人生の半分の楽しみは釣りで出来ている

 学園の部活動に充てられる部室は、部長の申請でほとんどを決めることができる。部員が増えて大きい部屋に変えたいと申請すれば、部屋が空いていれば移動が認められる。道具を置いている倉庫に近い場所が良いと申請すれば通るし、特別な施設や設備が欲しいといえば設置させられる。作るのも消えるのも簡単な部活だが、それを存続させることは一苦労らしい。
 大きな部屋を巡って部長が決闘することもあるし、部員の引き抜きもあれば、部活同士が勝負して様々な特権を勝ち取ったり死守したりする。施設や設備の製造は技術科に頼むことが多いから、技術科を口説き落とすことも大変だ。新聞部の日報は部活動の動向が半分近く書かれている。
 技術科の神隠し事件は一面で大々的に報じられたお陰で、注目の的だった冒険部は大賑わいだった。新規入部者に息巻いていたティエだったけど、想像以上に冷やかしが多かったらしくて、少し耳が下がってしょんぼりしてたと思う。
 今までを振り返っていたおれは、顔を上げて扉を見た。図書館並に静かな部室じゃあ、向かってくる足音もよく聞こえる。
 『おっじゃまー!』そう明るい声が弾けるのと、扉が開け放たれるのは同時だった。
 神隠し事件で一緒だった、プクリポのルアムがピペを連れて立っている。ピペはおれにぺこりと頭を下げると、早速スケッチブックを広げて部室をスケッチし出した。それを横目に見ていたルアムがおれのところに歩み寄ってくる。
「なんかもー、ジメジメで薄暗くてホコリもやもやーって感じで部室なのかちょっと自信なかったぞ。こんな魔術科棟の端っこの日当たり悪くてひんやりしてる所、どうして部室に選んだんだよー」
 そう、この冒険部の部室はティエが自ら選んで申請した部屋だ。闘技科の日当たりや風通りの良い部屋に居ることが多いおれにとっては、汗臭くない以外は居心地の良さを感じられない。ティエが運び込んだ絵画を中心に、箱詰めされた資料や、使い方のわからない道具が雑然と重ねられた棚やら、まだ掃除もきちんとしてないから蜘蛛の巣も張ってるし、倉庫か何かかと思っちゃうだろう。実際に入部希望者のほとんどが部屋の有様を見て回れ右した。
 オイラの耳にお化けキノコ生えちゃう!そう耳を掻きながら、部室をぐるりと見回した。
「ローレの兄貴。部長ちゃんは居ないのかー?」
「ティエ? 授業だと思うけど」
 何か用があったの? おれがそう聞くと、ルアムが服の下からファイルを取り出した。
「ほら、この前言ったじゃん。オイラが冒険部をつよつよ部にしてやるって。だから入部申請書を書いてきたんだけど、部長ちゃんのサインが必要だから貰いに来たんだ。ピペの嬢ちゃんはお礼言わせようと思ってさー」
 ほらーって見せてきたのは、釣り部のボートのレンタル契約書だ。間違えたって調理コースの外出申請だったり、芸術コースの外泊申請書だったり、オーディションのための引率者申告書だったり出るわ出るわ。ルアムってもしかして、冒険部以外にもいっぱい部活掛け持ちしてて手伝ってんじゃないか? 掛け持ちは基本オッケーって言われてるけどさ。
 あったーって見せたのは確かに冒険部の入部申請書だ。ティエのサイン以外は全部プクリポらしい癖のある丸文字で埋め尽くされてる。ルアムって、まだ部員じゃなかったんだ。神隠し事件で馴染んでて、もう部員かと思った。まだ部員ではない証は結局ファイルにしまって、服の下に入れた。そして替わりと言いたげにポテトチップスの袋を取り出しておれに差し出す。その服、どうなってんだよ。
 期間限定びっくりトマトのクリーム煮味のパッケージの向こうで、赤い瞳がおれを見る。
「ローレの兄貴。今、暇?」
 ティエも授業で遅くなるし、今日は誰も来なさそうだから帰ろうと思った所だ。頷くとルアムはにこにこと機嫌よく話す。
「よかったら、オイラと一緒に釣り部行かない? あそこの部長が生簀を掻い堀りするから、魚全部釣ろうって人集めて歩いてるの」
 かいぼりってなんだろう? ナインがいれば教えてくれるんだろうけど、隣には誰もいない。ルアムも説明する必要がなさそうだったけど、魚を釣るのがわかってりゃあ良いかな。
 釣り…か。頭の中で釣りをイメージする。釣り竿に糸がついてて、糸の先に魚の形のルアーや餌をつけて、水に投げ込んで魚を釣る。大丈夫なんだろうか。どの動作も力加減を間違えてぶっ壊してしまいそうな気がする。迷惑じゃないかな?
