ダングレストの群舞

 アデコールとボッコスは全速力でダングレストの町を駆け抜けていた。その速度は、彼等が目の敵にするだろう凛々の明星の闘犬士に勝るとも劣らない。ひょろ長い手足の騎士の全速力に、小柄で鞠のような見た目の騎士も追随するのだから彼等の疾走は人生最速を記録する事だろう。そんなデコボココンビの血相に、多くの魔物と相見えた歴戦のギルド員ですら思わず道を譲ってしまう。
 何時も騒がしい2人組は、喋る息すら運動の燃料にぶち込んで走り抜けた。天を射る矢の扉もブレーキも利かず体当たりで抉じ開けて、蝶番が吹っ飛び音を立てて扉が壁に叩き付けられた。
 彼等はとにかく走っていた。体裁とか自尊心とかかなぐり捨てて、彼等の隊長の元に一刻も早く辿り着こうと駆けていた。シュヴァーン隊長なら、きっとなんとかしてくれる。その思いしか彼等の脳裏には無かった。
『シュヴァーン隊長!』
 扉を再び破壊して赤い絨毯に倒れ込んだ騎士達は、中に誰がいるのかも確認せずに叫んだ。応えてくれるだろうと一縷の望みで叫んでも、室内に居た天を射る矢の幹部やユニオンの幹部は困惑気味で口は開きっぱなしだ。
 そんな中で紫の羽織を丸い猫背の上に被せ、ボサボサ頭に無精髭の顔は酷く落ち着いていた。瞳だけは尋常ではない騎士達の様子に、冷ややかながらに硬い光を帯びている。レイヴンは身体を斜に構えて騎士達に冷たく言い放った。
「おっさんはレイヴンです」
「意地悪すんな」
 ハリー・ホワイトホースは、そんなレイヴンの腹を軽く叩いた。金髪の下で細められた瞳にも、答えとは裏腹に心配で堪らないレイヴンの様子が見て取れる。しかし、ここはギルドユニオンの中枢であり、天を射る矢の首領の前である。情報漏洩以前に、ギルドの顔を立てて騎士団の話を控えるべき場所である。レイヴンが本気でその事を訊ねる気ならば、適当な理由をつけて外に出て部下にその後を追わせて聞き出す事だろう。頭部の後ろで手を組んでそっぽを向くレイヴンの代わりに、ハリーは1つ溜息を付いて騎士達に訊ねなければならなかった。
「おい、お前等。扉ぶっ壊してまで急がなきゃなんねぇ程に、大事な話なんだろうなぁ?」
 肘を付いて顔を支える頬が気怠げに歪み、口調も同様にぐぐもっている。
 レイヴンに突っ撥ねられて愕然とした騎士達だったが、ハリーの言葉に水を得た魚の様に言う。
「たたた、大変なのであーる!」
「隊長、急いで戻ってきて欲しいのだ!」
 矢継ぎ早に言われた言葉は断片的で、促したハリーも聞きたがっているレイヴンも内容が分からずじまいだ。結局、レイヴンは1つ咳払いをして短く言った。背後に腕を回した瞬間、すうっと背筋が伸びる。
「報告は簡潔に」
 おちゃらけた声に聞き慣れた人間なら振り返る程の重厚な声色に、反射条件の様に凸凹した2人組は敬礼した。騎士達が即座に冷静さを取り戻した様に見えた一言に、ハリーはシュヴァーンの存在感の大きさに感心した。
 背の低い騎士が弾む息をどうにか整えて報告する。
「突如ヴィア参謀が激怒されたのだ。ルブラン小隊長が我々に、急いで隊長を呼ぶよう命令したのだ」
「一瞬、振り返って参謀を見たのであるが……まるでギガントモンスターのような殺気と闘気だったのであーる!」
 その瞬間を思い出したのだろう。騎士達は揃って身震いするのだった。
 騎士の事情に詳しく無いハリーには内容は分からなかったが、真横に立っていたレイヴンの顔から完全に血の気が引いたのは分かった。ざぁ、っと音でもしたかのように顕著だった。怯えた演技は何度も見てきたが、今のレイヴンは本気で怯えているようにハリーには見えた。元々血色が良いとはお世辞には言えない顔色ではあるが、死人のような土気色になっている。
 瞬間、アデコールとボッコスが壊した扉の向こうで、派手な爆発音が響いた。窓硝子がびりびりと震えて音を立て、悲鳴と混乱が最も奥まった首領の部屋まで届いて来る。天を射る矢の人間が駆け込んで来ないのを見ると、鎮火出来る程度なのだろうとハリーは浮きそうな腰を椅子に押し付けた。
 騒ぎを踏みつけるように、やけにゆっくりと等間隔の足音がこちらに向かってきた。騎士達が部屋の隅に下がり、ギルドの連中が何事かと顔を見合わせながら後ずさり、レイヴンは生唾を飲み込む音が聞こえた。とてつもない緊張状態の中で、訳も分からぬハリーだけが取り残された様に椅子に座っている。
 足音が聞こえなくなると、ハリーの目の前には何とも体格の良い女性が立っていた。年齢的には祖父ドン・ホワイトホースに近いと思った。短い赤茶色の毛髪には白髪が混ざっているが、ぎらぎらとした瞳に老いは微塵も感じられない。オレンジ色の長衣はシュヴァーン隊のものだろう。立ち姿も騎士独特の雰囲気がある。
 ハリーはこの女性が先程話題に上がっていた『参謀』なのだろうと結論付けた。
「アンタがギルドの首領ね」
 彼女は溜息でも吐く様に言った。ゾッとする程の闘気で、殺気が混ざっていたら確実に獲物を掴んで切り掛かってしまいそうである。そのまま歩み寄り、彼女はまるで机を押す様にゆっくりと手をついた。ハリーの細い前髪が相手の呼吸に揺れた。
「シュヴァーン隊は、貴方達ギルドに宣戦布告するわ。その生意気な横っ面引っ叩いて、トリム港までぶっ飛ばす。覚悟なさい」
 そしてハリーの横に視線を移す。口元は笑っているが、目は絶対に笑っていない。
「良いわね? シュヴァーン」
 レイヴンは気圧された様にこくりと頷いた。
 何時もならレイヴンじゃ無いとかシュヴァーンなんて知らないなんて恍ける所だが、そんな余裕すら潰す圧力である。というよりもレイヴンの正体は、帝国騎士団隊長主席シュヴァーン・オルトレインである。今確認を取るという事は、宣戦布告を思いついたのは目の前の女性という事になる。
 やや強引に承認を勝ち取ると、参謀は去って行った。おっかなびっくり詰め所への帰路についた騎士達が、『小隊長!』と悲鳴を上げる声が聞こえてきた。
「気持ちいいくらい素敵な宣戦布告だな」
 ハリーの言葉に、レイヴンは片手で顔を覆い絞り出す様に呟いた。
「ほんとにごめん…」

