転校生の秘密

 深い針葉樹の森が前へ後ろへ凄い勢いで流れていく。この大陸で最も大きいグランゼドーラ王国から、私達を目的地へ運んでくれる鉄道は何時間も速度を落とすことなく走っている。
 すごい。私はふかふかの座面に身を預け、心地よい揺れに眠気と闘いながら思う。
 まるでキラーパンサーに乗って駆け抜ける速さだけれど、キラーパンサーはそれほど持久力が強い種族じゃない。戦闘が長引けば機動力は落ちるから、キラーパンサーを運用する時は短期決戦が求められる。大地の箱舟が機械だから比べようもないけれど、それでも故郷や周辺諸国にはないもので感動しちゃうわ。
「ひゃー! すげー! はえー!」
 お兄ちゃんなんか窓を開けて、腰から上が外に出てしまっているわ。大きな口に風が入り込んで、口ががぼがぼと震えて歪んでる。ももんじゃのモジャモが押さえてくれなかったら、窓の外に放り出されているんじゃないの? 他のお客さんもチラチラ見て恥ずかしいわ。
 お兄ちゃんのはしゃぎっぷりに、私達を引率する先生が朗らかに笑う。
「ルカさんは鉄道は初めてですか。マルタの国と周辺諸国は島国ですから、潮風の強い環境に機械文明は発達しにくいですものね」
 本当は鉄道は初めてじゃないし、飛空船にだって乗ったことあるのに…!雪原に放たれた暴れ狛犬みたいなお兄ちゃんが恥ずかしくって、顔がスライムベスみたいに真っ赤になっちゃう!
 私達に向かい合って座っているのは、モンスターマスターなら知らぬ人はいないだろう。深い緑の生地の裏に毛皮を裏打ちしたマントを羽織り、同じく緑を基調とした吟遊詩人が好む装い。特に目を引く帽子に差した煉獄鳥の尾羽は、妖しい青白い光に濡れている。職業を極めた歪んだ指先を組んで、先生は茶色い瞳を窓の外へ向けていた。穏やかな横顔に、私は問いかける。
「先生はどうして、私達に学びの場を用意してくださったんですか?」
 私の問いにお兄ちゃんも『俺も聞きたい!』って隣に座った。
 お兄ちゃん『勉強なんてかったるい!』って反対してたものね。確かにマルタの国の殿堂入りマスターになったお兄ちゃんだから、勉強なんてしなくても強くなれるって証明しちゃったもん。でも、先生と牧場の子達で即席のチームを組んで戦って、負けちゃって来ることになったのよ。井戸の中の大巨ガマって、カメハ王子とワルぼうに散々笑われてたっけ。
 間にモジャモを挟んで、私達が答えを待っている。先生は『そうですねぇ』と、子守唄を歌ったら眠ってしまいそうな声で言う。
 ふんわりと笑った口から、予言のように厳かに言葉を紡ぐ。
「お二人はいずれ世界で活躍するような、優秀なモンスターマスターになるでしょう」
「やっぱり先生くらいのマスターは、最年少で殿堂入りを果たした俺の実力をわかってくれてるんだ! まったく、王様もモンスターじいさんも、まだ早いまだ早いってうるさくてさぁ! あでででっ!イル、耳引っ張んなよ!」
 座席の上に立ち上がった、調子に乗ったお兄ちゃんの耳を引っ張って着席させる。その様子を愉快そうに笑って見ていた先生は、ずっと聴いていたくなるような穏やかな声で続けた。
「モンスターマスターは、魔物達の願いを叶えるべく導く職業です。狭い価値観では災いの種となり、時に世界の存続をも脅かす事態に発展することもあります」
 お兄ちゃんですら、先生の言葉にじっと耳を傾ける。
 私達は先生の『お友達』を見たことがあるけれど、単体で世界を崩壊させるほどの魔物が沢山いたわ。輪廻の巡りが早い魔物達と出会いと別れを繰り返した結果、先生は多くの魔物達を伝説級に導いた。その実績は人間だけじゃなく、魔物からも一目置かれている。あれ程の力量を持つ魔物に指示を出し実行させるマスターの責任の重さ、私には想像すらできない。
 私は思わずにはいられない。先生はきっと、モンスターマスター達が引き起こしてしまった数々の災いを見てきたんだろう。魔物達は強くなることを願っている。育てた魔物達が人に危害を加え、世界を傾けてしまう可能性も必ず存在するんだ。
