始まりし我らが隊

 男は不満を隠そうともしなかった。
 彼の足音はドスドスと響き渡り、騎士達がびくりと驚いては道を空ける程である。彼はドレイク隊の小隊長として重用されて来た人物であり、信念の為なら団長であるドレイクにさえ意見を申し立てる程に正義感が強かった。正論は家名を越える。男は、貴族達が余り関わり合いになりたいとは思わぬ人物だった。
「ルブラン、顔に出ちゃってるわよ」
 そう笑ったのは、トール隊長の奥方ヴィア夫人である。彼女は豊満な身体を魔法を得意とする親衛隊が着込む長衣に押し込んで、親衛隊の腕章があるべき所に黒い腕章を付けていた。彼女の夫は、先日正式に殉死とされたからだ。
「当たり前です、夫人。私がどれだけ団長に剣を捧げる事を誇りに思った事か…!」
 悲しみの欠片も見せない未亡人の隣で、顔を真っ赤にしているルブランである。その声量はルブランにしては普通に喋っている認識であろうが、一般的には喉も嗄れよという程度に大きく張りがあり響き渡る声だった。夫人の相槌が聞こえなくとも、ルブランの声で何を話しているのか、そのフロアだけでなく上下階にも筒抜けな程である。
「ドレイク団長が直々に頼みに来なければ、顔すら見にも来なかったでしょう!」
 今、騎士団は再編成という大きなうねりに翻弄されていた。
 人魔戦争とういう未曾有の災害に、騎士団は大きな被害を被った。戦地に赴いたほぼ全員が戦死し、後方支援の部隊も巻き添えで半数近くが殉死した。戦地の指揮を行なっていたトール隊はほぼ全滅、団長や隊長主席の隊も半壊に等しかった。この被害に遺族達の悲嘆は天地を揺るがす程に響き渡り、団長であるドレイクは引責辞任する事となった。
 帝国騎士の鑑であるドレイクの退陣。それだけでも大きな出来事であるが、被害の大きさから騎士団全体が再編成される事になった。
 先ず最初に決まった事は、団長ドレイクの後任の騎士。新団長は貴族の名家ディノイア家の次期当主と呼び声高い、アレクセイ・ディノイアだった。貴族達の反発許さぬ名家、剣術だけでなく魔術にも精通し、見目麗しい端整な姿見で、天が二物以上を与えたもう逸材だった。やや気難しいのは親しい人物しか知り得なかったが、満場一致の支持を得た就任といえるだろう。
 隊長主席を担っていた貴族もこの事態の収拾からは逃げ出したいらしく、ドレイク団長の退陣に合わせて騎士団を脱退する事が決まっていた。次期隊長主席になり得たトール隊長は殉死してしまった為に、隊長主席の席は空席となってしまっている。
 その空席を回されたのが、平民出身でありながら初の小隊長に上り詰めたシュヴァーン・オルトレインだった。彼はトール隊の小隊長で、人魔戦争を生き抜いた数少ない生き残りだった。
「平民だからって色眼鏡で見る貴方じゃないから言いたくはないけど、シュヴァーンは夫が見込んだ優秀な子よ」
「噂は予々聞いています! 平民出身の有望な若者、あのトール隊長が贔屓にする逸材に、疑いの目を向けるなんてとんでもない! しかし、今回の一件とそれは別物です!」
「あぁ、もう、ルブラン。貴方は本当に声が大きいわね。あたしの耳がどうにかなってしまいそうよ」
 ヴィア夫人は手の平で耳を押えたが、無情な音量は彼女のぽっちゃりとした手の平すら貫通して脳を揺さぶった。それでも気を振り絞り、ヴィア夫人はかつての夫に当てられた執務室の扉をノックした。どうぞ、と短く返されると慣れた手付きで扉を開ける。
