不思議の国症候群 - 後編 -

 魔女の森には 入っちゃいけない
 悪戯好きの悪魔が 足跡消してついてくる
 魔女に用があるのなら 松明に火を灯せ
 森の奥の館まで 炎の光がご案内

 魔女の森には 入っちゃいけない
 入ったら最後 誰一人帰ってこない

 クレルの姉ちゃんの綺麗な声が、不気味な森にこっそりと広がる。
 魔女の森の木はエルトナの暗黒大樹の荒野みたいに、樹の根が大地をひっくり返したり崖にしたりで歩くだけでも大変だ。木々の葉は深く茂り、空が晴れてても明かりが必要なくらいに暗い。それでも、魔女ってやつは親切なのかな? クレルの姉ちゃんの歌の通り、入り口の松明を灯したら道案内みたいに等間隔で松明が灯る。炎の光を見つけては向かって、方向感覚は全く分からなくなっちゃったけど、どんどん森の奥には進んでる感じがする。
 クレルの姉ちゃんが言うには、この森を突っ切れればダーマ神殿のあるセレドット山岳地域の北の海岸線に抜けられるらしい。大昔に栄えたリンジャハルという大都市があった海岸線から、ダーマ神殿までの道のりはかなり整ってるんだって。でも魔女の森が危ないから、皆ローヌ樹林帯を南に下って森を回り込んでセレドット山岳地帯に入るんだって。
 朝にメルサンディを出て早めの昼ごはんを済ませて森に入ったオイラ達が、森の一番奥、魔女の家に到着したのは夕暮れ時だ。
 魔女の家『やえんかん』は立派な二階建ての『ごーてー』だ。翼を広げた鳥みたいに、中央から左右対称。家の前の庭は水が枯れてるけど大きい噴水池があって、荒れ放題の庭には野ばらが棘を出してほくそ笑んでる。でも、窓ガラスがほとんど割れていて、漆喰がボロボロ剥がれて、地面の石畳は森の根がぼこぼこにして、噴水を飾る石像は傾いてらぁ。
 立派なお化け屋敷みたいで、オルフェアの南にあるアルウェ王妃の別荘を思い出した。でもあの別荘は湖が見渡せる拓かれた場所に建っていたし、ラグアスが立て直すか修繕するか考え中だって話してたっけ。
 割れた窓からは真っ黒い泥みたいな闇しか見えないけど、入り口の大きな扉の横についた窓からはうっすらと明かりがついている。なんだか、妙に美味しそうな匂いまでするし…。
『魔物達は館の敷地に入ってはこないみたいだし、クレルさんにはここで待っていてもらおう』
 オイラは頷いた。魔女はザンクの兄貴を『おもてなし』するらしいけど、絶対悪い意味だよな。戦うことになったら、クレルの姉ちゃんも巻き込んじゃう。
「クレルの姉ちゃん。オイラ達が帰ってこなかったり、魔物が襲ってきそうで危ないと思ったら帰ってほしーんだ。これ、アイリのねーちゃんが住んでるメルサンディ村に登録した、招きの翼」
「魔女はザンクローネ様が狙いみたいですけど、無理しないでくださいね」
 招きの翼を受け取りながら、クレルの姉ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでくる。オイラはにかりと笑った。
「大丈夫! オイラは平気だよ!」
 オイラは胸をドンと叩いて見せると、クレルの姉ちゃんは微笑んで頷いた。姉ちゃんが敷地の植木や野ばらが茂って見つけにくい場所に身を隠したのを見守って、オイラは相棒と小さく頷きあった。
「っていうか、さっきから美味しそうな匂いで、オイラ腹ペコだよ」
『…さっき、ビスケット一袋食べきったばっかりじゃなかったけ?』
