごいな」
「俺らが森って表現するもの程の、可愛げはないけどな」
 かなり高い所を飛んでいるにも関わらず、眼下の全てが緑の絨毯で覆われている。ランフェスバイナの大聖堂の尖塔よりも高い木々が、隙間という隙間から天へ手を伸ばしているようだ。俺の知る森とは違う。異様な生き物のようで、俺は森へ落ちたら食われてしまうだろうと身震いする。
 霞むほどの遥か彼方に、一際大きな大樹がそびえ立っている。それを樹と表現していいものなのか判らぬ程に、巨大で存在感のある何かを目指してトーレカはタシュリカを飛ばす。枝の先まで大きさに計上するならばランフェスバイナの領土に匹敵するだろう。眼前に迫れば、タシュリカでさえ小鳥のようだ。
 流れるように滑空し、世界樹の根元に降り立った。まずはバルダニガが降り立って、トーレカと俺が続く。トーレカが頬を寄せて甘えるタシュリカを労っていると、ふと顔を上げた。世界樹の根は荒波のようにうねり、天を貫く幹は遥か先だ。根は幅だけでも大通りに匹敵するほど大きく、大地のように木や茸に営みの場所を提供し、獣や虫達が恩恵に預かっている。その一角をトーレカが指差した。
「彼がナッタス。この植物の国と共存する民の王だよ」
 ナッタス。どこだ? 誰だ? 俺がきょろきょろと見回していると、バルダニガが俺の袖を引いた。
『ファルナン、こっちだよ。全く、人間って生き物は見えるものしか、見ようとしないんだから』
 茂みから俺の背丈くらいの木が生えている。その木に近づいていって、枝に何かが止まっているのがわかった。銀色の体に緑の光を吸い込んで、森に溶け込んでいる一匹の昆虫だ。カブトムシに似ている気がするが、そのツノはまるで木の枝のように分かれ、可憐な銀の花を咲かせている。
 後ろから歩み寄ってきたトーレカが、ナッタスと呼んだ昆虫に指を差し出した。よく見ると指先が濡れている。
『イコク ノ ダイチ デ ハグクマレタ イヤシ ノ チカラ』
 頭に直接意味が聞こえてくる。それでも不明瞭で、気を抜くと意味が分からなくなってしまう。
『ケモノ ノ カミ ノ コ カンシャ オオク ノ ビョウキ ノ ショクブツ ノ タミ コレデ タスカル』
 トーレカが手にした瓶を窪んだ場所に流すと、多くの虫達が飛んできた。彼らは液体を体につけると、方々へ飛んでいく。美しくも不思議な光景だ。俺がぼんやりそれを見ていたのが可笑しかったのか、トーレカが朗らかに笑う。
「今、渡したのは植物用の薬。獣交官は獣の声を聞き、協力してもらう代わりに対価を差し出して共存関係を築くんだ。親父の先代のバルダニガの器はアーゼ王国の王様だったから、だいぶ血が薄まって声が聞こえる奴は減ったけど、文化や伝統で残ってるから共存関係は続けられてるんだ。虫の声は聞き取りが難しくてね。聞こえる奴は、アーゼでも俺くらいかな」
 流石、獣の神を崇める国だ。今まで野蛮な印象だったが、ランフェスバイナの民が知ろうとしなかっただけだろう。
「俺も声が聞こえたが…」
「それは、バルが仲介してくれたから。ササが皆に乗っけて歩いてた小鳥と、同じことをしてくれてるの。あれ、獣交官の力を一時的に授けるものなんだ。器って規格外だよなって思った瞬間だったね。俺に乗せてくるのはどうかと思ったけど、良く解らないで使ってたんだと思うと末恐ろしいよ」
 なるほど。来世の言葉が通じなかった世界において、どうして佐々木が意思疎通できていたか不思議ではあった。バルダニガの器の子孫だけが持つとされる力を、誰彼構わず授けられるとか確かに規格外ではある。
「ナッタス。俺達は世界樹に行きたんだけど、良いかい?」
『ショクブツ ノ カミ マッテ イル イク ト イイ』
 銀色の虫がキラキラと輝きながら世界樹へ向かって飛んでいく。その後に続きながら、俺はトーレカに訊ねた。
「本当に、虫の王の許可が必要だったのか?」
『ファルナンって、やっぱりランフェスバイナの民だな。礼節がなってない奴は、誰にも信用してもらえないぞ』
