隔てを跨ぐ

 帝都には当然ながら祭がある。初代皇帝が帝国を建国した日に行われる建国祭が、皇帝の戴冠式を除けば定期的に行われる物で最大級だろう。今までは帝国領内の人々ばかりだったが、星喰みを倒し世界の人々が団結しなくてはならなくなった今では昔以上に賑わっている。ダングレストから遥々来た者も人波に多く混ざり、幸福の市場は今まで以上の規模の出店と稼ぎを見込んでいるそうだ。下町にも多くの観光客が行き交っている。
 そんな中でシュヴァーンが下町へやってきた。団長になって初めての建国祭に、息抜きする暇も無いフレンは下町に降りて来られそうに無いと詫びている。ハンクスの隣で聞いていたユーリは、面白そうに茶化した。
「フレンは目が回るくらいなのに、隊長主席サマはサボってて良いのかよ?」
 シュヴァーンは特に感情も示さず言葉を受け流す。
「そう言う君なら、フレン団長を祭に引っ張り出せるのか?」
 ユーリは不敵に笑ってシュヴァーンの問いに首を横に振った。
 フレンの頑固さは骨身に沁みる程知っているし、初めての建国祭に俄然やる気になっていたのを知っている。仮に遊びに訪ねたとしても、あの真面目が服を着て歩いていそうな女騎士に追い返されてしまうだろう。シュヴァーンに無理だった事が、親友だからとユーリに出来るとは思えなかった。
 しかし、シュヴァーンはユーリの無言の返答に小さく笑みを浮かべた。
「団長は祭典が終わったら休暇を取らせる。その間の業務を俺に回すよう、もう手配済みだ」
「これからを考えて、体を休めてるって訳か」
 ユーリの皮肉にハンクスの肘が脇を突く。へいへいと生返事で返すユーリの態度を叱ろうとしたハンクスを、シュヴァーンが手を上げて制した。
 仮にユーリが騎士団の騎士として従事していたならば、もう少し語れる事があっただろう。例え、直接的な上官がシュヴァーンではなかったとしてもだ。しかし、ユーリ・ローウェルは騎士団に見習いで一時期所属していたとはいえ、今は脱退した身。一般市民となり、有望ギルドの幹部となった青年に騎士として語る事は多く出来ない。
 そうでなくとも、シュヴァーンは文句や苦言を言われ慣れた騎士だった。他の騎士なら怒りを露にする事も、シュヴァーンに掛かれば威厳を帯びた沈黙で返されてしまうのだった。
 微笑してそれでは失礼と挨拶をして背を向ける。朱色のマントを見る形になったユーリの顔からは、一瞬にして皮肉が抜け落ちた。独り言のように形の良い唇が言葉を紡ぐ。
「折角だから隊長さんを送ってくるわ」
 シュヴァーンに付き添う形で表に出たユーリは、直ぐさま帝都に溢れる祭に賑やかしさに煽られる。様々から響く楽器の演奏に歓声、人々の雑踏とお喋りがざわざわと波のように止めどなく続いている。風に流れて香る匂いは、一瞬前は甘い焼き菓子の香りだったのに次の瞬間には強く香る花。人々の衣装は何時もよりも華やかで、ギルドも帝国も関係ない沢山の種類の人間で溢れていた。
 下町から坂を上って貴族街に続く大通りでは、パレードが行われているようだった。沢山の人並みの影の向こうで、きらびやかな装飾が施された馬具を装着した馬が儀仗兵を乗せて歩いていく。次に続くのは初代から続く歴代団長の正装を纏った者が、歴代皇帝に捧げた剣のレプリカを下げて馬に乗っている。最後尾にはフレンが続くと聞いていた。
 人々の明るい笑顔。ユーリは嫌いじゃなかった。ふと隣を見ると、シュヴァーンの前髪が見えた。
「隊長さんは、その前髪邪魔じゃないのか?」
 それはユーリがシュヴァーンにしてみたい、最大にして最初の疑問だった。
 ユーリが実際に初めてシュヴァーン・オルトレインを目にした時思った事。それは髪が邪魔そうだな、という事だった。そんな事を思っていた当時のユーリは既に、背中まで伸ばした艶やかな黒髪の長髪を持っていた。幼馴染みの長い付き合いの成せる業か、視線と表情だけで理解されてしまったのだろう。隣でフレンが君だって他人の事言えないじゃないかと、憧れの人に対する言葉を嗜めるような鋭い口調だった。
 ユーリは自分の長髪を一度も邪魔だと思った事はなかった。彼の髪は長過ぎて艶やかな為に、木の枝に引っかかったり剣を振る際の障害にはならなかったのだ。