 まだ前の持ち主の気配が残る部屋は、見事なまでに散乱していた。あの人魔戦争の混乱を象徴するかのように、部屋の中心の大きなテーブルには巨大な地図が広げられ夥しい資料が山を築いていた。仮眠もそこで行なわれていたのだろう。部屋の隅のソファーには毛布がぐちゃぐちゃになって置かれており、パン屑が残っている皿が無造作に転がっている。
 その部屋にいた人物もまた、紺色の隊色を配したトール隊の騎士だった。
 頼りない。それがルブランの第一印象だった。
 引き締まった体付きだったが細身で頼りなく、髪は無造作に肩まで落ちていて前髪が片方だけ重く垂れ下がりだらし無いとすら思える。瞳は美しい碧で色黒い肌と黒髪の中で宝石のように輝いたが、力が無く自信が欠けているのが端からでも分かる。病床から起き上がったばかりのような雰囲気だった。
 彼が人魔戦争の生き残り。隊長主席の候補であるシュヴァーンか。ルブランは心の中でそう呟いた。
 後方支援で戦地の近くまで行った事のあるルブランも、戦場の悲惨さは城の中で待機していた騎士達に比べ知っている。あれは絶望を具現化した大地だった。だからこそ、彼がここに立って鎧を着ている事は奇跡に等しいと分かっている。
 ルブランが口を開く前に、シュヴァーンが声を掛けた。洗練された敬礼をし、印象を拭って一気に凛々しくなる。
「初めまして、ルブラン小隊長。トール隊で小隊長を任されておりました、シュヴァーンです」
 先に声を掛けるのは、シュヴァーンがルブランを格上と見ているからである。その態度をヴィア夫人が諌めた。
「シュヴァーン、話は聞いているでしょう? あたしと、このルブランは貴方の部下になるのよ?」
「そうですけど、年齢も経験も俺よりずっと上です。部下のように扱うというのは流石に…」
 流石に上司の奥方とは面識があるのか、シュヴァーンはそう言って言葉を濁した。
 新しい隊長主席は騎士団初の平民出身だ。貴族主義が濃厚な騎士団の世界において、小隊長にまで上り詰めるどころか隊長主席に着任予定のシュヴァーンの存在はかなり風当たりの強いものだった。多くの騎士達が快く思わず、恐らくも何も小さな失態1つでもあれば辞任の口述となって退任させられてしまうだろう。
 その為の、ヴィア夫人とルブランだった。
 ヴィア夫人は今は亡きトール隊長の奥方であり、長年騎士団に属し帝国に貢献して来た人物である。騎士団に現在最も詳しい事情通とも言える。
 ルブランもまたドレイク隊に無くてはならぬ程の、有能な騎士だった。貴族としての体裁よりも現場を優先する姿勢、正義感の強い性格はシュヴァーンの力になるだろうとドレイクたっての推薦でここにいた。
 彼等はシュヴァーンを支える為に、配属を命じられた二人だったのだ。
 ヴィア夫人は恰幅の良い横っ腹に手を当て、呆れたような溜息を零した。
「あのねぇ、貴方だって分かってるでしょう? 今の帝国騎士団がガタガタで、前代未聞ってくらい人が居ないって事くらい。ディノイア君はまだ何も言ってないけど、この人員の損失を貴族だけで賄うなんて出来ないから平民の騎士登用も増々増やさなくちゃならないわ」
 それはルブランも予測している事ではあった。貴族の当主に成り得ない次男以下の者達が、騎士としての武勲を立て落ちこぼれない為に騎士団という組織があった。だが、今回の戦は死に過ぎた。下級貴族から募ったとしても、戦争前の人員に満たない事は明白だった。
 そうなると、足りない人員を平民で補う必要がある。今までは馬の世話や装備の修理などの下働きとして採用していた平民が、その才能を認められて騎士になる。その道は非常に狭く、偶然が重なった結果であった為に平民出身の騎士は圧倒的に少数派だった。平民と貴族の割合が逆転はしなくとも拮抗するのは、騎士団の歴史上始めての事となるだろう。
