幻影を霞ます根底

 レイヴンは嫌な予感を感じながら頼みを聞いていた。いや、嫌な予感を通り過ぎて完全に拒否していた。
 それでも聞く姿勢をとっているのは、女性の頼みだったからに過ぎない。
 レイヴンがそこまで嫌がった依頼を持ちかけたのは、スタン・エルロンとルーティ・カトレットだった。純朴な青年と守銭奴の乙女の有り得ない組み合わせだが、彼等の付き合いは長いらしい。レイヴンの観察眼を持ってしても恋愛感情があるかまでは知れないが、バンエルティア号の中でも良く行動を共にする姿を見る。
 彼等は『ウッドロウの剣が鉱山の何処かで行方不明になってしまった』と切り出した。そこで先ず怪しい。ウッドロウの剣は彼の国の王位継承権の証であり、国宝級の品だからだ。ウッドロウは片時も手放す事が無いし、頼んでも絶対に貸したりもしないだろう。
 そうして『しかし、ウッドロウは故郷の国の急用で取りに行けなくなった』と続く。次期王位継承者、色々と忙しかろう急用もあるだろう。ウッドロウは数日前にチェルシーを引き連れて忙しなく出掛けて行った気がする。レイヴンはただ頷くだけ頷いて聞いていた。
 最後はこう締めくくった。『ウッドロウの剣を取りに行くのに、レイヴンも来て欲しい』。レイヴンはとんでもなく嫌そうな顔で、毛髪の多い金髪でしかも長髪と言うこれ以上無く暑苦しいのにこれ以上無く爽やかな青年に強く訴えた。
「どうしておっさんが一緒じゃなきゃ駄目なのよ!」
 スタンはこう切り返されるのが予想外と言いたげに、困惑しきりでルーティを見た。ギルドでも金銭関係では狡猾なやり口で知られているルーティは、予想の範囲内と言うように落ち着いている。対照的な2人の反応を観察しながら、連携される前にレイヴンは更に言い放った。
「取りに行くのは鉱山でしょ? 森とか山とかなら分かるけど、おっさんは弓使い。術も風属性。鉱山程、立地条件的に相性悪い所無いのよ」
 言い切ってレイヴンは、あっちいけと言わんばかりに浅黒い手の甲を振った。
「頼み事ならユーリ青年やロイド君みたいな剣士タイプに頼みなさいな」
 その言葉を聞いて、ルーティの瞳がちかりと輝いた。大袈裟に腕を組み、芝居がかった声で応えた。
「それがねぇ、色々と依頼が入っちゃって皆忙しいのよ。フィリアに頼みたい所なんだけど、フィリアはあぁいう所駄目なの。無理強いさせたく無いのよねぇ」
 ルーティの上目遣いに、レイヴンも言葉を詰まらす。
 フィリアの潔癖性はバンエルティア号内では有名であった。洞窟等の閉鎖空間で空気が淀んでいたりしようものなら、性格が変わると証言があちこちから上がっている。天井を崩されてうっかり生き埋めになりかけた、爆薬で魔物もろとも吹き飛ばされそうになった、訴える側の必死さで疑う者は居ない。フィリアに対する依頼は目的地を確認してから提示すように、アンジュ・セレーナは計らっているそうだ。
「まぁ、弓使いで風属性の術を使うレイヴンに不利な場所だってのは、あたし達だって分かってるのよ。でも、探し物をする時に人手は大いに越した事無いじゃない。戦う方はあたしとスタンで十分。レイヴンには剣の捜索に専念してもらっちゃって構わないから」
 いや、それだったら…。レイヴンは慌てて口を開こうとする。
 だがルーティは隣のスタンの背中を乱暴に叩いた。スタンが盛大に噎せる咳で、レイヴンの言葉は遮られた。
「スタンだけじゃ頼りないのよね」
 ちらりと乞うように見つめられ、レイヴンは最早、断る術が無い事を悟った。

「やられたぁ」
 レイヴンの呻く声が、淀んだ空気の上に層になる様に広がった。
 目の前には一分の隙間無く崩落してしまった、ちょっと前まで道だった行き止まりがあるばかりだ。レイヴンは左手にウッドロウの長剣『イクティノス』を下げ、右手で眉間を押さえる様に頭を抱えていた。すんと鼻をひくつかせれば、独特の火薬の香り。ユニオン五大ギルドの一つ発掘専門の『遺構の門』が独自開発した、衝撃を最低限に抑えピンポイントで目標を穿つ爆薬の匂いだと分かる。崩れ落ちた土砂に混ざって僅かに光る破片は、持ち帰れば首領ラーギィでさえ言い逃れが出来ない証拠になるだろう。
