鋼鉄の剣

 ローレシアの文献は語る。
 初代国王アレフは鋼鉄の剣を決して手放さなかった…と

 □ ■ □ ■

 メルキドは高い山の中腹から頂きまで広がる巨大な城塞都市だ。
 比較的入り口に近い宿屋の食堂で人間の姿の竜王は飲み物を持ったまま、窓の外から見える城門を眺めていた。アレフガルド最強の門番であるゴーレムの横を、旅人が行き来し商団が馬車を引き連れて出発する様を見て竜王はぽつりと呟いた。
「こんな奥深い町であるのに人間が行き来できるとは大したものだな」
「そうかい?確かに道のりは大変だがよ、慣れちまえば大した事はねぇよ。…まぁ竜属で空飛べる奴にとっちゃぁ、蟻みたいにちんたら移動する俺らがこんな所まで来れる事自体驚きかもな」
 俺は竜王の真っ黒い短髪の後頭部に皮肉を投げ付けると、目の前にある昼飯、メルキド特産トマトとベーコンとキノコのスパゲティ山脈盛りに手を伸ばした。竜王も振り返るとスパゲティに手を伸ばしながら、その黄金色の目を困ったように瞬かせた。
「素直に感心しているだけではないか」
「そう言えばローラとイトニーはどこに行きやがったんだ?」
 俺はスパゲティを食いながら竜王の言葉を聞き流した。竜王は別に意に介する事なく、麺を絡めたフォークをテーブルの上で退屈しているスライムに放り込みながら答えた。
「昼頃には戻るそうだ。イトニーが付いておるから問題はないだろう」
 なるほどね。俺は口の中に広がる酸味の利いたトマトの味を噛み締めながら、あの姫君の事を思い出した。
 城という温室で育てられた華麗なバラって表現がよく似合う、優しく淑やかな天使のようで以下略と良い表現ばかりが続くような人柄のお姫様だがそれは仮の姿。本当は我が儘で自己中心的、それでいて好奇心旺盛だから見知らぬ町を探険したいと駄々を捏ねたんだろう。
 面倒見の良いイトニーが胃から異音を立てて付き添うのが目に見えそうだ。
 山脈盛りとメニューに書くだけあって15人前以上は軽くあるスパゲティの向こうで、竜王が顔を上げた。次の瞬間には入り口を乱暴に開ける音が響き、ずかずかと歩み寄る足音が響く。
 噂をすれば何とやら。ローラとイトニーが戻って来たらしい。
「アレフ!アレフの伝説ってなぁに!?」
 ぶぶっ!!
 俺は自分用に取ったスパゲティに、盛大にさっきまで噛み締めていた物を吹き出しちまった!顔をしかめる竜王の顔がぶれそうなくらいの勢いで振り返ると、キンキン響く声の主の金色の髪を見つけた!
「なんで、お前がそんな事を知ってる!?」
「アレフ、顔酷い事になってるよ。ほら、ハンカチ貸してあげるから顔拭いてよ」
「誰のせいでこんな顔になったと思ってやがる!」
 元凶の主ローラの最上級のシルクのハンカチを引ったくると、俺は早速顔を拭いた。シルクがトマトソースとか麺で凄い事になったのを、先ほどの吹き出しっぷりが予想できる…ってそれどころじゃねぇ!
 ローラに詰め寄るところで、イトニーがローラを庇うように前に出た。深紅の瞳が冷静でかつ興味を秘めて俺を見ている。
「先ほど店でお二人のお土産を買う相談をしていましたら、店員がひそひそ話していたのです。小耳に挟んだ所だと『アレフってあの伝説の…』と話していたものですから、実際本人がいるのですし私がアレフさんに聞くことをお勧めしたのです」
 俺が熱い頭でなおも言おうとすると、背後から最も冷静な竜王が『話の腰を折って悪いが』と口を挟んだ。
「長い話なら、伸びてしまう前に昼を済ましてしまわないか?」
 全員分のつもりで頼んだ山脈盛りは、確かに冷めて伸びたら不味いに決まってる。
 俺もローラもイトニーも『ごもっとも』と言った様子でテーブルについた。女二人の興味を濃厚に込めた視線で見つめられながら食う飯は、冷めて伸びた方が遥かにマシだと思うくらい不味い。

