交渉は舞台の上で

 ルティアナ学園の正門を潜り、オイラは駆け足で技術科棟へ向かっていた。全ての学科の生徒が使用する共用区域では魔法の使用は禁止されているので、バギの力を引き出す魔法道具は使えない。次第に馴染みの顔や見慣れた風景に囲まれてくると、あちこちからオイラの名前が聞こえてくる。
 元気な挨拶じゃない。不安な中で救いの手を差し伸べてくれそうな誰かを見つけたような、重苦しい期待の声。
 最悪な気分だ。オイラは歯を食いしばりそうになるのをどうにか堪えて、明るく元気に挨拶を振りまく。『オイラが戻ってきたから大丈夫』って触れ回って、後輩達の不安を少しでも拭ってやらないとな。実際に後輩達がホッとした感じになるので、オイラも笑顔を絶やさない。
 技術科棟の入り口で、卒業を控える先輩が意地の悪そうな笑みを浮かべて待ち構えていた。
「重役出勤じゃねぇか。偉くなったもんだな、ルアム」
 意地悪だなー。まぁ、本心じゃぁないってのは、オイラも相手もわかってる。
 オイラのインターン実習の実績は、学園の生徒でも多い方だし新規実習先は最多だ。チャンスを作るのは、後の笑顔の為にも必要だって思ってる。でも途中で放り投げ先方の印象を悪くしたら、オイラは良いけど後輩達を受け入れてもらえなくなる。だから、学園の事件が起きていると連絡を受けても、なかなか戻ってこれなかったんだ。
「状況は聞いてる。ピペの嬢ちゃんが消えちゃったけど、まだ出てこないんだって?」
 歩き出した先輩の後を、オイラも早歩きでついていく。先輩は調査資料を片手に、技術科棟の廊下を驚くほどの速さで歩いている。
「あぁ、時間的にはもう出てきてもおかしくねぇんだが、まだ見つからん。あの特待生の保護者は学園内のことは生徒に一任してくれてるから、まだ連絡してない。教師陣にも報告は入れたが、白旗挙げるまでは動かないでいてくれんだろ」
 流石『のびのび学べ』という放任主義の経営方針だ。
 先輩の繰っている事件に関連した資料は、教師陣の手元のものよりも詳細なものだろう。音楽コースの学生達が耳を澄ませて聞き取った些細な物音。鍛治コースの有志達で巡回したルートと時間、建築コースが図面をひっくり返して建物全体を再調査した報告書。技術科の総力を上げて調べ上げた結果、芸術コース生徒の道具に魔法の痕跡が認められており、それが技術科棟のあちこちに点在していると判明した。それを現在総力を上げて総浚いしているのだが、ガラクタ城と呼ばれた特性上難航しているといった状況だ。
 技術科は魔法とは全く関わらない。少しでも魔法が絡むことは、全て魔術科に組み込まれるからだ。自分達が自らの技量で作り上げた作品に、魔術科が小細工しているのだ。
 それで、神隠しはまた起きた。
 それが技術科として高めてきた自信を傷つける。自分達に出来ぬと無力を突きつけられて、苦しくてたまらない。不安が心を沈ませ、怒りが冷静さをくすませる。
「死人が出てねーから笑ってられるけど、状況的には笑えねーぞ」
「お前の顰めっ面なんて、どこにも需要はねぇ。後輩共が不安がるから、無責任でもいいから笑っとけ」
 オイラは小さく息を吐く。分かっている。皆、不安なのだ。
 うっかり顔を顰めたオイラを見た先輩は、くくっと噛み殺すような笑い声を上げた。
「だが、お前が面白がるだろう事態にはなってる」
 どういう意味だろう。首を傾げている間に、オイラ達はピペの嬢ちゃんが最後に使っていた温室を改造した巨大アトリエに到着した。時刻は日が沈もうとしている頃合いで、温室に残された木々から吊るされたランプに灯が灯されて淡く神秘的な光景が広がっている。いつもなら鉛筆の擦れる音すら聞こえるような静寂に浸された場所が、まるで祭りのど真ん中って大騒ぎだ。
「何を考えてるんだ! 戻れなかったらどうするつもりだ!」
「大丈夫です。今までのことを鑑みれば、帰還できる可能性は高いと思われます」
 言い争ってるから喧嘩でもしてんのかと思ったら、片方が危ないからやめろって止めてて、もう片方が大丈夫だって言い張ってるみたいだ。どうやら技術科の生徒達が、人間の生徒を囲い込んでいる。4人程居るが、技術科の生徒ではない。技術科の生徒なら顔も名前もほとんど覚えているが、それ以前にそこにいる生徒達は技術科の生徒独特の雰囲気がなかった。止めているのは技術科の生徒の方みたいだ。
 4人の中でも半歩ほど前に出ているリーダー格らしいお嬢ちゃんが、白衣を翻し自信に満ちた声を張り上げる。
「私達冒険部は、ピペさんが飛ばされた場所に乗り込むわ。必ずやピぺさんを救出してみせる!」
「どっからそんな自信が来るんだよ! 危ないことは止めるんだ!」
 へぇ…。ピペの嬢ちゃんが連れ去られた場所が、どんな所でどんな危険があるかもわかんねーのに、飛び込もうってか。オイラみたいな命知らずな考えをする奴って、意外にいるもんなんだな。
 平行線といったやりとりだが、こちらの方が分が悪いだろう。聞き覚えのない部活の連中はたった4人だが、一人闘技科の生徒っぽい兄貴が混じってる。あの兄貴にリーダー格のお嬢ちゃんがちょいと指示すれば、蹴散らされるのはこっちだぜ。オイラ達は武闘派の学科じゃないんだからさぁ。
 だんだん熱を上げてくるのを見かねて、オイラは大きく息を吸い込んだ。こりゃあ、止めねーとヤバそうだもんね。
「全員注目!」
 オイラの大声は、言い合う全ての声を飲み込み元温室のガラスをびりびりと震わせる。この場の全ての視線を受け止め、オイラは大声を張り上げる。
「やりてぇって奴を止める権利が誰にある!」
 頭にかちこむ滑舌。顔をはっ倒す勢いの声音。響き渡る声はただ大きいだけでは感情に訴えないが、腹の底からの声に訴えるべき想いを乗せる。オイラがこの技術科の中心で生徒達を率いてきた最強の武器。それは訴える力。だてに演劇学んじゃいねーんだぜ?