 ならば何故、シュヴァーンの髪は邪魔だと思ったのか。髪は肩より長い位で目には入る事はないだろうし、染めたり整髪料を付けていないのか自然で状態はいい方だろう。ユーリはシュヴァーンの顔半分を覆ってしまう程の前髪を邪魔だと思った。隊長主席という立場であって実力はあるだろうが、そんな前髪で戦えるのかよと、当時のユーリは生意気な事を思っていた。
「いや、特にないな」
 シュヴァーンは素っ気無く答えた。その返答にユーリは特に反論しなかった。もう、ユーリは何も知らない少年ではないのだ。身長では隣に居る中年に差し掛かろうとしている隊長主席より高く、腕からは二番星を下げて歩く一人の戦士なのだ。
 一度剣を交えた事もあってだが、シュヴァーンの強さは本物だとユーリは思っている。昔から一対一の試合ではアレクセイに負ける事はあっても、多数を相手にして鬼神の如しと謳われたシュヴァーンである。髪で隠れてしまう視界の事等、この騎士団隊長主席の座にある男には何の障害にもならなかった。むしろ髪で隠れてしまう為に目の動きが見えず、対戦する事になったユーリにこそ障害となった。
「前髪がないと色々不便なくらいだ」
 だろうな。ユーリはそう呟いて、過去の対戦でその前髪をどれだけ斬り飛ばしてやりたかった事か…と内心付け足した。
 すっと呼吸の動きに見間違えそうなほど自然に、シュヴァーンの顔が僅かに動いた。それを真横に居たユーリは、黒髪が微妙に角度を変えた事で知れた。しかし、真横に居なければ分からない程で、ユーリ以外の誰もがシュヴァーンが僅かに頭を動かした等分かる訳がない変化である。数歩離れてしまえば身じろぎ一つしていないように見えるだろう。
 視線を動かした。ユーリには分かった。
 他人に知られないように、己は情報収集を行う。シュヴァーンは正面を向いているようで、実は全く他人が予測していない方向を髪の奥から見ているのだ。目には利き目という物がある。訓練をすれば、両目を開けているというのに利き目だけで世界を見る事も出来るという。シュヴァーンにはそれが出来た。前髪は視界を遮る程の厚みはなく、他者からは見えないが自分からは見える特殊なカーテンのようだった。
 何を見ているのだろう。ユーリはシュヴァーンに悟られないように慎重に、しかし素早く視線を巡らした。シュヴァーンの顔の傾き、そこから視野の範囲を予測していく。レイヴンの視覚の良さも思い出して、あまり目立つ物ばかりに目を奪われないように。
 そうして一つ目に留めたのは、着飾った女性達だった。貴族特有の作られた美しさはなく、この祭の為のドレスを仕立ててやってきた少し地方から来た娘達だろう。皆、一様に瞳を輝かせ、笑顔でパレードを見ている。美しさはともかく、その姿はユーリから見ればとても好感が持てる程だった。
「もしかしてさ」
 ユーリが声を掛けると、シュヴァーンは少し頭を動かしてユーリを見た。
「おっさん、髪で隠れてるのを良い事に女を物色してんじゃねーだろうな?」
 その言葉を告げたとたん、シュヴァーンは体を強張らせた。しかし、他人から見ればあまり不自然にならない程度で、その強張りは武術に秀で、レイヴンである事を知っているから察する事が出来たのだった。
 一つ息を吐いて、シュヴァーンは体の強張りを解いた。口元に手を当てて、神妙に呟いた。
「俺の部下はその事を直ぐに見破ってしまうんだ。何故判ってしまうんだろうな…」
 肯定と同じ言葉に、ユーリは唇の端を持ち上げて笑う。
「おっさんの人柄知ってて、分からねぇ奴はいねぇよ」
「そうなのか………ん?」
 シュヴァーンが疑問の答えに不審な点を見つけてユーリを改めて見ると、ユーリはシュヴァーンの背後を指差した。その黒い服から覗く白い腕からは想像もつかない程、しっかりと腕を固定しているようだった。黄金色に見える篭手を外したい衝動に駆られながら、シュヴァーンはユーリの指差す方向を見遣った。
 可愛らしいピンク色の花を散らした看板には、大きくアイスクリームの文字が描かれている。ピンクと白の道化服のピエロが、風船を配りながら客寄せしているがそれ以上に繁盛している様子が見て取れる。ユーリの事だ。すでに調査済みなのだろうと、ぼんやりとシュヴァーンは思った。
「あそこの屋台のアイス奢ってくれよ」
 チョコミントならおっさんも食えるぜ。
 ユーリが続けた言葉を、シュヴァーンは上手く聞き流した。そんな事が得意な男である。