竜王

 答えは常に目の前に存在している。
 しかし…その答えを手にする時、どれほどのものを捨てなくてはならぬのだろう?
 その答えを手にしないでいる時、どれほどのものを捨ててしまっているのだろう?


 ■ □ ■ □


 ここにやってくるのも随分と久しぶりだ。
 夜も深まり月が明るく地上を照らす中、私は全ての始まりであった場所に忍び込んでいた。
 ラダトームの最上階、かつて『光の玉』が納められていた場所である。
 当時の私は階段をのぼりきった先にあった光の玉を見て相当驚いたものだ。燦然と輝く光の玉をイメージしていたし、魔物達もそう伝えていた神の遺産は、ロウソクの明かり程度の光を放ちながら台座に納められていた。
 偽物か?
 そう勘ぐった。それもそうだ。
 光を恐れる魔物ならば盗まれる心配もないだろうが、欲に取り付かれた人間ならば簡単に持ち出せる。警備もお粗末だし、触ったら罠が発動しそうなくらい取って下さいと言わんばかり。その玉は相当胡散臭かった。
 その時だ。
「誰ですか?」
「…!?」
 驚いて振り向くと柔らかい黄色のドレスを着こなす令嬢が歩み寄ってくる。明るいエメラルドの瞳が私の顔を覗き込むと、人なつっこいというよりも無邪気な笑みが瞬時に広がった。
「竜ちゃんじゃない!うわ〜、久しぶりだね〜。人間の姿してるから分からなかったよ!」
「相変わらず人を驚かすのが好きな奴だな、ローラは。ここでの事を丁度思い出している時だったんだぞ」
 『ごめんごめん』と謝罪の感じない平謝りをする彼女こそ、このラダトームの王女ローラ姫だ。外面はお淑やかで優しく気高く歴代王家の中でも最も美しいと評判だが、中身は精神年齢も幼いじゃじゃ馬で我が儘でこっちが頭を痛めるような女性だった。
 とりあえず『竜ちゃん』って呼び方を修正するのはもう諦めた。
 『竜王』という相当尊大な呼び名も魔物達の間で定着しきって修正もままならんし、二度あることは三度あると思えば頭を痛めるよりあきらめた方が精神的負担も軽い。
「そういえばあの時は驚いたね〜。魔物さんが忍び込んでるんだもん」
「その『魔物さん』に好奇心むき出しで話しかけてきて、一緒に『光の玉』を眺める姫君もどうかと思うがね」
 形の良い頬が膨らんだ。
「だって魔物なんか見るの初めてだったし、いきなり襲いかかってこなかったし、なにより…」
「言わなくて良い。鳥肌が立つ」
 本来のドラゴンの姿はでか過ぎていろいろ不都合なので、普段は小さい魔物の姿をとっている。その姿で初めてここに忍び込んで見つかった時のローラの一言が『可愛い』だった。
 魔物を見た人間の反応としては、あまりに意外すぎた。その後は完全に相手のペースに陥り今に至る。
「それから竜ちゃんが光の玉に触ったら、たくさんの光の糸になって体の中に入っちゃって二人して大騒ぎしたもんね」
「それで兵士がやってきてお前を連れ出さなくてはならなくなったのだ。全く我ながら失敗だった」
 ローラのパニックが伝染したとは言え、冷静になれば『光の玉』を再び取り出す事もできた。
 私らしくもないミスだ。
 張本人が楽しんでいるのが視界に映るのは流石に苛ついたから、イトニーに監視を命じて外出許可と洞窟の住処を与えてしまった。それからラダトームの動きを観察したが、差し向けられたのは傭兵一人ときたものだから、娘の幼さを見ている私にしてみれば国王の賢さも疑わしい限りであった。
「それよりどうしたの?イトニーからは竜ちゃんは研究で忙しいって聞いてたんだよ?」
 何もなかったのように話しかけるローラに私はため息をついた。
 のど元過ぎれば熱さを忘れる性分なのだろうか?