 □ ■ □ ■

「シュヴァーン隊長お疲れさまです」
 詰め所に戻って出迎えたのは、ザーフィアスにいる筈の騎士団団長フレン・シーフォだった。僅かに目を見開いて驚きはするも、眩しい金髪に蒼い瞳と同色の青と銀を中心に整えた装いは本物以外疑い様が無い。その後ろには小隊時代からの彼の腹心の部下達が居る。フレンは微笑みながら『ジュディスに面白い事があるから、とバウルで迎えにきてくれたんです』と説明してくれた。
「団長に迷惑を掛けてしまったな」
 シュヴァーンは複雑な表情でフレンに謝罪した。発端がユーリ・ローウェルであったとしても、自制を失った部下の暴走を止められなかった結果であると思えば上司としてこれ程恥ずかしい事は無い。恩師が恐れる未亡人を、シュヴァーンもすっかり恐れる様になってしまっているのだった。余談だが、ドレイク将軍も『夫婦喧嘩で犬が死ぬ』と言わしめる程である。
 シュヴァーンの謝罪にフレンは両手を振って否定する。
「とんでもありません。ギルドと真剣勝負が出来るなんて、滅多に無い事です。僕の方が感謝しなくてはなりません」
 真面目な解答であるが、フレンはユーリの幼馴染みで親友である事を決して忘れてはいけない。暴力は好まなくても戦うという行為に対しては積極的な若者である。シュヴァーンは血が騒ぐのだろうと、何時もより気分の弾んでいるフレンを見て思う。
 フレンの言葉を聞き、シュヴァーンの表情も若干柔らかになる。
「こんな結果になったが、良い勉強になるだろう」
 かつてダングレストで騎士が戦った記録は、数十年前に遡るダングレスト攻略戦以来である。ギルドとの戦闘はその後の人魔戦争以降、限りなく避けられてきた経緯がある。それは前団長アレクセイが貴族主義によるギルド侵攻から、貴族主義を打破する方向に舵を切ったからでもある。星喰みの一件を経て協力体制を強めた為に、今後は戦う機会等一切無いだろうとされてきた。
 そうでなくとも、これだけ大規模な市街戦である。実戦に限りなく近い経験は、団長を務めるフレンには大きな財産になるだろう。フレンもまた、それを自覚して頭を下げた。
「宜しくお願いします。シュヴァーン隊長」
「こちらこそ」
 シュヴァーンが軽く会釈すると、どうぞ奥へとフレンを促す。
 奥にはシュヴァーン隊の詰め所とそう変わらない部屋があり、巨大なテーブルには既にダングレストの詳細な地図が載っていた。テーブルを囲むように今回の棒取りに参加する全ての小隊長が会しており、2人が室内に入ると一斉に敬礼した。諜報部の測量した地図の質は、測量専門ギルド天地の窖に匹敵する物である。数枚の地図が重ねられ、ダングレスト攻略戦で用いた際の地図のレプリカ、地下水道の地図が同じ尺で示されている。ダングレスト全域に広がる広大な地下水道の地図を捲って見せながら、シュヴァーンはフレンに穏やかな口調で言った。
「天を射る矢の首領と相談して、今回の棒取りでは地下水道を閉鎖する事を決めている。光源魔導器も失われ、魔物も依然巣食ったままだからな」
 入り込めば救出も難しく、間に合わず死ぬ事もあるだろう。かつて行われたダングレスト攻略戦で優勢だった騎士団は、ギルド側が行った地下水道からの攻略まで感知できず敗退した過去を持つ。あらゆる可能性を鑑みる為に、不必要かもしれないが用意したのだろう。フレンは小さく頷いて、シュヴァーンが言わんとしている言葉を拾った。
 そのまま地図は戻され、一番上は現在のダングレストの地図が一面に広がっている。シュヴァーンは集まった小隊長達を見回し、厳かに言った。
「始めよう」
 小隊長達は部屋の四方に散り手に様々な物を持って再度集まった。インク瓶、包装紙に包まれた可愛らしいキャンディーや角砂糖、武具の調整に使う工具。それらをテーブルの隅に乗せると、それぞれの隊を示すバッジを外した。戸惑うフレン隊の小隊長達には、代わりの小物を行き渡らせる。
 小隊長達は各々に話を始めながら、自分の部隊をバッジで示しながら配置を相談し始めた。その様子を不思議そうにフレンは見ながら、横に並ぶシュヴァーンを見た。シュヴァーンもまた反応を楽しむ様に、フレンを見遣る。
「俺は大規模な作戦の際には、一番最初の原案を部下に模索させるんだ」
 口元は厳しく引き締められているが、目元を酷く優しく細めながらシュヴァーンはテーブルで話し合う小隊長達を見ている。
「小隊長達は俺の及ばない様々な事を熟知している。新しく入団した騎士の成長、ここ数日間の不調、報告書に載る程ではない個人の感覚。それらを汲まずして作戦を立案する事は、積もり積もって不確定要素になりかねない」
「部下を信頼してらっしゃるんですね」
 シュヴァーンが困った様に眉尻を下げた。
 そして信頼されてらっしゃるんですね。フレンは感心に溜息のように呟いた。
 言葉で言う事は容易いが、実行は難しい事である。現在でも騎士は上司の命令に従うという戒めに囚われている。命令に対する違反に科せられる罰則は常に厳しく、その為に多くの騎士達は自ら考え行動する事を忘れてすらいる。
 シュヴァーン隊の小隊長達はフレンから見ても素晴らしい騎士ばかりだ。それぞれが信念から行動し、それらが成される様にシュヴァーンの守護がある。羨ましい、フレンは思う。
 その間に形になったのだろう、ルブラン小隊長が振り返って敬礼した。
「隊長」
 シュヴァーンが頷くと、ゆったりとした歩調でテーブルの前に立った。フレンも隣に並ぶと、地図の上は先程とは打って変わって賑わいを見せていた。
 シュヴァーン隊の小隊の象徴となるバッジは、オレンジの基盤に金の装飾で描かれている。まるで金貨を並べた様に手前に配置され、中心部にフレン隊に回されただろう青を基調とした小物が並んでいる。ギルド側は数が多くある為か、キャンディーや角砂糖で表現されている。大通り等の進軍が考えられる場所に前衛を、壁のように後衛が隙間無く配置されている。防御面では申し分ないとフレンにも分かる。しかし、攻撃に転じるならばやや戦力を分散させ過ぎだという印象も受ける。
 シュヴァーンが手を上げて注目を示すと、フレンを含む小隊長達は固唾を呑んで言葉を待つ。
「ギルドはそれぞれが戦闘に特化した集団だ。複数のギルド間での連携に関しては、騎士団に劣る事も向こうは理解している。ゆえに彼等は各個の技量を最大限に生かし、一点突破を目論むだろう。面での防御に際し、点からの攻撃では穿たれ突破されてしまう可能性を否定出来ない。諸君等が攻撃の不十分さを認識しながら、防御に徹しなければならなかった心境は十二分に理解出来る。配置はこれでほぼ問題ない」
 シュヴァーンの言葉に騎士達に動揺が走る。フレンが口を開こうとするのを、シュヴァーンは再び手を挙げて静止した。
 タイミングを計った様に複数のシュヴァーン隊の騎士が、部屋の奥にカーテンのように下がっていた布を取り払った。出てきたのは横も縦もフレンの身長の倍はある巨大な弩だ。構造的には変形弓を簡略化させたもので、分解と組み立てが可能なのだろう。そうでなければこのような空間に運び込める訳が無い。
 シュヴァーンは巨大な弩の前に立つと微笑んだ。フレンですら言葉にならない感覚の走る笑みだ。ただ、勝利が見出せない中で、勝利を約束されたような安堵を感じさせる。
「敵は打ち倒す必要は無い。そうだろう?」
 そう言いながら、シュヴァーンは自らの隊の象徴。オレンジと金で描かれた渡り鳥のバッジを取り出すと、それを地図上に置いた。そこは…

 □ 地図の西側 □  □ 地図の中央 □  □ 地図の東側 □



「隊長、後は我々だけで任務は遂行出来ます!」
 ルブランの非常に良く響く声を聞きながら、シュヴァーンは静かに頷いた。
 流石と言わざる得ない程に、ルブラン小隊は危なげなく目的地へ到着したのだった。ギルドユニオン本部よりそう遠く無い開いた場所に荷車を止めると、ルブランは複数の部下を引き連れて周囲の偵察に向かう。残った技術者達は部品の組み立てを始めた。
 完全に手持ち無沙汰なシュヴァーンは、ぼんやりとその場に立ち尽くした。警戒しようにも周囲は戦場から離れて静寂に満たされている。ユニオン本部を攻めるにも、弩が組み上がっていなければ意味がない。
「隊長さん」
 声は真横の建物の影から聞こえた。振り向くと手を伸ばせば届く程の距離、影の中に溶け込んでいる男がシュヴァーンを見ている。紫色の羽織も、ボサボサの髪型も騎士達の目に届かない程度に目立たないようだ。このレイヴンの格好をした者は誰か。シュヴァーンは誰よりも良く知っていた。
 シュヴァーンは呆れた様子でレイヴンに話しかけた。
「何をしているんだ? ユニオンから協力要請は来ていなかったじゃないか」
「そりゃ、隊長はお忙しかったですからねー。おっさんはいつの間にかハリーに呼び出されて、審判紛いの事やるよう押し付けられちゃったわよ」
 頬を膨らませぶうぶう唸るレイヴンに、シュヴァーンはそれは悪かったと短く詫びた。レイヴンは詫びを受け取りながら、別に意に介していない様に後頭部で手を組んだ。
「審判なんて形だけよ。本音は帝国の評議会に出しゃばられちゃイヤンってトコロよ」
 現在ダングレストに滞在する評議員はダミュロン一人だろう。あまり評議員が表に出てこられても困るという本音もあって、今回のレイヴンとしての仕事はダミュロンには願ったり叶ったりの結果となった筈だ。既にあちこち見てきたのだろう、面倒そうな口調だが表情は明るい。
 レイヴンは上機嫌な様子でシュヴァーンの肩を叩いた。
「皆、楽しそうよん」
 シュヴァーンは眩しそうに赤い空を見上げた。
「誰もこうなるなんて、分からなかったろうなぁ」
「そうねぇ」
 町中から戦いの音が聞こえる。シュヴァーンが聞いたどんな戦場の音とは程遠い、祭のような音を響かせていた。

