DQ交流系ログ1


■ 似て非なる別人 ■

   蒼空の水色様とのチャットログ小咄

□ 蒼く晴れた空の下の
 しっかりと立派な兜を目深に冠った年下を、アレフはぼんやりと観察していていた。
  真っ青な目の覚めるような金属の色に施された金の縁取りは、芸術品と言って良い程の出来映えである。光沢は確実に星の光すら拾い上げ、幾多の鏡を張り合わせたように乱反射させ暗闇に輝いて浮かび上がるに違いない。不死鳥のモチーフを施されているのは、その武具の中で最も際立つ場所。アレフの世界では勇者ロ トを語る時に必ず出る紋章であり、目の前の武具を着込んだ年下は勇者ロトに縁のある人物に違いない。しかし、不死鳥の中心にはめ込まれたルビー。その紅さにアレフは思わず目をそらした。
 血のような紅さ。
 年下の青年は、濃い茶色の髪の下に深紅の瞳を持ってる。
 紅い瞳の人は多くはないが、ここまで血のような紅さを持つ瞳は見た事が無い。自分でさえ光の加減で赤を含んだ茶色にも漆黒にも見える瞳なのだが、目の前の青年の瞳の色はど んなに光を注いでも紅く、どんなに暗がりに追い込んでも紅いのだろう。青年の肌の白さがその色をより強調した。
 落ち着いた物腰の割に、乱暴な匂いを巧妙に隠している。アルスと名乗った青年は、自分を勇者だとも言った。
「へぇ…勇者様ねぇ」
 アレフはすぅっと深い茶色い瞳を細め、目の前の青年を見た。値踏みするような視線にも関わらず、気を害した素振りすら見せぬアルスをアレフは少し哀れに思う。
「なんだか、大変そうだな。俺には勇者なんて到底出来そうにない。傭兵で良かった」
「我慢しなければ勇者なんてやっていけないさ」
 アルスが苦笑するように言うと、小さく『我慢できない奴が羨ましい』とこぼす。その呟きはアレフには届かず消える。殺伐とした世界の勇者は、眩しそうに奔放極まり無い傭兵を見つめている。アルスがその視線を伏せがちに下げたとほぼ同時に、アレフがアルスを見た。
「そうかぁ、大変だな。言うだけタダなんだし、魔王でも、先祖でも、魔物でも、王族でも俺は言っちまうけどな。勇者様は堅すぎだぜ。もっと気楽に構えろよ」
 ひらひらと手を振りながらやや呆れがちに言われた言葉に、アルスは戸惑いを隠せない。
  勇者として求められ応えて来た己に、勇者として求められない対応が新鮮に思えた。年相応の会話、勇者ではない本当の自分に語りかける言葉、本来なら当たり前すぎるそれがくすぐったく感じられてしまう。命令されてしまうなら、反感を買われてしまうなら楽であるのに、目の前の男は心地よい同意と哀れみではない共感を寄越すだけだ。
 見返りなど求める様子など微塵も無い。
 だからこそアルスは、戸惑いに若干の不安を滲ませて返した。
「そ、そうか? 俺は小さい頃から余り我がままを言えない立場だったから、どんな風に言えばいいか分からないんだ」
「思った事、口にすればいいじゃないか。お前、俺が常識無い荒くれ傭兵だと思ってるだろ? そう言えば良いんだ」
 『今更過ぎてその程度では、俺は怒りもしないぞ?』アレフが首を僅かに傾げて言い放つのを、アルスが猛烈な勢いで首を横に振った。
「…お前は優しいぞ。俺が今まで会ってきた奴より格段に!」
 その反応に、アレフが呆れたように口を開いた。
「俺で優しいってレベルなのかよ。お前の周囲の人間関係ってどんだけ酷いんだ?」
 苦労人の青年に滲んだ苦悩の中に達観した感情が浮かぶのを見て、勇者さんってやつは分からねぇなぁとアレフは息を吐いた。空はいつもよりも蒼い。

  □ そっくりで、似てないふたり
「ヒャドをイオで砕くと、面の攻撃になるぞ! 気をつけると良い!」
  子供のような高さでありながら、人とは違う独特の声色が明るく宣言する。一拍置いて瞬時に空気中の水分を凝縮して生み出された氷柱に、爆風を叩き込んで巨大な霙を無数に放つ。爆風に硝子を割ったような、金属片がかき混ぜられるような耳障りな音を立て、ちっさい竜王と相対するアルスに襲いかかった!
