十八番の演目

「あの…レイ…ヴンさん」
 その声の掛けようにレイヴンは、明らかに呆れていると分かる表情に顔が歪んでしまった。
 少女達が読む姫と騎士の恋愛物語に出て来るような、正義感に溢れ見目麗しくカッコイイ騎士を具現化したような若者。そんなフレン・シーフォは頬を軽く紅潮させ、伏し目がちな視線を合わせようと努力しているようで金色の睫毛が震え、口元も緊張で固く口調もしどろもどろだ。フレンの目の前に居るのが冴えない中年でなく美しい姫であったなら、多くの女性が納得しただろう。
 冴えない中年と自称するレイヴンは、その引き攣った顔をどうにか笑みに繕って棒でも飲み込んでしまったフレンを労る様に言った。
「フレンちゃん、おっさんの事はフツーに呼びなさいって」
「は、はい。レ…イ……ヴンさん」
 胡散臭い男から漏れた溜息は、胡散臭いどころか心の底から困り果てた想いを匂わせる。
 レイヴンとフレンは久々の再会を果たした。かつては普通にレイヴンさんと滑舌良い響く声で呼んでくれたというのに、何故今はこんな呼び名に詰まり緊張し果ては顔まで赤らめなくてはならないのか。心当たりはただ一つ、自分の正体を知ったからだとレイヴンは結論付けていた。
 ダングレスト最大のギルドである天を射る矢の首領ドン・ホワイトホースの右腕であるレイヴン。そんなレイヴンは帝国騎士団団長アレクセイ・ディノイアの懐刀であるシュヴァーン・オルトレインのもう一つの姿である。フレンはその事実を知って初めてレイヴンと顔を合わしこんな事になっている。完全に憧れの隊長主席を意識してしまっているのだ。
 これはレイヴンだけでなく、シュヴァーンでさえ任務に支障が出たりと困るだろうと思う程度である。それ以前にフレンの性格や態度を考慮しても、正体が知れて態度が一変するとは微塵も考えていなかった所がある。シュヴァーンは周囲と自己とで評価に天と地程の差がある事を理解していなかったのだ。
 紫の羽織の裾のちょっと内側に手を引っ込め、戯けた仕草で明るく振る舞う。
「フレンちゃんは俺様の正体知って吃驚したでしょう」
「それはもう…」
 フレンは同意するような言葉を途中で濁らせた。レイヴンはその一言で様々な事を思い巡らしたのだろうと思った。
 世界を二分する勢力のNo.2に納まっていた男。それぞれの勢力の情報に精通し、その情報を自由にどちらにも流す事が出来た事実がある。騎士団としてはギルドに情報が流れた事を危惧するし、逆に騎士団が隊長主席にギルドの情報を盗んで来いと命じたかもしれない。ラゴウとバルボスの癒着という前例があれば信憑性は高まる。
 未だにレイヴンとシュヴァーンが同一人物である事は機密事項だ。ダミュロンもレイヴンを演じていたという事に至っては、凛々の明星もフレンでさえ知らない事実だ。謎が多い分、フレンもそれ以上の推測する事は出来ないだろう。
「そんで思っちゃったんじゃない? 憧れの隊長様は嫌々レイヴンを演じていたんだろう…ってね」
「そんな事は…っ!」
 声を大きくして反論しようとしたフレンの金髪を、レイヴンはぽんぽんと軽く押さえた。
 正義感の塊であっても、その根底は善意が詰まっていてフレンは珍しい人種なのだろうとレイヴンは思う。
 人間というものは腹の内が見えない分、随分と恐ろしい事を思っている事があるのだ。シュヴァーンとレイヴンの行動の経緯を知って幻滅するだろうし、同一人物である事を受け入れられず汚点をレイヴンに擦り付け清い隊長主席のイメージを抱く者も居るだろう。人魔戦争の英傑と称され己の主張を無視された事のあるシュヴァーンにとって、それは想像としては生々しいものである。
「おっさんはレイヴンを好きでやってたのよ」
 長身のフレンから見れば猫背のレイヴンは完全に見下ろす形になる。そんなレイヴンの表情は昔を懐かしみ、くしゃみでも堪えるかの様に笑みを浮かべていた。
 もし今後フレンが、戦争前と後のシュヴァーン・オルトレインの違いを知った時にはその表情の意味が分かるだろう。凄絶な戦争の生還者だったシュヴァーンは、戦争を境に性格が一変した。明るく騒がしく表情が豊かだった夢のある若者が居なくなった事は、様々な人間に苦悩を抱かせた。レイヴンは知っていたのだ。レイヴンという存在は、彼等の苦悩を和らげる事が出来る一つの方法だったという事。
「大将もドンもおっさんを利用しようとはしなかったのよね。二人共、おっさんの向こうにいるだろう姿の見えない相手に敬意を払っていたの。人として、戦士として、一つの組織の頂点としてね」
 アレクセイもドンも、レイヴンに敵の情報を求めたりはしなかった。それは多くの強者達を束ねる組織の長である彼等の戦士としての自尊心だったのだろう。アレクセイは戦術も策略も秀でていてもそれ以上に正攻法尊ぶ所があり、ドンもよく考えていない様に見えて的確に相手を捉えている。二人は全く似ていないようで似ていたのだろう。
 有りのままを受け入れてくれる人々は尊い。
 言葉を理解してフレンが驚く前にレイヴンは明るく言葉を続けた。
「フレンちゃんも負けちゃ駄目よー」
「は、はい!」
 反射的にフレンが返事を返すと、レイヴンは『全く、素直なんだからぁ』と楽しそうに笑った。その笑みは嬉しそうで心の底から楽しんで見え、フレンの中でもう一人の彼からは増々遠ざかる気がした。しかし、同一人物という消えた訳でもない。
 先を歩き出した紫の羽織の裾から覗く足取りは心が弾む様のように軽やかで、フレンは狐に摘まれたかのようにその背を追い始めた。