今日も可愛い推しの子と - ヤナギ様宅マナちゃん -


■ 推しの名は ■

 仲間にプクリポがいると、プクリポ可愛いなって思うんだー。
 ほら、ウェディって背丈が高いじゃん。プクリポって膝くらいの背丈しかないから、交流ってなかなか難しいんだよね。僕らがしゃがんだり、抱き上げたり、プクリポ達が登ってくるなりしてくれないと、お話しようって感じになりにくいんだ。目線が合わないんだろうね。
 だから、プクリポと仲良くなって目線を合わせるのが自然にできるようになると、プクリポ達が良く目に付くようになる。楽しそうにお喋りして、嬉しそうに踊ったり、美味しそうに食べてお腹いっぱいになってコロコロ転がったり、見てて本当に飽きないんだ。
 そんでね、結構前からなんだけど、推しの子がいるの。
 黒とオレンジのパキッとした染色の、おしゃれなコーデ。他のプクリポみたいに活発に跳ね回って、足元の羽が本物の翼みたいだなって思うこともある。にっこり楽しそうな顔をしてて、魔力が軽快なポップソングを歌ってるみたいに心躍る波を作るんだ。あとね、美味しそうに蜂蜜たっぷりのスフレパンケーキ食べるんだよ。ミモザ色の瞳がグッと寄って、蜂蜜の金色が映り込むんだ。甘味を食べるプクリポの顔って『世界一幸せー!』って感じで、パティシエとかわざわざキッチンから出てきちゃうからね。
 いやー、推しだからって良く見てるなー。彼女じゃないから引かれちゃうかも。
 入り口の扉が開いて、ベルがからんからんと響き渡る。現れたのは推しの子の友達。一緒に冒険する仲間だろうけど、しっかり武器や荷物を持ってベテランって雰囲気だ。そのうちの一人が推しの子の名前を呼んだ。
 初めて聞いた推しの子の名前。
 七色に光って、推しの子にぴったりと嵌まる。姿とか笑顔とか楽しそうな声とか喋り方とか知ってるつもりだったけれど、どうしてその名前を想像できなかったのかってくらい似合ってる。
 名前を知って、推しの子が鮮やかになる。本当に可愛らしい名前だ。
 でも、僕はその名前を呼ばない。だって、僕は推しの子の友達じゃない。推しの子が常連している料理屋の手伝いで一時的に来てるウェディで、一緒の空間に居合わせる確率が他のたくさんの冒険者よりも少し多いくらいの顔見知りかなー?って程度の関係だもの。
 僕が名前を呼べるのは、推しの子が名前を名乗ってくれたら。
 それまでは、偶然知ったその名前をそっと心の中にしまっておく。
 オレンジのツインテールを白いベレー帽に押し込んで、ベレー帽が蒸しパンみたいにもっこもこになった。仲間達と出かけていくまぁるい尻尾を見送って、僕はいってらっしゃいの後に初めてその子の名前を付け足した。心の中で、僕の声で、その子の名前は可愛らしく響いた。


