バベルの塔
謀られた。
カビ臭い牢屋でウルベア地下帝国皇帝ジャ・クバの訃報を聞いた時、余の心の内にはその一言しかなかった。そして余に罵詈雑言を涙ながらに捲し立てる兵士の怒りを、我が事のように理解していた。いや、余の怒りは故郷のマグマよりも熱く煮えたぎっておった。
ジャ・クバ殿の暗殺の濡れ衣を着せるには、敵国の皇子たる余は格好の存在と言える。この事から暗殺者は捕まっておらず、一番怪しいガテリア皇国の皇子たる余が投獄されたに至るのは理解できる。しかし、兵士の怒りの声は断言する。『ガテリア皇国の皇子ビャン・ダオが、ウルベア地下帝国皇帝ジャ・クバを殺害した』と断定されたのだ、と。
余は種族神ワギに誓いっても、ジャ・クバ殿を殺めてなどおらぬ。
しかし疑いは真実となって地下帝国に満ち、濡れ衣を着せられているのは事実。余が処刑されればガテリアとウルベアの戦争は、どちらかが滅ぶまで苛烈を極める事だろう。
それがどれほど不毛な事であるかは、王に近い者であればある程に痛感している。
魔神機が開発されたとはいえ多くの民が死ぬ事に胸を痛めるジャ・クバ殿。敵国の王の手紙の切実な思いを『演技』と断言した父でさえ、戦争の長期化が国を疲弊させると認めていた。余とジャ・クバ殿が行おうとした和平は、事情を知る者にとって悲願だったのだ。
余はジャ・クバ殿の娘、ウルタ姫を思い浮かべる。
母を亡くし父王に甘え、父であるジャ・クバ殿が溺れる程の愛情を注ぐ愛娘。幼さが残る年下の姫ならば、ビャン・ダオが父王を殺した犯人という言葉を疑いなく聞き入れてしまうだろう。
しかし、ウルタ姫が余が犯人だと捲し立てたとしても、余を投獄するのは早急と言えるだろう。なにせ、余はジャ・クバ殿を殺していない。せいぜい軟禁が精一杯だろうに、この有様。おそらく、姫君の癇癪を宥める為に投獄をせざる得ないのだろう。
父上と 仲直り したいのか? 殊勝な 心がけだな!
そう鼻息荒くふんぞり返って言う姿を思い出し、余も口元が綻んでしまう。ジャ・クバ殿が亡くなった事は大変悲しい事だが、若き王として執政に苦労するだろう彼女を同盟国の王として支えていきたいと思っていた。
そんな楽観的な思いは、一日一日を経る毎に翳りを見せていく。
一向に牢から出られないばかりか、余が処刑されるというではないか。見張の兵士達は口々に『ジャ・クバ様を殺したお前が処刑されるのが、早く見たい』などと不敬を言う。
その言葉に愕然とする。余は殺害していない以上、推測で両国を戦争に走らせる判断は王に近い側近こそ避けねばならぬ。ウルベアには優秀な宰相がいると聞く。かの者がウルタ姫に代わり真犯人を探し出さなくてはならぬのに、何をしておるのか。
そんなことはない。
あのジャ・クバ殿の国の民だ。そんな愚かな選択など、したりしない。
表面上は冷静を装っていた。だが心の中では渦潮のように疑惑が渦巻き、白き泡のように不安が消えることはなかった。カビやゴミの混じった食事を喉に押し込み、泥が混じった水を啜り、熱を噴き出し腹を下し、耐えていたある日、かちゃんと音がした。
ビャン様。なんと、おいたわしい。
懐かしい声に目を開けると、余の体に柔らかく温かい布が巻かれる。腕が背に回され起こされると、薬湯が口に当てられる。微温い薬湯は仄かに甘く、喉をするりと落ちていって軽く咽せる。背を撫でてくれる相手を見上げれば、そこにいたのは余に平和を説いた老師。
モノクルに隠れていない目は、見たこともない程に険しく眇められている。
「さぁ、逃げますぞ。ウルベアは貴方を処刑するつもりです」
わかっていた。もう、そうなるだろうと分かっていた。
それでも、ジャ・クバ殿の優しさが、共に平和の道へ民を導こうと言ってくれた言葉が、脱走を決意させる意思を鈍らせていた。もし脱走してしまえば、余がジャ・クバ殿を殺害したと認めたも同じであったからじゃ。
「グルヤンラシュが、貴方がジャ・クバ様を殺したと宣言されたのです」
それはウルベア地下帝国がガテリア皇国に対して、宣戦布告するのと等しい。逃げる算段も整えず最低限の護衛だけで飛び込む様子に、平和を夢見る馬鹿息子だと呆れていた父。余の長年に渡る説得と敵国に乗り込む覚悟に、本当に和平を結ぶつもりであると理解していた。だからこそ、濡れ衣を着せたウルベア地下帝国の卑劣さに、息子と国に泥を塗った王国を滅ぼすまで戦争を続ける事を決意するに違いない。
誰が利益を得る?