「ローラ、書庫はどこだ?」
 ローラが不満そうに口を尖らせた。
「え〜。もう少し話をしようよぉ」
「歩きながらでも口は使えるだろう?本を読みながらでも話はできるだろう?……そんな顔をするなローラ。一週間ほどお前の為に休みを取ってきたのだ。お喋りにだってちゃんと付き合ってやる。だが本が手元にあると、なお嬉しいのだ」
「…しょうがないなぁ」
 そういいながらローラは頬を膨らませ口を尖らせて眉根を寄せる等の、顔の変化を解いて笑った。
 そして好奇心を隠す事のない態度で隣を歩く私を見上げる。
「ところで竜ちゃん。イトニーに対してどう思っているの?」
 ……?
 イトニーを私がどう思ってるか?
「どうしてそんな事を聞きたがるのだ?」
「いいの!あたしが聞きたいの」
 目が輝いている。
 その顔を見て嫌な予感がするのは私だけだろうか?
 しかし、ここで断ると駄々を捏ねる。私はアレフやイトニーのようにローラの我が儘に免疫がないから困る。
 まぁ、イトニーに対して悪い感情を持っているわけではないし、教えても良いだろう。
「私が魔物を束ねる立場になった頃からの付き合いだ。イトニーが居てくれたからこそ助かっている点も多いし、ここまで尽くしてくれている事に感謝している」
「うんうん」
 ローラが満足そうに大きく頷く。
「だが、それが大問題だ」
「へ?」
 このような事を話すのは気恥ずかしい限りだ。
 呆然と私を見上げるローラから視線を離すと、我ながら情けない声で告白する。
「私はイトニーにずっと補佐をしてもらいたいと思っておる。だが私の都合で彼女を束縛するのは良くない。婚期を逃したら幸せになれんのではないか思うのだ。今回の事で本気で部下離れ…情けない言葉だな………、まぁイトニーには暇を与えようと思ってな」
「ひ、暇!?それって、解雇って事!?」
 目を真ん丸にして驚くローラに私は頷いてみせる。
「まだイトニーにも話していないが、近々言い渡すつもりだ」
 『ローラが落ち着いたら言い渡すつもりだ』とは言えない。口をうっかり滑らせば、洒落にならん事態が待っていそうだ。
「ひどい!! 超ひどいよ、竜ちゃん!!」
 ひどいって言われてもなぁ…。
 涙目になって批難轟々のローラに私はあきれる。
「私の補佐を四六時中しておって、男性との出会いがない方が酷いじゃないか」
 そう、イトニーは人間の年齢に換算すればアレフより少し年上。ドラゴンでは最も婚期に適した年齢なのだ。
 私は独身でも一向に構わぬが、イトニーはそういう訳には行かないだろう。雌のドラゴンで独身は、ドラゴンの世界ではなかなか肩身の狭いというか白々しい目で見られるのだ。
 私も私なりにイトニーの将来には気をかけているのだよ。
 しかしローラにこの事を訴えて理解してもらえるかというと、答えは『いいえ』だ。
「あのね、竜ちゃん。イトニーが竜ちゃんに対してどんな感情持ってるか分からないの?」
「直に聞くべき事ではあるまい」
 嫌っておったら私に仕える訳もあるまいし、野心を持っている訳でもない事も彼女の性格から察せられる。
 彼女の好意に甘んじている結果がこれなのだ。
 ……部下離れできない主なんて情けない。情けなさ過ぎる。
 嘆息する私の横でローラも重そうな吐息を吐き出した。
「イトニーが可哀想だわ」
 やはりそうだよな。
 イトニーを自由にさせてやる為にも、頑張らねば。

 ■ □ ■ □

 ラダトームの城は私が住んでいる城と互角の古さを誇る古城だ。
 城下町を見下ろす高台に立っているラダトーム城と、切り立った絶壁の上に立つ竜王の城は互いによく見える位置にある。しかし互いの城の主が、このような形で顔を合わせる事となろうとは思いもしなかった。
 しかも一人の人間の女の色恋沙汰で呼び出されるなんて…。
 そもそも私は『アレフにフられて三日三晩泣きまくった女がいるから慰めてやってくれ』と部下に泣きつかれ、私は研究を途中で切り止めてやってきたのだ。夜中に忍び込み…何ともなさそうな本人を確認して何でもない会話をした。
 そして翌日である今日。
 夜型のドラゴンである私は昼過ぎに起きて、とんでもない噂を聞くはめになった!
