異教の徒

 乾燥した大気に吸い込まれる様に撒き上がる砂埃は、熱されて吸い込む度に肺を熱する。ガスファロストと呼ばれる塔は鉄と石で出来ているので、窓が大きく風通しが良くても内部は砂漠の下とそう変わらない熱を帯びている。時折吹き込む強風は大量の砂をふくみ、思わず目を庇い動きを止めてしまう事が多々ある。
 今や騎士団長から小隊を与る身であるフレンの回りには、騎士の部下達が居ない。だが敵の本陣であろう場所に乗り込むに為に、ユーリの知人である者達と行動を共にしていた。ここに来ただろうユーリと合流するという共通点があっても、フレンにとっては信頼がまだ置ける程の付き合いはない。今のフレンは単独行動と同じくらいに気を張っていた。
 その中で特に警戒している人物がいた。 
 レイヴン。ドン・ホワイトホースに書状を渡す時、その隣に居た男性だ。恐らくも何もギルドの幹部であろうと、フレンは理解していた。どんなに飄々とした態度を装っても、天を射る矢の首領の隣で淡々と書面を読み上げた印象は簡単に薄れてはくれない。戦闘技術は卓抜で援護は常に絶妙。フレンは数少ない戦闘であるのに、既に幾度となく助けられた。
 レイヴンの底の見えなさに警戒を通り越し不気味にすら感じていたフレンだった。そんなフレンがレイヴンの武器に目を留めた時、思わず声を上げた。
「それは変形弓ですね?」
 変形し機械に似た構造の為に弩と間違えやすいが、性能は弓とほぼ同じである。複雑な金属や部品等を用いる事で、弩に引けを取らない飛距離と貫通力に優れた威力を誇り射手の力量があれば連射も命中精度も戦局を変える程になる。しかし変形弓の最大の特徴は剣に変形する事であり、後方支援の射手では有り得ないだろう接近戦も担えるという点にある。
 変形弓は騎士団にも配備された武器の一つであるが、騎士団でこの武器を用いれるのはシュヴァーン隊の数名のみ。フレンも実物を見たのは初めてである。
「へー、珍しい。この武器を知ってる人間って、なかなか居ないんだけどねぇ」
 レイヴンはまるで宝の価値が解る大人を見つけた子供のように笑った。
 先の戦闘で小型剣に変形させていた変形弓を、ちょっと腕を振るだけで弓の形に変形させる。何度も回収され血の付いた矢を弓と共に持つと、笑みをそのままにフレンに向き直った。
「ギルドでも変形弓を使っている奴なんて、おっさんの知る限り数人程度しか居ないしなぁ…。狩人ってホンット孤独よねー」
 へらへらと笑う拍子に広い裾をひらひらと振り、抑揚は独特で口調の明るさと相まって言葉の内容よりも声が気になる。レイヴンの愛嬌がある笑い方も年齢と背格好に影響されて胡散臭く感じてしまう。
 悪い人ではないだろうに、残念な事だ。それがフレンの率直な感想だった。
 脂っ気のない黒髪に色鮮やかな碧。フレンはその特徴に既視感を感じ、それがシュヴァーン隊長主席と同じ色だと悟るのに時間が掛からなかった。年齢も見た目は老けて見えるが、隊長と変わらぬくらいだろう。黒髪と碧の瞳の組み合わせは確かに珍しいが、それがシュヴァーン隊長だけとは言えない。シュヴァーン隊長も変形弓を得意とするとなれば、同一人物と言っても可笑しく無い確率にはなるだろう。
 性格は真逆だろう。フレンはシュヴァーン隊長をよく知る程に関わった事はないが、恐らくもなにも真剣味に欠けた性格ではない事は解る。シュヴァーン隊長は厳格で実戦を重んじる現実主義者であり、立ち居振る舞いは隊長主席として騎士達の見本になる程だ。
 似ているのに似ていない、それが不思議だ。
 フレンはまじまじとレイヴンを見つめ、自分でも訝しまれると思って視線を落とす。そこには当然、彼の手に握られているだろう変形弓が見えた。フレンの上司アレクセイが、騎士団に配備された武器で最も難しいと言っていた記憶があった。