■ 風車が紡ぐ極彩色の景色 ■

 潮騒と風車の音を子守唄に眠れるようになれば、立派なジュレトっ子。年がら年中吹き上げる潮風を受けて、世界一働き者のジュレットの風車は今日も回る。
 崖を覆う白亜の街並みに、いくつもいくつもぐるぐるぎこぎこ。その中で最も巨大なのが裁縫ギルドの風車だ。世界中の職人達が駅から降りて道を尋ねれば、誰もが『あの大きい風車が裁縫ギルドだよ』と教えるだろう。
 裁縫ギルドは服を作るギルドと思われがちだが、実はそれだけではない。
 このギルドの風車は、主に糸紡ぎの動力に使われているのだ。集められたコットン草やシルク草を丹念に洗って干した物を、風車の動力で紡ぎ上げて布や糸の原材料にする。裁縫ギルドの屋根裏部屋に当たる風車の動力部の真下では、遡る滝のように、何千何万という糸が休みなく紡がれている光景を見ることができるだろう。さまざまな用途で微調整されて縒られた糸は、メギストリスの花摘みギルドが大半を買い上げる。鮮やかな色に染まった糸はエルフに多い織物職人の元に渡り、美しい布地となってジュレットに戻ってくるんだ。
 ギルドの壁を飾る、本日入荷した美しい織物の数々。それらを吟味する花形職人達の中に、推しの子の後ろ姿が見えた。オレンジのツインテールをぴょこぴょこと揺らしながら、今日作る服にふさわしい布地を選ぼうとしている。プクリポが必死に人垣を越えようとしているのを見かねて、オーガの職人が肩を貸してあげる。
 裁縫職人は基本的に自分の種族の服を作る。
 勿論、全種族の服の型紙は公開され、自分の種族以外の服を作ることはできるだろう。だが種族特有の痒い所に手が届くような調整は、その種族が最も理解している。買い手も自分の種族の職人の作品を買いたがるものだ。
 仲間が魔法に秀でた子だったら、あの子の作品を買ってプレゼントしても良いのになー。
 溢れる魔力が指先から糸に流れ込み、丹念に服を形作っていく。一針一針丁寧に、丈夫で細部にまでこだわりが行き渡る作品に、願いと共に魔力が宿る。魔力の強い推しの子の服は、魔法を使う冒険者が挙って欲しがる作品だろう。贔屓にしている冒険者とすれ違って、推しの子の魔力に思わず振り返っちゃうんだよねー。この前、振り返ると紫の髪で『あれ? イメチェンしたのかなー?』って思っちゃたもん。
 じっと凝らすミモザ色を見て、今日も頑張ってねって心の中で応援する。
 大成功で喜びいっぱいの顔でお店に来たら、君の瞳によく似たシャインマスカットをサービスしてあげる。半分に切って黄金色の蜂蜜と絡んだら、君の瞳にもっと近い色になるよ。
 僕は抱えた荷物をカウンターに置くと、奥にいるギルドマスターの背に声を掛ける。
「こんにちわー! 注文いただいた昼食の配達でーす!」
 はーい! ウェディの伸びやかな声が応える。
 今日も裁縫ギルドは、風車の音も気にならないほど賑やかだ。