 俺が傭兵を始めたばかりの時、ささやかな夢があった。
 傭兵達の憧れの的であるアレフガルド最強の剣『炎の剣』を持つ事である。
 その剣はその時の俺にしてみれば遠い都市であったメルキドでしか生産されない十年に一本の魔法の宝刀だ。鋼鉄の剣よりも堅い素材を実現するために火炎の呪文を封じ込める特殊な製法で生み出された刀身は刃こぼれもせず、常に宿った炎は念じれば呪文が使えない者にでも火炎を放つ事ができる。
 その剣は非常に値段が高く、メルキドへ行けるベテランの傭兵であれど買う事も叶わない。
 そんな最高の武器を所持する傭兵になりたかった。今思えば若い、甘い思考だ。
 俺は仕事を仕入れるために酒場の片隅で酒を少しだけ飲んでいた。
 同業者達はそれぞれの得意な武器を持っている。大木のような腕をした男は扱いの難しい鉄の斧を椅子に掛け、身が軽そうな女はその身軽さを最大限に生かせる鎖鎌をベルトに括りつけている。それでも一番多いのは剣を持つ同業者だ。
 鋼鉄の剣を持つ同業者が羨ましい。
 剣技を託すには銅の剣じゃ心もとないが、鉄の鎧買っちまったから貯えはほとんどなかった。後半年は仕事をこなさないと鋼鉄の剣は買えない。
 腕は同じ時期に傭兵に入った奴らと比べれば相当立つと自分でも感じてはいた。だが、実入りの良いドムドーラやリムルダールの仕事を受けるには剣が不安で、かといって鉄の斧は自分の得意な武器じゃない。鋼鉄の剣を買うには収入が悪かろうとマイラやガライの仕事を受けてこなすしかない。
「あぁ、いい話転がってねぇかなぁ」
 と言いつつ、転がってない世の中なのは俺が一番知ってるけどな。
 カウンター席に座っていた俺が店内を見回すと、俺より少し年上だろう商人風の男がベテランの傭兵と交渉しているが、二三言葉を交わすとすぐに離れていく。また別の傭兵に話しかけるが、また別れる。交渉と決裂を繰り返し、この酒場にいるだろう傭兵全員に話しかける勢いの男に少しだけ俺は興味を抱く。
 一体、どんな仕事内容なんだ?
 そう考えてるうちにその商人風の男が俺の前にやってきた。
「あの…」
 とてつもなく気弱そうな、蚊の鳴くような声である。それでいて酒場に一人でやってきて傭兵に単独で仕事の依頼をするこいつは、果たして大胆なのかバカなのか、それとも切羽詰まっているのやら。
 俺はグラスを置いて男に向き直る。
 商人風の男は太ってもいないし痩せてもいない普通の体格だが、この酒場の中にいる人間と比較しても最も背の高いと分類できるほどの背ぇ高のっぽだ。旅人の服に貴重品を入れてるだろう鞄を下げ、おどおどしながら見下ろすのはまずいと思ったのだろう隣の席に腰掛けた。
「メルキドに行きたいのです…。その…」
 俺の顔をちらりと見る。
「報酬は鋼鉄の剣一本で…」
 …
 ……
 ………は?
 俺、耳でもおかしくなったか?
 メルキドへは魔物も強い事、距離が遠い事、砂漠を超えなくてはならない事を踏まえ、個人団体問わず一万ゴールドから交渉スタートである。鋼鉄の剣一本の値段は鍛治師の力量に比例するが、そこそこの物で1500ゴールドで買える。
「しかも後払いなんですけど…」
 ……話しにならん。
 傭兵は金の払い逃げを恐れるため、前払いか分割で出発前に半額払い仕事を達成した暁に残りの金額を払うのが一般的である。それを現物支給で後払い、しかも仕事と賃金が割りに合わないなんて、そりゃお前、誰も受けねぇよ。
「悪ぃけど他所当たってくれよ」
「お願いします!どうしてもメルキドに行きたいのです!」
 がばぁっと頭を下げられても困るんだけどよぉ。
 しかし熱意としつこさに根負けしてしまった俺は最終的に仕事を受ける。あの時はまだまだ若くて甘かったんだ。