いや、誰がそう誘導した?
グルヤンラシュ。姿を見た事はないが名前だけは知っている、ウルベア地下帝国の優秀な宰相。彼奴が余に濡れ衣を着せ、幼いウルタ姫を丸め込み、民を戦争に駆り立てる。
もしかしたらジャ・クバ殿を殺したのも、彼奴かもしれぬ。
いや、そうじゃ。そうに違いない。
「…奴は魔物じゃ」
余の口は掠れた声で、言葉を紡いだ。己でも吃驚する程に嗄れて老人のよう声色だった。喉に痛みが走り血反吐が出そうになるも、言わずにはいられなかった。
全てのドワーフ族を地獄へ追い立てる存在を、魔物と表現しないでなんと言い表せばいい…!
いや! 余はリウ老師の手を掴んで叫んだ。
「ドワチャッカ全ての王国を滅ぼさんとする、恐ろしい悪鬼よ…!」
リウ老師が逃してくれたのは、遥か三千年先という未来。
彼程の才覚があれば、余を格納した魔神機を発見する事など容易かったろうに、なぜしなかったのか? 目覚めてよりずっと疑問に思っていたが、今、疑問の答えが目の前にある。
ずぅん。ずぅん。遠くから地鳴りが響き、分厚い砂嵐のカーテンに巨大な影が刻まれる。遥か上空には夜空の黒に浮かび上がる、うっすらと紫電を這わす繭。この世界を滅ぼすとされる危機を前に、それよりも早く余達を殺すだろう迫る脅威に、己に課せられた使命に大砲の角度を調整する者、背後にいる愛する者の為に己を叱咤して砲弾を用意する者、絶望に戦意を刈り取られへたり込む者と様々。
「目標進路から、砂防ダムを越えドルワーム王国へ向かう模様! 大砲有効射程距離に侵入するまで、一時間!」
ドルワーム王国軍はウルベア大魔神との戦闘を、目前に控えていた。
今も真後ろで次々と箱に詰め込まれた大砲の砲弾が、砂防ダム全体に配置された大砲に配られていく。ウルベア大魔神との戦いの決定打として開発された『太陽の弾』だが、実用できなかった為に数で応戦する先方へ舵を切った。魔瘴石を太陽の石に変える技術が確立したドルワーム王国は、太陽の石を核とした大砲の球を生産したのだ。その数は防具鍛治ギルドの炉、職人達を不眠不休で総動員し万に迫る数だと言う。
会敵まで一時間もあるというのに、大魔神の頭は既に視線を上げなければ見えぬ位置にある。
かつてガテリアの民が感じた恐怖を、余は噛み締めるように感じていた。
当時のガテリアの斥候ならば、大魔神が帝国技術庁より出た所から既に把握していただろう。ウルベアに向けていた魔神兵達を進路を阻むように再配置し、稜線に配置した最高の威力を誇る大砲の標準を大魔神に合わせていたに違いない。父王は今まで見た事のない不気味で巨大な大魔神を前に、非戦闘員である国民を最も安全だろう最も深いシェルターに避難させたろう。その判断は余から見ても、非の打ち所がない完璧なものだった。
しかし、その判断をも超える、史上類を見ない破壊が齎された。
魔神兵達は虫ケラのように大魔神に蹴散らされ、大砲も大魔神の防御を崩すに至らない。そして、溶岩ですらそう簡単に溶かす事の出来ぬ防壁貫通し、最も深層のシェルターすら溶解させた破壊力。
余は体が大きく震えるのを感じた。きつく握りしめた手を、そっと分厚いグローブが包み込む。
「ビャン君。大丈夫?」
オレンジ色の髪が報告を聞く為に忙しなく動いていたはずだったが、兵士達が途切れたようだ。ドワーフ族の体が隠れる程の大楯を背負うラミザ殿は、賢哲の盾の子孫らしい佇まいで、戦場に似つかわしくない優しく心配でいっぱいの目で余を見上げていた。