 美味しそうな匂いがすれば、腹は減るもんなんだよなー。プクリポの食欲を、相棒はわかっちゃいねーよ。
 オイラは『やえんかん』の立派な両開きの扉は開けて、中を覗き込んだ。
 お日様がお空に昇ってたってひんやり冷たい魔女の森は、夕方から冬みたいに寒くなる。だから扉を開けた時、ぶわっとあったかい空気が流れ出て、オイラ思わず目を閉じちゃった。そおっと目を開けると、部屋はとっても明るくて暗い所から飛び込んだオイラは目が眩んじゃった。
 目が慣れてくると『やえんかん』の吹き抜けの広間と、美味しそうな匂いの元である大きな大きなお鍋がどーんて見えてきた。お鍋なんかオーガが3人くらい入れるくらい大きい。二階に続く階段は所々壊れ、床板が剥がれたり抜け落ちたりしているけど、思った以上に綺麗だ。天井のシャンデリアがキラキラと輝いて、お鍋をかき回してるお玉がくるくる動くたびにキラッキラって反射してくる。
 ぎしぎしと足音を軋ませて入りこんだオイラは、ぐるっと見渡した。誰も居ない。ぐつぐつと鍋の中身が煮えている音が、オイラ達を出迎えるだけだ。
「魔女のネーチャン、まだ けしょーが おわんねーのかなぁ?」
『ザンクローネさんもまだ来てないね』
 相棒と一緒に首を傾げる。
 ザンクの兄貴はアイリのねーちゃんが誘拐されたって知ったとたんに、メラみたいにすっ飛んでいっちゃったんだもん。とっくのとうに決着がついて、ザンクの兄貴が魔女のネーチャンを倒しましたって感じにしちゃー綺麗だよな。戦ってたとしたら、ザンクの兄貴は火を伴う剣術が得意だから館の中は焦げてそうだし、鍋なんかすっ転んでそうだもんなぁ。
 …ってことは、ザンクの兄貴はまだ到着してねーんだ。
「どこで油売ってるんだろう? 揚げパンはきな粉まぶしてほしーな」
 オイラはくりっと顔を上げて、オーガの肩を借りないと中が覗けないほど大きい鍋を見上げる。美味しそうな匂いだけど、なんだろうなぁ。この広間は吹き抜けだから、前の階段登って二階から覗き込んだら中身が覗けるかな? つまみ食いー。どうやろっかなー。じゅるり。
「あらぁ。オトモダチは食いしん坊ね。そんなに物欲しげな顔をしなくても、貴方もたぁんと味わえるから安心なさぁい」
 色っぽい声に体を強張らせ身構えると、緩やかに弧を描いた階段を登りきったところにボールに乗ったネーチャンが居た。ボールはオルフェアのサーカスピエロが玉乗りに使うほど大きくて、ネーチャンは浮かんだボールの上に足を組んで寛いでる。ワインレッドのレザースーツが体をぴったりと覆ってて、相棒が思わず目のやり場に困るって程度に肌が見えてる。大きなつばの帽子は黒い羽が飾られて、榛色の髪の毛と白い顔にした化粧がより派手に浮かび上がる。
 ネーチャンは笑みを深くして、手に持ったパラソルをふわりと振った。
「ほぉら、ようやく主役の登場よん。遅れてやってくるのは、ヒーローかしら? それとも…」
 指揮棒を振るようにパラソルを動かすと、鍋の上にぽんと音を立てて何かが現れた。見上げると、綺麗なハート型の真っ赤な宝石が脈打つように光ってる。もう一つ何かがある感じがするけど、オイラ背がちっちゃいから回りこまねーと見えねーや。オイラはちょこちょこと動き出す。
「罪深き偽りの英雄かしら?」
 その時、背後の扉がバァンと明け放れた。
「アイリ!」
