沈黙を遮る

 そこが指定席なのかと言う程に、ユーリが訪れた時には二人が座っている。どちらか一人の時もあるが、絶対にレイヴンが座っている事はない。どちらも騎士の装いか、評議会議員の制服で平民が寛ぐ空間にしては浮き上がるように目立っていた。それでも常連であるからか、他の客は気に留める様子はない。
 彼等は入り口から夜気の流れ込む窓際の席で、年季の入った木製のテーブルに腰掛け、椅子に備え付けられたクッションに凭れ掛かり、静かに夜を過ごしていた。店内の演奏が朝霧が満ち始めるように夜から朝へ向かって穏やかに流れている。
「シュヴァーン、ペーパーナイフしか持ってないんだ」
 そんな事をぽつりと呟いて、評議会議員ダミュロン・アトマイスの右手が差し出された。左手には評議会議員が持つのに相応しい銀の彫刻の施された上質なペーパーナイフが握られていたが、弄ぶ指先の先で刃がしなやかな軌跡を描いている。ランプの優しい照明に照らされて橙色の軌跡が叩くのは、亀裂が極僅かしかないピスタチオが転がっている。
 山盛りのバスケットに盛られたピスタチオは、互いに食べ始めたばかりなのか減っている様子はない。殻入れに用意された袋は、ぺたんとテーブルの上に伸びている。
 帝国騎士団隊長主席であるシュヴァーン・オルトレインは物言いた気な顔をしたが、腰から短刀を抜いてテーブルの上に置いた。有り触れた鍔のない短刀だが、柄と鞘に漆塗りと螺鈿細工が巧妙に華美さを隠している。紐の先には輝石があしらわれているそれは、レイヴンが持っている短刀だった。持つ人間が変わると、印象も変わるのかも知れないとユーリ・ローウェルは思った。
 ダミュロンは特に礼らしい事を言わず短刀を取ると、鞘を抜いて切っ先をピスタチオの殻に僅かに開いた亀裂に差し込んだ。次の瞬間にはどんな手品か小さい音を立てて殻が真っ二つになる。ダミュロンは満足げにピスタチオを頬張ると、鞘に納めて短刀をテーブルに置いた。
 シュヴァーンは短刀を受け取ろうとはしなかった。お互いにのんびりと酒を口に含んでは、時に今回の肴のピスタチオに手を伸ばす。やはり殻の亀裂が小さい物が多いと予測していたのか、ダミュロンもシュヴァーンもテーブルに置いた短刀を手に取っては殻を割っていた。
 そんなやり取りを奢ってもらったケーキプレートを味わいながら、ユーリ・ローウェルは遂に思った疑問を口にした。
「おっさん達って喋らねぇな」
「ダミュロン程にはお喋りではないな」
 シュヴァーンが神妙に答えると、ダミュロンはシュヴァーンの空になったグラスに勢い良く水を注いだ。シュヴァーンが眉根を寄せると、ダミュロンが置いた水の入ったポットを掴み、ダミュロンの空のグラスに水を注ぐ。そんな大人げないやり取りを、レモン風味が爽やかなミルフィーユを切り崩しながらユーリは他人事のように見ている。
 ダミュロンは渋い顔をしてシュヴァーンを睨んだ。
「シュヴァーンが喋らなくなったからだろう」
 苦笑いを浮かべるシュヴァーンを、ユーリは不思議そうに見た。ユーリが数少ないレイヴンとシュヴァーンを結び付けられる人物だからこそ、ダミュロンは言葉を付け足した。
「人魔戦争の心の傷が原因で口数が少なくなったとか言うけど、あれは嘘だぞ」
 シュヴァーンはダミュロンの口の中に、ピスタチオを殻ごと放り込んだ。吃驚して飲み込みそうになり、噎せ込むダミュロンを後目にシュヴァーンが訂正した。
「原因としては小さい」
 シュヴァーンは酒のボトルを持ち上げて、ユーリに酒を勧めた。応じたユーリのグラスに半分程、琥珀色の液体が注がれる。
「隊長主席になると色々と言動に気をつけねばならなくてな。小隊長になる前から隊長から執拗に注意されていたが、隊長主席になると注意では済まされない。ヴィアにルブランにアレクセイに…時々ダミュロンやドレイク将軍。迷惑掛けた数など覚えきれない程だ」
 指折り数えて嫌になってしまったのだろう、シュヴァーンは疲れ切った溜息を吐いた。
「逸そ必要最低限だけ喋った方が、迷惑は掛けずに済む」
 平民出身で貴族としてのマナーが染み付いていない隊長主席の無礼な騒動の数々は、一夜では語り尽くせない事だろう。それらがあまり知れ渡っていないのは、前団長アレクセイの手腕が成せる業だったに違いない。
 溜息には謝罪の念が色濃く滲んでいる。それを嗅ぎ取って、ユーリは苦笑した。騎士団に在籍し続けなくて本当によかったと思った。団長のフレンに連日連夜こっぴどく叱られては、堪ったものではない。例えシュヴァーンを筆頭とした協力者が居ても、ユーリはシュヴァーンが行った無礼以上の事をやってのける自信があった。
 現団長フレン・シーフォが同席していたら、ユーリのギルド所属を手放しで喜んでくれた事だろう。
「色んな伝説作ったもんなぁ」
 くすくすと笑って酒を注ぎ足したダミュロンを、シュヴァーンは射抜くように見た。貴族出身のであるのに無礼な逸話は数知れず、型破りな性格が災いして評議会を掻き回しているじゃないかと目が言っている。
 それでも彼等は同じ師を持った者同士。最終的な行動は剣を捧げ法を守る事を誓った国に対する忠誠である。師の言葉を借りるなら伝説と語り継がれるそれらは『些細な事』なのだ。
 ダミュロンは美味そうに酒を啜ると、上機嫌に言った。
「青年はシュヴァーンの事が良く分からんからな。喋って理解を深めたいんだろう」
 その言葉にユーリが見た二人は、同じタイミングで短刀を掴んだ所だった。