「案ずるな、ラミザ殿。武者震いというものだ」
余は小さく笑って、ラミザ殿の不安を拭ってみせた。
「余は故郷を滅ぼした敵を討ち、故郷の民の雪辱を濯ぐ機会を得たのじゃ」
今の戦いは全てガテリアの犠牲の上に成り立っている。大魔神が超高威力の一撃を放てる事、大砲の一撃も届かず大魔神を転倒させる事もできないのは防御シールドがあるから。それらを推測し作戦を立案したのは、故郷の教訓があればこそ。
余は今、ガテリアの民と共にここに立ち、大魔神を倒すのだ。
武者震いしない訳がない。
ドルワームを第二のガテリアにせぬ為に、二度と悲劇が繰り返されぬ為に、大魔神を永遠の闇に葬り去る事が、この時代にやってきた余の使命だと痛感するのだ。
しかし、引き締めた顔が、ふっと崩れる。
「欲を言えばグルヤンラシュを討ちたい所だが、流石に三千年は生きてはおるまい」
結局、グルヤンラシュが何者であるかは分からなかった。だがウルタ姫を丸め込み、大魔神をガテリアに差し向けた張本人である事に変わりはなかろう。
どんな弁明をするのか聞いてみたいものだが、『本当はガテリアを滅ぼすつもりなどなかった』などと抜かしおったら、余は躊躇いなく殺す。それはドワーフ族全てを地獄へ誘っておきながら、そうなる事など思ってもいなかったと言う浅慮を自白するも同じ。そんな浅い考えで殺された民が浮かばれぬ。
ウルタ姫が王の責務に目覚め、獅子身中の虫である奸臣を断罪してくれる事を願うばかりよ。
それよりも。余は回顧から現在へ意識を向ける。
大魔神が起動したという事は、過去へ向かったルアム達は失敗したのだろう。繭と共に現れる黒衣の剣士は神出鬼没で、類稀な剣術の冴えと膨大な魔力を持つと聞く。帝国技術庁に侵入するのですら難しいのに、そんな剣士を相手に大魔神の心臓を守り抜いたり破壊するのは無謀であったか。
ルアム。無事で戻ってきてたもれ…。
そっと種族神に祈ると、けたたましい警報にその場の誰もが身を竦めた。音の出所は余の反重力移動装置『アストルティアの未来号』だ。改造を施して飛行機能を追加したが、加速能力はお世辞にも子供の駆け足程度で、滑空に重きを置いたデザインをしている。今回の作戦は突然の大魔神の攻撃から避けられるよう、移動し続ける事が求められておった。空気抵抗を生まぬよう寝そべるように乗らねばならぬが、どうにも改造に時間をかけられなかったので仕方がない。
操縦桿に留まり毛繕いしていたレプリティアが、駆け寄ってきた余を見上げて嘴をぱかり。
『イチジョウホウ キョウユウ チュウ』
ピピピ。鳥の鳴き声とも神カラクリの音とも付かぬ響きに、余が傾げた首を元の位置に戻す。この『アストルティアの未来号』は三千年前に作られたとされる、ガテリアの技師が関わっただろう反重力移動装置とされている。中核部分は長い年月の劣化を耐え抜いた頑丈なブラックボックスで、持ち主である余も全てを知っている訳ではない。
とりあえず、何が原因なのか探らねば。操縦桿の下の操作パネルに手を伸ばそうとして、ぴたりと指先が止まる。
ひゅるひゅると高い笛のような音が、空から聞こえてくる。その音は三千年前、活火山であったカルサドラを知るドワーフならば恐ろしい警笛である。遥か上空から石礫が飛んでくる音。弾かれるように視線を上げ、砂塵が覆う黄土色の空に小さい影が映り込む。
「全員、伏せよ!」
砂塵をぼっと貫き、黒く丸い物が砂防ダムに突き刺さった!