『ローラ姫の本命はアレフ殿ではなく、金色の瞳をもつ旅人ではないか?』
 寝耳に水とはこの事だ!
 『金色の目』という特徴を持つ人間はまずいない。私自身も努力はしたが変化の術にどれだけ精通しても、この瞳の色だけは変える事ができなかった。
 というわけで私は国王に呼び出されてしまった訳だ。
 なぜローラに関わると事態は悪くなるのだろう?
 心の中で情けないため息を零すと、絢爛豪華がよく似合う雰囲気の間に通された。白い壁に金の縁取りの窓と深紅のカーテンとカーペットの奥に、二つ並んだ玉座とラダトームの紋章が飾られた謁見の間。壁際には数十人の重鎮達が雁首そろえて並んでいた。
 国王の顔が見えるくらいの距離をとって、不審に思われないように膝を付いて畏まる。
「リュール殿ご足労頂き申し訳ない」
 『リュール』と書いていた宿帳の名が、私の本名だと思っているらしい。
 アレフが散々貶めていた国王は国王らしい風格を持った、白髪も混じっているのが気にならない眩しい金髪の男だ。ローラほどの年齢の娘がいる割には年寄りに感じるが、体はやせ細ってもいないし歳の割には若い印象だ。
 国王の玉座と並んで座るのは、人々の期待に応えるため厚い嘘を被ったローラだ。冷静に微笑んでいるが、私やアレフやイトニーでなくては分からない程度だが動揺が見え隠れしている。
「早速で申し訳ないが、御主とローラの関係は如何なるものなのかね?」
 単刀直入で無駄のない質問だ。アレフが『無駄好き国王』と評価する理由が分からない。
「お父様…それは竜…リュール様に失礼で……」
「ローラ姫、陛下が不審に思われるのもしかたなき事です」
 ローラの言葉を制止して国王をまっすぐ見つめる。
「国王陛下にしてみれば、なんの経歴の無い旅人と姫が結婚されては色々と都合が悪いのでしょう」
「なんたる無礼!」
 大臣の怒鳴り声を皮切りに、謁見の間にざわめきが広がり兵士が殺気だつ。
 剣に手を掛ける兵士に対応するため、私も杖を手に取って立ち上がった。
 娘の縁談を、これからの政治や経済面での発展に利用する為に押し進めようとしている。
 私が知らないとでも思ったのか?
 このラダトームの威信は徐々にだが落ちてきている。この先の威信を維持するには余程の事がなくてはならない。それが稀代の姫君と勇者の結婚なのである。一時でも共に旅をした知人を道具として使おうなど、さすがの私も黙っては居れん。
「静粛にせぬか」
「しかし陛下…」
 ほぉ…。感情的にならず冷静に状況を見ているようだ。
 国王は周りが完全に静まるのを待ってから、深くよく通る声で話しかけてきた。
「お主は若いな」
 私は一桁ほど年上だがな。
「場所を変えるとしよう。そなたとは少々込み入った話をせねばならぬようだ」

 夜の帳が落ち月と星が輝く窓と、その明かりを受け取る真っ白の壁と柱が延々と続く廊下を国王の先導に従って続く。
 隣を礼儀作法を叩き込まれた足取りで進むローラは小さく私に囁いた。
「ごめんね。迷惑かけちゃって…」
「気にするな」
 むしろ怒鳴り込む良い口述になった。
 ただ、理由は納得できないが。
 そして通されたのは国王やローラの部屋に近い、今は亡き王妃の使用していた部屋だそうだ。清楚な調度品と並んでローラによく似た女性が若い国王と並んで赤子を抱いているのが描かれた肖像画が飾られている。
 その肖像画の前に設えられたソファーに座った国王は隣にローラを座らせる。