 ザンクの兄貴の吼えるような声と同じくらいに、オイラも見えなかった何かが見えた。白い素朴なワンピース。黒い髪。力なく垂れた腕がアチアチの鍋に触れそうでヒヤヒヤする。
 そう、メルサンディで魔女に連れ去られた、アイリのねーちゃんだった。
「ようこそ、英雄ザンクローネ。この魔女グレイツェル、永遠の夜の中お待ちしておりましたわ」
 魔女のネーチャンはスーツの裾をドレスみたいにちょっと持ち上げて、結構可愛らしく挨拶した。でも、色っぽい口調で恋人みたいに親しげでも、背中に刃物でも隠してるんじゃねーかってくらいの敵意がめっちゃ滲んでる。女って怖いなー。
 ザンクの兄貴は到着したってのに、もう軽く息切れしてる。すげー怒ってる顔で、魔女のネーチャンに言い放った。
「アイリを放せ!」
「うふふふ…。あ・わ・て・な・い…」
 一文字ずつ区切った言葉の間に『ハァト』が入ってそうな、尻尾がムズムズするような声だ。オイラが思わず逆立った毛皮のことなんか だぁれも気にしないで、魔女のネーチャンが話を続ける。
「本日の宴のメインディッシュは、ザンクローネ…貴方に選ばせてあげるわ」
 パラソルを動かし、今日の食材は最高ですって嬉しそうに話す料理ギルドの職人みたいに言いだす。パラソルの先が鍋の上を指して揺れる。
「一つは惨めな村娘のスープ。もう一つは罪深き英雄の心臓煮込み…。ザンクローネ、貴方が手にできるのは一つだけ。手にしなかったものは、お鍋の中にぽちゃん。もう、二度と戻らないわ」
 さぁ、どちらがお好み? そうアイラインがバッチリ決まった目元が、嬉しそうにザンクの兄貴に問いかけている。
 でもさぁ、オイラバカだから思わず口に出ちゃった。
「英雄の心臓…?」
 あのキラキラ光っているハート形の宝石。あれって心臓なのか? 確かにドックンドックンって感じで光ってるけど。オイラが首を傾げた姿を見て、魔女のネーチャンは憐れむように眉根を寄せた。
「あら、ザンクローネ。貴方は一緒に村を守ってくれているオトモダチに、本当のことを伝えていないの?」
 魔女のネーチャンはまるで女優みたいに、心から可哀想って感じだ。なんか、めっちゃ同情されてる。
『魔女はザンクローネさんが僕らに話していないことを、知っているんだ』
 相棒の言葉にオイラも心の中で頷いた。
 クレルが毎日掃除に行く寂れた祠。掠れて読めなかった字が、この世界では読めた。『メルサンディの守護精霊は、メルサンディがある限り一緒にいる』って内容だ。相棒はメルサンディの守護精霊はザンクの兄貴だろうと名推理。オイラもそう思う。
 相棒が悲しがってたのは、ザンクの兄貴を倒したがっている魔物達が、意味があって村を襲っていたということ。おそらく、ザンクの兄貴はそれを知っていたんじゃないかってこと。疑うのはわりーことだと思うけど、結局、オイラと相棒はよそ者なんだなってしょんぼりだぜ。
「可哀想なオトモダチ。貴方は戦っている敵がなんなのかも知らず、死にそうな目にあったり傷ついたりしているのね。でも、もう大丈夫。罪深い英雄の代わりに、アタシが教えてあげるわ」
「やめろ!」
 ザンクローネさんが剣を抜きはなち、魔女に切りかかろうとする。けど剣はパラソルに受け止められ、押し返されて振り抜かれて兄貴は吹っ飛んじゃった。床に転がる直前に、ぽんと軽い音がして兄貴がロールパンになっちゃった!