 盛大に吹いたトーレカを睨む。
 遥か彼方でも視界の殆どを覆っていた世界樹は、眼前に迫るともはや生き物の胃袋の中にいる気分になってきた。亀裂のような隙間から中に入ると、神秘的な空間が広がっている。輝く樹液が硬化した宝石のような琥珀の洞窟は、光苔に照らされて昼間のように明かるい。行き止まりに差し掛かると、暖かい空気に包まれた。
『神域に入ったね。プランパスの領域だよ』
 バルダニガが燦々と光を受けている瑞々しい双葉に話しかける。
『やあ、プランパス。元気かい?』
 闇が問えば、双葉は瞬く間に成長する。美しい宝石細工と思わせる幹に、しゅるりとツタが這う。頭上を覆うほどに枝葉を広げた木は、あっという間に黄色に色付き落葉する。葉に触れると、言葉が弾けた。
『久しいですね、獣の。…用件は植物達を通じて認識しています』
 俺はふと、視線の端に光るものを感じた。光を吸い込んで輝くナッタスとは違う、光を放ち刺すような輝きだ。光を追えば光苔に覆われた世界樹の内側に、光る蜥蜴がいる。白金色に青いぱっちりとした瞳の可愛らしい、俺の手ですっぽりと包み込めてしまうような小さい蜥蜴だ。ちろりと出した舌が可愛い。
『出来損ないの人形め。我は無遠慮に見て良いものではない』
「しゃ…!」
 俺の悲鳴に近い驚きに、バルダニガもトーレカも蜥蜴に視線を向ける。そして、バルダニガの爆笑が空間内を震わせた。
『ラ、ランフェスバイナ!? ぶっ!! ちょ、その姿! 可愛いね! ぶっくくくくっ!』
『笑うな! 薄汚い獣め!』
『ぶっ! ふふっ!! 喋り方! ひ、ひひっ! 面白くて、く、苦しい!』
 笑い転げるバルダニガに、光る蜥蜴ことランフェスバイナはくりっとした瞳を尖らせて怒っている。怒ると光が強くなって、目を刺してきて普通に痛い。俺は目を腕で庇いながら、光の元に向かって語りかけた。
「あのですね、俺はランフェスバイナ王国が滅んだ原因を調べているんです。何かご存知ありませんか?」
『知らぬわ! 器も居なくなって、外のことなどわかるか! 気がついたら滅ぶ寸前まで消耗しておったわ!』
 バルダニガの爆笑が爆ぜて、光が腕すら貫いてくる。バルダニガが言うにはランフェスバイナは元々は、威厳ある人間の男性の姿をしていたらしい。それが佐々木の創作の結果、白い竜の姿に歪んできた。そして今回の襲撃で信仰する民が激減し、小さい蜥蜴の姿になってしまったのだろう。人間の姿のままなら、赤子だったかも知れないな。
 とにかく、負けるな、ファルナン。俺は自分を叱咤して、話を植物の神へ向ける。
「プ、プランパスはご存知ありませんか?」
『私も気がついた時には、ランフェスバイナが滅びかけていました。水も大地も空も、他にもいるだろう多くの王も気がつかぬ、一瞬での出来事にあったに違いありません』
 穏やかな声の割に、体にばらばらと木の葉が当たる感覚が絶え間なく続く。
『これだけの脅威を行使できる器は、限られています。しかし、どの器もそれを行使した形跡はありません。この世界の理の外にいる獣の器だけは知れませんでしたが、獣の器がこの世界に出現した形跡を認めなかったのでランフェスバイナを攻撃できなかったと判断しています』
『俺を疑ったのか? 傷つくなあ』
 バルダニガが拗ねたような声で言う。
 実際にランフェスバイナから殺意を持って攻撃されていたバルダニガが、報復したという流れは自然ではある。しかしバルダニガが大小なりとも世界に干渉するには、佐々木の協力が必要になる。
 佐々木はシルフィニア様が亡くなって直ぐに来世の世界に帰ってしまい、それからこの世界に来てはいない。彼女にとっては前世のことは終わったことであり、俺に黙って来る理由も存在しないだろう。第一、佐々木は一人でも人を殺すのを嫌がる。国一つ滅ぼすなんてことは、バルダニガにどんなに求められてもしないに違いない。
 俺の知る限り最大の脅威を振る存在。それがランフェスバイナを滅ぼしていないというなら、一体、誰が滅ぼしたというのだろう?
