好敵手とワルツ

 帝国側で最も協力的に対応してくれるのは、シュヴァーン隊である事はもはやギルドの常識だった。
 フレンは団長としての業務があり、ギルド側の要求に柔軟に対応出来ないでいる。元々騎士団に見習いであれ従事していたユーリは周囲が『石頭だ』と非難する中で、同意は述べられずに苦笑して聞き流すばかりだ。フレン隊は合格点には届かなかったが、シュヴァーン隊は接触当初から好印象でありそのまま最も評判の良い隊になった。
 ギルドの要求にほぼ添うてくれる柔軟さ、ギルドの人間を決して見下さない人格、ギルドの誰もが認めてしまう実力。橙の色の隊は手放しで賞賛されている。
 凛々の明星はあまり騎士団と協力して仕事をする事は無かったが、シュヴァーン隊は帝国騎士団でも特に変わった組織構造であるらしい。無論、アレクセイ隊の1小隊から騎士団団長直属の部隊になったフレン隊以上に、貴族意識の無い平民が大半を占める部隊である事は周知である。隊長主席であるシュヴァーンはその立場を利用して、当時の団長だったアレクセイ以上に自由に己の隊を動かしていたと聞く。ギルドに似たその運営方針がレイヴンを演じる前から定まっているのだから驚きだ。
 しかし、そのシュヴァーン隊の王宮にある本部と言える詰め所に行った事があるギルドの人間は一様に驚くらしかった。
 レイヴンがシュヴァーンでであった事に驚いたかと思えば誰もが否定する。そんな彼等がシュヴァーン隊の騎士が彼等の隊長を語るような表情を浮かべるのを見て、ジュディスは『おじ様は人望がおありなのね』と笑った。
 謎に満ちたシュヴァーン隊の詰め所だったが、今回ユーリはそこを訪ねる機会を得た。用件は天を射る矢の首領となったハリーから、レイヴン宛ての手紙を届けるというもの。
 見習い時代以来の久しい騎士団の施設が密集する区画。修錬場に厩や武器庫、そしてそれぞれの隊の本部と言える詰め所が設けられている。それぞれの隊のカラーリングを基準とし、その隊の象徴である紋章が縫い付けられた旗が翻る。シュヴァーン隊は鮮やかなオレンジが銀糸に映り込み、遠目からでは橙一色の旗に見える。
 ユーリが何気なく詰め所の扉を開け放った瞬間、驚きに身を固めてしまう。
 扉の向こうで騎士達は、ユーリに今にも切り掛かろうとするような臨戦態勢であったからだ。それはギルドに属し数々の戦線を潜り抜けたユーリに冷や汗をかかすには十二分な迫力があった。シュヴァーン隊の評判や腐れ縁的な小隊の印象を思えば、予想だにしなかった事態だった。まさかこんな非好意的な出迎えをされるとは…。
 入り口から丁度正面にはユーリでも悠々と横になれる程の巨大なテーブルがある。雑然と書類や筆記用具が置かれ、騎士達が慌てて立ち上がったのか椅子が幾つか床に転がっている。そんな中で老年に差し掛かりそうな女性だけが、テーブルに肘を付いてその上に顔を載せて薄ら笑いを浮かべながらユーリを見ていた。その落ち着きぶりは周囲から浮きだつ程だ。
「おつかいかしら? それとも迷子? ぼうや、お兄さん達に言えるかしら?」
「俺は坊やじゃねぇよ、おばさん」
 自身の身長は180cmと高く、並の大人よりも高い程だろう。どんなに幼く見えたとしても坊やと言われる筋合いは無い。ユーリはそう思いながら素っ気無く答えた。相手は人を小馬鹿にしたような口調を滲ませている。試していると露骨に見える態度を取られれば、取り乱すなど思うツボだ。
 しかし詰め所に居た騎士達はユーリの想像を超えて騒然となった。それもそうで、ユーリがおばさんと呼んだ女性はシュヴァーン隊創立時から参謀を勤めるMrs.ヴィアであるからだ。騎士達が敬うべき騎士団最年長の女性は、にこやかな笑顔を崩さずユーリの言葉を聞いていた。その様子はまるでジュディスのようだとユーリは思った。
「あら、こんな老婆をおばさんなんて随分と口が上手い事ね。乳飲み子ちゃん」
 整った白い頬が引き攣った。
 剣の柄を握ろうとしないのは立派。そんな風にユーリの様子を観察していたヴィアはにこりと笑って言った。
