ちらほら

 ルブランからみれば窓際にある椅子に座る彼の主。帝国騎士団隊長主席にして先の大戦の英傑であるシュヴァーン・オルトレインは、ルブラン小隊の提出した報告書を捲っていた。その姿勢は美しく、髪は光の加減で漆黒を艶やかに濡らし、前に掛かる様に伸びた前髪の隙間の碧は息を呑む程に美しい。
 帝国騎士団に配備される全ての武器を扱う事が出来るとされ、どの騎士よりも特殊な装束はオレンジの色彩に染め抜かれ金具は金色に塗装されている。今では知らぬ者等居ないだろう騎士が、平民であると目の前にして信じられる者は少なく無いだろう。ルブランは己の上司だからという贔屓を抜いてもそう思うと確信していた。
「ルブラン、ご苦労だったな」
 落ち着いた声が掛かると、ルブランは伸びきっている背筋を更に伸ばした。口髭すら伸びきる勢いだ。
 その様子にあまり疲れがない事を、シュヴァーンは誇らしく感じる。ほぼ休みなく帝国首都ザーフィアスから、大陸を越えてヘリオードまでやって来る事は想像以上に大変な事である。気候の違う地域が入り交じり、船旅は想像以上に体力を消耗する。報告書は追跡のみならず平行して行われた様々な任務も記されており、別紙も本題に勝るとも劣らない厚みを擁している。
「エステリーゼ様は騎士団で保護される事になり、ルブラン小隊の任務は完了となる」
「はっ」
 シュヴァーンの言葉にルブランは敬礼で応える。
 次の任務が与えられるまで小隊には休暇が与えられる。多忙を極めるシュヴァーン隊には休暇というのは名ばかりのものだが、ルブラン小隊には十二分である。彼が率いる小隊は、シュヴァーン隊屈指の野外活動範囲を持っているからだった。今まで幾度も人の立ち入らぬ地域を探索し、危険な地域を抜けてきた彼等にとってこの行程は遠足のような容易さがあった。
 反論する事なく応じたルブランから、部下達の余力を感じシュヴァーンは小さく頷く。そして窓側を見て言葉を続けた。
「それと、彼等には己の力量を弁えろと注意しておけ」
 ルブランの理解を促す様に、シュヴァーンは外を示す。ルブランは礼を失さぬよう慎重にシュヴァーンに並ぶと、決して大きくは無い窓から外を覗き込んだ。
 ヘリオードは新興都市と呼ばれる通り、結界魔導器が実に久しぶりに発見され興された都市である。貴族街が完成したのも近年の話であり、その他の地域はまだまだ建設途中の場所が目立つ。多くの職人が行き交い、奴隷同然の平民達が疲労を濃厚に滲ませて往来する。工事中の安全を計り魔物達の動向を見張るという建前で労働者を監視するのは、ピンクが基調のキュモール隊である。ギルドの勢力が強い地域故に、ここを行き交う商人達も足早に通り抜けて行くのが見える。
 そんな町の中でルブランは己の小隊に属する騎士達を見つけた。
 シュヴァーン隊は各小隊に密な連絡と協力体制を行うよう組織付けられているので、同じ隊の人間を探す事は敬礼と同じ様に身に付いている。同じ暖色系で明るい色彩のオレンジを基調とするシュヴァーン隊だが、キュモール隊と比べると明らかに何もかもが違う。実戦が明らかに少ないのか筋肉が薄く、直立する姿勢もルブランから見ればよく無い。この隊では有り得ぬ事だが一般市民に罵声を浴びせる様子は、この町に来て幾度も見た光景である。流石、シュヴァーン隊長の下に集った騎士。ルブランは隊長の威光と影響力に感服するばかりである。
 しかし、ルブランはその騎士達を見つけて、上記のような事を悠長に考えては居られなかった。
 ルブラン小隊に配属されて日の浅いボッコスとアデコール。彼等の背丈の差は遠目からでも良く分かる。その二人が引き連れているのは、ルブランが率いる小隊が追っていたユーリ・ローウェルだった。何をするつもりなのか、ルブランは彼等の性格を知る故に直ぐさま理解出来た。ここから怒鳴ろうにも尊敬する隊長の目の前。ルブランは居合い抜きでもするかの速度で隊長に敬礼し、退室する旨を言おうを口を開いた。
 目の前に居たシュヴァーンは穏やかな瞳で彼等の背を見送るばかりである。