「づおおおおっ! 痛ぇ! 全身切れる! ちくしょおおお!!」
 頭部は頭を限りなく下げて兜で、篭手でさらに顔面を庇い駆け出す。こんな時に盾を持っていないアルスの気合いだけで氷の散弾を突破する様子を、アレフは呆れながら見ていた。
  やはり親しい存在が近くに居ると地が出る質らしく、アルスの世界の友人…竜王が来ると途端に乱雑な物言いになる。小さい竜王がひょっこり出て来たのを驚い た様子で見ていた彼だが、そちらの世界の竜王が気を利かせて人間の姿で出て来ると「ななな…っ!お前、なんでこんなとこに…!?」と目をまん丸くさせた。 現在、ちいさい魔物の姿の竜王とアルスは片や遊びで、片や命懸けで戯れ合いのような試合に興じている。
 アレフはその試合を、異世界の竜王と飲み物片手に観戦していた。
「勇者さんは魔法が使えないんだな。意外だなぁ」
「脳みそも筋肉だからか、あれだけ教えてもまだ習得できぬ」
  黒い腰まで伸びる細い髪を無造作に下ろし、端正に整った白い肌に険しく皺を刻む。全く武術の心得が無いのだろう、紫を基調としたローブが体をゆったりと覆っているのに全体的に細身な印象を拭い切る事ができない。カップに引っ掛けた指も白魚のような腕も、本を持つのでさえ大変なのではないかという程に細い。
 アレフは曖昧に返事をすると、カップの珈琲を啜りながら目の前の試合に視線を戻す。
 武術の腕ならば負け知らずと言えそうな卓抜し た剣捌きを、ちっさい竜王はその体の小ささと奇抜な動きで翻弄している。魔法も得意だがどちらかというと肉弾戦を好むちっさい竜王なので、攻撃に転じるなら分からないが攻撃を避けるという点では完璧な回避でやり過ごしている。小さい竜王は体と同じくらいでありながらローブに隠れた尾で地面を打つと、その反動で浮いた体を巧みにアルスの上に持って行く。くるんと空中で一回転すると、体の割に大きな脚ががっしりとアルスの兜を掴んだ!
「やるなぁ。芸術点に満点!」
「飛び越えるだけならまだしも、乗ってしまうとはな」
  観戦者の暢気な評価の前で、慌てふためくアルスと愉快そうに笑う小さい竜王の姿がある。魔物の姿でドラゴンと同じ骨格の足に完全にがっちりと掴まれたアルスは、振り払おうにも振り払えずその場でじたんだを踏む。完全に攻撃の手を封じられてしまったアルスだったが、兜ごと小さい竜王を放り投げ、再び兜を拾っ て切り掛かる。何を気にするのか、先程よりも兜を深く冠り目元すら陰ってしまっている。
「あんだけ剣術がしっかりしてるんだからさ、魔法なんか教えなくても良くないか? あんたがフォローしてやれば済む話だろ?」
「戦闘で足を引っ張られては困るからな。教育せねばならんのだ」
 生真面目そうにアルスを見ながら言う口調が、どっかの誰かに似ていてアレフはにやにやと笑った。明後日の方向に顔を向けているから、わざとらしく大声で言ってやる。
「似ても似つかないと思ったが、やっぱり竜王のそっくりさんだな。結構お優しいじゃないか」
「私が優しいだと?冗談も対外にしろ。後にやにやするな。…奴を思い出す」
 竜王は嫌悪感を露にし、口元を歪め腕を組む。寒いのか体が震えてローブがさらさらと衣擦れの音を立てる。
「冗談? 一人を戦力として育てる苦労は並大抵じゃないんだがな。自分が出来る分苛立たしいし、教えてやるのも面倒だし、案外面倒見良くねーとなー勤まらねーもんなー」
「………むう。……あ、あれは足を引っ張らないように教育していると言っているではないかっ!」
「あーそうなの。そう言う事にしておいてやるよ」
 あっけらかんと言い放ったアレフの視線の先では、竜王のイオにて必殺技らしいものを粉砕され吹っ飛ばされるアルスが居た。結局勝てなかったかぁ。アレフは残念そうに眉根を寄せて珈琲を啜った。
「ぐううううっ…」
 背後で真っ赤になる異世界の竜王の様子に、小さい竜王が何事かとまん丸く瞳を見開くまでもう少し。


■ 天才と馬鹿の違い ■

   『世暁』の朝来様宅のゾーマさんお招きしております