「ちょっとそこで、大人しくパンになってなさい。あとで、戻してあ・げ・る」
 ひゃー! オイラもチョココロネにされちゃうかもしれねー! 驚くオイラ達に、魔女のネーチャンはかーちゃんが子供を寝かしつける物語を読み聞かせるように話し始めた。
「アタシはザンクローネに呪いを掛けたの。体がバラバラになっちゃう素敵な呪いよ」
「体がバラバラって、ザンクの兄貴は手足がちゃーんと付いてるぞ?」
 オイラのツッコミに、魔女のネーチャンがくすくすと笑う。悔しいけど、ちょっと可愛い。
「あら、オトモダチは知ってるじゃない。ザンクローネが傷を癒すために、自分の体を黄金の宝石に変えることができるって…。ザンクローネは貴方達と肉体のあり方が違うのよ」
 むぅ。確かに。
「バラバラになったザンクローネの体は、魔物になって自由になったわ。でもね、魔物になってもザンクローネの体の一部であったことは、朧げながらに覚えているもの。体の一部達はメルサンディ村を襲い始めたの」
『それが、僕らの知るメルサンディの魔物達が襲ってきた一連の事件なんだろうね』
 相棒の合いの手が聞こえてるみたいに、魔女のネーチャンは嬉しそうに頷いた。
「手足の魔物は、ザンクローネの手足。顔の魔物は顔、二匹のウサギ達は耳…。ザンクローネは村を守っていたわけじゃないの。ただ、自分の体を取り戻していただけなのよ」
 背後でぽんと軽い音が響いて、ザンクの兄貴の声が響いた。
「違う! 俺は、村を守るために…!」
 悲痛な声に満足げな笑みを浮かべたネーチャンは、パラソルをふわりと振った。
「それは、今から証明すればイイわ」
 鍋の上に浮いていたアイリのねーちゃんと、ハートの形の宝石がいきなり落ち始めた!
『兄さん!』
 相棒がオイラに力を貸してくれる。体の向きや踏み出す力の調整は相棒に任せて、オイラは直ぐ一番強い風を練り上げる。バギの呪文を発動させて鉄砲みたいに飛び出したけど、行きたいところに矢みたいに吹っ飛んでくれる! さすが相棒! 方向ばっちりだよ!
 オイラは精一杯手を伸ばす。指先に触れた感触がつるりと滑ると、ぽちゃんと音が響いちゃった!
 やばっ! 落としちゃった!
 相棒が空中一回転を決め、階段の上に着地した。顔を上げて鍋を見つめるけど、オイラが落としちゃった物は浮かび上がってくる気配もない。隣に、ほぼ同時に飛び出したザンクの兄貴が着地したのが分かった。
「なんで…」
 オイラは振り返る。二階の広々とした廊下に浮かぶ魔女のネーチャンの顔は見えないけど、伏せられた帽子の羽飾りがふるふると震えている。ネーチャンがオイラをキッと見つめた。うぅ! 怖い目! 尻尾がきゅってなっちゃうよ!
「なんで、心臓を真っ先に取りに行ったの!?」
 心底わからないと言いたげなネーチャンに、オイラは笑った。
「そりゃあ、ザンクの兄貴がアイリのねーちゃんを助けるって分かってたからな!」
 そう、鍋に向かって同時に落ちたアイリのねーちゃんと、ザンクの兄貴の心臓。魔女のネーチャンの話を聞いた直後じゃあ、ザンクの兄貴はメルサンディの村人より自分の体が大事かもーって揺らいじゃうかもしれねーな。きっと、それが狙いだったのかも。
 オイラは隣を見た。ザンクの兄貴がアイリのねーちゃんを抱きかかえて、オイラを見ている。
 いつも自信たっぷりな兄貴の顔が、不安に曇ってる。苦しげに胸が上下して、脂汗が滲んでる。これが笑顔の下に隠した、兄貴の本当の姿なんだ。
「兄貴はここに、アイリのねーちゃんを助けるために来たんだ。メルサンディの村の人に笑顔で暮らしてもらいたいから、戦ってるんだ。どんなに辛くても誰かを不安にさせないために笑う奴が、自分を優先なんかしねーよ!」
「ルアム…!」
 相棒もオイラも兄貴を疑っちゃいない。だから、オイラ等は真っ直ぐ心臓に手を伸ばしたんだ。
 ぐつぐつと鍋の音が大きくなって、オイラ等は思わず振り返った。鍋の中はボコボコと沸騰して、弾けた泡が床に散る。オイラは爪を装備してすぐ動けるように身構え、相棒が警戒しているのがひしひしと伝わってくる。
 ふふふ。魔女のネーチャンの笑い声に、オイラはちらりと目だけ向けた。
「オトモダチがそんなに偽りの英雄を信じていたなんて、誤算だったわ。でも、もう心臓は戻らない…。ここで、みーんな死んじゃえばイイわ!」
 鍋の中の沸騰はどんどん激しくなって、吹き出すスープは噴水みたいだ。花火みたいにばーんって飛び散ると、中から赤い宝石みたいな魔物が飛び出してきた! 大きくてちょっとした大岩くらいのサイズの宝石の真ん中に、キングスライムっぽい顔が嵌ってる。赤い宝石がドックンドックンと大きな音を立てて、光ってる。
『あれが、魔物化したザンクローネさんの心臓…!』
 茹で上がった心臓が、ぽーんと飛び上がってオイラ達を押しつぶそうと落っこちてきた!