「おれが行って良いの?」
 おれが自分を指さした向こうで、ルアムはくりっと首を傾げた。
「何言ってんだよ。冒険部、なんだろ? 行ける所は行ってみて、やれそうなことはやってみるのが冒険なんじゃねーの? 大丈夫大丈夫。オイラがアポ無しでセッティングしちゃうんだから、かるーい気持ちでお誘い乗ってよ」
 明るくて頼り甲斐のある声。おれの心配していることは、全然気にするなって言われてる気がする。それに、ルアムの言う通りだ。おれが物を壊しちゃうからって遠慮してたら、冒険の意味がなくなっちゃうもんな。
 おれの返事を待ってなかったみたいで、ピペを捕まえて赤いパイナップルヘアーが部屋を出て行く所だった。

 釣り部は学園に存在する部活の中でもかなり古い。釣りは学科やコースに一度もなったことがなかったから、学科や学年を問わず釣り好きが集結する有名部だ。その象徴が巨大な生簀。学園にあるいくつかの大池の一つを、釣り部は専用生簀として所有しているのだ。
 人の行き来が多いのか、敷き詰めた石がつやつやと光る道を進む。食いつこうと迫り出す木々の下に広がる大池の周囲には、すでに多くの生徒が集まっていた。釣り糸を垂れる生徒がいれば、複数で網を引く者まで様々。でも制服姿ではなく、長靴と合羽だったり胴長だったりと趣味を超えた本格的な格好だ。大きな桶や箱にはすでに並々と水が張られていて、種類ごとに分けられた魚が入れられている。
 近づくおれ達にウェディ族のほっそりとした影が手を振った。
「ルアっちの知り合いにしては新顔じゃーん!」
 海と共に生きるウェディ族独特の甘いマスクが、人懐っこい笑みでおれ達を迎える。筋肉なんかない骨と皮みたいな痩身だけど、釣り竿と日除けらしいトンブレロソンブレロを被る姿は上級生っぽい印象だ。海のような艶やかな長髪を無造作に下ろした男を、ルアムは友達だと紹介してくれた。ルアムはするするとウェディの肩に登ると、おれを示して笑った。
「この前の神隠し事件で知り合った冒険部の子。闘技科の生徒だから頼りになるぞ」
「そりゃあ頼もしい! ピペちゃんはあっちで魚拓してるから、手伝ってあげてねー」
 そうピペの背中を押すと、芸術コースらしい生徒達が迎えにきた。池から少し離れたところに、大きな紙を敷いて連れた魚に墨をつけてスタンプみたいに押しているらしい。沢山の魚や蟹やイカやらタコやら、生簀の生き物の魚拓が旗みたいに干されてる。
 視線を戻せば釣り部の男は、早速おれに釣具を渡してきた。
 細い。爪楊枝みたいな釣り竿は、慎重に持って振ってみたが見事に壊れた。おれの力に耐えられずに真っ二つ。新品みたいだったからすごく申し訳なかったけど、釣り部の男もルアムも全然気にした様子がない。むしろ面白がるように笑ってる。
「流石、破壊神。鉄の棒に釣り糸くっつけた即席釣具作ってみたから、持ってごらん」
 手渡されたのは頑丈そうな鉄パイプくらいの太さに、釣り糸がくっついた釣り竿っぽいものだ。ぶんと振っても壊れない。よしよしと、目の前の二人が頷いた。
「主ってどんな魚なんだ?」
 初めての釣りだ。ちょっとドキドキするな。
 おれは糸の先に餌をつけてもらって、池の水面に投げ入れた。少し待っていると鉄の釣竿と池の間でふにゃりとしな垂れた糸がピンと引っ張られた。引き上げろと周囲の釣り好き達に急き立てられて振り上げると、一抱えもありそうな大きな突撃魚が池から飛び出した。ルアムが飛び上がって抱き留めると、そのまま桶の中にシュート! イエーイ! 初釣果おめでとう!と周囲がおれにハイタッチして祝福してくれるもんだから、すげー良い気分。釣りって思った以上に面白いんだな!
