金の冠

 ロマリアを含む全ての道の始まりの地方は、冬は兎に角陰鬱だ。寒くて、来る日も来る日も曇り空。秋の葡萄の収穫と紅葉、春の訪れと共に一斉に咲き出す花々と林檎の香りの華々しさの反動のよう。でも夏のじりじりした日差しの下を歩かされるより、ただ寒さと憂鬱さえ我慢すれば良い冬は楽に思うの。
 シャンパーニュ地方の葡萄畑は、全て収穫を終えてひっそりと静まり返っていた。寒さに氷の塊のようにこびり付いた雪が物語る通り、地面はまるで煉瓦で舗装されたように硬く凍り付いている。ここには高い見張りの塔があり、カザーブの山岳地帯からも見えていた。この広大な葡萄畑で作業に集中する人々を守る守護者の塔だ。
 この塔には武術の心得がある男達が、一年を通して常駐していた。魔物退治となれば怪我人も出る。地元の男だけでなく、雇われた傭兵も多かった。
 俺とクリスティーヌが、見張りの塔の扉を叩いたが誰も返事はない。扉を開けると風が無いだけで、深々と冷えきった空気が沈殿していた。クリスティーヌが来訪者を告げる為の鈴を鳴らすのだろう紐を見つけ、引っ張った。
 俺達は顔を見合わせ、頷き合って上を目指し始めた。
 毛皮を使った厚手の外套を身体に巻き付けるように密着させ、迷い込んだ魔物に気をつけながら登る。時折振り返り日光の下では蜂蜜の様に滑らかな輝きを宿す金髪は、この暗がりで慎ましい満月のような色合いで輝いている。長い髪を二つのお下げにして毛皮のフードを被った少女は、争いとは無縁そうな頬や唇がじっとりと汗に濡れ、金髪がぴたりと張り付いている。
 俺にはクリスティーヌの気持ちが分からないでいた。
 どうして、危険な旅なんか望むんだろう。
 アリアハンから船旅でバハラタに着き、そこからアッサラームへ徒で渡りロマリア経由でここに来た。半年近くの旅は、バハラタの誘拐事件騒ぎにクリスティーヌが巻き込まれたり平坦ではない。城壁内育ちの彼女は直ぐ音を上げると思ったが、アッサラームで斧と槍が一体化したハルバードを購入した途端に頭角を現した。あのベッドから起き上がる事も出来ず、短命を運命付けられた少女とは思えなかった。間合いが広い獲物を生かし思い切り良く切り込み、遠心力の使い方は飲み込むように覚えた。彼女は確かな鑑定眼があり、この武器はどう扱うべきかを研究し生かしているのだろう。今では助けられる場面も多かった。
「クリス、大丈夫かい?」
 体力が多少は付いたが、ハルバードは杖代わりにしても重い。はあはあと息を荒げる彼女が頑なに首を横に振るので、俺達はゆっくりと足を運んだ。
 長い階段を抜け、外壁の払われた見晴らしの良い空間が広がった。カザーブの葛折りの山脈を見渡し、眼下の葡萄畑は草原のよう。垂れ込めた灰色の雲がのしかかる海の上に、恐らくエジンベアだろう島影が見えた。中央には見張りが待機する塔が目を上げて天辺が見える程度伸びていた。
 遠くで重たく油が注されていない扉が、魔物の断末魔の悲鳴のように響いて開け閉めされた。
 誰か来るんだろうか。俺が警戒の眼差しを向けると、建物の影から大柄な影が現れた。
「おう。良く来たな」
 ふらりと手を挙げたのは、名前は知らないが知った顔だった。
 年齢的には俺達よりも一回りは上だろうが、髪や口髭にはちらちらと若白髪が混ざっている。明るい茶色の髪に榛色の瞳、子供が見たら失神するレベルの強面。腕は大木、胸板は城壁。筋肉隆々な彼と並べば、アリアハンでも体格の良い俺ですらひょろ長い麦の穂に見える。背負っている武器も重量のある大剣だ。