 ビックリするほど落ちてくるの早い! オイラとザンクの兄貴が慌てて飛び退った目の前の板の間が、ベキベキと音を立てて崩れ宝石の魔物は一階に落ちて行く。と思った瞬間、オイラは素早く飛び上がった! 足元から茹でたてホカホカの心臓が飛び出してきたんだ!
「流石、ザンクの兄貴の心臓! めっちゃ活きが良いな!」
 指輪の飾りになれるような綺麗なカットの一つ一つに、ニヤリと笑ったオイラが映る。赤と青紫の瞳が尖った瞬間、両手に装備したファルコンクローがキラリと光った! バギの力を纏ったオイラは、空中でメタッピーみたいに素早く自由に舞う!
 タイガークローさながらの爪の乱舞だったけど、どの攻撃も甲高い音を立てて宝石の上をなぞるだけ! 最後の一撃と思って気合をいれた必中拳は、きぃんと一際高い音を立てて弾き返されちゃった!
「硬った!」
『体の軽さが攻撃に乗らないってのもあるけど、この心臓はプラチナキングみたいに硬いみたいだね。生半可な攻撃力じゃ、ビクともしないよ!』
 相棒の冷静な分析を聴きながら、アイリのねーちゃんを抱えたザンクの兄貴に魔物が行かないようオイラは魔物の前でヒラヒラ踊ってみせる。心臓は頭がないからか、オイラの挑発には簡単に乗ってくれて嬉しーぜ。攻撃を避けるのはよゆーだしな。
「ザンクの兄貴の攻撃なら、入るかな?」
 多分。相棒は自信なさげだけど、そう答えた。突進してきて突き破った壁の板がバラバラと降ってきて、オイラは風で板を絡めつつ逃げ回る。
『でも、ザンクローネさんに攻撃してもらうには、アイリちゃんを守らなくても大丈夫な状況にする必要があるよ。魔物の動きを止めることが出来れば…』
 止めるかぁ…。
 魔物はぐるぐるドカンドカン。ボロボロの『やえんかん』がもっとボロボロになっちゃう!
 床板を突き破って地面に刺さった心臓だったけど、ぐるぐるっと回ったかと思うとびょーんと飛び上がってくる。落とし穴とかぜってーハマらなそうだなー。とはいえ、物理攻撃が入らねーんじゃ、毒とか麻痺とか状態異常なんか無理だろーなー。
 ってことは、後は…呪文? でも茹でたてホカホカの心臓は触るとめっちゃ熱い。紙一重で避けてるオイラは心臓が撒き散らす熱気で、毛皮がびっしょびしょだぜ。オイラのヒャダルコなんか、真夏のかき氷みたいにしゅわーって溶けちゃうだろうなぁ。バギの風もあんなに重いんじゃ、きっとそよ風だ。
 もっと、1発でばしっと決まるような方法ってねーかなぁ?