「将来有望な若きマスターにこそ学びが必要だと、僕は考えています。アスフェルド学園の学園長がお二人の留学を認めてくださったこの機会は、神の配剤と言えましょう。大いなるミトラに感謝を、と信者でなくとも祈ってしまいますね」
 そう、手を組んで祈った先生は、明後日の方向へ視線を向ける。
 エルシオンは名門主義が凄くて編入は認められませんでしたし、メダル女学園は女性限定ですからねぇ。なかなか、留学に前向きな学校を探すのが大変で…。先生は苦難を反芻しているようだ。
「一年も魔物達の修行をサボったら、腕が鈍っちまうよ」
 お兄ちゃんが尖らせた唇を摘む。いふぇえいふぇえと変な声が漏れた。
「お世話はお父さんとお母さんがしてくれるし、魔物達は自主練頑張るって言ってたわ。お兄ちゃんこそ、一年も勉強しないで馬鹿なまま帰ったら笑われちゃうからねっ!」
 最後の言葉と一緒に、ぎゅっと力を込める。
 いゔぇべべべ! 涙目になるお兄ちゃんを横目に、先生はゆるりと頭を下げる。
「本当は夏季休暇や冬季休暇などにご実家に帰してあげたいんですけど、アストルティアへ来る方法が安定しないのです。ご両親と一年間離れなくてはならないことを強いて、申し訳ない」
 先生が凄いマスターであるもう一つの理由が、この世界開拓だ。
 世界は無数に存在し、今も新しい世界が次々と発見されている。魔物を引き連れ多くの世界を渡り歩いて修行するモンスターマスターは、この未発見の世界の発見率がとても高い。新しい世界を発見したら所属する国の王に報告し、調査が始まり、すでに住んでいる人々と交流し信頼を得る。双方の世界の王や賢者が了承したら、その世界が解放される。多くのマスターが新しいモンスターとの出会いや、修行の場として訪れることが許されるの。
 先生は調査も交流も全部やった上で発表する、規格外的存在だ。難しい世界の調査や交流を、王国から直々に依頼されることもある。見つけた世界も調査した世界も、全てのモンスターマスターで1・2を争う程だろう。
 私達が今いるアストルティアも、最近先生によって発表された新しい世界だ。ただ、アストルティアはまだ解放前の調整中で、その主な理由が辿り着く条件が非常に難しいからなんだって。マルタの国に帰るのは簡単だけど、アストルティアへの道が安定して何時行けるかは、先生も分からない。
 でも、そんな世界は沢山ある。生命が脅かされる危険な環境、魔物達が非常に凶悪でマスターの生命の安全が保てない世界。モンスターマスターが来るのを拒絶した世界もあるらしい。訪れる為の道が不安定だなんて、可愛い理由よね。
「先生が謝らなくていいです。お兄ちゃんなんか、お母さんに叩き起こされなくてラッキーとか、お父さんの牧場の手伝いしなくて楽ちんだとか言ってますから!」
 お兄ちゃんが口元に立てた人差し指を当てて、シーシー言ってるわ! 知らないわよ!
 そっぽを向いた時、頭上からぽーんと軽快な音が響いた。
『この度は、アストルティア高速鉄道、グランゼドーラ直通アスフェルド学園行きをご利用頂き、誠にありがとうございます。もうすぐ、終点アスフェルド学園に到着いたします』
 お! お兄ちゃんが弾かれるように座席から立ち上がると、窓を開けて外へ身を乗り出したわ! もうっ! モジャモが押さえてくれなかったら、飛んでいっちゃうって言ってるのに学習しないんだから!
 先生も窓に視線を向けると、私を手招く。
「イルさん、アスフェルド学園が見えてきましたよ。こちらにお座りなさい」
 忘れ物がないよう、今一度お手回品をご確認ください。そんな案内に背中を押されながら、先生の隣に移動する。丁度緩やかなカーブへ差し掛かり、鬱蒼と茂る森が途切れた。
 わぁあ! 私もお兄ちゃんも、声が揃った。
 湖が開けた視界いっぱいに広がった。湖は海の色にも負けない深い青を湛えながら、太陽の光を浴びて燦々と輝いている。その湖の麓には大きな人工物が身を寄せ合っている。赤い屋根と白を基調とした壁面、丁寧に敷かれた石畳が森の中で存在感を放った。その建物の真ん中に、万年筆の形をした建造物が、宝石のように一際強く光を反射した。
 凄い立派な建物! こんな所で一年も勉強させてもらえるだなんて…!