ひっ! ラミザの喉の奥で悲鳴が詰まらせ、膨大な砂漠の砂を堰き止める頑強な砂防ダムが揺れる。落下物は幸いにも誰にも当たらず、砂防ダムの一部を破壊し瓦礫を撒き散らした。煙が棚引く向こう側から、どすどすと駆け上がってきた影が声を張り上げる。
「どうしたんじゃ! 大魔神の記念すべき第一打が来たかね!」
底抜けに明るい声を響かせて、煙を割って現れたのはトレジャーコートを着込んだデザートゴーストではなく恩人のガノじゃ。ガノは周囲の目が砂防ダムに開いた穴に向けられてるのを見て、しげしげと穴の中を覗く。どっこらしょと腰を下ろすと、防火や防刃性のある分厚いグローブを突っ込んだ。
よっこいしょ! まるで地面に埋まったオニオーンを引っこ抜くように、ガノは何かを取り出した。その場の誰もが、砂防ダムの端っこの大砲が誤射したのではないかと思うくらい、大きさも形も砲弾そのものの真っ黒い球。
しかし、ガノだけは首をかしげる。
うーむ。ううん? そう唸りながら掴んだ両手を動かし、矯めつ眇めつ球体を眺め回す。そんなガノのヘルメットの上にレプリアが留まった。嘴と金属のヘルメットが打ち重なって、耳を塞ぎたくなる程五月蝿い。
『コレ ゼロハチゴウ』
ぐらりと頭が揺れて取り落としそうになった球の上に乗り上がると、レプリアはこんこんと嘴の先で突いた。ピピピ。機械の音で囀る。
『リウロウシ ツクッタ タイヨウ ノ タマ』
リウ老師。その言葉に息が詰まる。
私も後から参ります。余を魔神機に押し込んだリウの最後の言葉を、目覚めた余は疑う事はなかった。しかし、魔神機無き未来において天才をほしいままに出来る存在はおらず、リウの姿はどこにもない。絶望し死ぬ場所として選んだガテリア皇国の最奥に、メッセージが隠されていたのに激昂したものだ。
なにが『残る』だ。余と共に来てくれるのでは、なかったのか? なぜ、嘘をついた。ぐるぐると巡った怒りが、今となっては恥ずかしい。
リウは知っていたのだ。
大魔神が復活し未来を脅かすこと。抵抗する為に力の限りを尽くす同胞達を。もしかしたら、余を救ったガノの存在も知っていたのかも知れぬ。余を託すに値する存在を信頼し、余が共に歩くべき友が未来にいるのなら、安心だと判断したのかも知れぬ。
「太陽の弾! 過去に持ち込んだ設計図を、完成させてくれたんだ!」
ラミザ殿の声が弾け、ガノの持った太陽の弾を嬉しそうに覗き込む。そうだ。この時代では時間が足りず作り出せなかった大魔神対策の切り札を、過去に託したラミザ殿の決断は正しかった。リウ老師は全ての手を尽くし、この瞬間に確実に届けてみせたのだ。
ラミザ殿はそっと太陽の弾と呼ばれた真っ黒い砲弾を撫でた。
「ガノ老師。太陽の弾を最高のタイミングで、大魔神にお見舞いしてやってください!」
大盾を彼の老師に預けたラミザ殿が、余の傍に歩み寄った。
ドルワーム王国の太陽の石は、王族でなければ力を解き放つも鎮めるも叶わぬ。最前線に立ち力が届く範囲に留まって、砲弾の中に込められた太陽の石の力を解き放ち大魔神に対する一撃を有効なものにしなければならない。
余は恐怖に揺れた瞳を真っ直ぐ上げ、震える拳を握りしめる歳の近い王子を見る。この勇敢さに応えなければならない。余はラミザ殿の手をがっちりと掴んだ。
これが三闘士である始祖様が望んだ、ジャ・クバ殿が夢見た、あるべき三闘士の子孫の姿。いがみ合い、殺し合うのではない。困難に共に立ち向かい、命を預けるに足る存在。なんと、時間が掛かったものか。それでも、ようやく一歩を踏み出したのだ。