 答えは柔らかい感触の花吹雪の声色が答えた。
『私は、理の外からの侵略と見ています』
 目蓋を焼く光が薄れて薄目を開ければ、桜の大樹の根元でバルダニガが毛繕いをしている。
『いやだなぁ。こんなことするなんて、すっごく怖いところじゃん』
「バル。どういう意味だ?」
 トーレカがバルダニガに問うと、獣は大きなあくびをしてから言った。
『俺達が暮らしているこの世界だけじゃなく、ササが暮らしている世界があったり、さらに他にもいっぱい世界があるの。行き来は難しいけど、不可能じゃない。その世界はそれぞれに理ってルールがあって、理は壊しちゃいけないし、干渉も口出しもしちゃいけないことになってるの。ササみたいに、その世界の理に従いますよって考えなら来ても問題ないんだけど、たまーに悪い奴が来るんだよね』
「その悪い奴が来たら、どうするんだ?」
『だいたいどこの世界も、その理を管理している連中で袋叩きにする。具体的にこの世界でどうするかっていうと、神々で総攻撃して完膚なきまでにぶっ飛ばす。この世界を超える強力な理の世界もあるし、実際に世界がまるっと滅んだところもある。そうならないように、どこも出し惜しみは一切なしなの』
 なるほど。
 高槻 守として生きている来世には魔法がない。仮にミアリアークが来世の世界に行って強力な氷の魔法を都会のど真ん中で発動させれば、大混乱は必至だ。各国は挙って最大戦力を投入して潰しにかかるだろう。この行為が来世の民の防衛意識であるとしても、来世の理を管理しているものを含めた総意であると言える。宇宙侵略ものの映画なんか良い例だな。理解し難いのか、トーレカが細々と聞いている話を聞き流しながら思う。
「しかし、わからないな。どうして、ランフェスバイナを滅ぼしたりなんかしたんだ?」
『わかんない。理が違えば常識も違う。俺達が想像できる外側の理由かもしれないし、びっくりする程くだらない理由かもしれない。それは攻撃してきた本人に聞くしかないな』
 興味もなさそうにバルダニガは答えたが、そうとしか返答できないだろう。
 風もないのに花びらが舞い、プランパスが語りかける。
『現状で打ち倒せる程の力を持つ器持ちの神は、空だけです。獣の。貴方の器はこれそうですか?』
『そのうち来てくれるよ。でも、もう少し戦力出せる神はいないの? 今の俺の器、戦いが嫌いなんだ。言い含めれば頑張ってくれるだろうけど、殺すって条件出したら戦ってくれなくなるかもしれないよ?』
 佐々木はこの世界を見捨てることはしないだろうが、殺す条件で判断が鈍るくらいはするだろう。戦況次第で佐々木が命を落とす可能性があるなら、バルダニガの言う通り戦力の増強は必要だ。俺もトーレカも出来る限りの協力はするだろうが、神々の本気の戦いにおいてどれだけ力になれるかは分からない。
 バルダニガの言葉に、光る蜥蜴が神経を逆撫でる笑いを上げた。
『破壊の化身と言われた獣の器にしては、随分と軟弱だな』
 汗すらかきそうな温かいプランパスの神域の空気が、一瞬にして冷えた。それを認識した頃には、呑気に毛繕いしていたはずの黒い獣が、光る蜥蜴を押さえつけている。今にも噛み殺さんばかりの殺意を、小さい蜥蜴に惜しみなく浴びせている猛獣の輪郭に、自分の死を否応なく予感させる。