「君も掛けなさい」
「いえ、立ったままで結構です」
 少し距離を取ったまま動かない私に、国王は首を少しだけ竦めて淡々とした口調で語り出した。
「先程の言い方では全てを見通しておるのだろう。アレフ殿も賢い男だ。ローラとの縁談を持ちかけた時、即座にその事を嗅ぎ取ったのだろう。莫大な財産も放り出し出ていってしまった」
 アレフは金に対しての執着は人一倍だが、金で目が眩んでいる男ではない。
 奴は根っからの騒動好きで冒険好きな奴なのだ。好奇心を満たせる世界でないと生きていけない奴が、淡々として退屈な王宮の生活に馴染めるはずがない。海に住む魚を、無理矢理川に住わすようなものだ。
「そなたはアレフ殿と旅をしておった者であったな」
「そうです」
 挨拶などする気など更々なかったが、アレフと城に出入りしていた。顔くらいは見ていたのかも知れん。
「我等王家の者はこの世の平和を保つための人身御供なのだ。平民には与えられぬ権利と保身を約束されながら、平民が当然のように持っている自由や幸せは持ち合わせておらんのだ」
 歯を食いしばる音が脳に響いた。
 人身御供。それは世界を平和に保つために捧げられる生け贄。
 このアレフガルドの為に一つの自由すら奪えるのか?
 たかが…たかがそんな理由で、ローラは道具にされてしまうのか?
 答えは分かりきっている。何千何万とたった一では比べる事もできぬ。それでも…それでも……。
「姫との結婚相手を自由に選ばせてやることはできぬのですか? 選択肢すら…与えられぬと申されるのですか?」
 立ち上がって国王は笑う。寂しそうな口元が月明かりに浮かんだ。
「私も政略結婚だった。そうと分かっていながら私は妻を愛した。幸せは、選択肢は、常に手に届くところにもあるのだよ」
 私の肩に軽く触れ、そのまま私とローラを残して国王は部屋を出ていった。
 気まずい沈黙を破ったのは私だった。
 苦しいのだ。悲しいのだ。
「どんなに力を持っていたとしても、運命に抗う事はできぬのか…!」
「竜ちゃん…」
 細い白い手が私の手を取った。ローラの深い緑の瞳が私を心配そうに覗き込む。
 ローラの気持ちも慰め労る心遣いもありがたい。
 だが
 言葉を吐き出さねば潰れてしまいそうなのだ。
「なぜ生き物は統率者なる存在を必要とするのだ!?その統率者に求めるのは平和と秩序で、それを与えてもらう為に彼等は統率者に権利と保身を与える……。解っている!解っているんだそんな事は…」
 国王の言葉も痛いほど理解できる。
 それでも…
 それでも…と私は叫ばずにいられない。
「道具とされてしまう存在を、生み出してしまう世の中があって良いものなのか?」
 あの憎たらしい神々は、なぜこのような悲劇をもたらす事に平然としているのだ?
 それでも心の中では、冷静な自分は神々を肯定している。その少しの悲劇がなくては、平和も平穏も一時の幸せも訪れぬ。その少しの悲劇がこの世界の潤滑剤であり、この世界を成り立たせているのだ。
 私は…何の為に生まれてきたのだろう?
 疑問が翳めると煙のように膨れ上がる。
 母からも見捨てられ、神々からも疎んじられ、魔物ではないくせに魔物達を束ねる私は、一体何者なのだろう?
 私も道具とならねばならぬのか?
 このアレフガルドを支えるために、光の玉の所持者として存在せねばならぬのか?
 それを認めたら、私は何者になるのだ?