 ドムドーラ大砂漠はメルキド方面へ行き来する為には、避けて通る事のできない場所である。アレフガルドの内海から外海まで横たわる大砂漠は、旅人からは寝そべり寛ぐ金色の竜とも呼ばれ、縦断の為に大きく分けて3つのルートが存在した。
 一つは瞳の雫を得て頭を回り込む、ドムドーラの町を通過する進路。大きく北から内海を目指し、ドムドーラのオアシスで水と食料を補充して南下するルートだ。山から吹き降ろしてくる風は温いが砂漠の熱気を和らげ、海を伝う進路は道に迷いにくい。初心者やドムドーラへ用がある者が主に用いる。
 もう一つは尾を跨ぐと言われる、砂漠の最西端から縦断するルート。ドムドーラ大砂漠の最西端は最も砂漠地帯の縦幅が短い。流石に肉眼で砂漠の向こうに緑を見ることは叶わないが、夜を徹すれば砂漠が苦手な素人でも歩き抜ける事ができる。最西端に回り込む事に時間はかかるものの、過酷な環境に置かれる時間が短く済むこのルートを好む者は一定数いる。
 最後の一つが最難関にして最も利用者が多い、竜の背を乗り越えるルート。ラダトームからメルキドへのルートで最短距離と言われる地点を目掛けて、真っ直ぐに砂漠を縦断する。最も過酷で、最も危険は高いものの、他のルートと比べれば最も短い日数で越える事ができる。
 どのルートにも商隊が存在し、彼らに一定の金額を払って同行するのが常識だ。ドムドーラの住人でさえ、ドムドーラへ物品を運ぶ商人と共に砂漠を渡る。砂漠は巨大なビジネスの源泉だ。
 元々ドムドーラの住人であったのもあって、俺はこのドムドーラ大砂漠を徒歩で越えられる非常に奇特な人間ではあった。砂漠を生き抜く術を熟知し、魔物の生態を把握し、砂を歩くことに慣れていた。
 しかし、今回は商隊と共に砂漠を越えることを決めた。自分は大丈夫と言っても、周囲は心配しきりだ。今回ばかりは。そう推され、俺はとある商隊に厄介になることになった。
 その商隊はラダトームとメルキドとの間で商品を取り扱う、それなりに大きな商隊だった。駱駝は多く荷物の運搬だけで20はいる。砂漠を越えた後に乗り変える馬車も、メルキド山岳の道のりを考えれば多く手配していることだろう。商人の経験の豊富さが規模の大きさから見て取れた。
 竜の背越えの景色はほとんど代わり映えがしない。雲ひとつない真っ青な空と、黄金の砂漠が世界を分断している。太陽はいかなる錬金術か黄金を白銀に輝かせ、世界を歪める。人が居着いてはいけないと、無言の威圧は熱となって我々を押し潰そうとする。頼りになるのはコンパスと、太陽の傾きと、夜の星々の導き。駱駝の列は黙々と進んでいた。
 中央の最も安全な布陣で商人と並んで駱駝に揺られる俺に、商人の男は笑った。
「ラダトームからの客人をご案内できるとは光栄の極みです! ゾーマ様には是非国王に私の接待ぶりを伝えて、評価がバンバン上がるよう褒めちぎってくださいよ!」
 国王に顔が売れて喜んでいるなどと、俺が言えば心象が悪くなる可能性を考えないのか? 商人の男は歯に絹着せず本音を大声で言う人種だった。やや粗野な口ぶりだが傭兵達からは好かれているらしく、彼が雇う傭兵は実力者揃いだった。弓矢の名手、魔法の使い手、回復呪文に薬草学まで学んだ者、戦いの術に優れた者。俺は商人の横で彼らの戦いぶりを見て、感動すらしていた。プロとは彼らのことを言うのだと、不本意を飲み込んで商隊に同行した事に感謝した。
 やや後ろをちらりと目をやる。
 駱駝に揺られた一人の傭兵が、砂漠へ視線を投げている。真ん中よりやや後方に当たるそこは、最もベテランの傭兵が配置される場所だった。前方後方どちらにも応援に駆けつけられ、盗賊が狙うだろう中央の荷物を守る役目を担っている。
「アレフの事が気になりますかい?」
 商人は意地悪い笑みを浮かべた。
「気難しい男ではありますけど、戦士としての腕も、傭兵からの信頼も私が知る中では最高の男でさぁ。でも、あいつは根っからの戦士で傭兵。ゾーマ様みたいなお客人に、冷たい態度を取るのも仕方がないでしょうよ」