『雷は、どう?』
 かみなり? オイラが問い返すと、相棒が説明してくれる。
『弓の攻撃でサンダーボルトがあるじゃん。あれと、兄さんの風の力を合わせて強力な雷撃を作るんだ』
「矢が触れた瞬間にびりびりーってか。確かに、オイラ達に出来ることで一番効きそうな方法だな!」
 オイラは大きくバク転を決めて、二階の潰されていない手すりの上に乗り上がった。すうっと相棒の気配が強くなり、手に相棒が手を重ねているような不思議な重さが加わってくる。相棒が慣れた手つきでナイトスナイパーを構えた。矢にバチバチと電気が爆ぜはじめ、それがどんどん大きくなってくる。オイラもバギの力を矢に纏わせて、電気と風が競い合うように強くなり始めた。
 魔物が気がついて、オイラに向かって突進してくる! でも相棒はまだ引き付けるつもりなんだ。目が眩みそうな光を、まだ手放さない!
「ルアムさん! 逃げて!」
 アイリのねーちゃん気がついたんだな! でも、大丈夫! オイラは相棒のこと、信じてるもん!
 高い吹き抜けの天井にまで飛び上がった魔物は、オイラに向かって急降下! 爆ぜて光る世界の中に、スライムみたいな魔物の顔がいやにゆっくりと近づいてくる。手がぎゅっと力を込めた。相棒が手を離すと、矢は魔物の口に一直線に飛んで行った!
 落雷が目の前に落っこちたような、耳がもげそうな音が響く! そしてバキバキと木の板が壊れる音がオイラを包んだかと思うと、体が宙を舞った。オイラは魔物と一緒に落っこちる!
「むぎゃ!」
 体の上にドカドカ遠慮なく板が落っこってくるよ! うぅ! 体が痛いし動かねー!
 真横にゴロンと転がった魔物は、体がばちばちいって動く気配はない。やった!動きが止まった! そう思った時だった!
 …ドックン! …ドックン! なんだか、すごーく、いやーな予感。
『ドドドドドドドドドド』
 強い熱波が『やえんかん』に吹き荒れる! オイラの軽い体が吹き飛ばされて、壁に叩きつけられた!
 叩きつけられた瞬間の痛みの後、気を失ってたんだろう。ズキズキと体が痛いんだけど、どこがどういう怪我をしているのかわかんねー。ただ、手や足や体ってもんが分からなくなって、ただ痛いってことしか感じられない。目が上手く開かなくて、妙に世界が赤みがかってる。心臓の魔物が暴れまわる音が、直接頭を殴ってるくらいに響いた。
『兄さん、大丈夫!?』
 相棒の声が聞こえる。オイラ、どれくらい気を失ってたんだろう?
『叩きつけられて、直ぐ気がついたよ』
 そっか。今直ぐ起きてザンクの兄貴達に魔物が行かねーよう、引きつけねーと…。
 オイラが手に力を込めても、うまく体が動かねー。赤い視界がすごく気持ち悪くって目を閉じると、瓦礫の山に赤い毛のプクリポが下敷きになっているのが見えた。場所によっちゃあ板が血を吸ってべっとりしてる。相棒が見てるオイラは、ちょっとやそっと力を込めたくらいじゃ動けなさそうな大怪我みたいだ。
『兄さん、ダメだ! 動ける状態じゃないよ!』
「ザンクの…兄貴は…? 相棒…見て」
 相棒が視線を巡らすと、ザンクの兄貴がアイリのねーちゃんを抱えて逃げ回っているのが見えた。オイラが動けなくなったから、魔物はザンクの兄貴達を標的に定めたみてーだ。ザンクの兄貴の顔は蒼白で、相棒からの遠目でも肩で息をして気力で動いているのが分かった。アイリのねーちゃんも泣きそうになりながら、ザンクの兄貴にしがみ付いている。
 このままじゃ、二人とも危ねー。オイラはどうにか手を自分の喉あたりに引き寄せて、ホイミの力を自分に振りかける。
 魔物が押しつぶし、板の間が大きく波打った。ザンクの兄貴は転倒し、アイリのねーちゃんも放り出される!