  □ そして棒引きは決する □



 どれほどの数を突破されても、後方には防衛に十分な数を充てている。加えて要の詰め所を固めているのはヴィアである。
 シュヴァーンはこの場に留まり、目の前のギルドを先に進ませない事を選んだ。大半のギルドが乱闘を楽しんでいるので、シュヴァーンも屋根の上でのんびりと事が動くのを待つ事にした。任務ではない事もあるが、あまり人間相手に剣を向ける事をシュヴァーンは快く思っていなかった。多くの戦友が死んでしまった過去を思えば、自分はもう一人の人間が殺し得る数以上の人間を殺めていると思っていたからだ。
 だらりと剣を下げ楽な姿勢で立っていたシュヴァーンは、視界の隅に鋭く光る物を見つけた。瞬く間に迫るそれが弧を描き迫る様は、一瞬にして視界の外に消える。気のせいと錯覚するには十分過ぎる一瞬を見逃さなかったシュヴァーンは、大きく横に跳躍する。隣の屋根に飛び移って振り返る事が出来たら、彼は先程立っていた場所を通過する刃を見る事が出来ただろう。
 だが着地した瞬間、真下から緑色の風が撒き上がった。
 思わず仰け反ったシュヴァーンの鼻先を、痛みを伴う風が吹き上がり過ぎて行く。見上げれば赤い空に切り取られ、黒々と翼を広げた大鳥のような衣が翻る。光を反射した双眸の下に、にっと三日月よりも細い亀裂が走る。
「なかなかやるじゃねーか!」
 シュヴァーンは驚きの声をどうにか飲み込んだ。ティソンの攻撃を紙一重で避けた時には、先程の攻撃なナンのものだと確信する。その2人が揃っているならば、彼等『魔狩りの剣』の首領も傍にいる。
 重い足音を響かせ背後にゆっくりと歩みよる。その音を立てる主に、シュヴァーンはゆっくりと振り返った。
「久方ぶりだな。その姿では…」
 クリントの言葉にシュヴァーンも瞳を幾分か和らげる。そうでなくともこの戦闘はただのお遊び。魔狩りの剣のメンバーは結界の外で魔物と相対する時に比べれば、雲泥の差程に穏やかである。
 一般的な概念の剣を一回りも二回りも大きくした刀身を構えると、クリントの太い腕の筋肉が引き締まる。シュヴァーンも直ぐさま動ける様に足を開き、ゆったりと剣を構えた。シュヴァーンを囲む様にティソンとナンが距離を置いて身構えている。
「たまには遊びに興じるのも悪く無い」
「遊びだからこそ、普段見えぬ者と出会えるものだ。首領殿」
 互いににやりと口角をあげた。その瞬間が戦いの合図だった。
 クリントの強風すらも両断する一撃を避けると、シュヴァーンを抉ろうとするような強烈な刃が飛んで来る。それすらも避けるとティソンがいつの間にか目の前に迫り、シュヴァーンは剣を振るって間合いを抉じ開ける。簡単に避ける事が出来るのも、彼等がまだまだ本気でない事を示している。
 屋根の傾斜を利用して普段の倍以上の速度で迫るティソンに応戦する隙を狙い、ナンが刃を遠投する。円を描き円月輪のように目標に飛び、投げ方次第では真っ直ぐにも円を描く様に飛ぶ。小柄な少女が全身を使って投げる刃は、遠心力が加算され速度も破壊力も増す事だろう。タイミングを量って一歩下がったティソンの隙を狙い、シュヴァーンは術を放つ。
 迫るナンの刃を絡めとる様に放たれた風は、刃の軌道を逸らす。シュヴァーンは更に逸らされた軌道の方向まで計算していたのだろう。刃は風に乗り速度と威力を落とす頃なくティソンに迫る!
「なっ!?」
 ティソンも刃を自分に向けられるとは想定していなかったのだろう。ナンの刃を躱そうと無理に身体を捻った為に、屋根の上から転落する。慌てたナンが落下したティソンを追って駆け降りる。しかしシュヴァーンはそんな彼等の様子を見る暇はなかった。
「…逃げられんぞ」
 低く響いたクリントの声に、シュヴァーンは冷や汗が吹き出るのを感じた。
 ティソンとナンの攻防はほんの一瞬だっただろうが、その一瞬はクリントには十分過ぎる一瞬だった。その間に彼は敵を逃がす事のない位置に立ち、敵を幾度も一瞬で仕留めてきた一撃を放つ為に身構える事が出来たのだから。
 魔狩りの剣の首領の放つ、極・フェイタルストライク。ギガントモンスターでさえ沈める一撃だ。
 シュヴァーンは闘気とともに身体に鈍く響く衝撃が貫いていくのを感じる。迫る刃は確実にシュヴァーンの身体を戦闘不能に追い込む事が出来るだろう、軌道を描いて迫った。最早避ける余裕も武器を滑り込ます間も存在しない。
 クリントは確信した。しかしその目に映ったのは、微笑むシュヴァーンだ。
 シュヴァーンの身体を光が包む。いや、胸元からエネルギーがクリントの刃の勢いを相殺する勢いで迸る。エネルギーは渾身の力を込めた刃を押し止め、クリントの身体を浮かび上がらせる。
 息を詰まらせクリントは間合いを取る。今までこの技を仕掛けて完全に防がれた事は、一度も有り得なかった。
 がつりと鈍い音を立てて、シュヴァーンが片膝を付いた。
 大きく肩で息をする双方は、互いを称える様に笑った。

 □ そして棒引きは決する □



「ギルドの連中を好きなだけぶっ飛ばしたし、すっきりしたわ」
 その満面な笑顔を見てシュヴァーンは、それはよかったと返した。
 結局の所ヴィアは多くのギルドの人間をフライパンで吹っ飛ばし、詰め所の奥に全く踏み込ませなかったのだった。彼女は飛距離を量る騎士を一人付けていたようだったが、やはり最高記録である主人の距離を越える者は居なかったわと微笑んだ。シュヴァーンが内心恩師に同情を捧げているのを他所に、ヴィアは言った。
「それっよりもあの坊や、全く全然反省しちゃいないわ。シュヴァーン、これからは詰め所内の警備を増強しましょう。撮み食いが坊やだけに留まらないわよ」
 ユーリの撮み食いの一件を話した時、羨ましそうな顔になったハリーを思い出す。シュヴァーンは詰め所奥の茶菓子の防衛に対し、効果的な打開策がある事を知っては居たがそれは最終手段として選びたい内容であった。そうでなくとも、普段提供している限定食でさえ数が足りないと、ギルドユニオン経由で非難が来ているのだ。これ以上の譲歩は運営に影響する為に、本当に最終手段だ。
 しかし何を選択してもユーリは撮み食いを止めないだろう。
 その内ギルド内でも肝試し感覚で忍び込んで、撮み食いする輩は現れるに違いない。
 実際、騎士団でもシュヴァーン隊の詰め所に忍び込んで、撮み食いしては怒られる者は後を絶たない現状なのだ。
 シュヴァーンは重い溜息を一つ吐いた。
「なぁ、ヴィア」
 シュヴァーンの声にヴィアは何気なく顔を上げた。
 暮れ始めて藍色を強めるダングレストに点々と灯る街灯の明かりが、彼女の茶色い髪に混ざる白髪を流れ星の様に輝かせた。明るい日差しの中なら気にならない皺も、街灯によってはっきりさせられた陰影でより多く見える。シュヴァーンは恩師の妻が高齢である事を改めて実感する。彼女等の子供も生きていれば自分とそう変わりない年齢であったと記憶していた。
 神妙な顔で腕を組むと、普段と変わらない落ち着いた口調でシュヴァーンは続けた。
「俺は騎士を辞めて洋菓子店でも開いた方が良いだろうか?」
「何言ってんの、シュヴァーン」
 思ってもみなかったと言いたげに、顔全体に驚きを表してヴィアは言った。声は穏やかな彼女からは想像もできない甲高さと鋭さを伴っていた。
 追随しそうな言葉を飲み込み、ヴィアは一拍の間を置いた。ヴィア夫人とシュヴァーンの付き合いは、親友にも似た空気を漂わす程に長かったからだ。入団して間も無い若者の若き悩みと夫の嫌味の利いた褒め言葉を聞き、仲間の死と最愛の存在の死を無言で分かち合い、隊を運営し、今に至る仲だった。シュヴァーンの言葉に含まれた戸惑いを、ヴィアは察していた。
 ヴィアは喝を入れる様に力を込めてシュヴァーンの背を叩いた。叩かれたシュヴァーンは軽く噎せた。
「貴方は私の主人に次いで素晴らしい騎士なんだから、胸張りなさい。誰もが独りじゃ出来ない事を、皆で力を合わせれば出来る。私達はそれを理解してるし実戦してきて、多くの成功と今を手に入れたわ。大変な事なんて皆で取り組めば楽しいゲームみたいなものよ」
 快活に笑うと、ヴィアは楽しそうに続けた。
「それにケーキが美味しいのが悪いって言ってたわよね。今度、砂糖と塩の分量逆にしたシュークリームを置いてやろうじゃない」
「食べ物を粗末にするな」
 しょうがないなぁ、そう呟いてシュヴァーンは笑った。


