我らの旗は如何なる色と形かな

 ルティアナ学園の大学生は捕まえるのが大変である。将来所属する場所が既に決まっていようと、忙しい学生ほど実習や研修で学園にいないのだ。後輩が接触しやすいようスケジュールを公開している生徒もいて、ルアムもまたその一人だった。
 私がルアムの来訪を予測することは、簡単だった。全ての学科の授業が終わり、部活動の活動時間としては遅めになるだろう時刻。そこだけ、ぽっかりと空白があったからだ。
 静かな魔術科棟の廊下を、ルアムのよく響く声が聞こえる。他愛もない世間話なのだろうが、どうにも聞こえる声が一つだけ。事情を知らぬ者ならば、ルアムが大声で独り言を言っているようにしか思えないだろう。もう目の前で話しているようだ。
「おっじゃまー!」
 ここにくるまでのお喋りがノック代わりだったのだろう。勢いよく扉が開いた。そこには迎え撃つべき相手、技術科のルアムがいるはずなのだが、重ねられた箱しか見えない。
 箱の後ろから先日救出したピペさんが現れて、箱の前を進むと手近な机の上をぺんぺんと叩く。良い香りのする箱がぐらぐらと前進して、ピペさんが音を立てた机の上に箱を乗せた。
 ようやく箱を辞めてプクリポに戻ったルアムは、汗ばんだ額をゴシゴシと拭った。
「あー、重かった! あ、これね、技術科からのお礼。一番上が料理コースの作ったドーナツだから、早めにねーってさ!」
 ドーナツ。単語を聞きつけてか、ローレ君が動いて一番上の箱を開ける。おぉ!と歓声をあげて私に見せてくれる。チョコレートでコーティングされているだけでなく、宝石のような砂糖や干し果物やナッツを散らした手の込んだドーナツが綺麗に並べられている。
 喜んでいる様子をにこにこと眺めているルアムが、傍に立っているピペさんの背中を押す。紫の三つ編みまでお鞄の中に突っ込みながら何かを探ったピペさんは、しばらくして真っ白い封筒を取り出し両手で差し出してきた。藤の花が刻まれた紫に金粉の美しい封蝋を壊すのも気が引けて、ペーパーナイフで開封する。納められた便箋には心のこもったお礼がびっしりと書き込まれていた。
 私がざっと目を通し、近寄ってきたナイン君やローレ君にも回す。それを確認してか、ルアムがぺこりと頭を下げた。
「改めて技術科を代表して、ピペの嬢ちゃんを助けてくれてありがとうな!」
 ルアムに倣ってピペさんも頭を下げる。頭を下げた拍子に鞄がひっくり返って、中身がぶちまけられる。それを二人でわちゃわちゃ回収。プクリポは複数揃うと、あざといかわいい。
「どうする嬢ちゃん。オイラ、部長ちゃんと込み入った話するけど、先に帰る?」
 赤いパイナップルの葉っぱが尋ねると、紫の三つ編みがぶんぶんと振る。魔術科棟は暗いから一人で帰るならローレ君を付けようと思ったけど、ルアムと帰るつもりらしい。
 そうかー。そう言いながら全ての落とし物を拾って鞄に戻すと、ルアムはスケッチブックを差し出して『大人しく待ってるんだぞ』って頭を撫でた。ゆっくりと振り返ると、そこにはもう、無邪気なプクリポの顔はない。
「じゃあ、楽しい交渉のお時間といきましょうかねぇ」
 ナイン君が準備した契約用紙を乗せた机を挟み、私とルアムが向き合って座る。ルアムは全く緊張した様子もなく、ぶらぶらと足を揺らしながら真っ白い契約書を眺めて笑った。
「しっかし、新聞部の記事読んだよ。オイラ、大笑いしちゃったね!」
 新聞部に載せた『冒険部の入部条件十箇条』のことか。部活動のいざこざについては、私よりもルアムの方が詳しいだろう。オカルト部が崩壊した切っ掛けである『開かずの扉』の事件も知っているかもしれない。
「ぶっちゃけ、そこまでするんだったらスカウトで良かったんじゃねーの?」
「なるほど。確かに有用な人材を引き抜く方が、効率の良い方法だったかもしれません。しかし、目立つ存在ばかりに気を取られてしまうデメリットも存在します」
 スラスラと補足するナイン君の横で目を白黒させるローレ君を見てから、ルアムは視線を私に戻した。
「オイラは正直、部長ちゃんのやり方って面白くないと思ってる。部員を選んで、どうするのさ。部員はね、部長ちゃんの求める謎を解くための道具じゃないんだよ。部活が掲げた目標を一緒に達成する仲間なの」
「私は道具だなんて思ってない」
 どうだろうね。そう言いたげに笑みが歪んでいる。