「魚っていうか恐竜っぽいらしーぞ?」
 ルアムがおれの隣で腹を掻きながら言う。
「釣り部発足当時の部長が釣り上げて生簀に放ったのは良いんだけど、それからどんどん巨大化してるらしいんだ。生簀に放した釣果を食われちゃうからって、今年こそ捕まえて照り焼きにしてやるんだって部員達が息巻いてんだ」
 頭上をびゅんびゅんと魚が舞っている。
 池を見遣れば、胴長を着込んだ部員達が対岸から網で魚を寄せているようだ。網を持った部員達が近づいてくると、魚達は跳ね上がって、力自慢のタモで片っ端から捕獲されていく。おれも釣り糸垂らせばすぐに釣れちゃうもんだから、なんだか祭りみたいな雰囲気を楽しんでしまう。
 桶がいくつもいっぱいになり、魚拓の旗が大漁旗みたいに連なった頃、池に不気味な影が浮かんだ。その影を見ていたルアムの友達は、釣り部の部員達に響く声で言った。
「主だ! 今年こそ釣り上げるよー! デイン仕込みの網の準備! 感電しないように装備整えて池に入ってね! ヒャド銛も持ってきてー!」
 おー!って声が応じれば、周囲は瞬く間に忙しなく動き出す。
「なんか、すごい感じになってきたな」
 主って凄く手強いんだろうな。ルアムの友達は優男って感じだったのに、今はキリッと凛々しい感じ。おれは視線の途中にあるルアムの竿に、当たりが来たのに気がついた。ルアムもすぐに気がついて、竿を引っ張る。
 ん? ルアムのパイナップルヘアーが大きく傾いだ。
 勢いよくルアムの糸に食いついた魚が池から飛び出してくる。その後を追うように、巨大な、見たこともない魚が飛び出したのだ! 大きな口を開けて、ルアムが釣り上げた魚を一飲みすると、池に向かって身を翻す。
 ルアムは大急ぎで両手で竿を握り直した。糸がビンと音を立てて引っ張られ、ルアムの体がつんのめる。
「わ! むり! 釣り竿ごと持ってかれちゃう!」
 プクリポの体は軽い。力だって強くない種族だ。ルアムは鞠のように跳ね上がると、池の上に投げ出された! 蜂蜜の匂いがしそうな毛玉を一飲みにしようと、巨大魚が大きな口を開けて池から飛び出してきた!