「行くぞえ! 勇敢なドルワームの王子よ!」
大魔神の指が砂嵐を割る。分厚い砂の層をグローブのように嵌め込んだ手は、指同士がくっついてミトンのようだ。それでも、振り下ろされれば砂防ダムが一撃で崩壊する威力を持っているのは間違いない。
余とラミザ殿はそれぞれ命綱を『アストルティアの未来号』に繋ぐ。ラミザ殿を下に、その上に余が覆いかぶさる形で乗り込み、操縦桿の間にレプリアが嵌まり込む。寝そべる為に生じる様々な不具合を補助する役割を担うのだが、想像以上に『アストルティアの未来号』と相性がよかったのだ。ふわりと浮かび、どんどんと高度を上げていく。
もぞりと、腹の下でラミザが動いた。『アストルティアの未来号』から下を覗き込んでいるようだ。
「みんな! 聞いて!」
ラミザ殿の声は砂防ダムの隅々にまで響いた。
「仲間のため、家族のために、この戦いに勝とう!」
うぉおおおおおおっ! 兵士達の雄叫びが、びりびりと大気を震わせた。
恐怖を払拭し、士気を極限まで高める王の一声! 全ての瞳が打倒大魔神に燃え、背後に護るべき者達の為に踏みとどまる。
それは偏にラミザ王子の人柄。彼は兵士達一人一人に挨拶し、何気ない談話から恐怖に震える不安まで耳を傾けていた。その優しさに応える気持ちが王子への忠誠心となり、ガテリア皇国を消滅させた史上最悪の脅威を目の当たりにしても統率が乱れる事はない。
余も負けてはおられぬな!
噴煙を上げて燻るカルサドラ火山を見下ろす高みに到達し、余は操縦桿を思いっきり倒した。
『ゼンリョク ゼンシン!』
操縦桿の間に止まったレプリアが、翼を広げて宣言した。
砂防ダムの各所で眩い光が放たれ、暴風が砂塵を薙ぎ払う。第一手であるドルワームに所属する賢者達が力を合わせた暴走バギクロスだ。大魔神を正しく視認する事で大砲の命中力を上げ、大魔神からの攻撃から避けることが容易くなるはずだ。
砂嵐によって巻き上げられた砂塵が晴れ、大魔神の全貌が見える。
それは巨大な土塊でできた人形。生きた流砂の果てにあった元帝国技術庁で見たものと、何一つ変わらない。唯一違うのは、胸元に鮮明に輝く鮮やかな赤。
「あれが、大魔神の心臓…」
あぁ。ラミザ殿の呟きに頷く先で、次の一手である大砲の砲撃が始まった。妖精の粉を仕込んだ砲撃で有効射程距離を測ると共に、大魔神の防御シールドの範囲を確認する。この一手間があって初めて、余達が安全に近づける範囲が分かるのだ。砲撃が見えない壁に当たる度に、大魔神の心臓がちかりちかりと赤い光を一層強くする。
妖精の粉がうっすらと輝く幕の外側に、進路をとる。その速度は自由落下を加えて、目にも止まらぬスピードに達する。体を起こしていれば吹き飛ばされる空気の層を引き裂き、『アストルティアの未来号』は大魔神に肉薄した。
足元まで一気に降り勢いを利用して上昇する中、視界の隅で砂防ダムから光が瞬く。
「太陽の弾が来るぞ!」
ひゅうん。
砂防ダムから一際強い輝きが伸び上がると、天高く昇った太陽に吸い込まれる。そして甲高い音を引き連れて大魔神の心臓に突き刺さった。
カァン! 大魔神の前に展開された防御シールドと、太陽の弾が接触し衝撃波が巻き上がる。大魔神の足元から叢雲のように砂塵が巻き上がり、衝撃波に機体が大きく揺れる。衝撃波を機体の下から受け浮遊に充てている間に、太陽の弾の第一層である黒い表面が赤々と燃える。ぼろりと崩れた第一層の下から、眩い太陽の輝きが溢れ出す。
「おかえり、僕の太陽。三千年の旅を超えて、良く帰ってきてくれたね」