 俺は彼の剣技を見て心底驚かされた。今まで見てきた誰よりも巧みに剣を捌き、魔物を退け、他者の援護をやってのける。たいていの事が見てそれなりにできる俺にしては珍しく、彼の剣術は『彼から学んでみたい』と思わせる代物だった。
 願い出て一蹴されて、笑い者にされたのは昨日のことだ。
「頼み方が悪かったのか?」
 傭兵は上流階級の者達からは侮蔑の眼差しを向けられる職種だ。兵士のように誰かに支え所属があるわけではなく、根なし草でその場その場で雇い主を変える。仕事は雑然としていて、それこそ何でも屋のように扱われることも少なくない。
 上流階級の令嬢にも見初められて告白された過去を思えば、俺の見た目は貴族とも競える見目麗しさは持っているのだろう。頼み方も丁寧に言った。だが結果はアレフは俺の頼みに、頭から足の先までゆっくりと見た後に拒絶されたのだ。
「アレフは頼まれたら大抵は断らんのだがねぇ」
 商人は白い袖の長い衣を翻し、焦げた鍋底のような色の指先で髭をいじった。
「だが『お前には無理だ』と言ったのなら、無理なんでしょう。そこはハッキリ言う男ですからね」
 なるほどと今だけは納得し、俺は体の中に溜まった燃えるような熱を吐き出した。肌を伝った汗が蒸発し、じりじりと体を焼く。

 日が落ちると砂漠は急激に冷える。熱された体を氷水のような空気で包まれないように、真っ先に焚き火が焚かれた。このルートでは多くの者達が使っているのだろう、大岩の下には先人達が使っていた竃が黒曜石のように輝いている。
 傭兵達は交代で見張りに立ち、談話に花を咲かす。中には手合わせをして修練に割く者もいて、彼らの声にアレフも稀に応えることがあった。殆ど攻めず守りに徹し相手から手数を引き足したり技を試させたりする姿勢が見え、彼はいい教師なのだろうと思う。
 しかし、俺はどうにも物足りなかった。
 彼の一挙一動を見ても、彼が技を繰り出さぬのでは俺の手本にはならないのだ。
 それでも少し真似てみて、自分なりにアレンジして得る事もできるだろう。傭兵達に守られ体力の消費が殆どない俺は、皆が寝静まり星が爛々と輝く深夜に起き上がった。見張り番も俺が剣の修練をするのだと言えば、気を付けてと軽く返す。傭兵達も砂漠生まれの俺に、砂漠の危険性を説くことはしなかった。
 腕をならし、先日アレフが魔物と対峙した動きを思い返す。シミュレーションは必要なかった。のんびりと駱駝の上で揺られている間に、十二分に反芻したからだ。剣を振り、足を踏み込む。そう繰り返すうちに、様になってくる。
 だが、どうしてもアレフのようにはならない。あの鋭い突きには遠く及ばない、まるで自分の持っているのが猫じゃらしのような頼りなさ。
「だから言ったろ。お前には無理だと」
 声に振り返ると、アレフが立っていた。使い慣れた鋼鉄の剣を手に持つ彼に、俺は言った。
「教えてくれれば出来る。教えてくれないか?」
 俺の頼みにアレフは「無理だな」と短く言って、焚き火の方へ戻って行った。今日の朝食当番は彼なのだろう。寝ている者を起こさぬように、ひそひそと見張りと話す気配が聞こえていた。

「大丈夫かい、ゾーマさん」
 そう心配そうに話しかけてくる周囲から『大丈夫だ』と返すのは、挨拶よりも多くなっていた。
 駱駝に乗るのさえ苦労する事もあり、その様子に周囲がとても心配した。体調を崩して病気をしたんじゃないか、怪我でもしたのか、砂漠の生物の毒か、そんな様々な心配を俺は否定して歩いた。
 そう俺が苦しんでいるのは、ただの筋肉痛だ。
 激しい修練を己に課した訳ではない。ただアレフの動きを真似て動いてみたそれは、己が日々の鍛錬として動かす量の半分にも満たなかった。それなのに、体の節々が痛い。ホイミを掛けて痛みを取るかわりに倦怠感に耐えるか、ホイミを掛けずに痛みを我慢をするか天秤にかける。結果はホイミを掛けたために、凄まじい疲労感と、体の奥底に残った取りきれなかった鈍痛に悩まされているのだ。