 バハラタの誘拐事件で一緒にカンダタを倒した彼は、俺達とアッサラームまで道を共にしてくれた。その際には様々な旅の心得を教えてくれた。野営の仕方、魔物への警戒のポイント、クリスティーヌに戦う切欠を与えたのも彼だったろう。彼の同行者の李鳳は彼を『親方』と呼んでいた。
 猫のような武道家の男の姿を探していたクリスティーヌが問う。
「李鳳さんは?」
「奴は今頃イシスだ。美女と宜しくやってるだろう」
 人間の頭すら鷲掴む程の大きな手をひらひらと振ると、親方は中に入るよう促した。塔の内部を延々と登り続けて身体を燃やす程に高まった体温は、山に向かって駆ける海風に尽く攫われて行った。俺とクリスティーヌは互いに頷き合って、親方の後に続いた。
 断末魔の響きがベル代わりの扉が背後で閉じると、内部は想像以上に居心地の良い空間だった。床は豪傑熊の毛皮が敷かれてふかふか、薪ストーブに掛かったシチューの香りが詰め所の中に満ちていた。仮眠用のベッドは宿屋を彷彿とさせ、テーブルと椅子、各々の荷物が所狭しと生活感を醸し出していた。
 中には既に一人が寛いでいて、屋上にもう一人見張りが、地上に二人が巡回に回っていると親方は語った。そう言いながら、手慣れた手付きでお茶を入れてくれる。たっぷりのミルクと蜂蜜を入れてくれた香り高い紅茶が染み渡り、俺とクリスティーヌはホッと一息ついた。
「で、こんな辺鄙な所に何の用だ?」
「金の冠を取り返しにきたんだ」
 俺の率直な物言いに、警戒しながらも座っていた男が立ち上がった。今にも獲物を抜いて切り掛かろうとする殺気を押し止めたのは、親方だった。俺達の前に座って薄い酒を舐めていた親方は、部下や俺達が驚くのも構わず大笑いだ。
「なぁんだ、ロマリアの根性無し王子はもう吐いちまったのか!」
 ロマリアでは金の冠が盗難されたと大騒ぎだった。だけど俺もクリスティーヌも何か出来る訳ではなく、それは大変ですねと宿の主人や他の旅人と同情的な言葉を言うばかりだった。そんな矢先に、あの馬鹿親父の声が聞こえるんだ。
 『オルテガー! 王様とね、金の冠戻って来るか賭けしちゃったの! 取り返してきてよー!』
 この馬鹿親父、アリアハンの家まで賭けやがった。くるくると踊る親父に引っ張られ、ロマリア中を駆け回れば面白いように金の冠の情報が手に入った。
 カンダタという盗賊が酒を呑みに来たと裏通りの酒場の主が言えば、隣に座っていた客が王子も来ていたと話す。モンスターを戦わせる賭博場へ向かえば、王子の情けない過去を面白おかしく語ってくれる予測屋の話を延々と聞く。王子は賭博場に入り浸り、黒髪金目の女詐欺師にパンツ一枚まで剥ぎ取られる程にぼろ負けしたと言う。起死回生と賭博場で如何様をしようとして見破られ、指を落とされそうになったのをカンダタに救われたのが縁なのだとか。
 最後の締めにと王子をとっちめれば『王位を継ぎたくないから、金の冠をカンダタに盗んでもらった』と半ベソかいて告白する始末だ。
 カンダタの名を知り正体を知った時、クリスティーヌは息を詰めた。親方は顔は悪人面だが、根は面倒見の良い男だったからだ。
 俺は親方と呼んでいた男を睨みつけた。
「バハラタの誘拐事件騒ぎの時は、偽物を懲らしめる為に出て来たんだろ」
「俺の名を騙るからだ。その後は、鮫の餌にでもなっただろう」
 カンダタの自業自得と言いたげな笑みに、クリスティーヌが噛み付かんばかりに立ち上がった。
