佐々木恵はゲームに興じる

 勝負は最後の一瞬まで分からないものだ。
 戦線を膠着させていた狙撃手を討ち取り、相手の領地へ仲間と共に雪崩れ込む。意気揚々と進撃すれば勝てるわけでは無い。このゲームは相手をキルした量よりも、奪った陣地の面積が勝敗の決め手になる。自分達の背後に回り込み、空になった陣地を奪われる事も日常茶飯事。敵はどのルートを進むか、どこに潜んでいるか、最初に表示された武器の情報をもとに推測し対応しなくてはならない。
 ゲームの音楽が変わり、ラストスパートと拍車を掛けるようにテンポが上がる。
 最も使い込んだ武器で上から襲撃すれば、ちょうど不意を打ったのか相手が慌てて撤退していく中、至近距離が得意な獲物を持った敵が斬り込んでくる。身軽な相手にジャンプで交わしつつ、広範囲の攻め手で応戦する。逃げるか、攻めるか、考えている間に狙撃されてしまう。薄暗くなった画面の中を、狙撃した相手が煽っているのが見える。こんのやろう…! 復活までの経過時間は5秒ほどだが、復活ポイントから戦線に復帰するのはもう無理だろう。次会った時は絶対にキルしてやる!
 終了の文字が画面に躍り、同じくらいの陣地を取った互いの戦果が流れる。どちらが勝利するかは、獲得陣地の量からは分からない。ダララララと軽快な打楽器の効果音の中、獲得したポイントがゲージとして表示されていき、最終的に画面に映し出されたのは『負け』の文字だ。
「はあぁあ。負けたぁ…」
 負けは悔しい。接戦なら尚更だ。しかし、このゲームの良さは、負けて悔しくても次もプレイしようと思える面白さにある。しかし『人をダメにするクッション』に身を投げると、次をプレイしようとする気力もダメにされてしまう。
「本当にXランクは化け物しかいないわ。フレンド合流組を相手にしてると、野良の限界を感じるなぁ」
 フレンドとして事前に合流し、ボイスチャットで会話しながらゲームをプレイしている勢力は強い。野良と呼ばれるマッチングで組むプレイヤーでも熟練者ばかりで簡単には負けないが、連携を忖度しながらプレイすると後手に回る事は少なく無い。
 高槻さんに泣き付かれてからというもの、夜勤に行く前に空いている時間は全てゲームに費やしている。本当ならイベント用の原稿だってしたいし、ネットサーフィンだって心往くまでしたいんだけどなぁ。
 たかが、ゲーム。されど、ゲーム。
 バルダニガの器として求められる感覚を伸ばす為に、この佐々木恵が厳選したゲームだ。元々持っていたこのアクション対戦ゲームはとにかく優秀で、甲子園やら世界大会もある人気ゲームだ。武器の癖で戦略が変わり、その場で組んだ仲間と息を合わせ、相手の行動を予測し、一瞬で標準を合わせコンマ単位の駆け引きを求めて来る。相手がAIではなく人間がプレイしているので、確実な勝ち筋は存在しない。
 以前は後方支援をメインにプレイしていたのだが、バルダニガが馬鹿なことをして尻拭いをする羽目になった時の為にキル専に転向した。まさか、これほど早く生かす日が来ようとは思わなかったが…。
 ノートパソコンを立ち上げ、ゲームの情報を詳細に表示してくれる公式サイトにログインする。武器の使用回数やステージの勝率などが表示される中で、直近の勝敗のページを開く。直近50戦の勝敗と、ランク落ちや昇格を確認する。
「直近50戦中、Sランク降格は2回か…」
 このゲームはCランクを最下位として、BからAに上がり、Sランクが最高だった。しかし、半年くらい前に実装されたXランクは、まさに伏魔殿。化物しかいない地獄である。負けが混めば降格し、Sランクで勝ち続けなければ復帰できない。バルダニガが来てから練習しても、なかなか上がることができなかったXランクだが、最近は踏み留まれるようになってきた。
 上手くなったなぁ。アクション苦手だから、Xランクなんか絶対行けないって思ってたもん。
 キーボードを操作していた指先が止まる。この世界の日常に包まれると、頭がぼうっとしてくる。
「私、何やってるんだろう…」
 ふと、前世なんて無かったんじゃないかって思えて来る。前世であるイゼフさんが死んで、ランフェスバイナとアーゼの戦争は停戦協定を結んで和平を結んだ事だろう。信仰する意識によって神の存在が定義されるというのは、この信仰が熟成して文化になったこの世界の創作では有触れたもの。ランフェスバイナの悪事を演劇の演出として描く手法は上手く行ったと、後からバルダニガから聞いている。