ラミザ殿が感慨深く呟くと、そっと手を伸ばした。分厚いグローブの隙間から黄金色の光が漏れ、太陽の弾の周囲にドルワーム王国の紋章、太陽の石を制御する魔法陣が浮かび上がる。太陽の弾がさらに眩い光を放った。
砂防ダムから、大砲を打つ音が土石流のように湧き始めた。最後の一手、一斉砲火が始まったのだ。
太陽の弾が放つ閃光により、余達は砂防ダムの同胞達からは見えぬ。しかし、安全な所に退避しては、太陽の石の力を解放し続ける魔法陣が消えてしまう。さらには防御シールドと異なり、暴れ回る大魔神の動きも避けねばならぬ。
「ラミザよ、制御に集中しておれ!」
ここが、余の腕の見せ所よ。余は操縦桿を傾け、機体を回転させる。
「ガテリアの皇子の気概を示してくれようぞ!」
レプリアの翼が『アストルティアの未来号』を包み込み、視覚的に砲弾や大魔神の位置を映し出す。それらは黄金の輝きの中で赤い警告色として表示された。操縦桿を激しく動かし上や下へ回避しながら、砲弾の雨と大魔神の体を避けていく。太陽の弾が放つ膨大な太陽のエネルギーで黄金色に塗り替えられた空間の中、余は『アストルティアの未来号』と一体になった心地だった。
全ての砲弾が遥かオーガ族の地で見た雪のように緩やかに降り注ぎ、大魔神の動きなどボミエを重ね掛けされた腐った死体のような緩慢さ。その手が振り上げられると、砲弾が集中して小さな光が散ってまるで花火のようだ。
押し返された手首がぼろりと崩れていく。
いや、防御シールドが大魔神の全身を覆いきれなくなってきておる。
腕が、足元が、砂防ダムからの砲撃を受けて大魔神の体が傾いでいく。それでも太陽の弾から大魔神の心臓を守るべく集約された防御シールドは、激しい火花を散らして鍔競りあっていた。
まるで鮮血のような鮮やかな赤であった心臓は、黒く澱んで見えた。いや、この緩慢な世界の中で、余は黒く見えた原因をはっきりと捉えた。
大魔神の心臓の中に、生き物がいる。
それは繭と共に襲撃する存在として知らされていた、異形獣と呼ばれる獣に酷似しておる。竜のような長い尾を持ち、鋭い爪を持った腕はウェナ諸島で見たネイルビーストのような異様な長さ。顔らしい頭部はのっぺりとした陶器のようで、瞳も口も存在しない。それが心臓の中でぐるぐると泳ぎ回っているのだ。
なんだ、あれは?
いよいよ防御シールドが狭まり、心臓がより鮮明に見えるようになる。瞬間、心臓がぴしりと音を立ててヒビ入った。いや、心臓の中にいた生命が内側から爪を突き立て、心臓を割ったのだ。
獣はぬるりと心臓より這い出て、するすると頭の方へ登っていく。
ぱぁん! 視線を上げようとして、黄金の閃光が全てを塗り替える。防御シールドを破った太陽の弾が、ついに心臓を貫き、大魔神を撃ち抜いたのだ! 生きた砂漠の中に高い砂柱を立てて、太陽の弾が刺さる。
ぼろぼろと崩れ、生きた砂漠の中に落ちていく音は、大魔神の内部の中を空気が通り抜けてまるで断末魔の叫びのように響いた。重い音を響かせ、大魔神の体が次々と砂の中へ引き摺り込まれていく。
遠くから歓声が聞こえる。大魔神を討ったと、命が助かったと喜ぶ同胞達の声。
そうだ。大魔神が、死に、崩れていく。その様は故郷の仇を討ったはずなのに、多くの命が救われた筈なのに、胸が苦しく苦く感じるものだった。
くくく! もう 悪夢 見なくて 済むね! よかったよかった!
何処かから聞こえた言葉は、大魔神に向けたものだろう。明るく陽気に響く声に、何故か余は救われた気持ちになった。