「本当は休ませてあげたいんですが、背越えは最低限の荷物で突っ走るスタイルですからね。甘やかしてあげられず、すみませんねぇ」
 そう申し訳なさそうな商人に、俺は微笑んでみせる。
 どのルートであっても、荷物に余計なものが積めない事は砂漠の民である俺もよくわかっている。特に貴重品である水は、魔物や盗賊を想定して多く持つが、それでも予定の日数を大幅に超えた量には全く対応できない。行程の遅延は、この砂漠の旅では命取りになるのだ。
「良いんだ。俺が好き勝手した結果だ。気にかけられて、貴方達の生命を脅かしたくはない」
 そう言った夜から、俺は夜の修練をやめた。アレフの動きを得ようとするのは諦めたともいうべきで、それは『俺でも出来ない事』だったのだと驚く。それなりになんでもできる俺が出来ないのなら、それはごく一握りの人だけができる神業なのだと思うしかない。
 アレフはこの日は深夜から明け方まで起きている見張りだった。うっすら目を開けて目が覚めた俺に気がついて、アレフは静かに焚き火から俺へ視線を向けた。
「諦めたのか?」
「皆に迷惑は掛けられない」
 俺の言葉にアレフは賢明だ、と独り言のように呟いた。
「馬鹿は止めない。筋肉痛になろうと、傭兵として使い物にならなかろうが、無茶をして自分のものにしようとしたがる。周囲の迷惑などお構いなし。結局叱られても、馬鹿だから叱られる理由がわからんもんだ」
 話し出すと良く喋る男なのだと、驚く。
 俺は体を起こし、焚き火越しの相手をまっすぐ見つめた。
「なぜ、俺では無理なんだ?」
 アレフは俺を見て、視線を再び焚き火に落とした。
「お前は才能があるんだろう」
 出来ない事に遭遇した事がない俺を、周囲の人間は天才と褒めた。賞賛は俺には不思議な事であった。こんなのは出来て当たり前、むしろどうして皆はできないのだろうこんな簡単な事をと驚くばかりだった。だから俺は周囲の人に説明し、教えた。勉強も運動も料理も、ありとあらゆる事を俺が教えれば皆それなりにできた。やはり出来たじゃないか。そう思うのだ。
「天才とは言われる」
「大して意味は変わらん」
 アレフは剣先で焚き火を少し掻く。炎が赤々と燃えた眩しさに、俺は目を細めた。
「俺は才能もないし天才でもない。馬鹿者なのさ」
 先ほどのアレフが言った言葉を反芻する。あれが彼自身への皮肉で自虐であるとしたら、なんと的外れな事なのだろう。彼は傭兵をまとめ上げるほどに人望もあるし、誰よりも仲間の変化に聡い。判断力は何度も商隊を救ってきたのだと、この砂漠越えだけで十分に理解できた。仲間の苦手をとっさに補佐する対応力、敵の弱点を的確に突き勝利に導いた。
 だが、俺がそう言っても彼が自分の認識を変えたりはしないだろう。俺は知り合って日の浅い、通りがかりの旅人でしかない。
「俺も馬鹿になれば出来るのか?」
 冗談なんか言うのかと、アレフは鼻で笑う。
「なにせ俺には学がねぇ。今は皆から羨ましがられる剣術も、今は皆から頼られる判断力も対応力も、全て失敗して身につけた事だ。剣術は誰もが呆れるほどの練習量を己に課して、判断力も対応力も誰かが怪我しなきゃあ俺は得られなかった。お前から見れば道化に見えるだろうな」
 そんな事はない。確かに俺には『出来なくてもやり続ける』という事が理解できない。努力を、したことはないだろう。それでも、その結果『出来た』という人を尊敬していた。
 首を横に振った俺に、お綺麗な事だとアレフは呟いた。
「お前は努力しなくても大抵できる。だから努力している人間と比べて、明らかに劣っている部分がある。痛感したろ?」
 あ。
 筋肉痛。アレフの動きをしようとして苛まれた激痛を思い返し、あれはアレフの技を得る前に己の体が出来上がっていなかったという事だと思い至った。確かにアレフの剣術の根底には、筋力に依存した体の動きがある。つまり俺には無理と言ったのも、その動きができるほど体が鍛えられてないと言いたかったのだろう。