「おっと、俺の偽物に同情はしない方が良いぞ。奴等が人身売買の闇市に流した女の末路は酷いもんよ。お前が彼女等の後に続かなかった事に、感謝して欲しいくらいだな」
「兄さん独りでは危なかったと思えば、貴方の行ないは感謝すべき事だと思う。でも、他人の死や不幸を楽し気に語るなんて不快よ」
 そりゃあ悪かった。クリスティーヌの真っ直ぐな視線に、カンダタは悪びれた様子なく謝った。
 そんなカンダタに部屋にいた部下らしき男が吠える。
「親方!このガキ共殺した方が良いですよ!」
「面が割れて、何が困るんだ? えぇ? 重要なのは隠れる事じゃない、紛れ馴染む事だ。心得さえ確かなら兵士の真横で酒を呑もうが、商人の目の前で盗みをしようが、親の前で子供だって殺められるさ」
 度が過ぎた発言に、クリスティーヌがヒステリックに叫んだ。
「常識外れも甚だしわ…!」
「ふん。世界は広く、人に厳しい。太陽の日差しは容赦なく身体を焼き、海は次々と命を沈め、森は旅人を捕らえ、山は突き落とし、人は人を騙し慰みものにして、魔物は暴力で全てを蹂躙する。それが当たり前なんだ。お前等の居た所が特別なんだ。奇麗事だけで生きていたいなら、帰れ」
 クリスティーヌが返す言葉を失って、震える拳を握りしめた。
 俺も彼女の気持ちが良く分かる。世界は想像以上に残酷で、カンダタの言った言葉は全て正しいだろう。俺達から視線を外し、酒を舐めるカンダタの瞳は諦観で冷えきっていた。
「俺達が間違っているなら、力尽くでねじ伏せれば良い」
 それが、あんた達のやり方なんだろ? そう俺が言えば、カンダタは熱された油のような滑る瞳を俺に向けた。にやりと口髭を口の端が持ち上げる。立てかけていた大剣を握りしめ、奥に無造作に転がしていた木の箱をクリスティーヌに放り投げる。
 男か慌てたように『親方!』と叫ぶ先で、クリスティーヌは木箱を開ける。中から蜂蜜のような、太陽の輝きのような黄金色が溢れ出す。驚く俺達を見て愉快そうにカンダタは笑った。
「万が一、お前らが勝ったら好きにしな。別に欲しくて持って来た訳ではないからな。もし、オルテガに死んで欲しくなかったら、俺にその箱を投げてよこせ。それがお前達の降参の合図だ」
 一足先に外へ出るカンダタを見送り、俺はクリスティーヌに頷いてみせた。
 『良いかい、オルテガ。これから教える魔法陣の中に相手を誘い込むんだ』
 頭の中に叩き込んだ転移魔法の陣を思い返す。ここに来るまでの間、毎日練習した陣はもう無意識で描ける程だった。
 『相手が入って発動させたら、パパの描いた片割れに強制的に飛ばされるんだよ!』
 遊び人が頭が痛くなる金切り声で笑い転げる。
 『噂の大盗賊が無名の旅人の手で、王様と黒幕の王子様の前に引っ立てられるなんて、どんな喜劇でもお目に掛かれないよ! カンダタどんな顔するかな! パパは今から楽しみだよ!』
 あの馬鹿親父。
 毒づきながらも、俺がカンダタと正面から戦って勝つ見込みは無い。俺達は元々、彼をロマリア王の目の前に敷いた魔法陣に飛ばす事を目的とした運び屋なのだ。
 彼を裁くのは俺ではない。ロマリア王が、王子共々罰を下すだろう。
 戦いの場で向かい合った俺を見る榛色。現実の厳しさを諭した冷たい瞳に、道中見せた慈しむような優しい光が一瞬灯った。殺すつもりなんて無いくせに。非情な世界で甘い夢を手に入れようと、足掻いているのが分かった。
 彼はきっと殺されない。
 彼が殺されてしまうような世界なら、それこそ慈悲もへったくれもない。