弓構え

 シュヴァーンは明るい日差しの真ん中で、どんよりと暗い気持ちを漂わせていた。
 元々、暑さには強いものの寒さに弱いシュヴァーンであるので、日向にいる事をキャナリ小隊の誰かが疑問に思う事もない。第一、彼が疲れ切った表情というか今にも死にそうな状態である理由は、噂になって知れ渡っていた。
 シュヴァーンは先日の任務に同行した時の対応に、彼の直接の上官であるトール隊長に嫌味のような説教を延々と聞かされて来たばかりである。あの隊長の説教を受けたというだけでも、平民と見下していた貴族でさえ同情ものである。いっそ怒鳴りつけられたり、殴られた方が遥かにマシだと誰もが口を揃えるに違いない。だからといってトール隊長が意味もなく叱責する事は聞いた事がないので、常識的考えを持つ貴族の評判は悪く無い。あの嫌味の中に惜しげもなく混ぜ込まれる罵詈雑言には閉口物で、自分も似たような性格だが足下にも及ぶまい。彼はそんな事を思いながら、シュヴァーンから離れていない日陰で魔導器砲を整備している。
 刈り込んだ青い髪の下には精悍と言えるような整った顔立ちで、僅かに漂う整髪料の香りは上等な物だ。彼はキャナリ小隊にシュヴァーンよりも少し早めに出向して来た貴族だった。
 彼はシュヴァーンとは異なり、弓術を学びに来たのではない。再編成されるアレクセイ隊に所属が決まった彼が、隊長のアレクセイに命じられたのは狙撃箇所によって左右される戦況を如何に有利に押し進めるかという内容を学んで来いという内容だった。小隊の者達と親交が厚い訳ではなく、彼は一人でいるかキャナリ小隊長と会話しているかのどちらかだった。
 ようやく知ったイエガーという名だったが、シュヴァーンは彼に初めて会ってから数年越しに知った事実だった。
 互いに忘れていなかったようで、顔を合わせた瞬間『あっ』と表情を驚かせたものだ。
「小隊長は馬鹿じゃない。剣を今まで主に使っていた人間が、急に弓の間合いを維持し続ける事に我慢できるとは到底思えないだろう」
 イエガーの冷静な声にシュヴァーンが暗い顔を上げた。
「キャナリ小隊長は分かって同行させたってのか?」
 当のシュヴァーンがトールに延々と嫌味と説教を受けたのは、所謂『命令違反』をした為である。
 後方支援を主に担う小隊であるので、任務や戦闘も少し遠巻きと思われる程の間合いを取る。イエガーの言う通りシュヴァーンはどのような武器を器用にも扱えたが、剣が主に扱う武器になる。自分の得意な間合いの外で、自分にはまだ不得手な獲物を持って、戦場を見守り続ける事は仲間想いの若者にはどうにも無理であったようだ。遂行は難しく無い任務であったが、最終的にシュヴァーンは剣を抜いて敵陣に突っ込んで行ってしまったのだった。
 流石に女性博愛主義のシュヴァーンは、女性であり上官であるキャナリを酷いとは言わない。
 簡単な任務だったのだから出しゃばる必要はなかったし、出向中の自分が勝手な事をしてはならなかったと自責の念は持っている。
 だけど、理不尽だ。シュヴァーンの尖った口先を見て、イエガーは視線を外した。
「新編成されたアレクセイ隊が新たな試みで魔導器砲の運営を視野に入れる。トール隊長が焦りたくなるのは当然だ」
 イエガーの上官に当たる若き隊長アレクセイは、文武両道の騎士として名高い。武術でも特に剣術に置いては騎士団で右に出るものはいない剣豪であり、独学とはいえアスピオの魔導師に負けぬ魔導器への理解がある。その為に、運搬と整備の難しさに戦場に持ち込む事に幾度も頓挫した魔導器砲に着目していた。再編成の時にはイエガーを始めとした魔導器に詳しい者、魔術師が武術を使う騎士よりも多く配置されている。彼ならば出来るに違いないという期待は強い。
 これからの戦術が大きく変容する可能性が高いため、トールは今までにない人員育成に精を出しているようにイエガーは思えた。どちらにしろ、賢い隊長だ。そう結論付ける。賢さと同じく偏屈な変わり者の貴族として有名なトール隊長が目を掛けている平民が、まさか彼のような単純で頭が良さそうではない人間だとは思わなかったが…。
 そう思ってから、ふと隣が静かなのに気が付く。
 イエガーが顔を上げて隣を見れば、シュヴァーンが熱心に分解して整備している魔導器砲をしげしげと見ている。シュヴァーンはイエガーの視線に気が付いて、わざとらしく眉根を寄せて目を細めてみせる。
「イエガーは器用で頭が良いな。俺にはちっとも分からないよ」
 裏表の無い賞賛の言葉だったが、イエガーは当然だろうと無言だった。
 イエガーは帝国騎士団でも珍しく古代遺跡に関心を持っている。貴族の道楽の一つとして古代の研究に関心があったが、入団前はアスピオにも足を運んだ事があり後々は発掘も参加したいと思う程だ。関心があった事が長じて様々な魔導器にはそれなりに詳しく、魔導器砲もイエガーにしてみれば慣れてみればそう難しく無いものだ。扱いも元々槍遣いであったのが幸いして、さほど苦もなく正確な射撃を会得していた。
