石楠花

 フレン隊が制圧したマンタイクに一番最初に訪れた評議員は、最も機動力があると噂のダミュロン・アトマイスである。ダミュロンは帝国の貴族の中でも上位に属するアトマイス家の人間であり、彼の故郷に惨事があって当主が亡くなり今はダミュロンが当主の座に着くとされている。しかし、ダミュロンはアトマイス家の跡取りとしてではなく、有能な評議員として評議会に残り帝国に尽くしている忠臣ともされている。
 騎士団の中で取り分けダミュロンが有名なのは、評議会議員とは思えぬ程の行動力である。騎士団が帝都外で評議員に接触したいなら、執政官よりも先にダミュロンに会った方が早いくらいだ。評議員としての頭脳や知識は持ち合わせているだけでなく、剣の実力も秀で騎士団の小隊長に劣らぬという。少し踏み込んで調べればかつて騎士団に所属していたと知る事が出来るだろう。
 フレンも彼の存在を知っては居たが、面と向かって会うのは初めてである。評議会議員である事が分かる黒い装束を着込み、少し長いだろう黒髪は前髪を上げて後ろに一つに結っている。緑の瞳は評議員にしては穏やかで、口調には全く刺が感じられなかった。その為に、ヨーデルやラゴウの件で不信を感じていたフレンは僅かならぬ安堵を抱いた。
「アレキサンダー・フォン・キュモール隊長が行方不明と聞きましたが、捜索はどのような状況でしょうか?」
 隊長であるフレンの横に控えていたソディアが、フレンに目線で説明して良いか伺いを立てる。フレンが一つ頷くとソディアが淀みなく状況説明を始めた。
 キュモール隊の隊員が深夜気絶していた事。気絶されたとされる不寝番には酒気が僅かに残っており、気絶の可能性は絶対と言えない事。キュモール隊の隊員が最後に隊長を見た時刻。夜間に住人が聞いたとされる男性の悲鳴の証言。砂漠への捜索も行われたが、キュモール隊長の体力等を想定して移動出来る範囲には遺体すら見つからなかった事。日が昇った今は砂漠は猛暑であり、砂漠の知識があるかどうか不明である以上死亡の可能性も視野に入れている事。
 事件性が絡んでいる為に綿密に行われた状況報告に、ダミュロン評議員は静かに耳を傾けた。
 その様子をフレンは新鮮な気持ちで見ていた。貴族意識が騎士団よりも根強い評議員は、シュヴァーン隊長を始めフレンのような平民出身の騎士への差別的な姿勢が強く現れる。平民の言葉など耳を貸さず、報告も程々に持論の推論を立証させようと命令しだしたり、勝手にその件を別の貴族出身の騎士に委ねようとする。その行為は、フレンから見れば身勝手で傍若無人も良い所だった。しかし、評議員でもこのような真面目で思慮深い御方が居るのだと感動すらしていた。
「概ね、状況は理解出来ました。ご苦労様です」
 ダミュロンは深々と頭を下げ、ソディアに関係書類の提出を申し出た。ソディアが部屋を出る前に、彼は用意された部屋のテーブルに書類作成関係の道具を拡げはじめていた。
 騎士団は帝国領土の治安を維持する事が仕事である様に、評議会は帝国の法律を司るのが仕事である。騎士団内部の事は騎士団の事務処理として行えるとしても、評議会に全く関わらないという訳にはいかない。
 今回のキュモールの失踪を例にとるならば、行方不明で捜索を行い数日を過ぎても見つからない場合は死亡という事で騎士団が処理する。しかし最終的に騎士団が提出した死亡届を受理し法的に死亡とするのは評議会なのだ。その他にも家宅捜索など様々な干渉には、法律を司る評議会の出す書状が必要だった。騎士団が緊急と特例で行えても、最終的に評議会の関わりが必要な事例も数多い。現在は騎士団と評議会が反目しあう関係にあり何かにつけて挙げ足を取り合うようである。騎士団が平常業務を行えるのも、アレクセイの卓抜した手腕の成せる業である。
「一つはキュモール氏の逮捕状。もう一つはキュモール氏の死亡認定に関わる書類です」