 坑道の比較的柔らかい層だったらしく、崩れて巻き上がった土砂は変形弓の僅かな隙間に入り込んでいる。変形する瞬間の金属音がぎこちないのを聞くと、レイヴンはとても渋い顔で独り言を呟いた。
「やーっぱり、ルーティちゃんはイエガーと繋がってたのかぁ」
 がっくりと肩を落とし、レイヴンは溜息を吐いた。はぁーあ。
 ユニオンの盾として、王国とギルドの調停を行うレイヴンは多くのギルドの動向を把握している。その中に『海凶の爪』の首領イエガーが、昔から孤児院に出資しているという事項があった。出資している孤児院はガルバンゾ国に留まらず、武器商人として向かう全ての国の孤児院が対象だったという程の多さであった。資金洗浄を疑われ徹底的に調べ上げたが、結局は本当の慈善寄付だったとドンに報告したのは随分と昔だ。
 『遺構の門』と『海凶の爪』がどう繋がるかは別の話だが、レイヴンの中では疑いが確信に変わっただけである。
 それよりも、レイヴンの目の前にはもっと重大な事が突きつけられていた。
 ぼりぼりと髪の毛を掻き、レイヴンはぽつりと呟いた。
「あの子達、何したかったのかしらねぇ」
 鉱山の坑道の最深部よりかは浅いが、それなりの深さがある場所。レイヴン達はあまり苦もなくウッドロウの長剣を発見出来た。レイヴンが来る必要がなかったんじゃないかって程に、目立つ場所に空色の長剣は立てかけられていた。しかし、戦闘はスタンとルーティが担っている為、レイヴンが長剣を持つ役目を担う事になる。そこで『突如』爆発があり、道が分断された。『運悪く』レイヴンは、スタンとルーティと離ればなれになってしまったのだ。
 レイヴンは顎を擦り、髭の感触を上の空で感じながら考える。
 何か怒らせて仕返しのつもりだった。スタンは仕返しをするなんて考えたら、雨が降るだろうって程に気持ちの良い青年だ。ルーティなら直ぐさまお返しは何時もニコニコ現金払いでと、数字を突きつけて来るだろう。もし他者に仕返しを依頼されたとしても、彼等が引き受けるとは到底レイヴンには思えなかった。
 暫く考えたが心当たりがレイヴンには無い。考えながら待っていても、向こう側に居るスタンやルーティが壁を崩そうとしている様子は感じられない。彼等は別のルートで地上を目指したと思えば、自分も地上を目指す事にしようと気持ちを切り替える。
 そして、左手に持っていた長剣を見た。
「見た目以上に軽いのね」
 ふわっと剣が宙に浮いたと思うと、一瞬にして握りを変えレイヴンは長剣を一閃した。軌跡は空気を引き裂き、びりびりと余波が空間の空気を奮わせた。レイヴンは満足そうに笑いながら、長剣の刃を撫でて語り掛けた。
「ウッドロウじゃなくて悪いけど、暫く付き合ってね」
 当然、剣は意思など持っていないから返事をしない。しかし、世の中例外と言う存在があるものである。
 イクティノスはこの声掛けに、驚きのあまり応じる事が出来なかった。目の前の男が自分の声を聞く事が出来ないからではない。彼の何気ない一閃はイクティノスが経験した事が無い程に鋭かったからだ。イクティノスは多くの人間に握られてきた。一番最初の持ち主は自分自身、そして歴代の国王達。誰もが一流の剣技の使い手だった。
 冴えない中年の男と自称するレイヴン。弓使いである彼の一振りは、ディムロスすらも唸らす戦士の太刀筋だろう。その差が冷静沈着なイクティノスを驚愕させ、言葉を失わせたのだった。
 直ぐさま、イクティノスはレイヴンの変化に気が付く。猫背で長剣の刃先が地面を擦る事も少なく無かったが、今では全く地面に付かない。イクティノスを持つ手の部分も持ち上がっていて、彼はレイヴンが姿勢を正したのだと分かった。
 坑道には多くの魔物が潜伏している。曲がり角に、岩の影に、時折背後から、魔物は隙あらば襲って来る。多くの魔物と鉢合わせ乱闘になる事だとて少なく無いだろう。レイヴンも期待を裏切る事無く、魔物と戦う事を余儀なくされる。
