先々を覘く

「フレンがお見合いするんだって?」
 藪から棒の質問に、シュヴァーンは思わず顔を上げた。
 オイルが切れ掛かっているランプのような薄ら明かりの中でも、相手の艶やかな黒髪は外を一歩出れば見上げる事の出来る夜空のような美しさ。鼻梁や輪郭、捲った袖から投げ出された腕や無遠慮に肌蹴た胸元は、満月を彷彿とさせる白さと輝きがあった。こちらを見てフルーツサンドを頼む美しい瞳。男でなければ、シュヴァーンだとて満更では無かっただろう。
「青年。自分で作れるだろう」
「おっさんが作ったフルーツサンドが食べたい。カフェオレも入れてくれ」
 全くもって理解できない。フルーツサンドはサンドイッチの中身が、野菜からフルーツに変わっただけの料理だ。誰が作ったとて同じではないか。恨みがましい視線に込めた意味を汲んだのか、ユーリ・ローウェルは女性が見惚れるような微笑を浮かべる。
「誰かが作ってくれた飯は美味いだろう?」
 話題の内容は簡単に済ませられるものではない。隊長主席であり団長に最も近い立場だからこそ、何かしら思う所があるのだろう話して欲しいという意味合いが藪からでた棒の先っぽに葉っぱのように付いている。
 話しても良い。機密など含まない他愛ない内容だ。
 だが問題は、深夜でありながら口寂しい若人が話題の合間も延々と『フルーツサンドが食べたい』と宣ってくれるのだろう少し先の未来だ。どんな丁寧な返答も真摯な考察も、甘味を作れ作れをせがまれ続ける前では霞んでしまうものだ。目の前の若人が女性であったなら、シュヴァーンとて『自分で作れ』などと突き放さないのに…。
 シュヴァーンは深くため息をついた。折れたのだ。
 テーブルの上に広げられた手紙一式を簡単に寄せると、立ち上がる。靴底が床を軋ませる音に、カウンターで酒を傾けながら読書をしていた男が振り返る。顔見知った常連が台所に立つのだろうと理解の色が瞳に浮かべば、文字の海に帰っていく。店主はもう役目を放棄しているのか、安楽椅子に深々と身を沈めて鼾をかいている。鼾の子守唄に、何人もの寝息がコーラスとして加わって止む気配はない。
 勝手知ったる台所の食器棚には、常連のマイカップまで置かれている。可愛らしいワンポイントのボウルカップを見るだけで、どの常連のものか分かる形も柄もそれぞれに個性的なカップが並んでいる。その段から一つ下、誰でも使える無地のカップと平皿を取り出す。パンを取り出し、砂糖を多めに加えた生クリームを冷やし、フルーツをカットし、生クリームを泡だててパンの上に絞りフルーツを乗せ、少し生クリームを追加して挟んで切る。沸かした湯で珈琲を入れ、温めたカップにコーヒーと温めた牛乳を注き、残った生クリームを乗せた。次使う人の為に軽く片付け、使った食材をメモに残し代金を店主の傍に置く。この工程を無心で行う。男の為にフルーツサンドを作っていると、考えたら虚しくなってしまうからだ。
 戻ってきたユーリは、目を輝かせて嬉しそうに『おかえり』と囁いた。美味しそうを顔全体で表現しながら皿の上を眺め、カフェオレの蒸気が筋になって鼻に吸い込まれていくのを見る。宝物を手に取るように慎重にフルーツサンドを手に取り、鑑定でもするかのように見つめていた。ゆっくりと頬張り、周りにクリームがべっとりと付いた口元を歪めて、嬉しげな呻き声を漏らしながら悶絶する。サラサラとした長い黒髪が揺れていて、小刻みに震えているのがわかる。
 少し心配になってきた頃合いになって、ようやくユーリは顔を上げた。
「うまい」
「それは良かった」
 シュヴァーンは何の感情も込めずに短く答えると、書類を広げてペンを握った。ここの書類に騎士団の運営に関わるものは一切ない。全てシュヴァーンの縁談関係の書類と、その縁談を断る為の手紙である。騎士団隊長主席となって何年経っても、この『縁談』に関わる作業量は減る事がない。むしろ、増えているのではないかと思う事すらあった。
