策士の楽譜

 華やかな客船、贅を尽くした王宮御用達の帆船、定期船に漁船に軍艦、荷物満載の商業船。様々な船を送り出し迎えて賑わったコナンベリーには船一隻無く、かつての栄光は住民達の記憶の中のみ。
 魔物が年々増え続け、多くの地方に出ていた定期船すら運行を休止する時代である。新しい船を造船するという事は無きに等しい事である。追い打ちを掛けるように大灯台の聖なる種火が何者かに消され、黒い禍々しい炎が灯される。次々と座礁する船。貨物も届かず人影の失われた港には、訪れる人も少ない。多くの船大工が己の工具を家の奥の納屋で腐らせ、自棄になって酒場で飲んだくれる日々に希望は無かった。
 そんな中、遥かエンドールから行商の商隊がやってきた。コナンベリーから遠くエンドールまでの道程は地続きではないというのに、彼等はまるで海の上を歩いてきたかのような多くの馬車と荷物と傭兵を伴ってやってきた。コナンベリーの人々は、未だエンドールとブランカ間の海峡にトンネルが造られた事を知らなかったのだ。
 海峡にトンネルを完成させるという偉業を成し遂げた商人トルネコ。
 彼は更に人々の世界を拡げていく。

 □ ■ □ ■

 完成したばかりの真新しい船の上では、トルネコさんが雇った船員さんが舵を握り海面を見張っていた。爺ちゃんよりも逞しい筋肉と、黒い程に日に焼けた肌が月明かりに照らし出されていた。真新しい木の香りは、強い海風に曝されてもまだ強く香っていた。波の音に紛れて時折、ぎっぎっと進路調整の為にオールが波をかく。
 コナンベリーの灯台の復活を記念して命名された『聖なる種火丸』は、初航海の為に同席した船大工さん曰く軍艦を定期船のサイズに納めた船なのだそうだ。私でも驚く程の立派な一本の木を使っているし、船の内部は装飾されていない為に見える木目はとても綺麗で詰まってる。最も適した場所に、最も適した木材。きっと船大工さんは木の事を良く分かってるんだろう。爺ちゃんは一度も船に乗った事が無いって言うし、トルネコさんの船に乗せてあげたいなぁって思う。きっと喜ぶな。
 聖なる種火を大灯台に灯すのを手伝ったお礼にって、トルネコさんは出来たばかりの帆船の試運転も兼ねてミントスまで送ってくれるんだそうだ。他にも商隊で希望した数名の商人が同乗している。船は大きくて、格納庫には馬車が2台は停められるし、パトリシアも十分な広さを宛てがわれて安心してる。
 そう言えばホフマンさんは、ミントスの商人の神様に会いたいんだよね。商隊の商人さん達も、神様に会えるって興奮して食卓で話してたっけ。トルネコさんもミントスまで一緒に行くのかなぁ。
 月明かりは綺麗でも、潮風は重くて湿気を含んでる。癖の強い雲みたいな緑の髪の中に、塩でも出来てるんじゃないかって思う位入り込んで来る。山風が恋しい。揺れる寝床に寝付けないで転がってるよりか良いけど、誰も居ないでぼけっとしてるのも辛いなぁ。
 すると、甲板をぺたぺたと叩く足音が歩み寄ってきた。
「トゥティさん。こんばんわ」
 明るく声を掛けてきたのはトルネコさんだ。船に乗っている間は少し物静かなくらいだったけど、声を今聞いて分かった。トルネコさん、船酔いしてるんだ。
 私が思ってる事を察したのか、トルネコさんは苦笑して言った。
「船は初めてではありませんが、やはり調子は優れませんでね。もう数日乗れば慣れますが、その前にミントスに到着ですよ」
 口惜しい事に、この腹の脂肪はそう簡単に離れてはくれないようでして。そう力なく丸々としたお腹を叩いて、トルネコさんは笑った。深い青紫の髪に口髭まで蓄えているので、トルネコさんのやや青い顔がより青く見える。
 私の隣に並ぶと、トルネコさんは目を細めて輝く半月を見上げた。海は穏やかで遠くに魔物の影が群れているが、目線が酷く遠くを見ている事に気が付いた。そう言えば、エンドールに家族がいるんだっけ。自分には勿体無い美人の奥さんと、可愛い坊やがいるんだって言ってマーニャさんにからかわれてたな。