 イクティノスは更に変化に気が付いた。いや、変化し過ぎて別人かと思うくらいだった。
 ウッドロウの傍で見ていたレイヴンは騒がしい男だった。言葉を絶やす事は無いし、戯ける事も冗談も好んだ。戦闘中は文句ばかり言っていたと記憶している。だが、周囲に誰もいないからといって全く喋らなくなった。無言で敵を打ち倒し続ける。その太刀筋はイクティノスが目を回す程に速く鋭く、的確に敵の急所を突いた。息が付ける瞬間はレイヴンがイクティノスの間合いの外の敵に、矢を射る時だけである。
 更にイクティノスは風属性を得意とする為に、レイヴンの術も出力が上がった。普通は戸惑うものである。しかしレイヴンは一瞬にして把握すると、イクティノスの影響分を考慮して術を放つ様になった。対処の柔軟さは戦闘慣れしていても簡単に出来るものではない。
 勿論、レイヴンはバンエルティア号の強者に肩を並べる程に卓越した技術を持っている。彼の援護は絶妙だ。だが、これ程までの力を有しているなどと、あの船の誰が知っているだろう。
 イクティノスは次第に腹が立ってきた。
 最初、イクティノスがこの話を振られた時、頑なに拒否したものだった。なにせ、認めた者以外に握られる機会がなかったイクティノスである。島国の支配権の証として、声の聞こえぬ者に握られ続けたシャルティエのような柔軟さは無い。承諾したのもルーティに『ウッドロウが強くなる為に協力しなさい』と言い放たれたからだ。ウッドロウに頼まれ、好奇心に輝く瞳達に見つめられて、イクティノスは渋々承諾したのだ。
 レイヴンの息遣いが荒くなってきた。相当数の魔物と対峙し、一人で対処したのだから当然だろう。
『貴方は何故、隠しているのだ?』
 イクティノスはレイヴンに届かないと分かりつつ訊ねた。
 レイヴンは答えず、黙々と先を進んだ。イクティノスもやはり聞こえないのかと確認した後は、全く問いかけもしなかった。レイヴンの緊張が手の平を通じてイクティノスにも伝わって来る。息遣いが荒くなるのに気が付いてからは、比例して疲労が見え始めた。あんな乱戦でも無傷だったレイヴンも、攻撃が衣を掠めたり弓が急所を外れる事も目立ち始めた。
 それでも着実に彼等は進んだ。空気が流れ始め地上が近づいたと気が付いた時、レイヴンの雰囲気が一変した。
「レイヴン! 無事だった!?」
 スタンの声が聞こえた瞬間、レイヴンの雰囲気は一気に弛緩した。剣を持つ手も何気なく変わり、猫背になったのか刃先が土を引っ掻いた。
「もーーーーっ! 二人共酷いじゃない! おっさん死んじゃうかと思ったわ!!」
 裏声に近い高い声でぎゃんぎゃんと文句を並べる。その三人の遣り取りを見守っていたイクティノスに、レイヴンには届かぬ声で声を掛けられた。柔らかな女性の声はルーティの持つアトワイト。憮然とした男の声はスタンのディムロスだ。
『災難だったわね、イクティノス。これでルーティも納得したんじゃないかしら?』
『全く、我々ソーディアンを便利な道具扱いされては困る』
 ルーティが面白半分で仕掛けた事であると知っているアトワイトは、心から同情するように声を掛けた。ディムロスはスタンに小言を言っている。
 イクティノスもレイヴンの張りつめた緊張が伝わっていたのか、二本の声で解けて行くのを感じた。ずっと警戒し続けていたからだ、イクティノスは思った。
 あぁ、そうか。
 イクティノスは納得した様にレイヴンを見上げた。
 警戒を続ける事はどんな達人でも難しい。彼が剣を持って前面に出ないのは、援護に特化した弓を用いるのは、仲間の緊張を少しでも緩める為なのだろう。戯けた仕草も、冗談も、戦闘に集中し過ぎた意識を一瞬でも休ます為だ。長期戦ではこのような一瞬は、一見無駄に見えて重要だ。
『彼の強さは、ウッドロウの参考にはあまりならないようだ』
「なぁんだ。つまんないわね」
 ルーティがうっかりイクティノスの言葉に反応してしまった。
 レイヴンに恨めしそうに睨まれ、ルーティはガルドは落ちてないかなぁ…と視線を逸らした。