 だがそうと分かれば筋肉に酷使しなくても、効率の良い体幹の使い方で対応できるかもしれない。
 勿論基礎体力を鍛える事は戦いに身を置く自分には大事な事だが、そんな時間を魔物は与えてはくれない。そうだな、まずは体の反射速度を敏感にする魔法があったはずだからその応用で…
 小さい笑い声を聞いたような気がして、顔を上げる。
「お前は馬鹿になれそうにないな」
 アレフは表情を崩した。想像以上に優しい顔だった。


■ 果物ナイフと鋼鉄の剣 ■

   風華凪 様の1主人公セイルさんをお招きしています

 ラダトーム大通りはアレフガルド最大の商店街である。
 馬車2台が余裕ですれ違える舗装された道には、あふれんばかりの露天商が店を広げている。軽食を出す者、地方の特産品を売る者、馬や牛の販売も行われる。アレフガルドの全てが、ここで揃うと吟遊詩人が歌うほどだ。
 俺は燻んだ橙色のシャツに茶色いズボンという、鎧を脱いでいるが剣を帯びた出で立ちで次の仕事に必要な物を買い付けに来ていた。馴染みの道具屋にいけば一揃いは容易いが、それよりも安かったり品質の良い物がここにある場合がある。ここは生産者が直に売りつけにくる場所だ。店を構える商人にはない物が、ひょっこり値札を付けて並んでいたりする。
 腰に固定した鞄には、薬草や干し肉の類がそれなりに重さを主張していた。もう、目ぼしい物もないだろうと通りを抜けようとした時だった。
 ふと、一人の青年に目が止まった。
 刃物を扱っている露天商の前で足を止めている青年は、露天商から買ったのだろう果物ナイフで林檎の皮を剥いているところだった。自炊をしたりしているのだろう、皮を剥く手付きは手馴れていて赤は途切れる事なく地面に向かって滑り降りて行く。青年の表情は驚きと林檎の皮を剥くのが楽しくて仕方がないと言いたげである。
 俺が吸い込まれるように近づくと、青年は感動したように露天商に話しかけた。好青年の顔に似合う明るく快活な声が、笑い声と共に溢れる。
「いやぁ、本当にこんな良いもの貰っちゃって良いの?」
 貰う。タダということか? 俺は顔を思わずしかめた。『タダより高いものはない』俺の信条の一つだ。
 露天商の男は絶望の中に希望を見出したような顔で、青年に微笑んだ。
「良い品と評価いただいて嬉しいですよ。このまま帰るだけでも出費が嵩むだけですから、欲しいものがあったら貰って行ってください」
 俺は青年の横にしゃがみ込み、露天商の商品を見つめた。料理で使う包丁から戦士が扱う鋼鉄の剣まで様々な刃物が置かれている。一つ手にとって光を反射させて見れば、歪みもなくよく研がれている。複数の鋼を打ち合わせて鍛え上げた独特の刀身は、マイラの鍛治師が仕事をしたものだろう。
 アレフガルドは徒士か馬か馬車で運搬しなくてはならない。もし露天商がマイラから遥々行商に来たのであれば、運搬費はなかなかの金額になったことだろう。馬車が入るほど道が整備されていないマイラは、馬での運搬になる。下手をすれば馬車よりも高額になりかねない事を考えれば、露天商の帰路は借金も込みになりかねない。
「ちなみにこれ、おいくらまんゴールドなの?」
 青年が果物ナイフを片手に尋ねると、露天商は王宮御用達レベルの値段を告げた。青年が高らかに鳴らす口笛を聴きながら、なるほど、それは売れないと俺も思う。露天商は青年の反応に苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「最初は料理人や戦士が買ってくださったんです。ですが…」
「まだ、こんな所で燻っていやがったのか! この詐欺師め!」
 露天商の声は大声に遮られた。振り返れば人の流れは川の水のように途切れることなく続き、行商や露天の賑わいと雑踏が終わることのない舞踏を踏み続けるラダトーム大通りだ。それなのに、俺達の真後ろには人の流れはなく、賑わうべき人々の声も潜められている。ぴたりと足を止めた人々は怪訝な表情をうかべて、大声の主を捜して周囲を見回している。
