消え去らない履歴

 アドリビトムにやって来た一通の手紙は、依頼を遂行中のカノンノからであった。ガルバンゾ国ではうまくやっている事、騎士団の人達も優しい事、肖像画が難しくて筆が進まない事が、彼女の優しい雰囲気が紙から浮き上がるように丸い字で綴られている。その後にいくつか届けて欲しい物があると続き、その内容は長年カノンノに仕えていたロックスが応えた。
 さて、そこから先が問題であった。誰がカノンノに小包に纏められたそれを届けるか。決めるまでに一悶着で片付けるには少し大きな騒ぎがあった。その騒ぎの原因の中心になったのは、意外にも日頃は皆の模範となっていた若き騎士達である。
 ガルバンゾ国が抱える騎士団は世界に名立たる名門中の名門である。理想は高く、団結力は強大な王国の礎より堅牢であり、武勇伝は今も尚生まれている。現在団長を務めるアレクセイ・ディノイアの剣術は国を超えて知れ渡り、隊長主席であるシュヴァーン・オルトレインは人魔戦争の英傑である。騎士でなくても憧れや好奇心を抱く事だろう。
 しかしアドリビトムを運営する立場から考えれば、世界で最もギルドに対して強硬な姿勢を持っている王国に属する騎士団である。王族にエステリーゼがおり、騎士団にはアドリビトムに協力した数人の騎士が所属しているとはいえ、ここで印象を悪くしてしまっては元も子もない。アンジュ・セレーナは諸手を挙げて志願する者達を一蹴し、カノンノに荷物を送り届ける者の名を呼んで送り出した。

