金の林檎は食べれない

 いつの間にか世界が横倒しになっています。
 私が今描いている作品の前ではなさそうで、夜目の効く視界の中は雑然と置かれた物に溢れかえっています。沢山の箱や骨組みだけの棚には様々な物が無造作に積み上げられて、床は三和土で頬を冷たく硬く受け止めています。少しカビ臭い空気は澱んでいて、埃くささにくしゃみが出そう。きっと、倉庫なんだろうと私は思いました。
 体を動かそうとしましたが全く動けません。お腹が空き過ぎているのか、眠いのか、疲れているのか、私は私の体のことは良くわかりません。ただ、動けないのはわかります。あぁ、スケッチブックもないし暇です。
 時刻は夕刻に近い頃合いでしょう。寒さに強い私ですが、少し肌寒さを感じます。窓はなく、金属の枠が剥き出しの天井が頭上を覆っています。
 良くあることです。
 誘拐されたんでしょう。
 幼いが実力確かな芸術家であるピペを手に入れて、一攫千金を夢見る輩というのは想像以上に多いのです。学園でも私の描いたスケッチが盗まれます。学生というのはお財布が重くならない生き物で、お金を簡単に稼ぐ方法として私の絵を売り飛ばそうと考えるんでしょう。
 しかし、私の絵はお金になりません。
 たとえ私が古美術商の目の前で描いたラフスケッチであっても、1ゴールドの価値にもなりません。どんなに上手く描いた油彩画であっても、サインですら例外ではない。
 一枚数千万ゴールドの値段になる絵を描く私ですが、その価値に至るまでに特殊な手順を踏まねばならないのです。芸術に関わる者なら常識の知識ではありますが、一般の方にはそう馴染みのないことでしょう。だから誘拐されたりスケッチを盗んだりするのです。
 芸術の世界には『審議会』と呼ばれる組織があります。本当はもう少し難しくって洒落た呼び方があるのですが、芸術家の誰もが関心のない事に無頓着なので審議会と呼ぶ人がほとんど。私もその一人です。
 私の絵は審議会に提出し、登録し、審議されて鑑定書が発行されて、初めて価値のある作品になるのです。しかも提出は芸術家が任命した推薦人しかできず、それは一緒に暮らしてくれている保護者の方にお願いしています。だから例え私を誘拐し価値の出そうな絵を描き上げさせたとしても、推薦人以外が提出した絵はピぺの絵として受理されないのです。審議会で突っぱねられ、むしろ犯罪ではと捜査されてしまうでしょう。
 ここまで考えると、本当に私を誘拐することは無駄なことなのです。
 ちょっと調べれば、少し考えれば分かるのことなのに、私は良く誘拐されてしまうのです。だから、保護者の人も学校の先輩達もきちんと対策を立てています。
 こんこん。背後の壁が微かに叩かれる。
「ここ。壁が薄いですね。ここなら気が付かれずに破れます」
「流石、建築コース。さぁ、画面の前の皆様、本日の魔王様のご活躍にございます」
 囁かれた声が終わる前に、壁から正拳突きされた腕が生えた。筋肉隆々の太い腕が抜かれると、穴に10本の指がかかる。みしっみしと細かいヒビが壁を走ると、次の瞬間壁が崩れた。
 おおーと小声の歓声と、ぱちぱちぱちと控えめな拍手が沸きました。
 黒く大きな影がのそりと向かってくると、私を抱き上げました。あぁ、迎えに来てくれたんだ。大好きな保護者をしてくれている人の匂いを、いっぱいに吸い込んだ。
「ルアム。俺 魔王 違う」
「見た目が強面でデカくて、魔王で通じちゃうんだから、もう遅いって」
 肩に乗って見下ろしていた赤い毛皮のプクリポが、にっこりとカメラを片手に笑いかけてくれました。ルアム先輩です。
「迎えに来たよ! 怪我がなくて何よりだな!」
 ひょいっとかなりの高さから降りると、そこには何人もの建築コースと道具鍛冶コースの学生達が忙しなく動いています。その殆どがドワーフで、緑色を中心とした影が溶け込んで闇が蠢いているよう。素早く窓という窓、扉という扉を塞いでしまう。
 なんだこりゃ!そんな声が塞がれた建物の中から聞こえる頃には、私を誘拐した犯人の潜んでいる建物の前には多くの人集りができていました。助けに来ていた先輩達と野次馬で、ちょっとしたお祭り騒ぎになっています。
「はーい! 犯人さん、オイラの番組見てる? 今、生中継中だよ!」
 位置情報を表示するアイテムを、私は肌身離さず持っています。その情報はルアムさんと保護者の人だけが確認できて、プクリポ一匹分の身長くらいしか誤差がないくらいまで正確に絞れるのです。
 私が攫われたと思ったら、ルアムさんは自分で番組を立ち上げて、リアルタイムで救出するまでの一部始終をゲリラ配信します。技術科の生徒を引き連れ、生徒の技術を生かして派手にエンターテイメント性に富んだ救出劇が配信されるのです。それが、とても、大人気。
 途中で合流する私の保護者をしている人は、その強面さと威圧っぷりと力強い破壊行動から魔王と呼ばれています。とっても優しい人だけど、見た目が怖いのはどうにもならないみたいです。
 ちなみに犯人側には妨害電波で受信できないようにさせている徹底ぶりです。きっと妨害電波を止めて、配信が見れるようになったんでしょう。ルアムさんはカメラに向かって、ひらひらと手を振っています。
 次の瞬間、ヘラリとした締まりのないプクリポの顔が、キッとキツくなる。
「よくもオイラ達の可愛い後輩にイタズラしたなっ! オメーら全員、画面の皆の前で愉快な晒しもんにしてやるんだからなー! 覚悟しろよ!」
 集まった野次馬は殆どが視聴者なんでしょう。腕を高らかに振り上げ、カウントダウンが始まります。ゼロになって高らかに『スイッチオンンンヌッ!』と声が上がった。
「たーまやーーっ!」
 大きな閃光が走った瞬間、建物が弾け飛び特大の花火が飛び出した!犯人らしい複数の影が打ち上げ花火と共に夜空に連れて行かれ、ぱんっと弾けて夜空に咲いた大輪の一部になってしまいました。次々と打ち上がる花火を、町中の人々が窓を開けて見上げています。
 とても綺麗。スケッチブックがないから、目に焼き付けないと…!
 ちょっとした花火大会が終わって拍手が湧き上がる中、道具鍛冶コースの学生がさっとフリップをかざしました。
『本日の花火はスライム三連、モーモンプリティ・アンド・デビル、ヒャダルコ柳型4発、イオマータ乱れ咲10発、イオナズン級花火30発とイオグランデ級3発です。詳しいプログラムと再放送はルアム先輩の番組欄か技術科道具鍛冶コース裏サイトをご確認ください』
 そしてフリップを少しずらして、ルアムさんが元気に言います。
「みんなー! 悪いことしちゃ、ダメだからなー!」
 こうして楽しい私の救出劇は幕を閉じます。
 ちなみに、これが技術科の日常ですから。良くあることなんです。