 人々を割って現れたのは3人の男達。3人がそれぞれに武器を携帯し、戦闘を生業とする者と一目でわかる服装をしている。だが、ラダトームの兵士のような規律を感じるものはなく、荒くれ者の粗暴さを絵に描いたような雰囲気だ。ラダトームの民達が傭兵と一括りにする、兵士ではない金で雇われる戦士であると俺にも分かる。
 見覚えのない連中だ。俺は露天の前でしゃがみこんだ姿勢のまま、男達を見上げている。
「おいおい、坊や。その果物ナイフを買ったのか? ダメだぜ! 兄貴と同じく悲しい思いをする羽目になるぞ!」
 身の素早さが売りなのだろう、3人の中で動きやすい軽装でナイフをベルトに固定した男が青年に絡んだ。ねぇ、兄貴。猿のような男ががちらりと一番背が高くてガタイの良い男を見やれば、男はうんうんと大げさに頷いてみせる。鉄の斧が似合いそうだが、彼が腰に帯びているのは真新しい鋼鉄の剣だ。
 俺が商品に視線を戻している頭上で、青年は勇敢にも男達に立ち向かっているようだ。刺激しないよう、淡々とした声が降ってくる。
「俺は買ってない、貰ったんだ。それに、こんな切れ味のいいナイフなら、料理が楽しくなる思いしかしないと思うぜ」
 男達の馬鹿笑いが響く。
「おいおい、聞いたか!? この詐欺師のなまくらが切れ味が良いってよ!」
「兄貴、坊やはそのナイフが粗悪品だって知らないんですよ」
 あーもー、本当にうるさい。こいつ等は、どうあってもこの行商人の品物が粗悪品だと、青年に言わせたいようだ。だが、青年は男達の威圧的な態度に屈せず、端から見れば行商人を擁護するような事を言う。
「林檎の皮が凄く綺麗に剥けたぞ?」
「そうだなぁ! 林檎の皮ごとき剥けねぇんじゃあ、刃物ですらねぇもんなぁ!」
「兄貴は鋼鉄の剣を買ったんだがよ、ほら、みてごらん! すぐ、欠けちまったんだよ!」
 俺はちらりと顔を動かし、横目で背後を見やる。兄貴とやらは待ってましたと言わんばかりに、得意げに剣を引き抜き掲げて周囲に見せびらかすように振り回す。真新しい鋼鉄の剣が日差しの下できらりと光を反射させると、確かに刃が欠けているのが否応にはっきりとわかる。星のようにちらちらと、ここが欠けているぞと剣が訴えているようだ。
 露天商が顔を両手で覆った隙間から、あぁと呻き声が漏れた。
「あんなに高い金で買わせて、一日も経たずに欠けちまうなんて銅の剣でも買えばよかったぜ!」
 がはははは。馬鹿笑いだけが響き渡り、人々は息を潜めて静まり返る。
「そんなに悪い剣に見えないけど」
 兄貴と呼ばれた男が『あぁ!?』と周囲を見回した。そんなことしなくて良い。言ったのは目の前の青年だから。
「歪みもないし、良く砥いである。あんたが軽々と振り回すのを見ても、バランスも悪くなさそうだし使い勝手も良さそうにみえるぜ?」
 青年は傭兵達をひたと見つめて、低い声で言った。
「あんたらが粗悪品だなまくらだって吹聴して歩いて、この人が商売できなくなっちまったんじゃねーの?」
 ほぉ。俺は感心に思わず息を吐いた。
 青年の言葉は俺の推測とぴたりと一致していた。傭兵は粗悪品を売る武器商人を手加減なく潰すことがある。それはそうで、傭兵も武器が粗悪品で仕事中に使い物にならなくなったら、仲間だけでなく依頼主の生命にも関わる。安くて粗悪品なら見分けられない傭兵が阿呆で終わるが、高くて粗悪品を売りつける商人は潰すべきという考えが浸透している。
 戦う術を知らない市井の人間が、この傭兵達の態度に萎縮するのは当然だ。高圧的な態度で周囲を威圧した結果、露天商は自信を持って売り込みにやって来たラダトームで戦果一つ上げられなくなった。
 青年は戦士という風情を感じない。商人にも、見えなかった。
 だからこそ、彼が肝が座っていると俺は思うのだった。果物ナイフだけ貰って、そそくさと逃げても露天商ですら責めないだろう。威圧されて口籠ってしまっても、誰も青年を腰抜けと罵ることはないだろう。毅然として言い返すその様に、俺は勇気があると思う。
 だが、勇気と無謀は意味が違う。