 THE END


 ■ 天を廻る輝星 ■


 
 ギルドユニオンと詰め所の最短距離にはならないが、最も大きい通りが西側に走っている。大通りは両面に露天が犇めいても馬車が通り抜けられる程の幅を有しており、緩やかなカーブを描いている以外はほぼ直線の道である。大変見通しの良い道は、見た事も無い状況になっていた。
 シュヴァーン隊の想定していたように、この通りには最も多い数のギルドが集中していた。その規模は配置された騎士の倍近く。ギルドの火力は騎士団の防衛力を瞬間的であれ上回る事を考慮に入れれば、真正面に立ち向かえば突破されてしまうのは明らかである。ギルドでその事を理解して、このルートを選ぶ所も少なく無いだろう。
 しかし相手は騎士でもシュヴァーン隊である。シュヴァーン隊は任務遂行出来るなら、ちょっと騎士らしく無い事も平然としてしまう部隊だった。貴族意識から来る見栄が無い平民出身の騎士で構成された部隊は、鮮やかにギルドの常識をひっくり返した。
「見事に決まったな」
 シュヴァーンは大通りが見下ろせる屋根の上で、結果を満足そうに見下ろしていた。
 今や大乱闘が眼下で繰り広げられている。紅の絆傭兵団の火薬が派手な音を立てて爆発し、霧のように火薬臭い煙が立ち上っている。煙を七色に乱反射する魔術の光が輝けば、煙を切り開く刃の軌跡があちこちで見え隠れする。
 だが、よくよく耳を澄ましてみれば煙の中から聞こえるのは喧嘩文句。
 煙から飛び出して来る喧嘩相手同士は、なんとギルドの者同士だ。彼等は戦う相手が騎士でない事に驚く事なく、喧嘩を続行していた。
 相手になるだろう騎士達はとうに煙の外に脱出しており、ギルドによる同士討ちを呆れ顔で見守っているのだった。
 なぜこうなったのか、理由は簡単だ。シュヴァーンは元々、正々堂々ギルドの大群と真っ正面から戦う気等なかったのだ。諜報部を中心とした騎士をギルドの軍勢に紛れこませ、喧嘩させる様々な要因を振り撒いたに過ぎない。例えば、そこのギルドが貴方のギルドの悪口を言ってましたよ。例えば、こんな茶番に参加するより貴方とライバルギルドどっちが強いか白黒付けたら如何ですか? 諜報部の騎士達は誰が単純で血の気が多いか理解している。闘争が始まれば、あとはドミノを倒すが如く。喧嘩は喧嘩を呼び、仕上げに目くらましの煙幕を投げ込めば、後は放っておけばいい。
 首尾良く事が進んだ。ここの防衛で対処出来る程度には消耗する事だろう。シュヴァーンは細めた碧の瞳で見つめる中、そう結論付ける。
「さて、これからどう動くか…」
 シュヴァーンが呟き視線を巡らすと、乱闘の中でも冷静になる者がちらほらと現れ始めた。騎士の防衛を突破して詰め所を目指す者も見える。


 □ ここに残り防衛を援護する □  □ 詰め所まで退却し防衛強化する □



 ダングレストウォーカーが急遽増刊号を制作する事となった。
 見出しは『ついに解禁!シュヴァーン隊特製スイーツ!』との事。今回の敗北の際に、シュヴァーン隊は数量限定ではあるがスイーツ販売をする事を約束したのだった。帝国でも待望されていたスイーツ販売だが、帝国を差し置きギルドの巣窟ダングレストが先行する事となった。ダングレストウォーカーも丸ごと一冊を特集に組む程に注目している。
 室内に充満する甘い香りに、シュヴァーンは頭を抱えていた。その様子を隣で見ながら、ヴィアはくすくすと笑った。
「仕方がないでしょ、貴方が呑んだんでしょ。この約束」
「軽く承諾してしまった事を、後悔してるよ」
 深いため息を一つ吐いて、逃げ出そうとするマントの裾を参謀は無慈悲に掴んだ。扉の向こうで記者達が待っている。


 THE END


 ■ 天を廻る輝星 ■



 フレンの背後にはシュヴァーン隊のルブラン小隊長を先頭に、2小隊分の人数の騎士が続いていた。今までもフレンは自分が任された小隊以外にも複数の小隊を指揮する事はあったが、シュヴァーン隊程に扱い易いと感じる事は無かった。一言言えば、彼等はその一言から十を汲み取り行動してくれる。彼等がそれそれの役割とするべき事を意識している。意識がとても高い事が窺い知れた。
 流石シュヴァーン隊長の隊だ。フレンは改めてそう思う。
 騎士とは一人の技量が高ければ強いという組織ではない。部下の存在があればこそ、そう事もなく言ったアレクセイの言葉が遠くから蘇る。
 扉が見えて来るとぱっとアデコールとボッコスが、扉の両脇に陣取った。普段はデコボココンビとユーリにからかわれる彼等は、無言で同時にフレンとルブランを見つめる。ルブランが剣を抜き放つと他の騎士達も武器を構える。
「何時でも突入可能です」
 普段は大声ばかり聞き慣れているが、ここでは耳を疑う程の囁き。フレンは聞き取り難いと感じながら、自らも剣を抜き放った。
「突入する!」
「とぉっつにゅぅううっ!」
 ルブランの復唱は思わず耳を塞ぎたくなる程に大きい。その声に驚く様に、扉は開け放たれる。
 フレンは真っ先に部屋に飛び込み、棒の前で待ち構えていた巨星の孫に切り掛かった。ハリーも騎士達の存在に気が付いていたのだろう。驚く事無く既に抜かれていた刀でフレンを迎え撃った。
 互いの顔が近づく中で、ハリーは苦笑してフレンに囁いた。
「やっぱり騎士ってのは多勢に無勢だな」
「すまない。だが、布告した以上負けられないんだ」
 フレンの申し訳無さそうな顔を見て、ハリーは鼻で笑う。
「言い訳なんて要らねぇよ。ただ、爺さんとかレイヴンだったら、何人で押し掛けようがどうにかしちまうだろうに…って思ってよ」
 2人が切り合う中、続いた騎士達が棒を運び出す。フレンに完全に抑えられたハリーは、それを見守るしか無かった。