「オイラ達技術科こそが、挑戦を否定すんじゃない! 無理難題、ヤベー納期、急なトラブル、それに応えて乗り越えていくのがオイラ達が磨いていた技術だ! 不可能かもしれねーなんて、頭と度胸と山ほどの失敗の果ての成功で可能にしてきただろ! 怖がって舞台に立てねー奴は前座にも使えねーんだぞ! わかってんのか!」
 心の底から思う言葉を想いを込めてぶつける。胸に刺さるどころじゃねー。腹に風穴開ける程度で丁度良い。
 この場に集まった技術科の生徒達は、もうオイラの即席舞台の観客よ。静かにオイラの言葉を噛み締めちゃって、良いお客さんにはこちらも良い演技を提供したくなっちまうもんさ。
 オイラはバギの力を生み出す道具をゆるりと動かし、ふわりと動き出す。緩急の利いた動きと静かさの中で、オイラはリーダー格だろう白衣のお嬢ちゃんの前で優雅な会釈をする。お誘いはダンスをするかのように上品に、相手の意思を重んじてってね。
「オイラはルアム。ピぺの嬢ちゃん救出するんだって? オイラも是非、混ぜてもらおうかな」
 ざわつくオーディエンス。まぁ、さっきまで危ないだなんだって止めてたからしょーがない。
 もう、舞台の上に立たされちゃった訳だし、オイラが演者にお招きしちゃったんだから、そう簡単に身動きは取れない。嬢ちゃん救いたいって意思は受け入れられてオイラが協力を申し出ちゃったんだ。力尽くで押し通る理由は無くなった。さぁさぁ、台本は白紙だけど、オイラは対応力だけはずば抜けてるからどんな無茶振りだって反応するぜ。
 どうする? そう白衣のお嬢ちゃんの後ろの3人組が顔を見合わせる。いやぁ、良い反応だね。
「勿論、タダとは言わないさ。うちの科の生徒がお世話になるってーのに、無報酬だなんて無粋な真似は技術科の沽券に関わる。最高に美味しい話を提供しようじゃないか」
 当然ね。ピンクの姉ちゃんが、うんうんと頷いた。
 冷静な光を称えたままの白衣のお嬢ちゃんに、オイラはにんまりと笑ってみせる。美味しい話にゃ裏がある、そんな裏を感じさせる曲者の笑み。お嬢ちゃんは、あらゆることに理由が欲しいって感じがするんだ。こういう笑みがご所望なんだろう?って思うんだよね。
「そうだなぁ。ぼーけん部だっけ、初耳だから最近出来たのかな。何するか良くわかんねーけど、オイラが冒険部を学園一のつよつよ部にする手伝いするってのはどーだい?」
 つ、つよつよ部…? お嬢ちゃんの口から、意味がわからなかったのだろう言葉が溢れる。
 思ってもない申し出だったんだろう。お嬢ちゃんの目が見開かれて、口が少し開いた。なぁんだ。ちゃんと面白い顔できるじゃん。
「こう見えてもオイラ、この学園で一番顔の広い生徒だって思ってる。どの学年にもどの学科にもどのコースにも、教師陣全員、今、冒険部とも知り合ったし、できたばっかりの部活にだって知り合いがいるつもりだ。さらにはインターン実績で繋がった、ありとあらゆる伝手がある。それを総動員して、部活動を支援してやる。大学生がいれば引率者の手続き簡単だし、学園外の活動もオイラが明日にでもさせてやるよ」
 それは素晴らしい提案ですね。効率的な部活動が期待できますと口から滑らかに言葉が出てくる兄ちゃんの声を潰して驚きの声が上がる。そりゃあそうだ。こんな好条件なんか、喉から手が出るほど望んだって手にできる物じゃない。
「まるで悪魔の契約ね。どんな見返りが欲しいのかしら」
 腕を組んで見下ろすお嬢ちゃんに、オイラは笑う。まーったく、クールビューティーっていうのにも程があるぜ。くすぐって笑かしたくなっちゃうよ。そういう意味ではまだスルスルと言葉を口から垂れ流してる兄ちゃんもポーカーフェイスって感じだが、なぁんかあれは笑いのツボが人間のそれじゃなさそうな気がする。
 面白そうな面子だろうけど、まずはするべきことから、かな。
「オイラはピぺの嬢ちゃんが無事戻ってきて、ついでにこの騒動も収まって、皆が笑えりゃ良いのさ」
 是非オイラの手を取っていただきたいね。そうしたら、交渉成立。誰もお嬢ちゃんを止める奴は居なくなるんだからな。
 エスコートするように差し出された手を、お嬢ちゃんは静かに見下ろしている。