 フレンが余程不思議そうに見ているのを可笑しく感じたのか、ダミュロンは苦笑しながら説明してくれた。
「逮捕状はもし発見した時の護送等に役立てて下さい。騎士団の護送だけでは評議会の貴族擁護派の抵抗で、円滑な帝都への護送は難しいでしょう。死亡認定は様々な可能性の上で慎重に議論して下さねばなりませんが、今回の状況説明を受けて私はキュモール氏が既に死亡していると判断し認めます」
 そこで、ダミュロンは手招きしてフレンを近づかせた。悪戯っぽく笑うと、これはここだけの話だと小声で囁いた。
「私はシュヴァーンとは旧知の仲でね。色々と君等に便宜を図る方法は心得ているんだよ」
 フレンは一瞬きょとんとした表情だったが、意味を飲み込むと棒を飲み込んだ様に直立した。
「お心遣い感謝致します」
「帝国の繁栄を思えば当然の事です」
 ダミュロンは凛とした態度で言い退けると、手早く美しい文字を白紙に連ね始める。彼がペンを走らす度に現れる帝国の名を記すには申し分無い美しい筆跡は、読みやすい行間の間隔を持ち線で引いたかの様にズレも見られない。フレンは先日提出した隊長への報告書を思いだし、思わず赤面した。
「君、本当は知っているんじゃない?」
 突如声を掛けられて、フレンは反応出来ずにダミュロンを見た。しかし、ダミュロンがフレンに声を掛けたのが嘘の様に、書面に顔を向けて文字を綴っている。
「帝国の貴族でキュモール家は確かに名門だったが、最近の騎士団での評判の不振に信頼と名誉はガタ落ちでね。彼の死亡をすんなり受理出来るのも、彼の存在が騎士団でも評議会でも大した意味が無くなっているからなんだ」
 すっと書面から顔が上がると、そこには鋭い氷のような緑の瞳がフレンを見ていた。
「人間は簡単に嘘を吐き、敢えて黙秘もできる生き物だ。だから空白を推測する」
 フレンはその瞳の鋭さに、貫かれるような痛みを感じた。
 キュモールは行方不明と発表しているし人々もそう信じているが、実はもう死亡しているのだ。直接手を下さなかったが手を差し伸べなかった故に、キュモールはフレンの親友ユーリによって裁かれたと言っていい。普通なら自分が法に裁かれると他者を己の手で裁く事を躊躇うものだが、ユーリは他者の為に我が身を省みずキュモールを裁いてしまった。例え、ここでダミュロンに見透かされ告発されてしまっても、ユーリは黙ってその罪を受け入れ法に裁かれる事を望むだろう。フレンはユーリの言葉を全て返す事が出来なかった。それは帝国の正義が何処かで歪んで正しく無いのだと、ユーリの正義が帝国の正義と異なって尚正しいのだと、認めているも同じだった。
 沈黙はユーリと帝国の為にフレンが選んだ答えだった。
 ダミュロンは暫くフレンを見上げていたが、疲れた様に瞑目した。流石、大将が見込んだ若者だな。そう心の中で呟く。ゆっくりと見開かれた目は穏やかな新緑の色だった。彼は堪える様に肩を震わせ、次の瞬間愉快そうに笑い出した。
「ははっ! 前途有望な若者を苛めたくなる、悪い癖が出てしまったな!」
 書類を手に戻って来たソディアが扉を開けて驚く姿に、ダミュロンは笑いが納まらないままに上機嫌に迎える。もしも、ソディアがフレンの顔を一瞬でも見ていたら別の意味で驚いた事だろう。
 フレンは驚きにダミュロンを凝視していた。
 明らかにダミュロンはキュモールが殺害されていて、その犯人をフレンが知っていると分かっているようだった。もしかしたらユーリである事すら知っているかもしれない。彼はシュヴァーン隊長の友人で、その情報網も使用出来るかもしれないからだ。しかし、ダミュロンは問わない。まるでチェスで大した力の無い駒を捨てる様な言葉を告げて、キュモールの死について追求しない。
 フレンにはダミュロンの正義が理解出来なかった。
 誰かの為でも自分の為でもない不透明な意思が、フレンには不気味で危険に感じられた。