「竜ちゃん、苦しいんだね」
 ローラの静かな声が耳に優しく触れた。
 いつもの生意気で悪戯っぽい笑みではなく、本当に優しく微笑んでいる。その笑みは、私の考えを全て見抜いているように見えて、安堵よりも得体の知れぬ恐ろしさを感じさせた。
 ひどく懐かしくて、その懐かしさがどこから来るのか分からず、落ち着かない。
「幸せを求める事って悪くない事なんだよ。苦しみを与えてしまう事は仕方のない事なんだよ。そう割り切らなきゃ、生きていけないよ。幸せに…なれないよ?」
「しかし…」
 幸せになる事など想像すらできない。
 どうしたら幸せになるかなど知らない。
「私、アレフの事好きだよ。顔もよく分からない貴族なんかと結婚させられるよりも何倍もマシ。でもねアレフと出会わなくても、顔の知らない貴族と結婚させられても、それなりに幸せになれると思うの」
 そう言い切るローラは清々しく感じるほどだ。
 そして不思議そうに顔を寄せる。視界いっぱいにローラの顔が近付く。
「ねぇ、竜ちゃん。何がそんなに竜ちゃんを苦しめるの?一体、何が心配なの?」
 分からない。
 分からないのが、不安だし心配だし、そんな自分がまた分からないのだ。
「竜ちゃんが心配しなくてもね、皆それなりに幸せになるんだよ」
 そして少しだけ考えるように視線がさまようが、また私の目を覗き込んだ。
「イトニーは竜ちゃんの事好きなのよ。愛してるのよ」
 まるでお伽話でも聞かされるような現実味のない言葉。
 私を…愛してる?
 イトニーが?
「竜ちゃんも幸せになってね。そうでなきゃ、私だって幸せになった気がしないわ」
 いつもの悪戯っぽい我が儘な笑みに戻ると、さっと身を翻す。ふんわりと黄色いドレスが舞ったと思えば、見る見る小さくなっていく。
「じゃあ、おやすみ!」
 黄色いドレスが閉ざされた扉の向こうに消えると、しばらく呆然としていたようだ。
 とりあえず割り当てられた部屋なのだから、ここで何をするも自由なのだ。私は窓際に椅子を引っ張ってそこに腰掛けた。深く椅子に腰掛けて背もたれに背を預け、額に腕をのせて目を閉じる。
「愛している……かぁ…」
 政略結婚であっても、愛せるのだろうか?
 『幸せは、選択肢は、常に手に届くところにもあるのだよ』
 『顔の知らない貴族と結婚させられても、それなりに幸せになれる』
 それは気持ちも持ちようなのか?
 政略結婚の相手だからと拒絶することなく、相手を認めてやる事ができれば幸せになれる……そう、言いたかったのだろう。
 しかし……と、ローラの言葉を反芻する。
 主と部下という関係でどうして恋愛感情が芽生えるのか不思議でならん。イトニーは誰にでも優しく接する事のできる女性だから、私に優しくしているのも他の者に接するのと大して変わる事もあるまい。きっとローラの思い違いだ。私以上の男性など多くこの世に存在するだろうし、事態が落ち着いたら暇を言い渡そう。
 わざわざ首を巡らさなくては映らない赤子を抱く母らしき女性の絵。
 その笑顔を優しいと感じるのが空しく感じてしまう。
 母は私を…
 何千と繰り返した自問自答の答えは見つからないし、見つかる訳はない…。
 それでも…想わずにはいられない…

 ■ □ ■ □

「……様、竜王様」
 揺らされる。
 二の腕を押される感覚から、意識がゆっくりと覚醒する。
「…ん」
 少しだけ呻いて目を開けると、朝日が柔らかく差し込んでいる。
 窓際だからか日差しの光で目が眩んだが、どうやら隣にはイトニーがいるようだ。
 イトニーがいるという事実より、眠っていた事実の方が驚きだった。誰かが部屋に入ってくれば目が覚めるだろうに、イトニーに揺すり起こされなければ起きぬとは…。どんなに疲れていても気配には敏感で、無意識に警戒しているのだが…。
「私は…眠っていたのか…?」