 シュヴァーンは飽きもせず魔導器砲を見ている。その横顔を見て、イエガーは本当の賞賛だったのだろうと改めて思った。
 口先だけの褒め言葉なら、元々関心等無いのだから関心が逸れてしまう。褒め言葉にも乗らず己に意識が向かないのなら、その言葉は無意味であったと話題を変えたがる者も居る。居ずらそうに視線を泳がせる者も居るだろうし、利益が無いなら傍に居る必要も無いと離れる者だとて居る。貴族とはそういう者だった。
 イエガーは新鮮に思えた。
 人間故に人柄も何もかも千差万別だったが、身分の高低差に関わらずやはり貴族は貴族だ。どこかに利益の匂いが付いて回る。シュヴァーンにはそんな匂いは無い。当然だ。平民だから。
「あぁ、そうだ。イエガー、甘いもの平気か?」
 シュヴァーンは思い出した様に言った。
 かさりと音がしたので思わず視線をシュヴァーンに向けると、イエガーの青い瞳に映ったのは紙袋に入った飴だった。
「ちょっと前に倉庫整理お礼に貰ったんだ。甘いもの苦手だから、良かったら貰ってくれないか?」
「私が…か?」
 怪訝な顔でイエガーはシュヴァーンを見た。
 シュヴァーンが甘いものが苦手なのはそれなりに知られていて、当直で一緒になった時は甘いものを避けてくれと言って回っている。実際、共に当直をした騎士達もシュヴァーンが甘いものに手を付けず一晩中ブラック珈琲を啜っていたという。全く食べれない訳ではなかったし、無性に食べたくなる時は口にはしたらしいが、好んで選んで買ってまで食べたい物ではないらしい。勿論、シュヴァーンが甘い飴を処分したがっているのを疑うつもりは無かった。
 断れば良かったのに受け取ったのは、女性だからだろう。当直に女性騎士はよほどの人手不足が無い限り割り当てられる事は無いから、シュヴァーンの甘味嫌いを知らなかったというのは理解できる。変な所で、女性に優しい男である。
 それでも何故、自分に寄越して来るのだろう? イエガーは不思議そうに思いつつ、不機嫌そうな表情を変えずにシュヴァーンを見る。
「頭を使う時は甘い物を欲しくなるって、隊長の奥方に聞いたんだ」
 隊長も結構甘い物好きだし、隊長の奥方のケーキは本当に美味しいんだぜ。そう続けてシュヴァーンは笑う。
 イエガーは暫く紙袋の中を見ていたが、やがて手袋を外して一つ飴を摘む。林檎のような形に素朴な赤と黄色がマーブル模様に混ざっている。油臭い自分の手が恨めしかったが、僅かに香る甘酸っぱい香りは正しく林檎のそれだった。口に放り込んで、再び作業に戻ってしまった。
「一つ…だけ?」
 全部貰ってくれると思ったのだろうか、シュヴァーンが残念そうに声を漏らした。
 ちらりと横を盗み見れば、拗ねた様に丸くなる背中をイエガーは見るはめになった。しかし、一つ部品を止め、二つバルブを固定し、三つ配線を確認してもその背中は動かない。子供の様に拗ねているのかと思ったが、その沈黙は不気味な程だった。表情を確かめようと思ったが丁度見えない位置にある。
 何故か心がざわつく。作業に集中していられない。イエガーは、静かにその背に問うた。
「…どうした?」
 ふわっと、思った以上に軽くシュヴァーンが顔を上げる。雑談のように何気ない口調、ありふれたいつもの顔でイエガーを見た。
「俺、弓の才能あるのかなぁ…って思ってただけ」
「なかったら、ここにはいないだろう」
 イエガーは即答した。互いに驚く程の早さだった。
 トール隊長から期待されて、キャナリ小隊長に教授いただいて、仲間からも慕われて、それでもお前は弓の才能が無いというのだろうか? イエガーは一瞬怒りすら湧きそうだった。だが考えてみれば、それは弓の才能ではないのかもしれない。イエガーは目の前の男がもっと別の事を期待されて、ここに居るのではないかと思った。しかし、何を期待されてかは分からない。
 イエガーの推論は正しかった。
 シュヴァーンは弓術の才能は無くは無かった。修練を重ねれば小隊長を任せられる腕前になるだろう。だが、剣を振るう方が強い。前線に出る方が強い。前に出て、仲間を守りたい気持ちが強かったシュヴァーンは、先日の実践で弓術を学びたく無いと思う程だった。
「隊長の考えだ。間違っていると思うのか?」
 イエガーの言葉にシュヴァーンはハッとする。
「そっか………そうだよな」
 シュヴァーンは恥ずかしそうに笑った。信じて、期待に応えればきっと答えは出るに違いない。楽観的な考えは、イエガーの言葉に後押しされて笑顔を顔に浮かばせた。
 その笑顔を見て、イエガーは少しだけ安堵して作業に戻った。