朗報を告げる合間

 バンエルティア号に並走するように馬を走らせていた小隊が、接触を図る為に照明弾を上げた。先頭を走る馬を駆る騎士が、器用にも戦闘の意志がない事を示す白い布を掲げている。望遠鏡で観察すれば、並走しているのはガルバンゾ国の騎士。数は十数人というところか。
 アドリビトムの代表者として名を連ねるアンジュ・セレーナは、そのほっそりとした手に持った無骨な望遠鏡を目元から外す。形の整った桜色の唇が停船を操舵者のチャットに命じる。
「もしかしたら、船に乗っている誰かに用があるのかもね。話だけでも聞いてみましょう」
 その言葉にはあの人数で船が制圧されないと言う自信と、騎士達の疲労を労る優しさが混同していた。その意味合いを理解して、チャットは小柄な身体には大き過ぎる帽子の羽を揺らせて『了解』と元気よく答えた。
 船が停船する姿勢を見せると、騎士達は船の着陸に邪魔にならない距離をとって並走し始めた。馬達は迫り繰る巨大な船体に混乱する事も無く、騎士達を信頼して整った隊列を維持している。流石、世界屈指の実力を持つと名高いガルバンゾ国の騎士団ですこと…アンジュは微笑む。
 『船が着陸します』そうチャットの声が船全体に伝わって間もなく、船全体が鈍い衝撃に揺れる。それでも何かに咄嗟に掴まるような揺れではないところが、チャットの操舵技術の高さの現れでもあった。
 アンジュが地上と繋がるハッチに向かう間に、擦れ違った数人にガルバンゾ国の関係者を呼んで来て欲しいとお願いする。指名したのは騎士団の小隊長フレン・シーフォ、ガルバンゾ国の次期王位継承者の一人エステリーゼだ。他にも数名乗っていたが、今は依頼で船を離れていたわねとアンジュは依頼の内容を思い返していた。
 護衛の為に数人腕の立つ人を呼ぼうかしら、そう思っても必要はない。好奇心旺盛のアドリビルドのギルド員は、呼びかけなくても野次馬として集まって来る。実際これから来客を迎えるエントランスには、既に数人が雑談しながら集っていた。
 ハッチを開ける操作ボタンの前に陣取っていたリカルドが、アンジュの合図に頷いた。ハッチがゆっくりと音を立てて開く。『誰も来ないのかしら?』とアンジュも野次馬達も、少し疑問を抱く頃合いにゆったりとした足取りで一人の騎士が入って来た。
 ガルバンゾ王国騎士団の鎧は隊毎に違う。その騎士が纏っていたのはオレンジ色の隊服で、腕や足を中心に覆う鎧は黄金色。浅黒い肌に漆黒の黒髪が落ち、碧の瞳の片方を覆っている。騎士は洗練された動作で、アンジュに敬礼した。
「アンジュ・セレーナ殿、お初にお目に掛かります」
 良く通る低音の響きは、聞く者に心地よく届いた。
「私はガルバンゾ王国騎士団、隊長主席を勤めておりますシュヴァーン・オルトレインと申します。部下を同行していますが、別件の任務遂行中故にご容赦頂きたい」
 名乗る前から察していた野次馬達は、名乗った事で更に身を乗り出した。なにせガルバンゾ国のシュヴァーンという騎士は生きる伝説として、他国にまで知れ渡る存在だからだ。ガルバンゾ国では十年前に当時では史上最悪と言われる魔物の凶暴化によって人間と戦争状態に陥った事がある。人魔戦争と呼ばれた多くの戦死者が出た戦いの生還者であり、貴族主義濃厚な騎士団では異例の出世を遂げた平民でもある。騎士としての実力も、人としても非常に出来た人物で多くの民の尊敬と憧れを集めているのである。
 アンジュも驚きに目を丸くしたが、それ以上態度には出さず努めて平静に応じた。
「ご丁寧にありがとう、シュヴァーン殿。アドリビトムにどのような御用事なのかしら?」
「こちらにおられるエステリーゼ様に、一つご報告がありまして参じました。面会は可能でしょうか?」