「えぇ、ぐっすりと眠っていらっしゃって起こそうか迷いましたけど、報告だけでもお伝えした方が良いかと思いまして…。今アレフさんとガライから戻ってきました」
 さぞかし間抜けな寝顔だったろうな。
 それよりもアレフが戻ってくるなんて思いもしなかった。戻ってくれば、ローラとの縁談は逃れられないだろうに…。アレフなりに意を固めた結果だろうから、私が口を挟む必要はないかもしれん。あとは二人の問題だ。
 私は私の問題をこなさなくてはな。
「そうか。で、ガライの墓の件はどうだった?」
「墓は…見つかりませんでした」
 そうか。残念だ。
 見つかっていないと知らされたアレフの顔はどんな顔だったろうな? 想像するだけで笑えそうだ。
「ふふ…。アレフはさぞ悔しがったことだろう」
 言いながら外套を羽織る。
 帰る仕度を始めた私にイトニーは驚いたように話しかけてきた。
「アレフさんとはお会いにならないんですか?」
 少しだけ耳を澄ますと、すでにアレフとローラは凄まじい罵り合いを始めているようだ。あれでお互い上手く行くのだから大したものだ。本当に政治的結婚をさせられるとしても、心の中では上手く繋がりそうで少しだけ安心する。
「あの怒鳴り合いに飛び込む隙間はなさそうだ」
「全くですね」
 そう言って微笑むイトニーの顔を改めて見てしまう。
 いつもの見なれた笑みや仕草が一つ一つが新鮮に感じてしまう。随分と長い付き合いであるはずなのに、初めて会うような別人を見るようによそよそしい感覚でいっぱいになる。
「なぁ、イトニー」
「はい?」
 『イトニーは竜ちゃんの事好きなのよ。愛してるのよ』
 本当にそうなのだろうか?
「お前は私の事をどう思っているのだ?」
 ぼ
 そんな音が出たのではないかと思うほどの勢いで、イトニー顔が真っ赤になった。
 ……なんなんだ一体?
 私が脱力する間にイトニーは、らしからぬ挙動不審さというか動揺ぶりで私の問いに答える。
「そそそそれは…竜王様はとても素敵な方ですよ。周りの者に優しく接してらっしゃいますし…社交的でとても聡明でいらっしゃるのに気さくな方ですし…」
 以下延々と続く賛美の言葉に私自身が呆れてしまう。しかし聞きたい言葉はまだない。
 私は吐息が掛かるほど近くに顔を寄せ、イトニーの瞳を覗き込んだ。
「本当に……それだけか?」
「あ…」
 固まった。
 息も止めてしまっているが、よほど緊張しているのだろうか?
 深紅の瞳に戸惑いと驚きが浮かんでは消えて、悪くいえば無表情、良く言えば真剣な私が映っている。自己嫌悪に駆られると体を離してイトニーに背を向けた。
 試すような事をして嫌な男だな、私は。
「すまん。なんだか困らせてしまったようだな」
 安心した。
 これで『私は竜王様を愛しています』なんて言われたら、こちらが困る。私は魔物ではないし、龍神の末裔でありながら神々から忌み嫌われる存在なのだ。
 そのような存在と結ばれたとしても、果たして相手に幸せを与えられるだろうか?…私には自信がない。
 それに…
 子供なんかができてしまったら、ローラのように苦しむ存在が出てくる。道具として政治結婚に利用されたり、なりたくもない統治者にならねばならぬ運命を背負わせることになる。私は自ら望んでこの地位にいるが、子孫となる存在は選択肢すら与えられぬだろう。それは、させたくはないのだ。
 窓を開けるとこの時期にしては暖かい風が舞い込んだ。
 振り返って見るとまだ硬直しているイトニーに声をかける。
「私は先に城に戻る」
「は、はい!お気をつけて!」
 元通りに戻ったイトニーをから視線を外すと、ルーラの青い光が視界に映る青空をより青く見せる。
 認めてしまえば受け入れてしまえば楽になる、とは頭の中では分かっている。
 それでも、仕方がないで片付けたくはないのだ。
 愚かだと笑われても、こればかりは譲れない。