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 うわー。すごーい。そんな言葉が木霊して響く。見事な白亜の柱の上に刻まれた美しい女性達の彫刻は、変わらぬ微笑を浮かべて深紅の絨毯を歩く子供達を見下ろしている。快晴の空から差し込んだ陽光は、白く磨かれた床を黄金色に輝かせている。お伽噺で出て来る城を目の前に見たかのように、2人は案内する騎士を時々追い越しては城内を無邪気に見ていた。案内役の騎士は優しく、入っては行けない場所に踏み込もうとしなければ黙認してくれていた。
 ディオとメルは双子だから成せる業の様に、大口を開けて城を見回していた。やや紫を含んだ銀色の髪があっちにこっちに忙しなく動くのを、見守っているのは漆黒の長髪である。手から吊るした二番星をぶらぶらとさせ、もう片方には小包を抱え、ユーリ・ローウェルは溜息を付いたのだった。
 かつてはフレンと共に騎士団の門を叩いた事のあるユーリ、そして子供であるという点でディオとメルが選ばれた。アンジュの人選は色んな意味で無難であった。しかし、ユーリは騎士団に見習いで所属していた過去もあるが、騎士団の牢屋にも幾度となく世話になった身である。騎士団からの覚えは当然良く無く不安はあったが、弁明は背後から突き刺すような視線で不可能であった。
 騎士団を離れて随分と年月が流れたと、ユーリは息を吐き出す毎に思った。見上げる柱と天井の高さ、修錬場に植った木々や馬術の為に盛られた土山、見ればそんな物があったと思い出す。当時は修錬の厳しさに同期と愚痴を零しながら見上げた夜空は変わらないだろうが、城の中は記憶の中より少し狭く感じる。それだけ自分が外の世界を見て、この城よりも巨大な物を見て来たからだろう。
 フレンは次期団長候補に名を連ねていると噂に聞く。自分は将来どうなっているのか、ユーリ自身も漠然とし過ぎて想像もつかなかった。だが城の狭さを感じると、この道を選んだ事に後悔はなかったと再確認した。後悔等しても意味が無い。ユーリは感傷をやや強く吐き出した息と共に外に追いやった。
 現実に目を戻せば案内の騎士の後ろを、双子達はふわふわと城内を進んでいる。メルは女の子の嗜みと言いたげに先日は念入りに髪の手入れをして、いつもより髪が綺麗になっている。服も年齢の幼さに比べれば大人びた装いだ。
 対照的にディオは現在なりきりに挑戦しては何度も失敗している、レイヴンの上着を一回り小さくした物を羽織っていた。おっさんになりきるのは正気の沙汰ではないが、レイヴンの技量や機転は確かに得難いとは認めてしまうユーリである。メルには強く非難されたがディオは譲らなかった。ガルバンゾ国の事情を理由にギルドの人間である事を隠したり恥ずかしがる必要は無い、そう説得してディオはレイヴンの上着を模した物を羽織っているのだ。あのおっさんがこの城に立ったら鬼の様に目立つのだろう。あの胡散臭い中年を思い出し、ユーリは笑いを噛み殺した。
「あちらにおられます」
 騎士が足を止めて示す先には、オレンジ色の隊服を着た騎士達の合同練習の真っ最中だったようだ。オレンジ色は見習い時期で脱退しなければ、ユーリが袖を通す事になっただろう隊の色だったろう。この隊の気質はユーリに向いていたし、それ以外に配属されればユーリは見習い時期で辞めた以上に酷い辞め方をした事だろう。上官を殴ったりして脱隊を決める姿は、笑える程に現実味を帯びていた。
 カノンノが描くよう依頼された、シュヴァーン・オルトレインの隊である。騎士が下がるのを小さく手で礼を述べると、子供達は早速修錬を見下ろしている。
「あ、カノンノ姉ちゃんがいた!」
 ディオが嬉しそうに声を張り上げると、合同練習を挟んで見下ろせる位置に桃色の髪が見える。アドリビトムに居る時と変わらぬ紅葉をモチーフとした服に身を包み、剣を帯びる事を許されている。腕にはスケッチブックと筆記用具の入ったポーチが抱えられていた。
 ディオの声に気が付いたのは練習に視線を向けていたカノンノではなく、その隣に居た黒髪の隊長だった。彼は碧の瞳を一瞬こちらに向けると、カノンノに短く声を掛けた。
 ユーリは直ぐに気が付いた。
 黒髪の隊長は騎士団の誰よりも変わった形の鎧を纏っている。基本的に騎士の鎧はその得手としている武器の邪魔にならないように作成される。逆を言えば騎士の鎧を見るだけで、その騎士がどんな獲物を得意としているのか分かるのだ。良く見れば隊長は腰に剣を、ベルトに短刀を、マントの影に弓を潜ませている。それ以外にも得手としている武器があるに違いない。鎧はそう語っている。騎士団の倉庫の武器で操れぬ物は無いと言われる実力者は、騎士団に唯一人しかいない。シュヴァーン・オルトレイン。見習い時期に見かけた以上に、その存在を強大に感じた。
「あれ…?」
 ディオが間の抜けた声を出して首を傾げた。
 カノンノがこちらに向かっているのを確認したユーリも、思わず視線をディオに向けてしまう。視線の先でメルがディオの脇腹を小突いた。
「どうしたのよ?」
「見間違えかな? でもなぁ…」
 ぶつぶつぶつ。ディオが考え込んでどんなに耳を澄ましても聞こえない独り言を呟く。ユーリがどうしたのかと視線でメルに訊ねると、増せた女性の様に肩を小さく竦ませてわからないと答えた。
「ディオはこの前にフレンさんのなりきりを完成させたんだけど、やっぱり騎士の戦いの型が似てるから違いとかが分かったんじゃないですか?」
 なりきり師とはその職業や人物になりきる事である。特に人物のなりきりは難易度が高く、対象の人物の歴史や身のこなしや癖、果ては好きな物まで同じになる程だそうだ。誰もが就ける職業ではないが、一人で何役も担える事から重宝がられる職業である。ディオは武術に秀でた職業や人物になりきり、メルは魔術を中心とした職業や人物になりきって、たった2人でも大きな依頼を遂行した実績を持っている。
 以前ユーリのなりきりをされた時も、ユーリは尽く同じタイミングで同じ技を出され、腕力や身長等の差がなければ完全に拮抗しただろう完成度を見せつけられた。フレンは騎士団の剣術の手本のようだから、実際の修錬の様子に思う所があったのかもしれない。
 メルの返答に納得したユーリは、こちらに向かって来たカノンノを出迎えた。軽く挨拶を交わすと小包を手渡す。以来終了間際の依頼人の満足そうな顔は、何時見ても良いとユーリは思った。
「ありがとう。とても助かっちゃった」
「大した事じゃねぇよ。なぁ、メル?」
 ユーリがメルに訊ねると、メルは嬉しそうに笑った。一生に一度入れるか分からない城内を見て回れたのもそうだが、カノンノが元気そうなのに安堵しているのが分かる。
 元気よく答えようと開いた口は、背後でディオが上げた大声に閉ざされてしまう。何事かと振り返ると、そこにはディオの姿はもう無い。レイヴンになりきっているディオは、紫色の掴み様が無い風になり修錬中の騎士達の合間を擦り抜けて瞬く間にシュヴァーンの隣まで走って行ってしまった。
 その様子にメルが顔を真っ赤にして怒る。アンジュからは口酸っぱくガルバンゾ国で騒ぎを起こしてはいけないと言われていた。真面目な少女は、トラブルの火種を生み出そうとしている片割れの行動にカンカンだ。
「あの子ったら! 何をしてるのかしら!!」
「大丈夫よ、メルちゃん。シュヴァーン隊長はとっても優しい人だから怒らないわよ」
 カノンノの言葉の通りディオは怒られているようには見られなかった。前髪の多い黒髪で表情は分かり難いが、苦笑されて軽い注意をディオにしているようだった。ディオが何かを言うと、シュヴァーンは僅かに目を見開いて人差し指を自身の口元に当てて何かを囁いたようだった。
「何を話してるのかな?」
「さぁ?」
 3人が見つめる先でディオは元気よくシュヴァーンの隣から離れこちらに向かって来る。突然の乱入者に手を止めていた騎士達も、シュヴァーンの一声で修錬を再開した。ディオは別に大した事じゃないよと言えば、何事も無かった様子で過ぎ去って行った過去を誰一人気にも留めなかった。

 あれだけ苦戦していたレイヴンのなりきりは、その後あっという間に完成する。その真相が明らかになるのは当分先の話である。