期待失望
結界魔導器が発見され、帝国主導で建設が続く新興都市ヘリオード。ギルドが圧倒的な影響力を持つダングレストに最も近い帝国の街は、結界魔導器発見直後からシュヴァーン隊が主体となって関わっていた。団長アレクセイ・ディノイアの懐刀であり、騎士団二番目の地位にある伝説的人物が殆ど帝都に居なかったのは主にヘリオードの建設の為であった。帝国初の平民からの叩き上げの隊長主席は、ユニオンとの調停もあってギルドの巣窟とも大きな揉め事も起こさず順調に任務を遂行している。
その成果は目の前に立派な建造築群として広がっていた。結界魔導器が安定しなかった名残で、魔物の侵入口を限定し狭めるよう設計された分厚い石壁。階層で区切られ人々の居住区は上層に固められて、配置された騎士団も警護しやすい環境に仕上がっている。
「エステリーゼ様の保護、ご苦労だった」
突然舞い込んだ任務を果たし、この都市の執行官紛いなことをしていたシュヴァーン・オルトレインは美しい敬礼をした。腕を後ろ手に組み、敬礼を受け取った上官は素気なく振り返る。
「評議会が本腰を入れて動き出してきた」
その銀色の髪は雨を多量に落とす雲で暗い室内で、冷え切った刃のような輝きを放っていた。赤い瞳は血や炎とは遠く、澱んだように硬い。シュヴァーンは珍しく足を運んだ上官の姿に、これから大きな騒動に巻き込まれる未来を見て覚悟を改めた。
評議会と騎士団は各々に、皇帝の空の玉座に座る皇帝候補を担ぎ出している。皇帝の座に就いた暁には、支持した勢力が優遇される程度には傀儡にできる若き候補達だ。高貴な身分とあって帝都の外に出る機会にはそう恵まれない彼らは、現在揃って帝都外に出ている。
特に騎士団が後ろ盾となっているヨーデル・アルギロス・ヒュラッセインが、危うく海に引き摺り込まれる寸前だったのには流石のアレクセイも肝を冷やした。命を助けたユーリ・ローウェルはそこそこに罪状を重ねていたが、それを帳消しにする人命を救助したことになるだろう。
評議会がこれほど大胆に動くとなっては、騎士団も黙っている訳にはいかない。
「君にも辣腕を振るってもらう」
部屋に二人だけだったので、シュヴァーンは敬礼を解いて手ずから茶を用意する。
甘いチョコレートを刻んでたっぷりのホットミルクで溶かし、マシュマロまで浮かせる予定のホットチョコレート。滑らかな口当たりになるまで掻き混ぜている間に、募る虚しさを紛らわせるように言う。
「俺はきちんと仕事をしていましたよ。アレクセイ」
差し出したカップを受け取ると、上官は不機嫌を隠さずに言う。
「当たり前だ。怠けていたと報告があったら、即刻帝都に戻していただろう」
勿論、帝国騎士団隊長主席であるシュヴァーンは、誰もが認める働き者だった。
ギルドユニオンとの調停は、いつしか彼が窓口になっていたからだ。ギルドを『帝国の法を捨てた、平民以下の存在』と認識している貴族は、想像以上に多い。ドン・ホワイトホースの書状を携えていたとしても、突っ撥ねる愚か者ばかり。ギルドユニオンとパイプを築き、潤滑な調停を行う。それはヘリオード建設以上の実績であった。
無言でカップに口を付けるアレクセイに、シュヴァーンは訊ねた。
「キュモール隊との引き継ぎは、その為ですね?」
半年ほど前からヘリオードの運営が、シュヴァーン隊からキュモール隊へ移行する為に引き継ぎが行われているのだ。現在は結界魔導器が安定しているので、練度の低いキュモール隊でも十分だろうと団長が判断したのだろう。
シュヴァーン隊は平民を多く採用している関係で、騎士団では最大の所属人数を誇る。そんな隊を束ねる隊長を、いつまでもヘリオードに縛り付けるのは損失なのだ。
静かに頷いた団長に、シュヴァーンは寡黙な表情で嘆息する。
「キュモール隊は、俺の努力を破壊したいようですが…」
「君の努力は無駄にはならんさ」
いや、無駄になりそうなのだ。シュヴァーンは楽観的な返事に渋い顔をする。
シュヴァーンはキュモール隊がヘリオード下層に作っている軍事基地の様相を、アレクセイには再三報告している。このままでは貴族主義が服を着て歩いている男が暴走し、ギルドと全面戦争で潰されてしまうだろう。見たくもない野郎の乳首が見えそうな露出狂を、助けたいと思う酔狂な輩はいなかったし、傑物と言われるシュヴァーンも例に漏れなかった。
キュモールは消されるのだろう。
貴族に対してある程度諦観めいたものを持つアレクセイを失望させたキュモールを、シュヴァーンはある意味尊敬した。
シュヴァーンの恩師が、気に入らない貴族を陥れ失脚させていたどころではない。アレクセイが仕掛けているのは、ギルドを使った殺人だ。帝国の法の外の者が犯した殺人であれば、騎士団には何の損害もない。しかしギルドが利用されたと知られれば、シュヴァーンの努力は水泡に帰すのだ。
なら。シュヴァーンは話題を変えるべく、喉を震わせる。
「小隊を預けるまで育てた部下を、無駄にはなさると?」
赤い瞳が炎のように瞬いた。青空のような隊服の背に迫る双眸が、そんな鮮烈な赤であることも知っている。
「フレン・シーフォは上手く切り抜けるだろう」
平民も貴族も関係なく、実力ある者を登用するアレクセイにとって意外な言葉ではない。
フレン・シーフォは平民出身の騎士の出世頭だった。一際実力主義が強いアレクセイ隊において、平民では異例の小隊長大抜擢の注目の若者である。経験を積めば十年、成果を上げれば数年で、彼の名前を冠した隊が発足するのではと噂もある。
若さ故に騎士は、帝国の貴族主義との関係が希薄。帝国の法を若さ故によく知りませんでしたと踏み倒すことなく、遵守する生真面目さ。剣術の腕前もよく、アレクセイが好みそうな逸材ではある。
「随分と期待していますね」
これから若き騎士に降り掛かる困難は、まさに命の危機と呼べるものになるだろう。さらに期待の若者の命を呼び水に、多くの命を巻き込もうとしている。そうして初めて、獅子身中の虫を排除する第一歩を踏み出すことができる。
アレクセイの下で働くなど、命がいくつあっても足りない。シュヴァーンは噛み締める。
「フレン・シーフォには野心がある。貴族を退け帝国を改革する燃えるような野心が、あの澄ました真面目な顔の下に潜んでいる」
試練を課す上官は、僅かに声を弾ませた。
「まるで、若き日の自分を見ているようだ」
なるほど。厄介な人に惚れ込まれて、御愁傷様なことだ。それに若く美しく整っていようが、野郎の顔なんて覚えていないし。そんなシュヴァーンの内心は、顔に出てしまっていたらしい。
アレクセイは己の剣に手を掛け、外へ出る扉へ足を向けた。
「シュヴァーン。久々に修練に付き合ってもらおう」
上官を労わるのも部下の勤め。付き合えと言われる間が華である。シュヴァーンは溜息を一つ吐いて、仰せのままにと囁いた。
白い無骨な手が扉を開けると、雲の切れ目から日が射していた。