  □ そして棒引きは決する □



 随分と多くのギルドの突破を許したものだ。シュヴァーンは退却する合間に撃退したギルドの数が多い事に、少々驚いていた。しかし防衛する騎士達に目立った負傷もなく、深追いする事をせずその場の防衛に勤めるとなると仕方がないのだろうと思う。
 詰め所には既にギルドが攻め入っているらしかった。それでも詰め所は本陣を兼ねている為に、必要書類や調理器具の重要品や椅子テーブル等の破壊されてしまう物は予め撤去されている。ワックスが禿げかかっているフローリングは砂のこびり付いた足跡が荒々しく刻まれている。
 しかし、シュヴァーンがギルドの到着を知ったのは、内部での激しい言い争いを耳にしたからだった。
 念のために誰かが外した扉のない入り口から中を窺うと、ユーリ・ローウェルとヴィア夫人が獲物を片手に言い争っている。軽い身のこなしと多彩な剣戟を繰り出すユーリを相手に、ヴィアも至近距離の威力のある一撃と速度のある低級攻撃魔術で決して寄せ付けない。なにせヴィアの魔術は本気を出せばリタのファイアーボールの倍以上の速度で迫るのだ。ユーリも避ける事は諦め、剣で弾いている。
「坊やが食い意地の悪い子ってのが、そもそもの原因なのよ!」
「おばさん、それは心外だな。原因は常に一つ。それはケーキが美味過ぎる事なんだ」
 台詞の内容がなかったら、男でも見惚れる程だったろう笑顔でユーリは応える。外から窺っていたシュヴァーンは、うんざりした様に息を吐いた。
 原因を遡ると。随分昔まで遡る必要がある。
 ダングレストには、ギルドと協力する機会の増えたシュヴァーン隊の仮の詰め所が作られている。仮と言えども複数の小隊が寝泊まり出来る程の規模を備え、管理運営はシュヴァーン隊員の小隊が持ち回りで担っている。フレン隊や評議会議員にも解放されており、ラゴウ元議員の前例もあり議員達も詰め所を利用している。帝国領からの旅行者の相談窓口も行ったりと、幸福の市場が目を光らせ始めた多機能さを持っている。
 元々の建物の一階が飲食店だった関係で、協力したギルドの出入りも認めている。協力に関係する様々な手続きや相談を行う場として当初想定していた場は、現在は全く違った意味合いで注目を集めている。
 協力を重ねる内に、シュヴァーン隊の隊食が有名になってしまったのだ。
 外回りの多い部隊の為に保存食等も独自の物を使用しており、現在は帝国騎士団では遠征用保存食として公認されている。保存食を調理する小隊ごとの味は、王城のコックの穴埋めに招集される腕自慢の提供する食事である。その食事を詰め所で寝泊まりする騎士や議員に提供している。
 ここで困った事に、味が忘れられないというギルド員達が食卓に混ざり始めたのである。噂は噂を呼び、いつの間にかダングレウォーカーで特集が組まれる始末である。
 ちなみに関係者以外に提供されるメニューは以下の通り。早朝限定10食『ぐっとモーニングプレート』、3セット限定『特選保存食詰め合わせ』。昼限定20食『日替わりランチ』。夕方から5食限定の『腹ぺこ諸君のがっつり飯』となっている。
 残念ながら関係者以外には、騎士ですらなかなかお目に掛かれないシュヴァーン隊特製スイーツは提供されない。配膳係曰く、クレームは現在受け付けておりません。本当は詰め所全体に甘ったるい匂いが蔓延するのが嫌な人物が、隊長をしているからである。
 ギルドの出入りも多くなった詰め所であるが、奥の騎士団専用スペースには茶菓子が置かれている。そこに忍び寄る黒い影…。
「あのケーキは、うちの子の誕生日祝いに作った物だったのよ!」
「ちょー美味かった。ごちそうさん」
 大変幸せそうな声色の返答に、シュヴァーンは心底信じられないと額を押さえた。ケーキワンホールなんて食ったら、気持ち悪くて吐きかねない。シュヴァーンは冗談抜きでそう呟いた。
「反省一片もない悪い子は吹っ飛んじまいなっ!」
 恩師ですら靴を履く暇を惜しんで逃げ出すだろう怒号が響くと、ヴィアは片手にチーズケーキワンホールをさっと取り出しユーリの顔面目掛けて投げた。しかし、チーズケーキは想像以上に重かったのか僅かに届かずに居る。そのまま床に落ち無様に潰れる運命のチーズケーキを救ったのは、甘味の為に国を敵に回す事も厭わないユーリ・ローウェルの顔面だった。
 チーズケーキの顔に艶やかな黒髪が生える長身の人間ならざる外見のそれの横っ腹を、ヴィアのフライパンが痛烈な一撃が捉えた。
 長身は宙を舞い、詰め所の外にまで弾き飛ばされたのであった。地面にぐしゃりと嫌な音を立てて墜落したが、チーズケーキは砂一つ付く事はない。シュヴァーンには如何なる芸当であろうと、ユーリの甘味への執念深さに呆れるばかりであった。
「青年、幸せか?」
 シュヴァーンがチーズケーキに埋まっているユーリ・ローウェルの顔辺りに静かに問いかけた。濃厚なチーズケーキの匂いに包まれているユーリは、そろそろと右腕を上げると親指を立てぐっと天に向けた。
「あぁ、このまま死んでも良いってくらいにな」
 ユーリが両手でチーズケーキを抱えると、そのまま貪り出したらしい。その様子をまるで人間ではない様に見つめ、シュヴァーンは『それはよかったな』と他人事のように言った。


 □ そして棒引きは決する □



 シュヴァーンはダングレストの大通りを見下ろせる屋根の上に上ると、ゆっくりと息を吸った。空を見上げ夕焼けの色合い一色に覆い尽くされた視線の外から響くのは、徐々に広がる戦闘の気配と音である。互いの軍勢の行進、徐々に音を増やして行く金属音、伝令の為の鏑矢の音が遠くから聞こえて来る。
 大分長い間、彼は屋根の上の石像のように動く事無く立ち尽くしていた。
 深々と吐き出して視線を降ろすと、無言で弓矢を引き絞る。放たれた矢はそれ自体が意思のある獣のように、こちらに向かうギルドの人間達に噛み付いた。うめき声を上げ踞る仲間の為に足を止めた者にも、獣は容赦なく軍勢となって襲いかかった。最早目の前の勢力の勢いは落ち、迂回路への回避や撤退の動きが見え始めていた。
 たった一人で数十倍の戦力を足止めしたシュヴァーンは、特に感情も見せずに眼下へ視線を落とした。
 視線の先にはフレンが率いる小隊が居た。見えない巨大な何かに翻弄され逃げようとする敵の有様を、フレンを含めた騎士達は言葉を失いながら見ていた。圧倒的なその力を目の前にして、前団長の懐刀と称された存在に畏敬の念を新たに抱く者も少なく無かった。
 フレンが剣に手を掛けていた手の平の力を抜くと、その手は違う意味で力み過ぎて痺れていた。恐らく、自分一人では目の前の軍勢をこうも華麗にあしらうことは出来ないだろう。そして、彼に本気で挑みかかったら一体どうなるのだろうと、腹の奥底から込み上げて来る感情を手の平を握っては広げる事で押し込めた。
 まるで鳥が着地した様に軽やかに、シュヴァーンがフレンの真横に降りてきた。団長の隣に立つ隊長主席。今シュヴァーンの隣に立つのは自分なのだと思うと、フレンは身体の芯から熱くなるのを感じた。
 ほんの少し前に自分が行った事等、意にも介さない程度の事のように言葉を紡ぐ。
「団長、ここはもう大丈夫そうだ」
 少しでも大通りから横に逸れようとする者が居るならば、伏兵のように潜み進攻していた小隊が対処している。再び大通りに戻ってきた者は、向かう先に青い隊を認めて戦意を失ってしまうばかりだ。その様子をシュヴァーンは横目に、フレンは呆然となってしまうのを堪えながら見ている。
 完全に出端を挫かれ勢いを失った相手は、敵ではない。フレンもそのように認識する。
「は、はい。そのようですね」
 フレンの答えにシュヴァーンは、篭手先で互いを指差して言う。
「どちらかが小隊を指揮すれば持ち堪えられるだろう。どうする?」
 どうする。その問いの内容をフレンは考える。
 ギルド側に攻め入る事を指しているのだろう。ここでフレンとシュヴァーンと言う隊長格の人間を配置し続けるには、作戦上では勿体ない事である。彼等が必ず動かなくとも作戦が上手く行けば勝利する事が出来るが、勝因を少しでも多くするのであればどちらかが攻め入る事は有効な手段だ。
「では…」
 フレンの蒼い瞳がシュヴァーンを見た。


 □ 僕が行きますと答える □  □ シュヴァーンに進撃をお願いする □


 
「この勝負に勝ってたら、あの店にスイーツが並んでたってホントかよ」
 ユーリ・ローウェルは全く殺意を隠さずハリー・ホワイトホースの胸ぐらを掴んでいた。しかし怒りも長続きせず、手を離すとその見事な黒髪を掻きむしった。激しい後悔の言葉が悪態と共に響き渡る。
 その様子をドン引きしながら見ていたハリーに、同じく呆れていたカロルが話しかけた。
「結局、騎士団が勝った訳だけど、その場合はどうなるの?」
「あぁ、それが変な希望だったなぁ」
 ハリーはシュヴァーンの言葉を思い返し、なんとも自信なさげに言った。
「ダングレストウォーカーを含む、報道記者の出入り禁止してほしーんだってよ」
 それはシュヴァーンの切なる希望でもあった。ダングレストウォーカーは観光で訪れる旅行者すら購入する雑誌であり、騎士団の、しかもNo.2の立場である隊長主席がこのような事を認めていると言う事実が知れ渡るのは非常に困る事でもあった。それに希望が強まれば強まる程、シュヴァーン隊としても断り難い状況が生まれかねない。現状でも任務を圧迫しないギリギリの譲歩なので、報道制限が公に行える事は非常に有効な手段だった。
 そこまでは汲み取れない未来を担う首領達は、互いに首を傾げた。