 □ ■ □ ■

「何となくオチが分かってしまったのは私だけか?」
 一人で山脈盛りを半分平らげて満足した竜王が、食後のお茶を啜りながら呟いた。
「銅の剣でラダトームからメルキドにたどり着いた伝説を打ち立てたんじゃないのか?」
「えぇ!?ドームドーラ付近の鉄のサソリは鋼鉄の剣でも刃が立たないでしょうし、影の騎士や下手をすればドラゴンと鉢合わせするメルキド地帯ですよ!?そんな所を銅の剣で突破できるとは到底考えられません!」
 最高の反応でイトニーが竜王に反論する。
「でも皆が出来ないような事をするから伝説になるんじゃないの?」
 だがイトニーの隣で冷静なのか物知らずなのかローラが口を挟む。流石のイトニーも黙り込んで俺を見た。
「残念ながらその程度じゃ伝説にならねぇよ」
 俺はその推測を一蹴すると、追加のオーダーを頼もうとメニュー表を眺めた。実は旅費などは竜王が負担してくれているから、料理も頼み放題贅沢し放題である。普段は頼む事なんかできないデザートが、お偉いさんの力というものをなんだか実感させるのは、やはり俺が貧乏性だからだろう。
「メルキド林檎のパイ。アイスクリーム添え追加」
「アレフだけずるい!あたしプリン・ア・ラ・モードお願い!」
「あの…ティラミスの紅茶セットお願いしていいですか?」
 口々にデザートの名前が飛び出して皆が揃って竜王を見ると、追加という言葉を聞いて飛び出したウェイターの娘を見て竜王は額を押さえた。
「今言ったのと、温かい珈琲を追加で頼む」

 ドムドーラ大砂漠を超え、ラダトームに引き返すよりメルキドに向かった方が早い。
 そんな所に来ていた。
「カゼノフーーー!勝手に俺の傍を離れた挙げ句、迷子になるんじゃねぇ!!」
 俺に叱られて俺よりも背が高いくせに長い手足を縮め、できるだけ小さくなって俺の怒りをやり過ごそうとする依頼主の名はカゼノフという。道具の知識や旅の知識は豊富なのに、臆病者でいつでもビクビクオドオドしやがって、俺はイライラが収まらん!
 今まで依頼人を怒鳴りつける事なんかしないし、無口で何を考えているか分からないような傭兵を演じていた俺だが、このカゼノフを前にして怒鳴らず無口で仕事を淡々とこなす傭兵を演じる事は一時間も保たなかった。
 今回受けた仕事で最も大変なのは、銅の剣だから苦戦する魔物ではない。
 依頼主であるカゼノフが、魔物を見ると一目散に逃げていてしまうほどの臆病さが難点だったんだ。
「だって…魔物は恐いんです」
「だからといって、俺の指示も聞かずに勝手な行動をとるな!」
 真面目に考えれば銅の剣では太刀打ちできない魔物からは逃げなくてはならなかった。だが、逃げる方向など効率的に考え実行すれば、目的地の方向を見失う事なく旅を続けられるってのに……後先考えずただ逃げるだけ。
「ここまで生きてこられたのは奇跡といって間違いねぇ!!」
 しかも予定していたルート通り歩いてくれねぇのも困る。
 まるで何かを探しているようにあっちふらふらこっちふらふらして、目を離せばどっかに消えちまう。それがここら辺にきて頻繁に行われるようになったのだ。もう堪忍袋の緒が切れる!我慢の限界だ!!
「もう鋼鉄の剣なんか要らねぇ!契約も破棄だ!てめぇで勝手にメルキド行け!!」
「そんな!困ります!」
 俺が踵返そうとするのをカゼノフが押しとどめる。
「僕は爺さんの遺言を信じたいんです!それを確かめるまで…どうか!」
 はぁ?
 話が全然違うぞ?つーかそんな話聞いてねぇ。
 少し冷静になって考えるともう夕刻だ。野営の準備をしなくちゃならねぇ。