■ 最高の調味料 ■

 ジュレットに吹き込む潮風が吹き渡る店内は、半分以上がウッドデッキのテラス席が設けられている。掃き出しの大きな窓を壁のように遮る鎧戸を開け放てば、海風を背に浴びるカウンター席が並んでいる。僕はここで料理をしながら、美味しそうにご飯を食べるお客さんと海を眺めるのが大好きだ。
 背後に並んだカラフルな酒瓶は、薄暗い店内に差し込んだ陽光を吸い込んでステンドグラスのように光を振り撒いている。ピッチャーに注がれた水に輪切りのレモンが浮かび、黒板には今日のおすすめメニューの名前と可愛らしいイラストがチョークで書き込まれる。ぱたぱたと旗めく日除けの布の向こうで、大地の方舟が海を割って進んでいるのが見えた。
 隼二刀流の天下無双なランチの時間を乗り越え、客足がようやく落ち着いてくる。
 水を一杯胃に流し込むと、ほっとしたのか お腹が空腹を訴える。そりゃ、そうだよねー。僕、朝ご飯はがっつり食べないんだもん。お腹も空くよねー。
 店長からもお昼は勝手に店の食材使って良いって言われてるし、ちょちょいとイサーク特製賄いご飯作っちゃおう。海水を水で割った鍋を火に掛け、沸騰を待っている間にディナー用に仕込んであるハンバーグのタネを失敬する。粗挽きの肉にざくざく荒めに刻んだ玉葱を混ぜて、空気を抜いたら小さく丸めて、オリーブオイルを温めたスキレットの中に転がす。少し焦げ目がついてきたら、大きめに刻んだトマト半分と一緒に煮込むんだ。裏漉しした残りのトマトを流し込み蓋をする頃には、お湯がぐらぐらと鍋を揺すり出す。砂時計をひっくり返して、乾麺をぱっと広げる。花開くように鍋に広がった乾麺は、すぐさまくたりと湯の中に沈んだ。スキレットの蓋を開けて味を整えている間に、砂時計の下側にメタルスライムがへらりと笑う。茹で上がったパスタを揚げて、スキレットの中に豪快に入れて絡めれば、肉団子とトマトのパスタの出来上がり! お皿に盛って彩りにハーブを散らせば…
「おいしそう!」
 横から耳を突き抜けたのは、可愛らしい女の子の声。びっくりして視線を向ければ、カウンターに手をついて覗き込んでいるプクリポのお客様。輝かせた双眸はお鍋の湯気の向こうでも、鮮やかな朝日を浴びたミモザが翳ることはない。夕焼けオレンジのツインテールに赤いリボンのプクリポちゃんは、スフレパンケーキが大好きな常連さんじゃないか。
「お客さん、ごめんねー。このメニューは…」
 ぐぅうううううう。おっと『賄いだから提供できないんだよー』って言葉がかき消されてしまったぞ。
「おにーさん! あたし、今日はとってもお腹ぺこぺこなの! おながかへっこんで、しっぽがぺったんこ! だからね、おなかいーっぱい食べたいの!」
 おなかって所でぎゅっと体を縮こめて、いーっぱいって所でぱっと手を広げて大きくおねだりするの、とーってもかわいい。ずるいなー。
「スフレパンケーキってしゅわしゅわーって消えちゃうから、何十枚も食べなきゃって思ったけど、おにーさんのパスタとってもおいしそう!」
 そうだね。君ならスフレパンケーキ何十枚も、食べちゃいそうだね。でも、もう、そのお口はこの肉団子とトマトのパスタのお口になっちゃったんだね。もう、僕の手で湯気を上げるパスタが、自分の口に飛び込んでくるって疑ってないでしょ。
 僕がトングでパスタをつまみ上げると、くるくるっと盛り付ける。
 ウェナ伝統の柄で織られたランチョンマットをさらりと敷いて、おしぼりを渡して、グラスに水を注いで、フォークとスプーンを並べて、彼女の食事の席が瞬く間に整っていく。そして中央に開いた空間に、白い丸いお皿にのった赤いトマトの鮮やかなパスタが置かれる。肉団子がごろごろ、トマトもごろごろ、粉チーズはお好みでと小さい小皿に用意して、さぁどうぞと立ち上る湯気が、すうっと吸い込まれる。君の幸せで蕩けそうな顔で、お代は十分って気分だ。
 すると、ミモザ色の瞳がこちらを向いた。
「おにーさんの分は?」
 ん? 首を傾げる僕の真似をするように、彼女もこてんと首を傾げた。
「だって、さっきのお腹の音、おにーさんのお腹の音でしょ?」
 ふふっ! 僕は思わず吹き出してしまった。あの音、僕のお腹の音だったのか。君があんまりにもお腹が空いたって言うから、君のお腹の音だと思っていたよ。お互いの間にあるパスタのいい匂いに、僕らのお腹はデュエットを歌い出す。
 彼女はぽんぽんと、小さい福代かな手で隣の席を叩いた。えへへ。彼女が笑う。
「一緒に食べよう! 一緒に食べた方が、ぜーったいおいしいから!」
 全く、君はウェディの男の扱いが上手いなー。そんなおねだりされて、断れる男なんていないよー。ごめんね、店長。心の中で謝りながら、僕は店長の分を自分用として盛り付ける。
 流石は常連さん。勝手知ったる手際の良さで、彼女手ずから僕の席を整えてくれる。
 しかしお腹の虫に急き立てられ、待ちきれなかった彼女は肉団子を早速ぱくり。はふはふと幸せそうに、出来立て熱々の肉団子を味わうことに挑んでいる。僕も席に着くと、肉団子を割る。溢れ出す肉汁とトマトを絡めて口の中に放り込めば、ざくざくの食感と旨味が踊り出す。パスタをフォークに巻き付けて、荒く刻んだトマトを刺して贅沢なひと口を頬張る。
 隣を見れば最高の調味料に自然と笑顔になる。
「おいしいねー」
 高く幸せな弾む声と、低く穏やかな僕の声。僕らの声は同じ言葉を紡いで、同じ気持ちを確かめ合う。潮風が爽やかで、日差しは眩しくて、食べ物は美味しくて、隣で食べる君の笑顔が眩しい。
 これは、ぜーったいにおいしいね。