 私は思わず両手で口を覆って、感動に身を震わせる。
 マルタの国は精霊の加護を受けた立派な王国だ。でも島国だから、大地の箱舟の出発点であるグランゼドーラのように無限に土地があるわけじゃなくて住む人も当然限られる。近隣のタイジュの国やカレキの国も同じような島国で、どんぐりベビーの背比べで似たり寄ったり。どの国も物知りな老人から知りたいことを聞き出すか、才能があれば師匠を得て親元を旅立つ。でも、この学校なら知りたい事は本で調べられて、旅立たなくても教えてくれる人がいる! 私は期待に胸が高鳴って、先生に聞こえてしまわないか心配になっちゃう。
 アスフェルド学園へ向かう箱舟が、速度を緩めて駅舎に吸い込まれていく。
 駅舎もとても立派で、アスフェルド学園の学章が縫い込まれた旗が壁に掛けられている。盾のような枠を四分割して、それぞれに色の違う紋章が配された学章だ。駅員さんに預けた私達の荷物鞄を受け取りながら、私達は駅舎を出る。
 初めて来る場所なのに、なぜが不思議とマルタの国のような雰囲気がある。眩い新緑が目に飛び込んできて、グランゼドーラに居た時に感じていた潮の香りがしない。マルタの国にない植物、匂い、建物。何一つ似ていない二つの場所のはずなのに、酷く似ている気がしてしまう。
「おや、桜が終わってしまいましたか」
 カミハルムイにも劣らぬ、見事な桜を君達に見せたかったですねぇ。先を歩く先生が、残念そうに新緑を見上げている。
 袖を引かれて振り向けば、なんだか美味しくないものを食べたような顔がある。なぁ、イル。お兄ちゃんがきょろきょろと周囲を見回しながら、もそもそと話しかけてくる。
「なんだか、マルタに似てないか?」
 私もそう思う。そう言い返そうとした時、重厚感のある声が響いた。
「遠路遥々、ようこそおいでくださいました」
「これはこれは。バウンズ学園長自らお出迎え頂けるとは、痛み入ります」
 先生が足を止め、見知らぬ背広を着た男性と握手を交わしている。先生は小柄って感じじゃないんだけど、向かい合って握手している人は大柄も大柄だ。先生よりも頭一つ大きいし、まるで戦士のような胸板の厚みやがっしりした骨格。どろにんぎょうとビビバンゴって例えちゃいそうな差を感じるわ。白いものが目立つ髪が似合う威厳を感じるのに、お年を召されているとは思えない若々しさがある。
 穏やかに握手を交わし挨拶をした先生は、半歩足を下げて私達に振り返った。すっと左手が私達を示す為に向けられる。
「以前お話しした、将来有望なモンスターマスターの卵達です」
 男性はきゅっと口元を引き締めて少しだけ口角を上げ、目元を細める。威圧感すら感じていた大柄な体格が、ぎゅっと小さくなって柔らかくなった気がする。早くもなく遅くもない動作で歩み寄ると、そっと背中を丸めて手を差し出してきた。
「アスフェルド学園の学園長を担うバウンズです」
 お兄ちゃんが緊張でガチガチになりながら『ルカです!』って、差し出された大きな手を握り返す。私の前に差し出された手は本当に大きくて、私の手がすっぽりと掌に収まっちゃうわ。握り返す力の強さは絶妙で、ちょっぴりひんやりしている。
「マルタの国から参りました、イルと申します。兄共々、一年間よろしくお願いします」
 そう小さく膝を折って頭を下げると、バウンズ学園長の雰囲気がさらに柔らかくなる。
「将来性を期待せざる得ない子供達だ。こんな優秀な子供達に学びの機会を与える栄誉に預かれるとは、教育者冥利に尽きるというものですな」
 バウンズ学園長が嬉しそうに言うと、すっと腰に手を回し胸を張る。後ろを振り返り『アイゼル君』と声を掛けると、少し離れた所にいたオレンジ色の髪の男子生徒が近寄ってくる。半袖のシャツに左腕に真っ赤な腕章を付けて、水色と青のチェック柄のズボンから覗く黒い革靴が颯爽と足を運ぶ。にかりと野生的な笑みを浮かべた男子生徒は、私達よりも頭二つはありそうな背の高い人だ。
「初めまして、留学生諸君。俺はガルハート3年生、生徒会長のアイゼルだ」
 私達がアイゼルさんと挨拶をした頃合いを見計らい、バウンズ学園長が話しかけてくる。
「二人にはまず、裁縫部に出向いて学園の制服を作ってもらう。学園内をアイゼル君に一通り案内して貰ったら、寮の自室へ戻り長旅の疲れを癒すといい」
 先生が私達に向き直り、荷物を渡すよう手を差し出してくる。両手に私達の荷物を受け取った先生は『寮の管理人さんに渡しておきます』と言った。そして、名残惜しそうに微笑む。
「お二人が実り多き一年を過ごすことを確信しています。楽しんでいらっしゃい」
 歩き出したアイゼルさんとお兄ちゃんを、小走りに追いかける。ちらりと一回だけ振り返ると、バウンズ学園長と並んで立っていた先生がにこりと笑って手を振ってくれた。
「兄ちゃん! どこにいくの?」
 お兄ちゃんが振り返るけど、私は首を振る。私は何も言ってないわ。
 わっ!と楽しげな声に顔を上げれば、アイゼルさんが男の子に抱きつかれてる。楽しげに笑う声が声変わり前の甲高い声で、ちょっと声の低い女の子って思われちゃうかも。もしかして、お兄ちゃんって呼んだの、あの子なのかしら?