『ランフェスバイナ。俺の大事な魂が、俺と世界に与えてくれる恩恵を忘れてはいけない』
 いつもの無邪気なバルダニガからは想像できない冷えた声。それは次の瞬間、果物が頭に落ちて『あいたっ!』という悲鳴にとって変わられる。もー、ひどいなー。いつもの調子に戻ったバルダニガが、甘い香りのする見たことのない果実を食べ始めた。
『私の領域では静粛に。ランフェスバイナ、貴方も協力なさい』
 木の実で命じた声に、蜥蜴は輝いて反論した。どうやら、ランフェスバイナの声は光で届くらしい。怒気を含んだ強い声色は、目蓋を貫通して不意打ちのように目を焼く。今すぐ、サングラスを買いに来世に帰りたい。
『なぜ、我なのだ! 器を失い、信仰が汚され、存在するだけで精一杯の我が、なぜ獣に協力せねばならぬのだ!』
『そうか、ランフェスバイナ、ファルナンがお気に入りだったもんな! ファルナンに器っぽいことさせられるね!』
 いきなり自分の名前が出てきた驚きを余所に、獣は嬉しそうに俺の周りをぐるぐると回りだす。
『小さい可愛い蜥蜴ちゃんでも、神様なんだから人には過ぎた力さ。ちょっとだけ借りただけで、えーと、なんだっけ。ちーとって奴ができるよ! ササが言ってた。ちーとってすごく強くてなんでも出来て、ファルナンみたいな見た目の良い男は上手に扱えるんだって! ばっちりだね!』
 佐々木、魔王に何を吹き込んでいるんだ。
 しかし俺にランフェスバイナの力を貸してもらえるのは、ありがたい。佐々木の力を借りなくてはいけない状況は変わらないだろうが、それでも俺も肩を並べて戦えるのだ。故郷の民の、そしてミアリアークの仇といえる脅威と戦えるチャンス。敵に一矢報いなければ気が済まない。
 俺は光る蜥蜴の前に膝を付いて、頭を垂れた。
「ランフェスバイナ。どうか、貴方の俺に力を貸してください。俺も皆の為に戦いたい」
 蜥蜴は狼狽たように忙しなく首を巡らせた。暫くすると、小さい咳払いのように喉を鳴らして光り出す。
『そこまで言われては、貸してやらんこともない。我は寛大な神だからな』
 尊大なもの言いだが、先ほどまでの不機嫌さが拭われてどこか嬉しそうだ。蜥蜴の姿ですっかり自信をなくしていたが、頼み事をされて満更でもないのだろう。蜥蜴は滑るように俺の体を這い上がると、利腕である右腕に乗った。
 右腕がじんわりと熱を帯びる。籠手を外しインナーをめくると、ランフェスバイナが乗っていた真下の皮膚に、光る蜥蜴の姿が入れ墨のように刻まれている。目を見張った俺を、ランフェスバイナの真っ青な瞳が見上げて来る。
『貴様が指し示した方角へ、全てを穿つ光を放つ。バルダニガも穴だらけにできよう』
「ありがとうございます。ランフェスバイナ」
 俺の礼にランフェスバイナは聞こえていないふりをしながら、するすると腕を上っていく。
『まったくもー。素直じゃないんだからー』
 肩に乗った蜥蜴が『今すぐ試し撃ちしろ』と淡く光る。黒い獣が跳ね、花吹雪は笑うように舞う。俺は神の力が宿った右腕を頼もしく見下ろした。