 THE END


 ■ 天を廻る輝星 ■



 ギルドユニオンの正面入り口には人影がなく、駆け抜けてきた戦場の騒音に慣れた耳には痛い程の静寂が包んでいる。罠かと息を顰めて周囲を窺っていると、背後から犬の息遣いを感じて剣を抜き放ち振り返る。ラピードかと警戒した視線の先には、明るい茶色の軍用犬とシュヴァーン隊の隊員が居た。
 榛色の髪と瞳、戦場では全く似つかわしく無い温和な笑み。大まかな伝令を広範囲に伝える為の鏑矢を背負っている。シュヴァーン隊の諜報部が用いるオレンジの長衣を纏う男が見事な敬礼をした。
「ご苦労様です、フレン団長」
 返事を待たず見覚えのある騎士は手短に状況を伝えた。
 様々な保険を兼ねて様々な方向からこちらに向かっていた輸送部隊は、半分以上到達し弩の組み立てに必要な部品は揃った事。組み立ては順調で間もなく組み上がる事。組み立ての間の警戒をしている騎士達の報告で、この周辺には殆ど敵が潜伏していないという事。現在は警戒している騎士達を、ユニオン内部の棒奪取に向かわせようとしている事。
 恙無くシュヴァーンの作戦がほぼ成功している見事さに、フレンは感動していた。ギルドに対する防御を緩める事無く、攻撃の手段を工夫する事で棒を奪うときの戦力を一点に集める。弩の部品を輸送する、棒を奪う、輸送部隊は二役を両立し作戦は成功に向かいつつある。
 シュヴァーン隊の騎士の報告は、簡潔を第一としてその他は不問である。口頭報告がを行う時に訛が強かろうと、提出書類の文字が汚くとも読める程度なら指摘される事は無い。時折冗談すら言い出しそうな明るい口調で報告をする騎士は瞬きを1つする。
「ユニオン内部はハリー・ホワイトホース一人です」
 瞬く蒼い瞳に、榛色の男は『伏兵や罠は考えられません』と言った。シュヴァーン隊の諜報の仕事は非常に精度が高い事で知られている。確証がない情報は帝国に上げる事をしない為、敢えて情報を握り渡り合う程の独立性すら持っているとされている。突入はしていなくとも、内部が見えるあらゆる箇所から内部を探ったに違いない。ギルドの情報分析もされ尽くされているだろう。勿論死角も存在し断言は難しいが、彼等が力を出し切って得た結果は断言に等しい自信を伴っているのだろう。
 フレンは表情を引き締め、正門へ足を向けた。


 □ フレン一人で突入する □  □ 輸送部隊と共に突入する □


 
 親友がギルドの道を歩み始めた時、フレンはギルドに対して全くの無知だった。帝都ザーフィアスを中心とした帝国の力の強い範囲しか知らなかったと思うと、下町で燻っているユーリに追いかけて来いと大きな口を叩ける立場ではなかった。ドン・ホワイトホースの力強い制止に動けなかった時、フレンは初めてギルドの力に触れたと思う。
 ハリー・ホワイトホースは若いが、ギルドの精神を受け継いだ男なのだろう。棒の前で一人待ち構える彼に対し多勢無勢で押し掛ける様は、任務遂行を第一とする騎士としては正しいかもしれないが、人としては違うのだろう。
 一瞬、シュヴァーンの背中が脳裏をよぎる。きっとあの人なら、任務遂行が難しくなろうと単独でハリーと相対するだろう。そういう人だ。
「僕が一人で行くよ。彼は僕を待っているんだろう」
「御武運を」
 榛色のシュヴァーン隊の騎士が、敬礼して路地の闇に消えた。上官がいるのに命令を仰ごうとしないその柔軟さに、フレンはシュヴァーン隊の強さを見る。彼等はこのまま、フレンが突入し戻って来るまで弩の防衛をするだろう。もしくは戦闘の邪魔にならないように忍び込み、こっそりと棒を盗んで行くかもしれない。フレンはこれから行われるだろうハリーとの対決に、彼等が関わる事は無いと確信した。
 重厚な扉を開き、ギルドユニオンの内部を進む。人の気配が全くしない静謐な空気は、まるで王城の廊下を思わせる。フレンの甲冑の立てる音が、等間隔の歩調と合わせて空間に響いた。もう一つ扉に手を掛け、1つ呼吸をしたフレンは静かに押し開いた。
 5大ギルドが会議に用いる事もある空間は、その言葉で説明して浮かべる印象よりもやや狭い。その最も奥の壁に、今回の目的となる棒が立てかけられている。長さはフレンよりも高く、太さも小脇に抱えるには一苦労という大きさで互いに揃えられている。側面にはギルドユニオンの紋章が刻印されている。
 その前に仁王立ちで待ち構えていた男は、気さくに声を掛けた。
「よう」
 さらさらした細い金髪に、真一文字の赤い文様が顔に描かれている。若き天を射る矢の首領は、すっかり手に馴染んだ偉大なる先代の刀を手にフレンを待ち構えている。厚手の白い衣は、このダングレストに非情に似つかわしいデザインだ。
 フレンも剣を抜き構える。このダングレストでは見る事の出来ない青空を連想させる鎧と瞳は、これからの騎士団に対して希望を抱かせる程に澄んでいる。
 互いに真剣な表情で見つめ合う。張りつめた空気が引き裂かれたのか、あるいは反動で引きつけられたのか、2人は一瞬にして間合いを詰めた。至近距離の剣戟の重さに、互いに息を詰める。誇りと剣の重さを受け止めた首領はにやりと笑い、歴史と気迫の重さを受け止めた騎士は薄らと唇を笑みの形にする。
 ぎりぎりと拮抗する様に見えて、互いに次の出方を探っている。そんな中、ハリーが掠れた声で言った。
「騎士団には、何時もうちのレイヴンがお世話になってるな」
「こちらこそ、シュヴァーン隊長がギルドでお世話になっております」
 フレンも丁寧に言葉を紡ぐが、その声色と表情は同じ意味合いではない。
 鍔迫り合いの均衡が崩れ、互いの剣の軌跡が三日月を描く様に舞う。幾度も打ち合わす毎に、フレンはハリーの実力が相当のものだと実感するのである。偉大なる祖父の孫と評され、様々な葛藤の中でも磨く努力を怠らなかった太刀筋を感じられる。ホワイトホース一族の血筋のが齎す才能はあるかもしれないが、それを差し引いても感嘆する腕前だ。
 再び互いの顔が近くに寄った。フレンに比べれば薄い金髪が、フレンの息で僅かに動く。
「まぁ、なんだ。お互い組織の頂点。思ってる事はなんとなく分かるぜ」
「僕も君の言いたい事が、なんとなく分かる気がするよ」
 星喰みで改革を迫られ訪れた新しい時代。その時代を引っ張る若者として選ばれたもの同士、彼等にしか分からない事は言葉にできない部分も含めて多い。しかし、ここで第一に頭に浮かんだのは、互いの組織をふらふらと行き来する渡り鳥の事だろう。彼の力は得難い程に有能で、彼の存在は引き止めたい程に大きい。だが籠に入れておく事は出来ない。彼の望むままが良いのだ。2人の先代ですら、そうしたのだから。
 それでも。互いに淡く希望を抱いてしまう。
 互いの組織が無ければ。相手の組織より勝っていれば。自分の傍ら留まらせる方法があるならば。
「良い機会だ。おめぇの横っ腹に一発見舞ってやるぜ」
「僕も遠慮はしないよ」
 今度こそはっきりとした笑みをかわし、2人の剣は先よりも激しく火花を散らし始めた。


