想定される甘味料

 シュヴァーン隊の詰め所はダングレストに似ている。そうカロルは思っている。
 砂埃にじゃりじゃりする床、その上を忙しなく底の厚いブーツの足音が響けば、のんびりと歩く軽い足音が舞踏のように入り乱れて行き交っている。人々の顔も様々だが、ギルドとは対照的な騎士団の中では柔らかく穏やかな表情だ。時折、急な用件なのか険しい表情が小走りで駆ける集団の後ろ姿。部屋の片隅で冗談に笑う声、中央で地図を囲んで真剣に話す輪、歩きながら交わす日常会話。戦う者の臭いは世界中何処も同じだ。ザーフィアスというダングレストに最も遠い場所に凝縮された、故郷の空気と雰囲気があった。
 そして、シュヴァーン隊のオレンジ色。それがダングレストの色だからだろう。
「カロルは凄いな」
 そんな声がカロルの頭に降って来た。少し見上げるとシュヴァーンが目の前で手を休める事なく書類を書いている。カロルの視線に気が付くと、シュヴァーンは伏せていたき碧の瞳を少し上げて微笑んだように細めた。
 そうだ。カロルは思い出す。
 ギルドとの協力体制に協力的なシュヴァーン隊ではあるが、組織が違う為にギルドに書類を求める事がある。それはギルドを考慮してシュヴァーン隊とユニオンで担っている分類である。それでも騎士とて人。訪問したら最後『ついでに書いて行け』と書類の提出に捕まってしまう。
 カロルはといえば、少しでも騎士の負担が減るならと書類を積極的に記載してくれる。シュヴァーン隊からすれば珍しい首領である。
 今はシュヴァーンと頭を付き合わせて書類制作だ。内容はギガントモンスターの討伐記録と、その際に見られた特徴等が些細な事でも綴られている。
「そ…そうかなぁ…」
 まだ幼さの残る頬を人差し指で掻き、恥ずかしそうに視線をさまよわす。しかし、福与かな丸みを残す指は武器を握る戦士の手であり、背伸びしたソフトモヒカンはもう少しで相応になるだろう。大きい瞳に映り込む気恥ずかしさも戸惑う口元も、カロルの素直さが表れていた。
「先ず凛々の明星で書類を記載する事が出来のは、君くらいだ」
「僕以外は書こうとしないからね」
 仲間の事を思い浮かべて、カロルは明るく笑った。ユーリは騎士の時代に書かされた膨大な始末書のお陰で書類が大嫌いになったらしくて、宿屋のサインくらいしか書いてくれない。ジュディスは利益になら無いとか意味が無いとかで、艶かしく回避してくれる。ラピードが出来るのは肉球判くらいかな?
 リタはカロルが吃驚する程に速く書き終えてしまうものだ。凛々の明星じゃなくて残念だけど、リタ曰く慣れとぶっきらぼうに言っていた。
 シュヴァーンも同じ人々を思い浮かべていたのだろう、浮かべる微笑みが優しい。
「色々と帝国とギルドでは違いが多過ぎるのでね。その違いの溝を埋めて、平坦にする事は簡単な事ではないのだ」
 それはレイヴンと共に導きだした言葉だろう。それでも不可能では無い事がレイヴンらしい明るい響きを滲ませていた。シュヴァーンの様々な努力を、カロルはその一言と響きで感じられた。
 きっと僕には出来ない事だから、シュヴァーンの方が凄いのにな…そう思いながら。
 勿論、レイヴンとして共に過ごした時間のあるシュヴァーンである。カロルがそう思っている事は、顔に出易い事も相まって簡単に察する事ができた。
「それだけではないぞ」
 そしてシュヴァーンは書面から完全に顔を上げて、背もたれに寄りかかった。丁度背後を通り掛かった男性の騎士が、『何かお茶でも入れましょうか?』と絶妙なタイミングで声を掛ける。『珈琲と目の前の客人にココアを』そう軽く顎を上げて見上げて言う姿を、カロルは凄くカッコいいし様になっていると思おう。
シュヴァーンは再び視線をカロルに戻すと、その瞳の色にレイヴンに寄った光が灯っていた。
「青年の上司をしてる少年を、俺は心から凄いと思ってる」
「ユーリの?」
 カロルが首を傾げると、シュヴァーンはまるで深刻な話題のように頷いてみせた。
「もしも彼が脱退せず騎士団に残っていたら、間違いなくシュヴァーン隊配属になっただろう。そうなると、俺は彼の直属の上官になる」
 そしてシュヴァーンは金色の篭手が嵌っていない、色の黒い手を広げて書類の上に投げ出した。
「彼が問題を起こす度に俺が呼び出される。アレクセイは神経質に剣を弄びながら俺に教育がなってないと怒るだろうし、クロームはにこやかな顔して損害物品請求の書類の束を寄越して来る。ダミュロン経由で評議会議員の文句が連日来て、そのうちドレイク将軍が面白半分で詰め所に足を運ぶようになる。ルブランの怒鳴り声が止む事がないし、ヴィアの堪忍袋はずたずただろう」
 指折り数えて拳になった時点で、シュヴァーンは手の力をくたりと抜いた。シュヴァーンがありありと思い描いた仮想の未来は、カロルも妙に納得してしまう現実味を帯びていた。
 猫背のように背を丸めて項垂れるシュヴァーンに、カロルは引き攣った笑みで労るように言った。
「でも、ユーリは隊長が思ってる以上に仲間想いだと思うよ」
 シュヴァーンは困ったように微笑んで、そうだなと小さく同意した。
「それにさ」
 カロルがシュヴァーンの顔をしっかりと見て、言った。
「ユーリが迷惑かけるって事は、甘えてるって事だから僕ちょっと羨ましいな」
 シュヴァーンの瞳が少しだけ見開かれた。
 ユーリ・ローウェルという男は頼れる兄貴分を絵にしたような存在だ。背が高くてカッコイイ。頼りがいがあって、どんな問題も解決してくれる。不正を嫌い、間違いを正す事を恐れない。お節介で何時でも手を差し出してくれる。
 でも、彼が頼ったり迷惑を掛けるという事は稀だ。彼は頼られるから、どんな面倒が大切な人に降り掛かるか熟知している。不正を憎んでも、それを正す事がどれだけ危険か分かっているから決して他者に頼まない。分かっているからこそ、誰かにやらせる前に自分でやってしまうからお節介になってしまう。
 カロルは分かっているのだ。ユーリに頼られないと言う事は、まだまだ未熟なんだという事を…。
 そう思っている事が顔に出てしょんぼりしているカロルの頭を、シュヴァーンは軽く撫でた。
「青年は少年に甘えてるさ」
 カロルが顔を上げると、絶妙なタイミングで珈琲とココアが到着した。
「ここは、青年の居場所になれなかったからな」
 持って来た騎士に礼を言うシュヴァーンの横顔は、前髪に隠れてカロルからは見えなかった。