 見透かされていると、歯を食いしばりそうになるのをどうにか堪えた。ルアムを謎を解明するための補佐として欲しいわけではない。人脈、噂、逸話、多くの情報と繋がりを持っている存在が部員となってくれることで部活動を行い易くする。ルアムも『そんな便利屋が欲しいんだろう? なってあげるよ』って『契約』なんて言葉を使ってくるのだ。
「あぁ、そうだ。ローレの兄貴は楽しんでくれた。あぁいう感じでオイラは動くってのを、実演してみせたんだ。分かり易かっただろ?」
 そして、ルアムは人選しなくても人をまとめられる自信がある。
 ルアムのカリスマは才能でも偶然でもない。人の心を把握し、所属した生徒達のやる気を刺激し、方向性を示して全員を走らせられる。どんな反論も不穏因子でさえ統率してしまうのは、技術科をまとめ上げている姿を見れば疑いようもない。調べればそれなりに失敗は重ねているらしく、ルアムの発揮する様々は彼自身の努力から得たものだ。
 悔しいが、そこは認めねばならない。
「まぁ、なんつーの? この冒険部って舞台は部長ちゃんが監督なんだ。契約は台本。そっちで決めな。オイラはどんな内容でも配役でも、文句は言わないよ」
 そう頬杖を突く不穏因子の塊。この冒険部のあり方に真っ向から否定的でありながら、協力を申し出る。学園内外を問わず有利になる、誰もが喉から手が出る魅力的なカードを目の前に並べて『さぁ、お好きなのをお取りなさい』と笑っている。
 この男を都合よく使うことも、拒絶して入部を拒否することも容易い。だが、それが負けを認めるような気がする。
 試されている。
 赤い瞳が真っ直ぐ私を見ている。射抜かれ、値踏みされる感覚。こんな目で、私は訪ねてきた生徒達を見て選んできたのだろう。憤りと、それと同じくらいに認めさせてやると思いが湧く。
「条件は何もつけない」
 真っ向から挑む。これ以外の正解はない。
「謎の解明の為にはあらゆる可能性が求められる。それを契約という条件で、減らすことは愚策でしかない。奢らず、侮らず、全力で立ち向かうべき。その結果、明らかにならなくとも、謎を全員で追い求める」
 口にしてみると、思った以上に力が籠ってしまう。
 有頂天になったオカルト部の面々の顔が浮かぶ。楽しそうに雑談する笑顔を思い出す。その結果がどうなった。部長を呼びに行って関わらなかったからと言って、愚かと断罪する資格は私にはない。その時の私になかったが、今の私には部長としての権限がある。
 ルアムに向けた言葉のはずだったが、反芻するように噛み締める。
「だから、部活なのよ」
 赤い毛玉が『ふーん』と面白いものを見るように口元を持ち上げる。全く目は笑っていなかったのが、私の話を真剣に聞いていたという根拠にはなってくれそうだ。
「なぁるほどね。それが、部長ちゃんの目指す冒険部かぁ」
 ぶつかり合う視線を先に外したのはルアムだった。
 頬杖を外した手をパーカーに突っ込むと、ファイルを取り出してみせた。外見上ではとても収まっているとは思えない大きさと厚みに、ローレ君が『手品!』と目を輝かせ、ナイン君が『物理上ありえない』と唸る。
 広げると手際良く書類を引き抜いて、トントンと机の上で揃える。
「ほい。入部届と必要な書類一式。あとは、部長ちゃんのサインだけだから提出しておいて。何か決まったら、早めに連絡ちょうだい。オイラも準備が一秒で出来る訳じゃないからさー」
 手渡された書類を捲ると、ルアムの入部届を先頭に部長が書くような関係書類まで揃っている。これを提出し受理されれば、冒険部は学園外での活動が出来る。恐ろしい手際の良さだ。
 すとんと椅子から降りると、ルアムはピペさんに声を掛ける。ぱっとスケッチブックから顔を上げて立ち上がったのを確認して、ルアムは私達に芝居掛かった一礼をした。
「じゃあ、これからよろしくな」
 にっと含みのある笑みを前に向け、ふわりと手を振って部室から出ていく背中を見送る。
 『謎を解明すること』『挑戦を楽しむこと』その二つは両立する。それを、ルアム、貴方に突きつけてみせる。私は闘志に燃えた思いを視線に込めていた。
 少し睨んでいた視界の下で、ちょろりと影が動く。視線を下ろすと机から絵の具に塗れたベレー帽が見えて、その横からぬっと紙が舞う。ぺとりと机の上に紙が置かれると、ベレー帽はピペさんの背中になってルアムを追いかけて行った。
 なんだろう。視線を下ろした先にあったのは、ピペさんの入部届だった。
 無性に、癒しが欲しいと思った。