 □ そして棒引きは決する □


 
「言い方によっちゃあ、師弟共々ホワイトホース一族に連敗したって事だな」
 ダミュロンの言葉に、シュヴァーンが小さく呻いた。シュヴァーンとダミュロンの恩師はドンに破れ、今回のシュヴァーンの作戦は結局ハリーに阻まれる形で失敗している事になる。あぁ、死んだ時には死ぬ事を後悔する程に叱られるのだろう。かつての恩師の毒舌を思い返し、シュヴァーンは非常に憂鬱だ。
 お世辞にも表情豊かではないシュヴァーンの気持ちが、大分暗くなっているのは傍目からでも良く分かる。そんな背中を評議会議員は慰める様に叩いた。
「ドレイク将軍に笑われない様に祈ってる」
「それは慰めではない」
 恨みがましくダミュロンを見つめるシュヴァーンの様子に、フレンはまるで縮んで消えてしまう程に萎縮していた。
「本当に申し訳ありませんでした!」
 申し訳なさから死んでしまいそうな表情で頭を勢いよく下げるフレンに、シュヴァーンは制止の動作で緩やかに腕を振った。あまりに若者が生真面目過ぎて、シュヴァーンが苦笑してしまう程だ。その表情が物語る通り、フレンに謝罪される必要は無いとシュヴァーンは感じている。
 今回の棒引きは『騎士団とギルドの本気の遊び』だった。小隊長を担いアレクセイ前団長からも信頼を得ていた青年が、状況判断すら出来ないかと言われれば答えは『いいえ』だ。アレクセイは家柄や身分等の理由で小隊長を任せたりはしない。フレンは小隊長を任せるに足る実力と判断力を持っていると認められた存在なのだ。団長に昇格する事に異論が湧かなかったのも、例え帝国に叛旗を翻した人物であっても評価に不正や過大評価が無いからである。アレクセイの改革とその意味は今後も評価されて行くに違いない。
 シュヴァーンはフレンの今回の失敗を、遊び故に熱くなったと評価していた。任務としての認識であれば、フレンならば確実に帝国の勝利になる方法を選択する。まだまだ若いと思いながらも、失敗は大きな糧だ。フレン自身が最も己を責めている以上、シュヴァーンが追いつめるように責める必要はない。
「気にするな」
 フレンが立ち直るにはフレン自身の力が不可欠だ。シュヴァーンはぽんとフレンの甲冑に触れて、それ以上何も言わなかった。
 シュヴァーンは振り返ると、少し離れた所でこちらを見ていたハリーに歩み寄った。石壁に背を預け斜に構えている。近づいてきたシュヴァーンに向き直った視線も、騎士団に勝利した誇らしさや喜びはない。ハリーは勝敗や優劣とかを気にしないが、敗北した騎士団の前だから気遣うタイプではない。
 現在の団長であるフレンを抑えた実力を誇って良いのに。シュヴァーンは不機嫌そうなハリーの髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「なななんだよ!」
 驚きに抗議の声を上げるハリーに、シュヴァーンが少し嬉しそうな声で答えた。
「ハリーの成長が嬉しくって、つい…」
 かぁっと頬を赤くするハリーに、シュヴァーンは微笑みを崩さない。そして視線を外し誰かを探すように首を振る。
「折角だからダミュロンにも撫でてもらおう」
「俺はガキじゃねぇ!」
 先程とは違う意味で、ハリーは真っ赤だ。ダングレストの黄昏と相まって、茹で蛸のような赤さだ。
 ドン・ホワイトホースは孫の成長を喜んでいる事だろう。流石に死んでしまっては褒める事も撫でる事も出来ない主の代行を、シュヴァーンは行ったつもりだった。共にレイヴンを演じたダミュロンにも、資格があるだろう。でも、やっぱりハリーを褒めるのはレイヴンじゃないと駄目か。何時も怒るのに…。
「そうかぁ…」
 呟いた声は、がっくりしたレイヴンそっくりだった。


 THE END


 ■ 天を廻る輝星 ■



 ルブラン小隊は必要最低限の騎士を引き連れ、奥の路地に消えて行った。それらを見送り残された騎士達はシュヴァーンが頷くのを見て、四方八方に散って行った。数人の騎士がフレン隊の騎士に声を掛けて連れて行く中、その場に留まったシュヴァーンの隣にはソディアだけが残された。
 ソディアの蒲公英色の髪は闇で鮮やかさが奪われてしまったが、それでもシュヴァーンよりも輪郭をハッキリ留めていた。色白い肌も瞳も僅かな光の中で闇から浮かび上がる中、対面するシュヴァーンは色黒く髪も黒く鎧だけが闇に浮かんで見えるようだ。ソディアは浮かんで見える碧を見つけて訊ねた。
「我々はこれからどうするんですか?」
「この区画は道が狭い。凛々の明星が如何に優れたギルドでも、連携を取る事は難しい。我々も一カ所に固まらず分散し戦う方が良いだろう」
 答えながらシュヴァーンは路地を成す建物に手を伸ばした。ソディアでさえ両手いっぱいに伸ばせば届いてしまう路地である為に、シュヴァーンは変形弓すら横に展開する事が出来ない程だ。長剣を振るうには狭過ぎる。短刀を用いて戦うべきだろうと、ソディアはそう考えながら目の前の路地を睨みつけていた。
 路地の闇に何かが動いた。現れただろう敵を見ながら、シュヴァーンは前方を指差した。
「ほら、一人だろ?」
「おっさん、出会っていきなりそれかよ」
 ソディアは声で目の前に現れたのがユーリ・ローウェルである事に気が付く。黒髪に黒を基調とした衣類を身に着けている為に、シュヴァーンよりも闇に溶け込んでしまっている。ただ、大きく開けた胸元や腕、顔等の肌の露出は自ら光っているかと思う程に白く浮き立っている。
 シュヴァーンに出会えて嬉しそうに笑うユーリを、シュヴァーンも穏やかに見ている。
「君はどうやら勘違いしているな」
 ソディアはシュヴァーンの声が後ろから聞こえるのに気が付いた。ソディアは前に優しくだが押される。押したのは誰か。ソディアの傍にはシュヴァーンしかいない。
「君の相手をしてくれるのは、彼女だ」
 数歩つんのめる様に進んだソディアは、目の前のユーリに一瞬たじろぐ。ソディアは自分の実力がユーリに敵わない事は知っている。ユーリもソディアの心情を知っていて、にやにやと笑い出方を窺っている様子だった。
 怒りに細い指先を白くして握り込むソディアの目の前で、ユーリが突如飛んできた矢を払った。上段に払って大きく真ん中が開く。
 その隙を見てハッとしたソディアは、急いで切り込むがユーリは寸での所で大きく下がった。ユーリは明らかに焦った様子でソディアの上を見た。
「おっさん、ずりーだろ!」
「女性をエスコートしているだけではないか」
 声はソディアの上から響いてきた。
 ソディアが見上げるとシュヴァーンが細い路地の上に昇り、弓を構えているのだった。ぴんと弾く度に矢が飛礫よりも早く飛び、ユーリは慌てて剣で弾かねばならない。ソディアはシュヴァーンが援護していると知ると、がむしゃらに突っ込んで行った。シュヴァーンの援護は素晴らしく、攻撃して来る刃を阻む様に矢は放たれ、攻撃し易く相手をその場に封じ込める。ユーリ・ローウェルの苦し気な表情を至近距離で見て、ソディアは言葉に言い表せない気持ちの高ぶりを感じた。
 ユーリは小さく舌打ちし、鋭くソディアの剣を跳ね上げた。思わずバランスを崩し倒れそうになるソディアは、背後から優しく抱きとめられる。
「青年、女性に暴力は感心しないな」
 シュヴァーンの声が静かに響くと、次の瞬間『アリーヴェデルチ』と手を振った。


 □ そして棒引きは決する □


 