 ルブランは剣を捧げた隊長が何を考えているのか、理解し難く言葉を飲み込んだ。このまま止めに行くのは容易く、その為には隊長も彼等を止めろと命じていた筈だった。良く考えれば命じられたのは注意だ。止めに行く事を隊長は望まれていない。
「知っていたか、ルブラン。彼はシュヴァーン隊に配属される可能性があった事」
 そう静かにシュヴァーンが告げた。その声は外部のざわめきにあっという間に呑まれてしまう。
「存じています」
 今では下町に関係する様々なトラブルで騎士団と衝突しているユーリ・ローウェルだが、彼は騎士団の門を叩いた過去がある。見習い時期に実戦でベテランであるフェドロック隊に配属され、その時の事件を境に彼は騎士団を離れた。仮にそのまま残留を決めているとしたら、ユーリ・ローウェルはシュヴァーン隊に配属された事だろう。可能性とシュヴァーンは言ったが、ルブランは決定事項だろうと思った。
 そして恐らく。ルブランは思う。
 ユーリ・ローウェルはこの隊に非常に向いた逸材だったろう。貴族に反発しようともシュヴァーン隊は彼を守ったろうし、彼が弱者を守りたいと望む意思を汲む事は可能だったろう。シュヴァーン隊は己の隊に属する者に協力を惜しまない。騎士団を脱退せず残れば、彼の掲げる正義や目指す現実に効率よく近づけただろうと思う。
 足りなかったのは忍耐だろう。ルブランはそう分析する。全力なのは良い事だが、全てが目の前の事だけとは限らない事を知っているのに納得しない。いや、納得したく無かったから脱退したのだろう。シュヴァーン隊には向いていたが、騎士には向かなかったに違いない。
「シュヴァーン隊は年に一度ザーフィアスを通過する渡り鳥を隊の紋章に掲げている」
 ルブランは隊長の声を聞いて思考を断ち切り耳を傾けた。
 それは当たり前過ぎる事である。シュヴァーン隊の紋章は世界中を渡り、真冬の時期に帝都の真上を飛ぶ鳥である。翼を開けば片翼だけで長身の男性に匹敵し、その優雅な影を空に刻みながら列をなして悠々と飛んで行く。詩人が良く歌にする程の美しさを誇るが、帝都の冬は曇り空や雪の日が多くその鳥を目にする事はあまりない。
「渡り鳥はいつも晴天の下を飛んでいる訳ではない。嵐の日も日差し強く焼け付く時も、休む丘なく海を渡る時もある。時には天敵に出会い、仲間を殺される事もあれば己が飛べない状態まで痛め付けられる時もある。様々な土地の様々な異種族の思考は、理解に苦しむだろう。その行程は我々の想像以上に過酷だ」
 シュヴァーンの視線の先で三人の人影は町の外へ消えた。
「彼等は無自覚でも学ぶだろう。強い翼を得る」
 そこでシュヴァーンは小さく口を開き自嘲すら窺わせる笑いを浮かべた。隣に並ぶ小隊長を見遣る。
「俺のやり方は甘いな」
「そんな事はありません」
 姿勢を正しルブランは生真面目な顔でシュヴァーンの独り言に応えた。
 騎士は様々な状況に直面する事があるだろう。その時その場に居合わせた騎士に判断を委ねるのが、部下を全面的に信じるシュヴァーンのやり方だった。固い考えでも生半可な実力でもシュヴァーン隊ではやってはいけない。正義感の塊であるルブランでさえ、小隊長を任せられる程の柔軟な思考を持っている一人である。
 若い部下達の納得出来ない感情もルブランも痛い程解る。それ故にその感情を受けてもらうユーリ・ローウェルには、申し訳ない気持ちと同じくらい感謝の気持ちもある。
「ですが、一般市民に剣を向ける事は騎士の責務を放棄したも同じ。厳重に注意致します」
 失礼しますとようやく退室の旨を述べると、ルブランは足早に扉を開く。その背にシュヴァーンが言った。
「ローウェルにも円満な関係を築けという隊則を伝えてやれ」
「聞く訳がないでしょう」
 ルブランの言葉に、すでに背を向けたシュヴァーンは笑う様に肩を動かした。
「心には留めるさ」
 あぁ、やはり。隊長はユーリ・ローウェルも心に掛けておられる。
 ルブランは背筋を伸ばし、その背に敬礼した。吹き込む風に翻る紅の色彩が光の中でオレンジに輝く中、彼の主の視線は騎士団だけに留まらない多くの人々の上に留っているのだと痛感しながら。