「貴方は夫が見込んだ男で、人魔戦争の生き残りで、次いでに実力も見た目も悪くないんだから、隊長主席にくらいなっときなさい」
「ヴィア夫人。次いでって、酷くないですか?」
「どうせ、生き残った事の罪悪感とか、戦争のトラウマとか、色々言って隊長主席を断ろうと考えてるでしょうけど無駄よ。戦争には英雄が必要だし、始めての目新しさは人の好奇心と関心を味方につける。最初から貴方の意見は聞いてないわ」
 うわー。そう顔に描いた表情で、シュヴァーンはヴィア夫人を見た。反論しない辺りは、流石トール隊所属なだけはあるとルブランは感心した。
 この場に居る誰もが人魔戦争の本当の理由を知らないように、世間の目には大規模な魔物討伐にしか映っていない。例え凶悪無比な魔物の討伐であったとしても、被害も戦いの場も民からは遠い絵物語。いきなり突きつけられた騎士団の甚大な被害と、多数の死者。ダングレストの敗走より、人々の信頼を失っていた。騎士団の存続さえ危ういのだ。
 騎士団はシュヴァーンを利用するつもりなのだ。戦歴で飾り、英雄に仕立て上げ、人々の関心を騎士団の非難から逸らす。そこに彼の意見は無い。
「言い過ぎです、ヴィア夫人」
 流石に同情を禁じ得ず、ルブランが口を挟んだ。しかし、その言葉に反応したのは、同情されたシュヴァーンからだった。
「大丈夫です、ルブラン小隊長。トール隊長に比べれば、涙が出る程優しいですから」
 そう微笑んだ彼の表情は、理解が良過ぎて逆に痛々しくルブランに映った。
 その姿は、ルブランが目指す騎士像とは真逆だった。騎士とは、真実を貫き、正義を成し、弱きを助け、賞賛を求めないものだった。その全てに逆行しているシュヴァーンに、ルブランは同情と同時に嫌悪を抱いてしまった。
「私は、君に剣を捧げる事は出来そうにない」
 シュヴァーンは頷いた。人形のように感情を面に出さず、ただ、1つの動作のように淡々と了承した。
「まだ、再編成の最中です。ヴィア夫人、ルブラン小隊長を希望の隊に変更出来るよう計らってあげて下さい」
 ヴィア夫人は目を見開いた。言葉を紡ごうとした口を制するように、シュヴァーンが手を翳す。
「彼が居ない程度で隊長主席になり続ける事が出来ないなら、それまでなんです」
 シュヴァーンも。帝国も。騎士団も。
 言葉の意味を理解した瞬間にルブランが感じたのは、拳の先に感じる衝撃だった。視界に映った、顔を押え蹌踉ける紺の隊服。自分を見た1つだけの碧。感情より先に他者を殴るなんて、自分でも予想だにしない事だった。だが、感情が追い付くと、沸騰するような怒りが喉を焼き付くし迸る。
「その口を閉じなさい」
 聞きたくも、関わりたくもない。
 だが、それはルブランの信念に反する事だった。自分が感じる怒りから逃避する事が如何に容易くても、決して逃げてはならないと、正さねばという思いがあった。時には不正であり、嘘であり、陰湿な感情であったそれらに、ルブランは真っ向から立ち向かっていた。
 それは、決して曲がらない。
 ルブランはゆらりとシュヴァーンの前に立った。その視線が射抜くように碧を見据える。
「シュヴァーン隊長、私は貴方に剣は捧げますまい」
 ですが。ルブランは厳かに続けた。
「貴方が騎士達の隊長主席であれるよう、その性根、叩き直させて頂きましょう」
 シュヴァーンの顔が引き攣り、ヴィアが笑い転げ、生真面目極まりない顔でルブランは立っている。
 彼等が同じ橙の隊服を着て、騎士達が憧れる隊長主席が誕生して、隊が世界を駆け巡ろうと、この三人の関係は揺るがない。