「僕の爺さんは十年ほど昔にドムドーラの自宅で大往生したんですけど、その時に気になる遺言を残したんです」
 そう言ってカゼノフは羊皮紙を出して広げた。
 ずいぶんと古いアレフガルドの地図だ。魔物の影響で未だに細部まで作られたことがない一般的な地図とは違い、アレフガルド全土が書き込まれた非常に珍しい地図だ。ラダトームやリムルダールなど都市はあるが、ガライがないことから大魔王ゾーマの時代かその直後のものだと推測できる。だが今も地形が変わったり湖が消えたり砂漠が出現したりして、日に日に変わるアレフガルドだ。実際活用するには、古すぎて使えないだろう。
 メルキドの真北に丸で囲まれ何か書かれている。
 文字はもう薄くなっちまって全然読めないが、どうやら俺らが日頃使っている字じゃねぇようだ。
「爺さんはとある戦士様が見つけた鉱物の話を頼りに、仲の良い鍛治師と鉱脈を探しに行ったそうです。そしてこの世のものとは思えない美しい七色の鉱脈を探り当て、持ち帰った鉱物で鎧を作ったんだそうです。でも実際鎧があったかどうかは家族すら知りませんし、もしあったとしてもどこにあるかを知る爺さんや仲の良い鍛治師の方も亡くなられています」
 カゼノフは少しだけ涙ぐむ。
「爺さんは七色の鉱脈は存在する、それはきっとオリハルコンの鉱脈なのだと言って曲げませんでした」
 ぶ。
 カゼノフが吹き出した俺を睨んだ。俺はたき火を突いて火を調節しながら、夜の空のように黒い瞳を見つめる。
「悪いけど、オリハルコンなんて伝説の産物さ」
 勇者ロトを神格化した時に、どうしてもロトの武器防具も特別にしたかっただけだろう。きっと本物のロトの剣だって普通の鋼鉄のより良い物を選んで鍛えた代物に違ぇねぇ……と言ったらカゼノフの心臓が止まっちまうかもしれねぇので黙っといてやる。
「皆アレフさんと同じ事を爺さんに言いました。そして爺さんは死んでいきました」
 カゼノフは羊皮紙を見下ろして拳を握った。
「爺さんは言いました。『私の話を信じてくれたお前にこの地図を託す。この地図は鉱脈を見つけた戦士様が置いていかれた、鉱脈の位置を記した地図なのだ』と。だから僕は爺さんの言葉を信じたいのです。確かめたいのです。この、僕の目で」
 黒い瞳に火が灯る。
 その目を見てから羊皮紙に視線を下ろした。メルキドの真北にある複雑に入り組んだ山脈辺りに丸く円が書き込まれていて、場所を絞るには決定打に欠けている。だが、このまま南下してメルキドへ向かう新メルキド街道とは別に、北の山脈から回り込む旧街道が存在している。旧街道を利用すれば多少道は悪いだろうが、この円の地域を通ってメルキドにたどり着けるだろう。
「これから少し北に戻って旧街道を使ってメルキドに行こう」
 何よりも、こいつは俺の雇い主である。雇い主の希望に応えるのが傭兵の役目だ。
 だらしなく開いたままの口が、やがて意味を理解したのが俺に分かるほどゆっくり笑みに変わる。そして勢い良く下げた。
「ありがとう!アレフさん!」
 下げた頭はしばらく上がらなかった。肩が震えて嗚咽が聞こえて泣いているのはすぐ分かったが、指摘する理由も、慰める理由も見つからなかった。
 きっと嬉し涙なんだろう。
 鉱脈すらまだ見つかってねぇ癖に、何が嬉しいのやら。俺はよく分からなかった。