 もう逃げても埒が開かねーと思ったんだろう。兄貴が剣を抜いた! べっとりと張り付いた疲労と剣の重さに歯を食いしばる顔は、アイリのねーちゃんにはみえねーだろう。だが、膝が笑って肩で息するのは隠せねー。
 突進した魔物を気力で往なした兄貴が大きくよろめいた。両手持ちの剣から片手を引き剥がし、強く胸元を抑える。
「ザンクローネさん!」
 そんなザンクの兄貴を覗き込むように、影が落ちた。魔女のネーチャンが満足げな笑みを浮かべて、兄貴を覗き込む。
「心臓があれば、こんな魔物に梃子摺ることなんてなかったのにねぇ。可哀想なザンクローネ…早く殺して楽にしてあげましょうね。だぁいじょうぶ。貴方の心臓に押しつぶされたら、苦しむ暇もきっとないわぁ。でも、寂しくなんてさせないわ。大事な村娘も一緒に地獄にご案内してあげる」
「させ…る…か…よ」
 無理だ。ザンクの兄貴は限界なんだ。
「ごめんなさい。ザンクローネさん。私が何のお役に立てないから…」
 アイリのねーちゃんの絶望に満ちた声を押しつぶすように、魔女のネーチャンの高笑いが降ってくる。オイラ、何もできずに二人が死ぬところを見なきゃいけねーのか? 物語の通りに、兄貴が死んじまうのかよ!?
 考えろ! オイラはどんなに派手に滑ろーが、起死回生のネタを閃いてきたプクレット村の演芸グランプリチャンピオンだろ!
 今動けるのはアイリのねーちゃんくらいだ。
 オイラは動けねーけど、どうにか喋れる。
 アイリのねーちゃんに、何かしろって伝えることはできるんだ。
 何をさせれば良い? 何をすれば、状況はひっくり返せる? アイリのねーちゃんが戦っても、絶対勝てない。逃げたって、きっと追いつかれる。
 でも、何もしなければ、みんな、殺されちゃう!
「アイリ! 叫べ! 叫ぶんだ!」
 いつものオイラの声の音量にしちゃあ大したことねーけど、首が切れちゃうんじゃないかってくらい痛い。でも、今、言わないとダメなんだ。言いながら考えろ!
「ザンクの兄貴を…応援するんだ! 兄貴が戦おうとしてるのに、勝手に負けた気になってんじゃねーよ!」
 何バカなこと考えてるんだろう!
 でも、そうだ! メルサンディの人の祈りがある限り、ザンクの兄貴は死なねーんだ!
「ザンクの兄貴に力を与えられるのは、メルサンディ村の人だけだ! アイリにしか、できねーんだ! アイリ! 叫べ! ザンクの兄貴を信じろ!」
「私にしか…できない…」
 アイリのねーちゃんが顔を上げた時、そこには泣きそうで自分が病気で何もできないって思ってる表情はなかった。キッと前を見つめて、手をぎゅっと組んだ。目を強く瞑って、体全体から出てるってくらい、アイリのねーちゃんからは想像もできないくらい大きな声を張り上げた!
「ザンクローネさん! 頑張って! 負けないで!」
 兄貴の体を光が包み込んだ! メルサンディ村を照らす太陽の光みてーな光は、眩しくて、とってもあったかい。あまりの眩しさに魔女のネーチャンが仰け反り、魔物も動きを止める。光がすっと収まった時、誰もが驚いた顔をした。だって…
「兄貴…! でっか!」
 ザンクの兄貴が人間の大人サイズになってる!