 シュヴァーンの言葉にアンジュが応じる前に、野次馬の中からエステリーゼが進みでた。このガルバンゾ国の王位継承権を持つ乙女は、世界が平和になってもしばしばアドリビトムに訪れていた。さすが、ガルバンゾ国で屈指の情報網をお持ちの方ですこと…と評価を加える事をアンジュは忘れたりしない。
 動き易い桃色と白の裾がふわりと舞うと、同じく桃色の髪の下で満開の笑みで騎士を迎える。
「お久しぶりです、シュヴァーン」
「エステリーゼ様もお元気そうでなによりです」
 シュヴァーンは慇懃すぎない程度に会釈すると、声を潜めてエステリーゼに囁いた。その言葉の内容は傍に居たアンジュでさえ聞き取る事は出来なかったが、聞いた瞬間にエステリーゼは目を丸くし口元を両手で覆ってしまった。
 実はシュヴァーンがエステリーゼに告げに来た内容は、彼女の侍女が結婚する事になったという事だった。王国領土内外に遠征に出向く事の多いシュヴァーン隊は、任務のついでに同僚の手紙を届けたり祝電を速報として告げたりしているのだった。
 歓声を上げた彼女は興奮した面持ちで、シュヴァーンに訊ねた。
「まぁ! 本当です!? どどどどうしましょう!」
「もし宜しければ伝言を賜ります」
 シュヴァーンの穏やかな口調を、エステリーゼの興奮した声が遮った。エステリーゼは既に橙色の騎士から背を向けて、自室に小走りで向かっていたりする。
「伝言なんていけません! シュヴァーン、少し待ってもらえます? 急いで手紙を書きます!」
 まっててくださいー!そんな言葉がエントランスの中に残る中、取り残されたシュヴァーンは後頭部を軽く掻いた。野次馬の誰かが声を掛けるチャンスと乗り出す前に、入り口にいつの間にか立っていた小柄な騎士が声を掛けた。
「隊長」
 ユーリ・ローウェルがいたら『げっ』と一言は漏らしただろう。シュヴァーン隊所属のルブラン小隊長だ。
「我々は先行して任務に当たります」
 生真面目を絵に描いたような表情のルブランは、シュヴァーンに短く告げる。何時もなら王城内に響き渡る大声の持ち主も、この時ばかりは一般市民と変わらぬ声量に留めている。
「エステリーゼ様は手紙に時間を掛けはしないだろう。この間を休憩に当てるといい」
 労るようなシュヴァーンの言葉に、ルブランは首を小さく横に振った。
「シュヴァーン隊はそんなに柔じゃありません。本来ならこの程度の任務に我々だけで対応しなくてはならぬのに、隊長に御足労頂いてしまって申し訳ないくらいです。隊長こそ休息が必要でしょう」
「俺の事は心配しなくて良い。君達に倒れられては任務に支障が出る」
「我々の方が隊長に倒れられては困りますよ」
 朗らかな声にシュヴァーンは思案するように間を置く。そして一つ頷いた。
「では、頼むぞ。ルブラン」
「はっ! では失礼致します!」
 ルブランは敬礼して足早に去って行く。その姿を見送って、周囲の異常な静けさに気が付いたシュヴァーンはアンジュに訊ねた。
「……何か?」
「いいえ、何でもありませんわ」
 アンジュはこの沈黙の意味が分かっていた。
 皆、ちょっと羨ましいのね…と笑顔の下で呆れていた。
 生きる伝説である男の労りの言葉も頼まれる事も、名誉なことに違いない。シュヴァーンが駆り出されたからには、彼自身の力が必要になる難しい任務なのだろう。しかもそんな任務を任されるという事は、任せる側の全幅の信頼を置かれた事に他ならない。特に彼に憧れている騎士の羨望の眼差しといったら、アンジュも思わず表情に出てしまうほどに分かり易い。
 人垣の後ろでロイドはフレンの脇を突いた。
「あぁやって頼まれたりするのか?」
「ロイド、あまり苛めないでくれ」
 フレンは未熟者だと噛み締め小さく嘆息する。何時かシュヴァーンに認められる騎士になりたいと熱意を秘めながら、ロイドの突いた脇腹を擦った。