「で、本当にお見合いするのか?」
 白い指先が無遠慮に女性の似顔絵を摘み上げたので、黒い指先が取り返す。
「俺は団長が見合いをする話を知らない。俺が関知するべき事ではないからな」
 騎士団団長であるフレンと、隊長主席であるシュヴァーンの間柄は、仕事上の上下関係以外ない。血の繋がった肉親でも、後見人でもない。恋愛婚姻は本人達の問題であって干渉すべきではないというのが、シュヴァーン個人の考えだった。
「だが、近いうちにそうなるだろうとは思った」
 へぇ。ユーリが意地の悪そうな笑みを浮かべる。ユーリを含めた凛々の明星の面々がフレンの見合いの話を知った原因は、仲間であり親交が今も続くエステリーゼである事を確信する。
「先日、団長からヨーデル様から屋敷を賜った事を相談されたのでな。縁談の話も近いのだろうと思ったのだ」
「屋敷と見合いってセットなのかよ?」
 そうだ。シュヴァーンは短く肯定する。
「俺や団長は平民出身なので後ろ盾がない。そんな平民が貴族や目上の者から屋敷を拝領するという事は、与える人物が後ろ盾を担う後見人となる事を宣言し、受け取る人物がそれを受容したという事になる」
 大げさな。呆れ顔の若人に、生クリームの白髭がよく似合う。
「騎士団団長となり、いずれ貴族の名門の創始者となるだろう。ヨーデル様はそんな団長の為に、良き伴侶を選んで紹介しようとしているのだ。出身となる貴族の歴史、平民への意識、性格、容姿、それらが厳選に審査されているのだろう」
「それって、政略結婚じゃねぇの?」
 『そうだ』
 屋敷を拝領して間も無く持ち込まれた縁談。その縁談を断る手順を他人に任せた結果、婚姻寸前まで進んでしまった。シュヴァーンが寸での所で行なった婚姻破棄を、縁談を持ちかけたアレクセイは激しく叱責した。そうして同じような質問を口にしたシュヴァーンに、アレクセイは冷淡な声色で、そう答えた。
 『お前に伴侶をつけ、お前の家柄を貴族の名門とし存続させる事。それは最終的に私の利益になり、私の子孫の利益になる。貴族とはそういう利害関係で存続し続ける存在なのだ』
 気持ちが良い程の断言であっただろう。女性を敬い、恋愛は神聖なものだと思っているシュヴァーンには、それらを道具のように用いる貴族の常識は流石に衝撃であった。反発をして修練に駆り出され、全身打撲になった昔が懐かしい。
 当然アレクセイの回答を聞かせれば、親友思いの青年は激高するに違いない。シュヴァーンは眠気を誘う程に落ち着いた声色で答えを紡ぐ。
「ヨーデル様は団長に意中の相手がいるならば、そちらと婚姻するべきと仰ってくれるだろう。しかし平民の女性が騎士団団長の妻となるのは、困難と一言で片付けるには難のある道が待っている筈だ。俺が拓いた平民が騎士になるという道よりも、険しいかもしれぬ。そういう意味では貴族から伴侶を得た方が、団長も妻となる女性も良いのではないかと考えている可能性は、ヨーデル様の性格を思えば有り得る」
 シュヴァーンの回答にユーリは無言でフルーツサンドを齧った。ユーリの言葉に出なかった様々な思いに対して、回答はまあまあ合格であったのだろう。指先のクリームまで舐める若人に、シュヴァーンは尋ねた。
「団長に好きな人はいるのか?」
「さぁ? いないんじゃね?」
 特に興味もなさげに答えたユーリに、シュヴァーンも『そうか』と相槌を打った。
「だが、団長の奥方になる人物が、貴族であっても大変だろうな」
 ユーリ・ローウェルが首を傾げた。団長の親友で幼馴染の青年は気に入らないと思えば、縁談を破壊しにきてしまうかもしれぬ。団長になっても続く関係を奥方がどう思い捌くか、そもそも結婚できるのか、問題の原因が目の前の黒い甘党の姿になって存在していた。
 それでも、フレンは結婚するだろう。
 己よりも要領の良い団長の笑顔を思い浮かべると、シュヴァーンはそう思うのだった。