■ ご褒美の呪文 ■

 スフレパンケーキにだん・バターにばい・エキストラホイップ・バニラアイス・おすすめフルーツ・クラックキャラメリゼ・ライトシュガーパウダー・ハニーレイクさんはちみつひたひた。ロイヤルミルクティー・ゼンブミルク・エキストラホイップ・ライトシロップ・はちみつついか。
 あたしのご褒美の呪文。
 どんな怖い魔物をぶっ飛ばしちゃう強い呪文でも、この呪文には絶対に勝てない。
 その呪文を一つ唱えれば、ウェディの店員さんは垂れ目を細めて『承りました』と答えてくれる。深海色の長い髪を花の形に結った後頭部を向けると、背中に引っ掛けたトンブレロソンブレロの鮮やかな黄色とつぶらな瞳と目が合うの。靴を脱いでつま先立ちで覗き込むあたしに、『お嬢ちゃん、また来たのかい』って呆れたような視線を感じながら、ウェディの細くてしなやかな腕が迷いなく動き出す。
 小麦粉を測って、たまごがぱかり。ぎゅうにゅうと生クリームを注いで、砂糖を入れて、湯煎で溶かしたバターがとろり。かしゃかしゃ、かしゃかしゃ。泡立て器が生地を混ぜる軽やかな音が聞こえてくる。振り返ったお兄さんは、バターを温めたフライパンに落として、くるりくるりと泡立つバターを全体に広げていく。
 そっと、生地が流し込まれる。
 じゅわっと、音と世界一良い匂いが広がるんだ。ふっくらと良い気持ちで眠っているスライムみたいな形になると、お兄さんは返しを差し込んで優しく持ち上げてそっと下ろす。ふるりと揺れる柔らかい形。黄金色の焼き目がまあるい満月お月様。指で押したら弾けてしまいそうな、クリームを薄い膜に閉じ込めたスフレパンケーキ。それが2枚お皿の上に乗せられる。
 少し温めて半分とろけたバターを乗せて、バニラアイスが添えられる。ホイップクリームに凭れ掛かるように半分にカットしたマスカットや葡萄が集まると、キャラメリゼした香ばしいキャラメルの薄い板が細い指でぱりんぱりんと割られて降り注ぐ。粉砂糖は篩にかけられて少しだけ雪化粧。黄金色の蜂蜜を綺麗な線を描くように掛けると、お兄さんはあたしを見てにこりと笑った。
「はーい。お待たせしましたー」
 スフレパンケーキが置かれて、残りの蜂蜜がガラスの器の中で揺らめく。お兄さんがロイヤルミルクティーが注がれたカップの上にホイップクリームの島を浮かべると、蜂蜜が網目状に描かれる。ジュレットの青の綺麗なランチョンマットに、持ち手が木目のフォークとナイフ。
 あたしのご褒美の時間だ。
「いっただきまーす!」
 本当はスプーンが欲しいくらい柔らかいパンケーキを、くちいっぱいに頬張るんだ。最初はバターと蜂蜜。次がアイス。ホイップクリームと果物。ぱりぱりの食感と香ばしさ。どれと組み合わせても、さいこーにおいしいのっ! 合間に飲むロイヤルミルクティーも、香りが良くてミルクが甘くて、はちみつがやさしいんだ。
 『んー!』ってくちを閉じて、味を逃がさない。力みすぎちゃって、目も閉じちゃうんだ。しゅわしゅわ、噛んでもいないのに消えていく、儚くて泡みたいな雪みたいなおいしい時間。
「おにーさん!」
 あたし、本当はお兄さんの名前知ってるの。『イサーク』ってお店で一緒に働く店員さんが、呼んでるの聞いちゃったんだ。お兄さんが居ない日は『イサークさんは明日来ますか?』って聞いちゃうの。だって、あたしのご褒美の呪文、お兄さんの時はいつも会心の出来なんだもん!
「この組み合わせ、マナ・スペシャルって名前にしようと思います!」
 まなすぺしゃる? お兄さんが首を傾げる。
 低くて穏やかな海みたいな声が、あたしの名前を言う。呼んでくれてる訳じゃないけど、なんだか、とっても嬉しいなっ! えへへ。笑い声がこぼれちゃう。
「そう! あたしの名前がマナだから、マナ・スペシャル!」
 きょとんとした顔が、ふふっとくすぐったそうに笑う。このお兄さん、魔力の強い人なんだろう。笑い声が伝った空気が光って、柔らかく包み込んでくる。
「とっても特別な感じで、良いと思うよー」
 えへへ! そうでしょう!
 大成功の嬉しい日で、お兄さんがいて、ご褒美の呪文で最高に美味しい! マナ・スペシャルじゃなかったら、なんて言ったら良いんだろう! これっきゃない!って感じじゃないかな?
 笑いながら頬張った一口は、幸せの味がする!