 シュヴァーンは王城と同じくらい慣れ親しんだ、ギルドユニオン本部の中を進んでいた。目を瞑ってもどの扉が何処に繋がっているのかまで記憶している。騎士として初めて訪れた時は流石に気後れはしたが、今ではギルドの人間も慣れて来てレイヴンの時と変わらぬ出入りをしている。
 レイヴンとして天を射る矢の首領の右腕として出入りしていた時、このような関係になる事は全く考えた事もなかった。シュヴァーンは感慨深くかつてを思い返す。アレクセイは後々はギルドと帝国の関係が改善する事を視野に入れていた。それでも数十年で行える程に簡単には考えていなかったろう。団長である彼が、平民登用を積極的に行う事とは次元が違う。だからこそ『レイヴン』にはギルドの事を理解する1つの切欠として期待していた。勉強好きなアレクセイは『レイヴン』のギルドの話を面白そうに聞いていたものだ。
 ダミュロンと如何にアレクセイを笑わそうか、そんな話をしていたのが随分と昔の事のようだ。
 そんな事を考えている間に、シュヴァーンはハリーが待ち構えているだろう扉の前に到着した。普段と変わらず扉を開ける。聞き慣れた蝶番の軋む音が、何時もより静か過ぎる建物内に響いた。
 振り返ったハリーは少し驚いた様にシュヴァーンの顔を見た。
「随分と普通に入って来るんだな」
「何か可笑しいか?」
 別に。ハリーは小さく首を横に振った。そして携えていたドン・ホワイトホースの愛刀をゆっくりと構えた。
「あんたと戦えるなんて夢にも思わなかった」
 ハリーにとってシュヴァーンと言う存在を意識したのは何時からだろうと、シュヴァーンは内心首を傾げる。星喰みが現れた時、レイヴンを演じていた2人の事を伝えた時に初めて知ったのかもしれない。それでも、時折レイヴンとしてハリーの剣の修錬に付き合って、長剣が使えるのだと感じたかもしれない。そう考えると、随分と長い間だな。
 シュヴァーンは唇の端を僅かに持ち上げながら、すらりと深紅の長剣を抜き放った。その動作を、ハリーは美しいと思う。洗練された一挙一動に、ギルドでは優雅な立ち振る舞い等必要ないと思っていたハリーに脅威を感じさせる。金色の鎧の光具合まで計算されたような美しさだ。
 無造作であるように見えて隙のない構えをして、シュヴァーンは言う。
「シュヴァーン・オルトレイン…参る」
 下手をすれば紅の絆傭兵団に匹敵する重装備であるのに、レイヴンと移動速度が変わらない。瞬く間に接近したシュヴァーンを、ハリーは真っ向から向かい打った。完全に脇を捉え勢いから防ぐ事の出来ない一撃。避けるつもりの無いシュヴァーンを見て、ハリーは次の瞬間一撃が決まる事を確信した。シュヴァーンの重厚感のある紅い刀身が、ハリーの剣を下段に構えて受け止める。
 がくんとハリーの身体に振動が走った。
 シュヴァーンは剣で確かにハリーの剣を受け止め切る事は出来なかった。流される腕を、膝上まで覆う足具で固定し受け止めたのだ。
 今まで微笑みしか見た事が無い唇の角度が、まるで面白い事に嬉々するレイヴンのように持ち上がる。ハリーの目の前で酷く緩慢な動きで、変形弓が剣から弓に変わる。レイヴンの動きで考えるなら、矢を装填して放たれるまでの間にハリーが避ける事は不可能だ。ハリーは冷や汗が吹き出るのを感じた。
 勢いが相殺され、シュヴァーンは躊躇い無く長剣を手放した。矢を番え、弦を引き絞る。
 まるで大鳥の羽ばたきのように軽快に、矢が放たれる。覚悟からか視界は焼き切られたかのように真っ黒に塗りつぶされる。しかし、待てど暮らせど痛みは来ない。目の前にも、橙の隊長服の男が居ない。
「…な?」
 床に落ちたと思われた深紅の長剣すら、彼がそこに居なかったと嘲笑う様に存在しない。周囲を見回しても、シュヴァーンの姿は無かった。
 頭上から、硝子を爪で引っ掻いたような音が響く。間髪無く底抜けに明るく、不釣り合いな声がハリーの後頭部を叩いた。振り返ると、巨大な棒の根元に榛色の髪の騎士が立っている。鎧は着ていないが、先程の隊長と同じ配色の長衣がダングレストの夕焼けに溶けている。
「おじゃましまーす!」
 満面の人懐っこい笑み。その背後にあるのは、縄でいつの間にか固定された棒だ。
 いつの間に。ハリーが目を見開くと、先程の耳障りな音が響いた辺りから夜のように重い声が降ってきた。
「後は任せた」
 見上げると、天井に近い採光窓付近にシュヴァーンが立っている。
 採光で用いられる窓は、厚手の硝子だが開閉出来る。メンテナンスで使う擦れ違う事も不可能な幅の足場は、上の階からでないと行く事は出来ない。何を足掛けに用いたのか。ハリーは少し思い巡らせて、答えが目の前にある事に気が付く。棒だ。シュヴァーンは棒を足場にして駆け上がり、窓の鍵を開けたのだ。
 榛色の男は屈託無い笑顔で彼等の隊長を見上げた。
「もう、よろしいんですか?」
「戦う事が目的じゃない」
 片手を軽く上げて、黒い影はオレンジ色の空に飛び立ってしまった。追随する様に棒がするすると吊り上げられて行く。
 それらを見送って、騎士は何が面白くて仕方が無いのか笑いながら言った。
「折角だからもっと遊んで行けば良いのに。ねぇ?」
 知るかよ。ハリーは口の中で毒づいた。


  □ そして棒引きは決する □


 

 東側は入り組んだ住宅街である。ダングレストは区画整備がなされていない土地ではあるが、この地域は顕著に現れている。家々は人1人通るのがやっとと言う間隔を開けて乱立し、階段は縦横無尽に走り、道は行き止まりが多い。狭い通路の上には洗濯物を干す為の縄が張り巡らされていて、凸凹した石畳と相まって殊更に黄昏れた雰囲気を醸し出している。日中の赤い空が線の様に頭上を走り、足下は深夜のように闇に浸されている。
 シュヴァーンは弩の部品を運ぶ役を担うルブラン小隊と、その護衛を担うソディアを含む数人のフレン隊の騎士と同行していた。今回はフレン隊にも多くを学ばせる為、数人ずつシュヴァーン隊の小隊と同行させているのだった。
 芯の部分になる最も大きい部品を運ぶルブラン小隊は、住宅街の闇を這う様に慎重に進んでいた。
 先鋒を勤めていたアデコールとボッコスが、この先の曲がり角を窺いながら何かを話し合っているらしい。普段騒がし過ぎる2人にしては静かに話しているが、何やら興奮した様子だった。ルブランがシュヴァーンに囁いた。
「どうやらユーリ・ローウェル一味と接触しそうですな」
 目を丸くするソディアの様子を目の端で捉えながら、シュヴァーンは碧の瞳を細めて頷いた。
 反応の大袈裟な2人ならシュヴァーンも大抵の見当が付くが、顔色一つでどのような敵が居るのか、その距離まで理解出来るのは彼以外いないだろう。感情が表情に出難いシュヴァーンの反応すら、ルブランはたちまち見破ってしまうものだ。彼が観察眼にすぐれ、常に部下の事を気に掛けているから出来る技である。
「ルブラン、部品の輸送に専念してくれ」
「了解です。隊長はどうされますか?」
 鎧の音一つ立てず敬礼一つすると、ルブランはそう訊ねた。


 □ 輸送部隊と進む □  □ 凛々の明星を待ち構える □


 

「怪我はないか?」
 シュヴァーンの問いが耳元で囁かれる。ソディアは自分が未だにシュヴァーンに支えられたままである事に気が付いた。顔を真っ赤にしてシュヴァーンから離れようとしたソディアの腕を、シュヴァーンは強く引いて留めた。
「慌てて動くと怪我をするぞ」
 2人が立っているのは、腕を伸ばせば両端に届く程の非常に狭い路地。足下には雑然と箱や石が転がり、石畳はがたついている。
 回りを見ずにいきなり動こうとしたソディアを、シュヴァーンは静かに諌めた。憧れの隊長主席が握っていた腕が緩まるのを感じて、ソディアは今度こそ慎重にシュヴァーンから身体を離した。ソディアは心臓の音がシュヴァーンに聞こえてしまいそうな程で、思わず胸元に手をやった。
「あ、ありがとうございます」
 頭を下げたソディアの動きから怪我は無いと判断したシュヴァーンは、ゆったりとした足取りで広い路地に向かって歩き出した。後を追うソディアの耳にも遠くから戦闘の音は響くが、この付近で戦闘は展開されていないようだった。散って行った騎士達と凛々の明星との戦いは、シュヴァーンとソディアがユーリと戦っている間よりも短かったのだろう。突破出来なければ違う道を選ぶだろう程度に、この地区は道が複雑で沢山あった。
 ダングレストの赤い日差しに目をくらませながら、ソディアは目の前に立つシュヴァーンの背を見た。シュヴァーンの髪は日差しを受けて艶やかに黒く光り、鎧は赤い日差しに溶け込んでいる。そんなシュヴァーンが僅かに振り返り訊ねた。
「ソディア、君はギルドが嫌いか?」
「あまり好きではありません」
 答えてから、ソディアはシュヴァーン隊長はレイヴンとしてギルドに属す事もあると思い出した。後悔するには遅過ぎたが、今更気遣いの嘘を言う事も失礼とそれ以上は言わなかった。シュヴァーンは少し口調を沈ませて『そうか』と言った。
「今度、ダングレストを案内しよう」
「え?」
 驚いた様子のソディアに、シュヴァーンは静かに微笑んでみせた。
 戦いばかり、任務ばかり、回りの人間は死ぬばかり。シュヴァーンはそんな時期の自分と、ソディアの頑なさが似ていると思った。そうでなくとも女性である事を捨てて騎士として頑張っているが、あまりそればかりに傾倒するのも良く無いと思っている。もう少し広くものを見て欲しい。そんなソディアへの期待も込められていた。
「俺の為に是非めかしこんで来てくれ」
 ソディアの顔が赤く見えたのは、ダングレストの空のせいだけではないだろう。


 THE END


 ■ 天を廻る輝星 ■