「やはり難しいんですか?」
「あぁ!駄目よ!」
 何気なく訊ねたフレンの言葉に、レイヴンが変形弓を抱えて大きく跳び退る。
「例え青年のお友達でも、触るのは駄目ね。昔、これを触らせてバラバラにされた事があったんだから! こんな敵さんのわらわら出る場所で、おっさんの武器の調節狂わされちゃ死んじゃうわ!」
 裏声だろう甲高い声と大袈裟な反応に、リタ・モルディオが『うざっ。いっそ死んでしまえ』と呟く。それをレイヴンも聞きつけて『そりゃないわ、リタっちー』と猫のようにすり寄った。少女に足蹴にされているのが見える。
 ようやくレイヴンの視線が外れたと思うと、フレンはそっと溜息を付いた。敵対関係にあるギルドの幹部と話をするとなると、迂闊に情報は漏らす事は出来ず相手もこちらの僅かな変化から何を察せられてしまうかわかったものではない。こんな少しの会話で緊張から精神的に疲労してしまったようだった。
「どったの、騎士様。命令違反を今更後悔してるの?」
 いつの間にか目の前まで詰め寄ってきたレイヴンが、フレンを見上げている。その碧の瞳の丸さと近さに、味方ではないのに踏み込まれ過ぎだなと己のお人好しさにフレンは苦笑した。
 ユーリが下町の為に水道魔導器をずっと追っているのは知っていた。己も下町の為に力を貸してやりたい協力したいと考えても、騎士であるからと出来ない事ばかり。見習いであるからとか、まだ小隊長でもないからとか、ユーリに甘えや弱音を見せられはしない。今だけは、例え上司の命令を違反してでもやらねばならぬ時だと思ったのだ。
 後悔等、あるはずがない。
「そんな事はありません」
 きっぱりとしたフレンの答えに、レイヴンはにっこりと笑った。
「そりゃよかった。騎士様は立派な戦力よ。おっさんは歳だから、すっごくあてにしちゃってるんだからね!」
 人懐っこく笑うレイヴンを見て、フレンも知らず知らずのうちに表情が和らぐのを感じた。
 ここは騎士の勢力の及ばない地だ。人々の騎士を見る目は冷たく、人々が騎士に向ける感情もまるで何も期待していない下町の人々を彷彿とさせる。ドン・ホワイトホースに手を出すなと一喝された口調の厳しさは、剣を手にしながら何も出来なかった己の無力さを痛感させられた。この地では騎士は…そして自分は必要とされていないのだろうと思う時もあった。
「おっさんもきちっと働けよ」
 殿を勤めている二人を気にして下がってきたユーリが、レイヴンに気怠げに話しかける。その顔はレイヴンの言葉を聞いて呆れているという事を、でかでかと描いているようだった。
「青年は年長者を労って頂戴よー」
「でもドンはレイヴンよりもっと年上で、こっちが庇われるほどに強いけど…」
 レイヴンの言葉に反応したのか、最前列に居たカロルがぼそりと言う。その言葉を聞いてがっくりと肩を落としたレイヴンは、そのままカロルと並んでぼそぼそと会話を始める。その内容は後方で拾った限りでは『少年…ドンと比べたら駄目よ』とか『ドンは普通じゃないのよ』等、ドン・ホワイトホースが尋常ならざる力量を老いても保っている事を切々と語っているようだった。
「レイヴンさんは良い人だね」
「フレンは騙された事ねぇから、そんな事言えるんだよ」
 あのおっさんには苦労させられるとユーリのぼやきを聞いて、フレンはふわりと笑った。
 レイヴンが距離を置き始めた事で緊張が和らいだという事もあったが、レイヴンが距離を置いたのはフレンの緊張が和らいだからではないかと思ったからだった。帝国とギルドは全く異なるが、こうして気遣ってもらえる事をフレンは喜んだのだった。
 フレンは過剰な力が抜けた肩で剣を握り直した。
 援護の為に構えられる矢を頼りに、全力で目の前の敵を討てると確信しながら。