 全てが終わったはずなのだ。もう、佐々木恵は平凡で何処にでもいるような普通の人であるはずなのに。
 『佐々木さん。助けて欲しいんだ』真っ直ぐ私を見つめる高槻さんの顔が浮かぶ。テレビや漫画で見るような整った顔のイケメンで、剣道は全国大会の表彰台の常連だとか。どこをどう見ても主人公。そんな彼が目の前にいるのが、先ず普通じゃ無い。さらにこの世界で助けを求めるような内容は、勉強だったり悩み事の相談であるべきなのだ。
 しかし実際は、前世の世界が脅威に晒されていて、前世の世界を救って欲しいという。
「本当に行かないと駄目なのかなぁ」
 試していないが、バルダニガの扱いも上手くなっているだろう。
 最初に前世へ連れて行かれた時は、プレイしたゲームの感覚を活用しながら立ち回った。しかしバルダニガの使い方を知った今は、その扱い方に必要な感覚を養うゲームを厳選し集中的に鍛えている。ゲーム好きなので、自分がプレイしたいものをプレイする姿勢を変えるつもりはない。それでもプレイ中は、これは活かせるこれはダメと評価してしまう自分がいる。開発に申し訳ないことをしている自覚はある。
 頭の片隅にバルダニガが見聞きしている内容が流れて来る。巨大な世界樹の中で出会える、美しい植物の神。ランフェスバイナだという、光る小さい蜥蜴。予測される脅威の話。騎士の鎧を着込んだ高槻さんが、新しい力を得た凛々しい横顔。それらを全て妄想の類で片付けられたら、どれだけ楽だろうと思ってしまう。
 まるで刮げ取ったかのような剥き出しの平らな地面が広がるそこを、トーレカさんがランフェスバイナの跡地と言っていた。アーゼも同じ事になるかもしれない、そう嫌な予感を感じているのか彼の顔は普段よりも固かった。
 イゼフさんが守っていた国。それが失われる事は、想像するだけでも耐え難かった。
 息が荒くなる。意識して深呼吸を繰り返し、過呼吸を制御する。
「そうだ。行かなくちゃ…。後悔しないように、行かないと…。敵の目的を推測して、行動を予測して、あらゆる想定に対処できるよう手数を増やして…決して、負けてはいけない」
 負けなければ良いのだ。負けさえしなければ、次がある。次はもっと違う方法が見つかるかもしれない。とにかく、負けないことを心掛けなくてはいけない。リプレイもリセットも効かない現実において、敗北の代償は想像出来ぬ程に大きいだろう。
 行く時期はもう決めていた。今回の緊急で埋めた3連続夜勤の後に、まとまった休みを通した。この連休の間に前世の世界に行って、脅威とやらを取り除くつもりでいる。年長者たる自分が、しっかりしないといけない。ゆっくり深く息を吐いて、表情を引き締める。
「まずは、敵を知らねば…」
 プランパスは『理の外』に、ランフェスバイナを滅ぼした元凶がいるという。私を感知できなかったと言うのだから、来世の世界であるここのような場所なのだろう。それでも、ランフェスバイナを滅ぼす程の干渉をした以上、形跡が残るはず。バルダニガと共に前世の世界から探れば、何らかの手がかりが手に入るとは思っている。
 敵を知れば勝率は上がる。負ける悪手、負けない戦略を選ぶことができる。まずは、それをしよう。
 にゃあ。
 真横で猫の鳴き声が聞こえた。可愛らしい声に視線を向けると、いつの間にか膝の上に白い猫が乗って青い瞳で私を見上げている。最近、家に出入りするようになった美人さんだ。私は首輪をしていないのが不思議なくらい美しい猫に微笑んだ。
 かなり険しい顔をしていたのだろう。微笑んだつもりの頬の筋肉が大きく動いた。
「やぁ、美人さん。また来たのかい?」
 猫は相変わらず私を見上げている。空色の美しい瞳は、覗き込んでいると吸い込まれてしまいそうだ。猫は動画で見るだけだが、こんなに美しい猫はそうお目にかかれないだろうと思う。目の保養をして、猫から視線を外す。
 残る夜勤はあと2回。あまり準備に時間は残されていない。
 私はゲーム機のスリープ状態を解除し、『Now Loading』の文字が消えるのを待つ。ゲーム機を挟んで猫と目が合う。ちょっと邪魔だな。動物は苦手だから触り方が分からない。私は抱き上げる事も、撫でる事も、払う事もせずに膝に猫を乗せたまま訊ねる。
「なぁ、美人さん。私は勝てると思うかい?」
 猫が鳴く。肯定なのか否定なのか、それ以外の別の答えなのかは、バルダニガがいない私には伝わらなかった。