 家。遠いよな。エンドールもブランカも、ここからじゃとっても遠い。帰りたくても帰れる距離じゃない。でも、私やトルネコさんは帰る家があるけど、マーニャさんやミネアさんは家に帰れないだって言ってた。大好きなお父さんや、故郷や仲間や幸せとか何もかもが奪われたって凄く…怖いんだ。殺してやるって言う。
「トゥティさんは船は初めてでしたね。どうです? 初めての航行は?」
 トルネコさんのにこにこ顔は、本当に優しくて人好きする顔だと思う。まあるくて、笑い皺とえくぼがくっきりしてて、目尻が少し下がってて、雰囲気はぽかぽかした無風の日溜まりの中みたいだ。きっと、一週間山に居たら鳥だって肩に乗って来る人だろう。
 私もつられて笑うと、トルネコさんはとても満足げに言った。
「世界を旅する事は何処に生まれた人でも、賢い人でも発見の連続ですよ。貴女みたいに明るい人が世界に出る事は良い事です」
 そしてトルネコさんは腰に手をやる。ごとりと堅い物が甲板を叩く音を聞いて、そう言えばトルネコさんは帯剣していたんだっけと思い出した。破邪の剣っていう、凄く強い力を持った剣だ。
「今の世界は本当に暗く沈んでいます。明るい話題に渇き、希望に餓えて、期待する事に疲れてしまっているのです」
 そこでトルネコさんは船酔いを思い出したように、重苦しい息を吐いた。
「トゥティさんは希望の光とか勇者とかってお話をどう思います?」
 トルネコさんはミネアさんから、勇者を導く7つの光のうちの一つが貴方ですと告げたられたそうだ。私は勇者のような勇者じゃないような…って曖昧な存在らしい。ミネアさんの見立てでは7つの光が私を導いて勇者にしてくれるんだって。勇者をどう思うか。ここまで引き摺られるように来たけど、そんな質問をようやくされた気がする。
「私は…良く分からないなぁ」
 ミネアさんにそんな事言ったら、キツく言い返されそう。神託って決められた決定事項だから、理解出来なくてもいずれそうなるって言われそうだな。
 実は夕方にトルネコさんはミネアさんと、その話題で少し口論してた。トルネコさんは凄い。最終的に断っちゃったんだから。
「勇者って魔物を倒して世界を平和にしてくれるそうじゃないですか。今じゃ年齢も職種も越えた不特定多数の人々に都合が良くって、一つの大きな宗教みたいに盲信されてます。分からない人は分からないなりにこれからの事を考えますけど、勇者が世界を救ってくれるって信じちゃって待ってる人はこれからの事は全部勇者任せです」
 トルネコさんは頭を大きく振った。とっても辛い顔で、口にするのも嫌そうに続けました。
「誰も動きませんよ。勇者が世界を救ってくれるから、自分達が希望や明るい話題を作る事を億劫がるんです。私は商売人として極当たり前の事をしてるって言うのに、英雄扱いです」
 トルネコさんは最近頭角を現した武器商人だ。エンドールとボンモールは数年前から戦争を画策していたけど、今じゃそれぞれの王国の王女様と王子様が結婚するんだって。武術大会で堂々と優勝を果たし王女の婚約を宣言した王子の物語は、もう演劇として王立劇場で公演されているだろう。その影の功労者がトルネコさんじゃないかって噂がある。
 それにエンドールとブランカを結ぶトンネルは、私が生まれる前から工事が始まっていた。でも、いつの間にか資金が底を付いて頓挫してしまったんだって。爺ちゃんも切出した立派な大木をエンドールに運ぶ為に潮風に曝す事を凄く嫌がったから、この事実は凄く落胆してた。でもトルネコさんが私が働いたって絶対稼げないような凄いお金を提供して、トンネルはついに完成したんだ。ブランカの人は旅行の人が沢山来たり、特産品が売れたり、コナンベリーまでの街道が再整備されたりで期待と希望に輝いてる。
 そしてコナンベリーの造船再会だ。今じゃ色んな所の定期船が魔物の出没や王国の不安定さに終了してしまったそうだけど、また復活するんじゃないかって港の人は話してた。商人達もトルネコさんに続いて抑えていた貿易を活性化させる。聖なる種火丸の出港はお祭り騒ぎで誰もが喜んでいて、本当にコナンベリー復活の象徴みたいだった。
 トルネコさんは凄い。私じゃとても出来ない方法で、大きい事を成し遂げちゃうんだ。