 男は完全に言葉を失い、喉に反論をつっかえさせて顔を真っ赤にさせていた。ふるふると剣を持った手が震えて、非常に恐ろしい事になる予感が生温い風のように周囲を撫でて広がっていく。取り巻きの2人も表情を青ざめ、『兄貴?』と宥めるように声をかける。
「待て」
 青年に振り下ろされる腕は体ごと地面に転倒した。振り上げて浮いた男の足を払い、バランスを欠いた上半身を掌底で突き飛ばして転倒させる。頭を打たれて死ぬと厄介だから取り残された腕を少し引いて、肩から上が打ち付けられる勢いを殺す。どてんと音を立てて倒れた巨体と、からんからんと音を立てて転がって行く剣を見下ろし、俺は淡々と言葉を繰った。
「顔も知らねぇで悪いんだが、一般市民に剣向けるのは無しだ。傭兵の評判が落ちたら、俺達全員の飯から惣菜が一品減る。お前等、責任取れるんだろうな?」
 主にラダトームメルキド間の護衛を担う俺が知らない傭兵というなら、おそらくマイラやリムルダール方面だろう。ガライ方面はルートが一部で重なるし、魔物が強くないので鋼鉄の剣を持つ傭兵は殆どいない。もしガライの護衛で鋼鉄の剣を持つなら、年齢や故障で強い地方がしんどくなったリタイア組だろう。男が俺の攻撃に全く対応できなかったところを見ると、素人にしか見えない。しかも剣を手放したとか、傭兵どころかチンピラなんじゃねぇのか?
「剣を貸せ」
 俺は男の手から離れた露天商から買ったという剣を拾い上げると、青年に手渡す。目を白黒させる青年に剣を構えさせ、正眼に角度を整える。
「そのまま、しっかり持っていろ」
 青年は真顔になると整った顔立ちだとよく分かる。持ち慣れていない剣だろうが、真剣な表情で握り続け切っ先が動かないのを確認する。俺は徐に己の鋼鉄の剣を抜き放ち、兄貴と呼ばれた男が粗悪品と声高に吹聴した剣の刃に打ち掛かった!
 青年も露天商も、傭兵らしい男達も、集まった野次馬も声一つ上げない静寂の中に甲高い音が響き渡った。
 合わさった刃から、きらりと光の粉が舞う。誰もが剣が欠けたと分かるだろう。
 青年はよく頑張った。青年が支えた剣は新しい刃こぼれなく、逆に俺の鋼鉄の剣に新しい刃こぼれがあるのを確認した。俺は自分の剣を鞘に収めていると、青年はあっけらかんと言った。
「なんだ、良い剣じゃないか」
 俺も同意するように小さく頷く。ラダトーム平原の南端で鉄蠍にでも遭遇して欠けさせたんだろう。こんな扱いのなってない男が持ち主で、剣が不憫でならない。
 青年は『はい』と剣を男に返してやると、男達は覚えていやがれ的な月並みな捨て台詞を残して這々の体で逃げ去った。騒動が収まり再び流れ出した人波に乗ろうとした俺の背に、青年が声をかけてきた。
「あんた、剣が欠けちゃたけど大丈夫なのか?」
「気にしなくて良い。これから打ち直して貰う為にマイラに向かう予定だからな」
 俺は呪文も使えない、剣一本で護衛の仕事を全うする傭兵だ。剣の磨耗は同業者の比じゃない。一年に一度は必ず打ち直してもらうのに、欠けが一つ二つ増えようが大した出費じゃない。それよりも明日から買える惣菜が一品減る方が俺にとっては痛い。
「なんか、助けてもらっちゃって悪かったな」
 助けた訳ではない。結局、この青年の勇気ある行動の結果、俺が動かざる得なかっただけのことだ。助けてもらうよう仕向けたなら、切れ者。本気で助けてもらったと思っているなら、大胆不敵の大馬鹿者だろう。しかし、この手の手合いは、かなり稼ぐ。しかも堅実にというよりも博打的な面白い稼ぎ方をする。
 将来の大物を称賛する意味で、俺は言う。
「もし、お前が酒場に護衛の依頼を出しているのを見かけたら、優先的に引き受けさせてもらおう」
「タダで?」
 俺は顔だけ青年に向けて、睨みを効かせる。
「俺は1ゴールドの割引もしねぇよ」
 とても嬉しそうな青年の笑顔が不思議だった。そこは笑うところじゃねぇだろ。
 青年がセイルと名乗り『旨い話には裏しかない』から、その言葉で俺を信頼したと話したのは、また別の話である。