「気配も足音も無しで騎士団の詰め所の扉を開けるなんて、同じ騎士であっても剣の尖った方で切り掛かられても文句は言えないわ。貴方、ナイレン君の部隊に見習い時期所属してたんでしょう? 何も勉強しなかったから、こんな常識が無いんでしょうね。悲しい事ね。私ではなく彼が…だけど。私は彼が犬死にしたと思いたく無いから、君を乳飲み子ちゃんって呼んでるの。文句がおあり?」
 そこでヴィアは優雅に席から立ち上がり、ユーリに歩み寄った。身の隅々まで染み付いた姿勢正しく均一な歩幅。騎士として恥じない歩行は、女性らしさを完全に捨てた勇ましさすら感じる。堂々とユーリの前に立ち止まり、見上げられていながら身長差が全く感じられない。
「どうしてそんな事を知っている?そんなお顔ね。私はこの年齢の通り騎士団所属年数は最長、女性だからお喋りも噂話も大好き。どんな不思議を想像してるのかしら?」
 まるで子守唄でも歌うような柔らかい声が、部屋の隅々にまで響く程だった。
「このままでは貴方は乳飲み子ちゃんのままよ? 御用事は言えて?」
 そこでハッとなる。ユーリはここの騎士とお喋りに来た訳ではないのだと自覚すれば、先程までの憤りは冷水に突っ込んだ様に冷えて行く。ユーリは手に持った手紙を意識する。
「ギルドからレイヴン宛てに手紙を届けに来た」
「彼は直ぐには戻れないわ。渡す為に預かってあげましょうか?」
 ユーリはゆっくりと室内を見回すが、やはりシュヴァーンの姿は見えない。目的の人物はいったい何処に居るのだろう。王城内にいて会議かなにかに参加しているのだろうか? それとも遠征に出ているのだろうか? 隊長格の人間のスケジュールなどギルドの情報網で得るのは難しかったが、シュヴァーンの側近的な目の前の女性に問うて返答が得られるか疑問だった。嘘を言う必要はないだろうが、彼女は本当の事を言う筋合いがないのも事実だ。裏表の無い優しいおばさんとは、流石のユーリの目にも映らない。
 そのまま顔を横に振れば、長い美しい黒髪は流れる清水のように煌めいた。
「いい。直に渡す」
「数ヶ月先になるかもしれないわね」
「それでもだ。これは凛々の明星のユーリ・ローウェルの請けた仕事だ」
 きっぱりとユーリが言い退けると、ヴィアが嬉しそうに笑い出した。最初は堪えるようだったのに、瞬く間に大口を開けて笑い出す。ユーリが目を真ん丸くして見つめ、騎士達も少し驚いた様子で顔を見合わす中、徐々に涙目を拭いながらヴィアは笑い止んだ。
「それが正解よ」
 近くに転がっていた椅子を直して座ると、何もかもを見透かしたような視線がユーリを見た。いや、ユーリとその奥にある凛々の明星を見た。
「ギルドと騎士団は協力的関係になったけど、仲の良いお友達なんてとんでもない。私達の関係に決して馴れ合いは無い。ただのビジネスパートナーよ。違法が正しいと言っている人間の為に、どうして私達が身を削ってあげなきゃいけないの? それが互いの心の中にある想いよ」
「カロル先生が聞いたら怒りそうな内容だな」
 純粋無垢な凛々の明星の首領は否定しそうだったが、相手の言葉は正しかった。信頼や信用があっても、帝国とギルドには決して越えてはならない一線が存在する。今回はギルドの仕事を帝国に引き継ぐという事だろう。仕事への誇りがあれば全く心配する必要のない事だ。俺達のやりかたで行く凛々の明星には関係ないと言いたかったが、帝国はギルドを一つの大きな組織として見るだろう。一つのギルドが誇りを失えば、凛々の明星をも信頼を失ってしまう。
 騎士団はそういう組織作りが徹底していた。ある意味、ギルドは遅れている部分である。
「貴方達ギルドは永遠の帝国の好敵手よ。私達は貴方達が奢り怠り誇りを失った時、必ず討ち滅ぼす為に剣を向けるのよ」
 我等が剣を捧げし主の為にね。
 ヴィアが立ち上がりそう囁くように言えば、事の成り行きを見守っていた騎士達が剣を捧げ持つ。その様は正に圧巻だ。
「こりゃまた、星蝕みより厄介な敵だ事で…」
 ユーリが不敵な笑みを浮かべれば、ヴィアが笑みを浮かべて深々と会釈するのだった。