「ザンクローネさん!」
 嬉しそうなアイリのねーちゃんに、ザンクの兄貴は不敵な笑みを浮かべた。
「『たとえ すべての麦が倒れ 水が干上がり 涙が枯れても お前の声が かれない限り 救いは 必ず訪れる 俺は必ず 駆けつける!』諦めないお前等の気持ち、願いがあれば、俺は奇跡だろうと起こしてみせる!」
 ザンクの兄貴は火燐刀を振りかざし、オイラ達を苦しめた心臓の魔物に斬りかかる! 館を崩し、オイラ達の攻撃にビクともしなかった心臓が弾かれ叩きつけられる! 火燐刀と硬い心臓が打ち合えば舞う光は、火の粉じゃない! あの硬い体がボロボロと欠けていってるんだ!
 なんて強いんだろう! オイラ達が知っているザンクの兄貴の全力より、もっとすごい!
 地面に転がった魔物に、ザンクの兄貴は剣を振りかぶる! 闘気が大剣の刃を包み込み巨大に膨れ上がらせる、渾身斬りだ!
「俺がお前のために、希望の物語を紡いでみせる!」
 振り下ろされ心臓の魔物は真っ二つ! 闘気の衝撃波が『やえんかん』に牙を剥き、階段の上から戦いを見つめていた魔女のネーチャンに襲いかかる! 魔女のネーチャンはパラソルを開いて衝撃波を防いだけど、乗ったボールごと後ろに大きく押しのけられた。メイクが施された目元が、忌々しそうにザンクの兄貴を睨んだ。
「村娘の声援で力を取り戻したとでも言うの!? もう、心臓は永遠に失われた筈なのに…!」
 しかし、魔女のネーチャンは憎々しさを拭うように微笑んだ。
「まぁ、イイわ。また、お会いしましょう。永遠の夜は終わらない。ザンクローネ、貴方が絶望し死ぬまで…」
 畳んだパラソルで空中に魔法陣を描くと、魔女のネーチャンは魔法陣の中に消えていった。待ちやがれって、ザンクの兄貴も消えかかった魔法陣に飛び込んでいっちゃったよ! 待って! 置いてかねーでくれよぉ!
『お…置いていかれちゃった…』
 相棒の呆気にとられた声が、静かになった『やえんかん』に響く。
 がさごそと音が頭上から聞こえて、胸の苦しさが少し取れる。やっぱり開きにくい目をどうにか開けると、アイリのねーちゃんがオイラを覗き込んでいた。大丈夫ですか? そんな問いに、オイラは頷いた。
 抱き上げようとするアイリのねーちゃんに、オイラはもだもだと体を動かして言った。
「白い服が汚れちまうよー」
「命の恩人さんなんです。汚れなんて気になりませんよ」
 そう抱き上げてくれたアイリのねーちゃんは、ぼろぼろになった館の中をぐるっと見渡した。
「私、おじいさんが書いてくれた物語が悲しい形で終わってしまっていて、どんな話を書きたかったんだろうって良く考えて居ました。でも、今、ザンクローネさんが起こしてくれた奇跡を見て分かったんです。体が小さくても、呪われても、子供で力がなくても、病気で長く生きられなくても、どんな時でも希望を失ってはいけない」
 アイリのねーちゃんが微笑んだ。
「私、おじいさんの物語の続きを書こうと思います」
 オイラはそこの言葉にこくこくと頷いた。アイリのねーちゃんなら、絶対ハッピーエンドに決まってる。こんな最悪な結末から、皆が笑えるような最高のラストを描いてくれるだろう。それができるのも、アイリのねーちゃんに希望を持てよって伝えたザンクの兄貴とアイリのじーちゃんのお陰だ。

 おれたちゃトマト 完熟トマト
 ミネストローネに 英雄も入れよ
 だけどちょっと だけどちょっと
 ザンクローネは こわいな
 魔女様の命令 がんばっていこう

 陽気な歌声が響いて外を見れば、お化けトマト達がぞろぞろと歩き出している。魔女のネーチャン、まだ兄貴を殺すことを諦めちゃいないんだろう。あいつ等を追いかければ、ザンクの兄貴のところに戻れる筈だ。
 とにかく庭先で待っているクレルの姉ちゃんと一緒に、メルサンディに帰ろう!