 □ ■ □ ■

「それは自分の言葉を、お爺ちゃんの言葉を信じてくれる人に出会えたからよ!」
 ローラが運ばれたプリン・ア・ラ・モードに突き立てようとしたスプーンを、俺に突き付けて自信たっぷりに言い放った。
「なんでローラがそう言い切れるんだ?」
「あたしカゼノフさんの気持ちもカゼノフさんのお爺ちゃん気持ちも分かるんだもん。自分の言ってる言葉を信じてくれないの、本当に辛いから。そんな時少しでも自分の言葉を信じてくれる人に出会えたら、嬉しいよ。すっごくね」
 神妙なローラの顔を見て少しだけ心当たりにぶつかった。
 そういえばこいつは猫かぶり姫だったもんな。自分の言葉でもお上品で嘘ばかり、作られた姫君だったローラばかり信じられていた。そんなローラがこれほど自由に振る舞えるこの環境を、一番うれしく感じているのは他ならぬローラ自身だろう。
「普通に良い人だなアレフは」
 角砂糖5個くらい突っ込んだ珈琲をかき混ぜる竜王は、少し驚いたように呟いた。
「オリハルコンの鉱脈なんて聞いた事がない。良く信用できたものだな」
「それがアレフさんのお人柄なんですよ。そうでなくては我々が同じテーブルを囲んで食事をするだなんてあり得ませんもの」
 竜王の隣で上品に紅茶を蒸すイトニーは穏やかに言った。
 だがその穏やかさが癪に障る。俺は厨房の方に振り向いて大声で怒鳴りつけた!
「おい!俺の注文した奴、まだ来てねぇぞ!!」

 凄まじい嵐をやり過ごすのに丁度良い洞窟を見つけた俺達は、そこで嵐が止むのを待つ事にした。
 切り立った岩肌と砂ばかりの荒涼とした大地は複雑に入り組んだ山脈の谷底にあり、凄まじい風をその谷底に流し込んでくれる。そして季節は冬だ。冷たく乾いた風が北から流れ、中央の島の回りにある海の水を吸い込んで南下し、一番最初の山にぶつかり大量の雨を落としていく。
 その大量の雨の不法投棄が行われているのが、メルキドの丁度真北。俺達が今いる所なのだ。
「すごい嵐ですね」
 カゼノフが洞窟の中にまで響いてくる轟音に首を竦めた。
「雨が降れば水の心配はいらない。天の恵みと思えばいい」
 食料は保存が利くが水は持てる量も制限され、飲まなくては死んでしまうから常に消費してしまう。留まる時、水があればそれほど心強いものはねぇ。
「それよりもこれから先どうする。行き先が分からなければ、このまま旧街道にそってメルキドに行っちまうぞ」
 俺に言われてカゼノフは慌てて羊皮紙を取り出した。
「実は爺さんからこの文字の意味については聞いていたのです。ちょっと待って下さい。こっちにメモが残ってるんです」
 長い手を底の深い鞄に突っ込んで探すと、少しくたびれた手帳を取り出す。
 手帳自身はひどく古いが、開いたページに挟み込まれた押し花はツンと真新しい薬草の香りを放つ。きっと爺さんから語り継いだカゼノフの薬草の種類を鑑定する手帳なのだろう。なにげに勉強熱心な一面を見せられる。
「ありました。『一時の草原を抜け森を突き抜けた先に、水と太陽が生み出す印が大地に浮かぶ。濃厚な魔力が中央へ走る手前の壁は力を塞き止め、この世では珍しい力と変質するだろう』と記されているそうです」
 カゼノフが俺を見つめる。俺は首を横に振った。
「俺、謎解きって大嫌いなんだ」
 カゼノフが肩を落としたのを見て俺は外を見遣った。
「まぁ、嵐が過ぎるのを待とう」