「おう! ウェスリー、元気だなぁ!」
 アイゼルさんはウェスリーと呼んだ男の子の髪を、勢いよく掻き回した。涼しげな素材で出来た紺色のビーニーキャップを摘んで、アイゼルさんと同じオレンジ色の髪が日に焼けた指をすり抜ける。全体的に幼くて頬が丸く目も大きいけれど、アイゼルさんと良く似た目鼻立ちをしているわ。まるで大好きなご主人様を見かけて駆け寄ったワンちゃんみたい。尻尾があったら振り切れそうな勢いで、喜びが溢れてしまっているわ。
 アイゼルさんは私達に顔を向け、にかりと歯を見せて笑う。
「ルカ、イル、俺の弟のウェスリーだ。ウェスリー、留学生のルカとイルだ」
 アイゼルさんに紹介されて、お互いぺこぺこ自己紹介。
 私達を裁縫部へ案内している最中だと聞けば、ウェスリーさんは『兄ちゃん、生徒会長だもんね』と誇らしげに言うの。なんだか、羨ましいなぁ。私のお兄ちゃんもアイゼルさんみたいに、もう少し落ち着いてしっかりすると良いのになぁ。背丈が伸びて、大人っぽい顔立ちになったらマシになるのかしら? 思い描いたお兄ちゃんの姿はあんまりかっこ良くなくて、思わず眉間に皺が寄る。
 お兄ちゃんが、ぶるりと震え上がった。モジャモが『寒いもじゃ?』と体を傾げる。
「おっと、すまん。そんな薄着じゃ、流石に寒いよな」
 マルタは常夏の気温だからって、素肌にチョッキのままなんだもの。モジャモを抱えて鼻水を啜り上げるお兄ちゃんに、呆れてため息が出ちゃう。
「僕もいく! 一緒に行こう!」
 そうウェスリーさんがブレザーを脱いで、お兄ちゃんの肩に掛けた。並んで立ったのも丁度風上で、風避けになろうとしてくれているんだろう。それを直ぐに察したお兄ちゃんが『ありがとうな』って礼を言う。
「二人はグラブゾン一年生だからクラスは違うが、ウェスリーも一年生なんだ。仲良くしてやってくれ」
 うん! はい! 私達の元気な返事を聞いて、アイゼルさんが目元を優しく細めた。
 良く育った木々が茂る庭を抜け、階段を登ると立派な三階建ての本校舎が目の前に広がる。目の前には大きな噴水があって、水飛沫を浴びて輝くペンのような剣のような不思議なオブジェが立っている。温室だろう建物や、本校舎とは別に赤い屋根と白い煉瓦造りの建物がいくつも立っている。
 アイゼルさんが振り返り手を大きく広げ、ウェスリーさんがにこりと笑う。
「ようこそ、アスフェルド学園へ!」
 私とお兄ちゃんは顔を見合わせ笑った。
 もう、お兄ちゃんは勉強が嫌とか言わないだろう。優しくて頼り甲斐のあるアイゼルさんに、もうウェスリーさんってお友達ができたんだもの。私も女の子の友達が出来ると良いな…!
 絶対ステキな学園生活が待ってる。希望で目の前が輝いて見えた。