寄附される香辛料

 ダングレストに居を据える、シュヴァーン隊の仮詰め所に違和感が全く無い。いつもカロルは思っている。
 シュヴァーン隊の隊員が右往左往する姿も、一方は武器を一方は美味しそうな食事てんこもりのトレイを持つ者が交差する。武器を持つ騎士は来客のギルドの人間とテーブルを囲み、食事を運ぶ騎士はダングレストでは一般的な服装の家族に給仕している。給仕の騎士は鎧は着ては居ないものの、オレンジ色の隊服はダングレストに良く馴染んだ。
 実際の詰め所の手前、元々飲食店だった空間は騎士が歩いていなければ誰も詰め所などとは思わない。ダングレストに看板が出ていない店なんて、砂漠の砂粒並みにある。さらに美味い物を嗅ぎ付けるダングレウォーカーのなんと多い事。彼等は犬の嗅覚と猫の勘と鳥の視点を持っているのだ、仕方が無い。
 今ではダングレストのギルドや人々から、ほぼ全幅の信頼を置かれるシュヴァーン隊。シュヴァーン隊のオレンジ色が、ダングレストの色だからだろう。
「少年、おまたせー」
 楽観的を声色に変換したらそうなるだろう声で、レイヴンはテーブル席に着いた。紫の羽織がひらりと折り畳まれた翼のように椅子に落ち着くと、見計らったように女性騎士が近づいて来る。急かす様子も感じさせず歩み寄る騎士に、レイヴンはひらひらと手を振ってお水頂戴と笑った。
「いやー、ごめんねー。ユニオンの仕事関係なのに、待たせちゃって。凛々の明星は忙しいでしょ、おっさんこれでも超反省してるのよーごめんねー」
「全然待ってないよ。騎士の人達がご飯出してくれたから、お腹いっぱいになっちゃった」
 カロルがぺろりと舌を出すと、唇に残っていたミートソースの味が広がった。真っ赤になりながら口元を拭うと、手の甲に赤い線が走った。
 そんな様子をレイヴンがけらけらと笑った。
「少年は育ち盛りだから、ちゃんといっぱい食べなきゃ駄目よー」
「レイヴンもちゃんと食べてる? 顔色良くないよ」
「食べてるわよー。俺様が食べないとハリーが食べないから、おっさん最近食べ過ぎ。貫禄付いたら美女達に増々モテモテだわー」
 おっさんは身体が1つしかないから困っちゃうなぁー!
 胡散臭さが服着て歩いているようなレイヴンだ。彼の言葉をカロルは上手く右から左と聞き流し、その大きな瞳でレイヴンを覗き込んだ。確かに顔色は良くない気がするが、それなりの付き合いから察せられる不調の気配は感じられなかった。
 カロルが体調を探っている様子を察して、レイヴンがふわりとカロルの髪に触れた。
「いやいや、本当に大丈夫。調子が良いくらいなのは本当だから…ね」
 そうレイヴンが素早く周囲に視線を走らせるのに釣られて、カロルも振り返る。なるほど、隊員達が皆、聞き耳を立てているようだ。冗談でも不調を漏らせば、レイヴンはこのまま詰め所に放り込まれて休めと一喝されてしまうのであろう。シュヴァーン隊の隊長は、ちょっぴり立場が弱いらしい。評議員議員であった場合も、恐らく同じ事をされてしまうに違いない。
 カロルが視線を戻すと、レイヴンは書類を広げ始めていた。
「ねぇ、レイヴン。ハリーは大変なの?」
「ユニオンがちょっと立て込んでてねー。魔導器が無くなった関係で色んな事が180度変わっちゃったから、余波を受けない所なんてないっしょ」
 書類をぱらぱら検分しながら、これは少年、これは俺様と書類を分けて行く。エステリーゼやフレンと近しい凛々の明星は、騎士団に関わる仕事が多く、ユニオンからも書類を求められる事が少なくないのだ。
「レイヴンは凄いよね」
 書類を仕分けながら、レイヴンは生返事を返す。
「きっと、僕はハリーの部下なんて出来ないよ」
 今や世界最大のギルド天を射る矢の首領のハリー・ホワイトホース。その右腕として先代のドン・ホワイトホースの時代から仕えていたレイヴンの存在は大きいだろう。もしカロルがハリーの立場だったら、レイヴンの存在は有り難いしお願いしたい事なんていっぱいだ。レイヴンは明るい口調で言うが、帝国とダングレスト、騎士団とギルドを渡り歩いて大変多忙なのだろう。
 神妙な口調のカロルの言葉に、レイヴンはけらりと笑った。
「そうね。俺様の方が働き者かもね」
 その微妙なニュアンスを、カロルは直ぐさま理解した。
「隊長よりレイヴンの方が忙しいの?」
「だって、隊長さんは部下にお願いいっぱいできるもの。議員さんは両手いっぱいでヒイコラ言ってるかも知れないけどね」
 そうして袖口の広い羽織のくせに、テーブルに広げられるだけ広げた書類に一切影響しない仕草でインク瓶と羽ペンを差し出す。すでに走り出したレイヴンの手元には、ちょっぴり癖のあるサインが書き込まれている。カロルもお世辞にも綺麗とは言えない文字を精一杯丁寧に書き始める。
「フレン君もハリーも頑張り屋さんで何でもやりたがっちゃうけど、上の人には上の人で大事なお仕事があるのよ。少年は分かってるでしょ?」
 船長には大事な仕事があるのじゃ。船長は船に乗る全ての船員の命を預からねばならぬのじゃ。そう快活に笑う少女をカロルは思い出す。
 首領とはギルドの信頼と責任を担うのだ。カロルは生まれた時からギルドの人間で、多くのギルドを渡り歩いたからこの歳でそれが分かっていた。
 カロルは軽く頷いてレイヴンに言った。
「でも、レイヴンみたいな部下が居たら凄く助かっちゃうよ」
 レイヴンは何でも出来る。腕っ節の強い者しかこなせない危険な仕事も、賢い者しか任せられない事務仕事も、度胸がなくちゃできない交渉も、大胆さとちょっと図々しさがあればできる玉虫色で曖昧な依頼だって成果を出してしまうだろう。そして、彼は分かっているのだ。仲間の為の、組織の為の利益の出し方が。彼が一度行動を起こせば、仲間は助かり組織は潤う。それがシュヴァーンとダミュロンと言う2人が演じているレイヴンであるからと言っても、代え難い万能な存在に違いない。
 そしてそれを一番実感しているのは、彼の上司であるハリーでありフレンであろう。
 カロルは凛々の明星の皆を頼もしく思うが、書類を書く人が増えて欲しいなぁとは思っている。
「レイヴンは凄く頑張ってるよ」
「褒めてもなにも出ないわよ」
 レイヴンは困ったように笑う。そしてテーブルに少しだけ身を乗り出して、カロルに囁いた。
「あまりレイヴンは褒められないから、なんか照れてしまうな」
 突然出たシュヴァーンの声に、カロルが驚いた様子でレイヴンを見た。その時には既にレイヴンは背もたれに寄りかかって、後頭部に組んだ両手を当てていた。
「でも、おっさん甘いの苦手だから、今くらいが丁度良いのかもね」
「甘やかすと直ぐ調子こいちゃうもんね」
「少年酷いわ」
 レイヴンが呆れたようにテーブルに肩肘を付いて、不貞腐れた顔を乗せた。それでも演技だってバレバレで、瞳は嬉しそうに細められていた。
 甘いのが嫌いなのは味覚だけに限った話じゃないのかも。カロルはそう思って残りの書類に挑むのだった。