 丸二日続いた嵐がやんだ時、外の光景は一変していた。
 岩肌と砂ばかりだった大地を産毛ほどの草花が覆っていたんだ。最初に踏み込んだとき黄色とも灰色とも言えない世界は緑色に色付き、空気は雨に洗われて透き通り遠くまで見回すことができた。
 カゼノフが草原に降り立って見回し、やがて嬉しそうな顔で俺に振り返った。
「アレフさん!きっと…きっとこれが戦士様が書き残した一時の草原なんですよ!この先に森がある!…きっと、森があるんです!」
 顔が赤くなって火照るほど興奮したカゼノフが走り出した。
「おい、勝手に進むんじゃねぇよ!」
 食料だって足りるか分からねぇのに、無防備に先に進むんじゃねぇよ!
 だが俺の心配を他所に、その先には岩山に囲まれた豊な森があった。十分に補給をこなす事ができた俺達は、カゼノフの爺さんが残した地図の意味をなぞるようにその森を抜け、靴底程度の草原を歩きとおして山脈の最奥にたどり着いた。
 不思議な所だった。
 四方を囲まれた草原が優しく空から降り注ぐ太陽に暖められ、陽炎のように水蒸気が空にあがっていく。水蒸気は雪のように煌めいて、雪のようにふわりふわりと頼りなく、そして雪とは明らかに違って天へ昇っていくのだ。風が真後ろから吹き付け輝く風となると、目の前の岩肌むき出しの山脈にぶつかって四散し、山脈に光を擦り付けて風は透明になる。
 その山脈は輝いて見えた。
「嘘だろ…。まさか……本当にオリハルコンの鉱脈があるっていうのか?」
 あまりの現実離れした光景に俺は呻いた。
 そして熱に浮かされたように進み出したカゼノフが視界に入って我に帰る。そうだ、俺はこいつの護衛なのだ。こんな非現実的な光景に飲まれて重要な何かを見落としてはいけない。依頼主が死んでは意味がないし、俺が死んでは依頼主は野たれ死ぬ。共に生きて帰らねばならないんだ。
 俺は銅の剣を握って頼りなく感じる。だが、やらなきゃ駄目だろ。
 俺はカゼノフに続いて輝く山脈に登り、人一人が入れる亀裂を見つけた。亀裂は深く深く奥へ続き、所々水がしみ出して滑りやすい。何度も足を取られるカゼノフを支えながら、俺達はついにカゼノフの目標を目に映すことになった。
 それは透き通っているようで光を反射して半透明に見える。鉱石が重なりあい複雑に絡み合い、光が複雑な内側を通る度に碧く煌めき、翠に輝き、黄金に磨かれ、紅く燃え、白銀に達し、蒼く鎮まり、無色に還る。天井から足下から壁から大小様々の鉱石がせり出し、海と空が絡みあう所のように目の前の限られた空間を無限に押し広げていた。
 カゼノフの爺さんの言う通り、そこは七色の鉱脈という表現以外見当たらない。
 美しい。
 柄じゃねぇけど、美しいって呟ける光景だった。
「爺ちゃん。ユキノフ爺ちゃん。爺ちゃんが僕に見せたがってたオリハルコンの鉱脈、今…僕は見てるよ」
 カゼノフの呟きをどこかで聞いていた。
 そして耳に意識が向いた時、不吉な音を聞いた。静電気の爆ぜる音のような微かで聞き逃してしまいそうな、一瞬すぎて気のせいと感じる音。
 亀裂の水が脳裏を掠める。
 先日の嵐が続いた事に気が付き手足を痺れさせる。
 不吉な音が胸の奥から吐き気を突き上げる。
 早く、速くこの場から去りたい衝動に膝が笑い出す。
「走るぞカゼノフ」
 カゼノフの肩にまるで壊れ物を扱うかのように触れる。いや、この空気を動かすこと自体が恐ろしいものに感じる。カゼノフがゆっくりと、水の中を進むようにゆっくりと不思議そうに振り返った。
 満ち足りた笑みを浮かべる口が「なぜです?」と動いた。
 無気味な静けさに、俺は意味もなく鳥肌が立った。
 かつん
 小麦一粒程度の石が落ちる音が響いた。
「走れ!」
 俺の声が空気を震わしたようだった。
 声と共に地面が揺れ出し、足下がすくわれる。転びそうになるのを堪え、カゼノフの下に滑り込んで下から支えると、俺は猛然と亀裂を縫って外を目指した!滝のように上から水を浴びせられてカゼノフの悲鳴をかき消し、俺は息するのも忘れて踊り出す地面を踏み付けた。
 光が見える。
 光に、抜けた。
「入り口が!」
 カゼノフの声が落石の音を押しのけて耳に届いた。俺は足を止めることなく夢中で走り、小刻みに震える草原に降り立った!
 草原が震える!
 俺は体を突き上げられ足がついに地面から離れた!
 衝撃にカゼノフを支えていた手が離れ、視界は空が広がり、音という音は轟音に潰されて無音にさせられ、手も足も空気に包まれた。そんな訳の分からない状態をとても長く感じながら、俺は背中から地面に落ちた!
 息ができない苦しさに喘ぐと、心臓の鼓動で揺れているように感じる揺れ以外何も感じなくなった。
「助かった…」
 俺はそのまま寝そべると空を流れる雲一つ一つを眺めた。
「証明が…」
 カゼノフの声が風にさらわれる。
「見つけたのに…証明できなかった。爺さんは…一生………死んでからも嘘つき呼ばわりされてしまうんだ……」
「そんな事はねぇよ」
「そんなっ…誰もっ…誰も信じてくれませんよっ!!鉱脈に通じる亀裂も閉ざされてしまった!もうっ…もう、あの七色の鉱脈にたどり着くことは……オリハルコンを証明する事は二度とできません!」
 空の青さに悲痛な叫びが溶け込んで、悲しい青みを帯びる。
「五月蝿いな。そう嘆くなよ」
 俺は空の青さに手を投げ出すと呟いた。
「実物見りゃ、皆信じてくれるさ」
 その手の中には拳大のオリハルコンが、あの狭っ苦しい空間にいた時よりも何倍もたくさんの光を吸い込んでいる。まるでさっきまで苦しくて胸いっぱいに空気を吸い込んだ俺のように。
 俺は首を巡らしてあんぐり口を開けたカゼノフに笑ってみせた。
「鋼鉄の剣と引き換えだぜ?」
 カゼノフが笑った。
 今までの気弱さなどみじんも感じさせないほど大声で、誇らしく。