「ルアム!」
 おれは自分の竿を引き上げると、先端に結びつけていたルアーを引っ掴んで巨大魚の口目掛けて投げつけた!ルアムに食いつく前に叩き込まれたルアーに、反射的に魚は口を閉し、魚の口の上に赤い毛玉がぶつかった。むげっと変な声を上げながら、ルアムは急いで魚を蹴って丘に戻ってくる。
 おれは鉄の釣竿を持ち直す。決闘の相手と絡み合った視線のように、釣り糸がおれと魚を結びつけている。
「闘技科の生徒が竿持った! デイン網で退路を塞いで!」
 巨大魚の影の後ろに鋭く網が投擲される。一気に下がろうとした魚がぶつかったのだろう。池深い青がぱっと金色の光を含む。激しく右往左往する糸に翻弄されながら、おれはどうにか釣竿をを手放さないようにキツく握り込む。
 池から再び飛び上がった巨大魚が大きく開いた口に、きらりとおれのルアーが光っている。人の形ではない異形の強さ。おれはぞくりと背筋を駆け上がる感覚に、思わず口元が歪むのをかんじた。
 なんだろう。勝てるか勝てないか分からない、ギリギリの勝負。気持ちが昂って、体の血が熱く沸って力を出し切れと叱咤する。おれが鉄の釣竿を握る手を強めると、身体中の筋肉が応じて盛り上がる。
「大きく口を開けた後は必ず痛恨の噛みつきがくる! 持ってかれるぞ! 竿を緩めて!」
 このまま引っ張り上げるつもりだった気持ちを、裂くように言葉が滑り込む。言葉を理解した頭が、急いで力を抜くと糸が勢いよく引っ張られていく。もう少し遅かったら、強い力で引っ張り合う力に糸が耐えられなかったかもしれないな。
 糸が切れなかったのを確認した男が、素早く指示を飛ばす。
「ヒャド銛急いで! 弱らせて闘技科の子を援護するよ!」
 釣り部の部員達でも力自慢達なんだろう。立派な上腕二頭筋で投擲された銛は見事に巨大魚に当たったが、その分厚い皮膚を貫くには至らなかった。だが、銛の先端で冷たい輝きが弾けると、巨大魚の動きが明らかに弱まるのを感じていた。
 今が勝負の時! おれの勘がそう告げる。
「おりゃあああああぁぁぁあああっっ!!」
 おれは雄叫びを上げながら、渾身の力で釣竿を引いた! 力が抜けた魚の勢いと、おれの引く力が噛み合った会心の手応え! おれは宝石のような飛沫を迸らせ、空中を舞う巨大な影を見た。そのままバランスを欠いて尻餅をついたのと、背後に大きなものが落ちた衝撃が走ったのは同時だった。
 主だ! ついに! 歓声が湧き上がる!
「やったー!プラテカルプスをついに釣り上げたぞ!」
 四方八方から伸びてくる手に祝福されて、胴上げされて、ピペがとった魚拓を背に主を囲んで釣り部の部員達と記念撮影するまで流れるようだった。明日の一面は『プラテカルプス、陸に上がる!』です。そう足早に去っていく新聞部を見送る。
 三枚おろしにされて、照り焼きにされた巨大魚は美味しかった。刺身はちょっと泥臭いからって味見程度だったけど、おれが釣った魚を皆で味わった。ジュースが行き渡り、なんだかバーベキュー大会みたいな打ち上げが終わる頃には、日が暮れていた。
「楽しかったかー?」
「あぁ! すっごく楽しかった!」
 おれはお土産の照り焼きの包みを持ちながら、ルアムの問いに大きく頷いた。
 釣りって初めてで結局最初の釣竿壊しちまったけど、別の釣竿用意してもらって釣りを満喫させてもらった。釣り部の人は良い人達だったし、あの人達の協力がなければおれはあの巨大魚を釣ることはできなかっただろう。
 すごく楽しい一日だった。釣りって面白いんだなって言ったら、待つのも良いんだよって言われたからもっと深いんだろうな。でも、楽しかったのは本当。釣った魚は美味しかったし。
 満足げなおれを見ていたルアムは、そりゃーよかったって笑う。
「冒険部って謎解明したいんだったっけ。オイラはきょーみないんだよね。知らなくたって分からなくたって、楽しめる。きっと、解釈違いになる気がするんだよねー」
 ルアムは上目遣いの下に、歪んだ口元が微かに見える絶妙な角度でおれを見上げた。なんかとっておきの一撃を隠しているような、含み笑い。おれは少し背筋に寒いものを感じた。
「兄貴。今日のこと、部長ちゃんに話しておいてよ。その上で、オイラと契約するか、決めてもらおうかなって思ってるからさー」
 じゃあねー。ひらりと手を振って、ピペと手を繋いで正門へ向かっていく。
 なんか、ルアムって単純そうに見えて、深いところも見てるんだろうな。おれはそんなことを思いながら、小さい二つの影を見送った。
 ティエは照り焼き好きかな?
 おれは手に持った包みの温もりを感じながら、部室へ向かっていった。