 でも、そんな世界中が注目する大商人になったトルネコさんの表情はあまり明るく無い。
「勇者が居るとか居ないとか、そんな事はどうでも良いんです。それよりもやらなきゃいけない事があるんです。でも、駄目なんですよ。皆が疲れきってて、目に見える物で証明しないと誰も分かってくれないんです」
 私が心配そうに見上げてたからかな。トルネコさんは私の顔を見て、にっこり笑った。
「コナンベリーの人々はもう大丈夫です。彼等はこれから頑張れます。ブランカもエンドールもボンモールも、経済的な意味だけじゃなくて、もっともっと活発になる事でしょう」
 トルネコさんって爺ちゃんみたいな感じだな。
 木材を買い付けに来る商人は、木の事も良く知らないのに傷がどうの痛みがどうの色がどうの木目がどうのってケチ付けて値切ろうとするんだ。爺ちゃんが何時もカンカンに怒っちゃうから、大きくなって私が売る役目を変わったけど商人はあまり良い人が居ない。
 同じ商人なのに、トルネコさんは私が知ってる商人の持ってる嫌らしさがない。でも、トルネコさんはお金の計算とか頻繁にしてるし、お金が無いと出来ない事も多いからお金の事をどうでも良いとは思ってないんだろう。
 爺ちゃんは商売は金のやり取りだけじゃない。分からない奴は商人でもなんでもない、ただの屑だって口癖のように言ってた。凄く口が悪くって態度も悪い爺ちゃんだけど、凄く腕の良い樵で凄く良い木材を作れるから世界中からお客さんが来てた。凄く沢山の人が入る大聖堂を作る為に遥々やってきた、ドンなんとかさんって建築家の人には内緒でとても芯が強い百年に一本って木を切り倒したんだって。職人ってのはそういう人って事らしいけど、私にはまだまだ分からないなぁ。
「私が天空の剣を探そうと思ったのは、それでも勇者の為なんです」
 トルネコさんは話を戻したみたい。
 伝説の勇者が身につけた天空の武具と呼ばれる装備。天空の剣、天空の盾、天空の鎧、天空の兜という4つの武具の伝説が世界中に残ってる。悪が再び世界を滅ぼそうとした時、勇者は伝説の武具を身に纏い悪を倒すって言われてる。トルネコさんは伝説の武具の一つ、天空の剣を探しているんだ。
 今までの中で一番辛そうな顔をして、トルネコさんは言った。
「もし間違えで勇者にされた若者が居たら。その若者が本意ではないのに武器を持たされ魔物に立ち向かわされたら…それがすこし成長した私の息子だったらって考えたら、とても冗談に思えなかったんです。そんな狂気がこの世界にはあります」
 ぽっちゃりとした手をぎゅっと握りしめ、トルネコさんは続けた。
「天空の剣があれば、そんな可哀想な若者が勇者かどうか大衆の前で示す事が出来るでしょう。もし、本当に勇者だったら鬼に金棒です。勇者と担ぎ上げられた若者が生き延びられるのなら、喜んで差し上げますよ」
 トルネコさんの目は真剣だった。本気で伝説の武器を手に入れるつもりなんだって分かった。
 実は伝説の防具は、今、何処にあるのか大体分かってる。天空の盾は海山の剣士の国が、天空の兜は大海原に浮かぶ美しい楽園と呼ばれる国に、天空の鎧は黄金の砂漠の果ての陽炎の地にある。実はコナンベリーの少し手前、アネイルに天空の鎧があったんだ。私達が到着した時には、強盗にあって無くなってしまったそうだけど、伝説の武具は確かに存在していた。
 その中で、唯一場所が分からないままなのが天空の剣だ。浮かんだ素朴な疑問は、そのまま言葉になった。
「でも、伝説の武器なんでしょう? どうやって探すの?」
 問いに答える為なのか、真剣な顔を優しい笑みにしてトルネコさんは答えた。
「世界の流通を知れば、自ずと情報は集まるものです。もっと世界を動かして、伝説が何時までも隠れていられないようにしてやりますよ」
 優しい笑みに滲んだのは、自信と挑戦するものに向けられた意思なのかもしれない。
 帽子を取って深々とお辞儀をする。姿勢とは裏腹に、感じるのはその大胆不敵さ。
「トゥティさんもお見知りおきを。私は世界一の武器商人、トルネコなのですから」