 □ ■ □ ■

「すごいな!オリハルコンを見つけるとは…!それは伝説になる!」
 竜王が黄金色の瞳を見開いて、手放しで褒めた。
「オリハルコンってすごいの?」
「アレフさんが持ってるロトの剣を形作っている鉱物です。この世界では最も硬い素材で、その鉱物は魔力を宿し雷を導くと言われます。大魔王ゾーマ様を打ち破った勇者ロトの剣がオリハルコンでできている事はとても有名な話です。初めて確認できるオリハルコンを持ち帰った一行がアレフさん達だったなんて、知りませんでしたわ」
 ローラの問いに説明するのが役目になったイトニーが、すっきりしたように笑った。
「お爺様の汚名も濯いで、カゼノフさんも良かったですね。オリハルコンを売れば一生遊んで暮らせるでしょう?」
「いや…」
 俺は今のカゼノフを思い出して笑った。
「カゼノフはドムドーラの爺さん店を引き継いで、やっとこさっとこ生きてるよ」
 俺もカゼノフもまだまだ貧乏人。世の中は上手く行かないものだ。
 だが、金に換えられない物がある。
 炎の剣を買えるほどの実力も財産もあるくせに鋼鉄の剣が相棒なのは、この鋼鉄の剣が俺にとって鋼鉄の剣以上の価値があるから。俺だけじゃない、カゼノフも苦労して手に入れた結果が形になったそれは、一緒に腰に下げたロトの剣より想い重い。
 この鋼鉄の剣を捨てる時、この剣と共に手に入れた傭兵の心も捨てているだろう。