DQ雑記ログ2


■ 笑顔を向けて欲しいと願ってた ■

 欠伸が漏れる。
 手元には外交官の証である銀の懐中時計を開いてお いてあるのだが、その銀細工の針が指し示すのは深夜の時間である。青白い月明かりに、青銀色に輝く細工は一定の間隔で小さく時を刻む。心臓の鼓動もそれに 習うように穏やかになり、心が落ち着き、眠気までご丁寧に誘ってくれる。
 アレフガルドの外交官として実務的な事をするようになってから、やる事が倍増した。
  今では城で遅くまで書類を作製する機会が多くなって来ている。それでも、城で寝る事はしないで城下の住まいに朝焼けを見ながら帰ったりする。近隣に住むアレフさんに朝帰りする様を見られからかわれる事もあるが、仕事の事だと分かっている故にからかい程度で留めてくれる。もうじき彼が北方大陸の開拓に乗り出すとの事なので、僕の異動も近いだろう。引き継ぎの書類も整えておかないと、後々首が締まる。
 区切りの良い所まで来て、ようやく一息つく。
 眠気を遠ざける茶の力を借りても、ここまでが限界のようだ。僕は眠気に負けて机に半身を投げ出し、冷たい机の質感の心地よさに目を閉じる。
 微睡みと覚醒が交互に訪れる中で、ぽんと頭に誰かの手が触れた。
「ん…?」
 同僚も先輩も全員が帰宅した後である。将軍一家もお節介だろうと、このような夜更けまで起きているとは思えない。
 誰だろうと顔を上げようと目を開いた瞬間、僕は驚きのあまり硬直した。
  真横に金色の光の粒子がある。それはゆったりとした衣だったが、飾りにしては大きすぎる羽が何枚も見える。風きり羽は大きく、巨大な物は二の腕並みの長さと幅を持っている。それはその翼の持ち主が、その体を浮かせる為にその羽が大きくなければならないという事だ。そして、その翼にまぎれて猫の尾が揺れる。
 そろそろと顔を上げると、そこには猫科の特徴を備えた耳を持つ青年が僕を見下ろしている。
 始祖だ。
 ルーブリックの悪戯好きも困りものだが、始祖であるサラマクセンシスの悪戯は少々度が過ぎている。僕はその度の過ぎた悪戯に、何度も殴りに掛かった事がある程だ。流石、始祖というお偉い精霊であって、一度も命中した事が無いのだが…。
 こんな疲れている時に来るのか…。
  僕はやや絶望した思いで青年を見上げると、青年は気遣うように顔を覗き込んで来る。太陽の匂い。日差しの強い日に感じる香りが、ふわりと鼻先に流れる。顔に彼の長い髪が当たった。しかし、香りとは違い、表情は心配しきりで赤金の瞳は潤んでさえいた。心配されていると思うと、どうにも邪険に出来ない。
 僕は体を起こすと、椅子の直して体を青年に向ける。安心させたいという思いもあって、見上げて微笑んだ。
「大丈夫。心配ないから…」
 今思えばその笑顔は、物心付いてから彼に向ける初めての笑顔だったかもしれない。
 始祖である彼の耳はピンと立ち、頬は紅潮したかのように輝きを増す。そして尾と翼が伸び切ると、がばっと抱きつかれた!
「…っな!」
  彼の体から迸る歓喜の波動が、僕の意思を飲み込む程に大きくぶつかってくるのだ。めいいっぱい強く抱き付かれ、体を押し付けられ、まるで幼子に抱きつかれているような気分になる。このように抱きつかれては拒否するつもりにさすがになれない。やり場の無い手で青年の背をぽんぽんと叩くと、年上のくせに凄まじく嬉しそうに尾がしなる。
「全く…なんなんだ……」
 その言葉は僕自身に向けたものだった。
 なぜか、心に喜びが満ちていたからだ。訳も分からず満ちあふれた幸福感に、僕は呆気にとられながらもそれに浸った。
 でも、流石に彼を前にしては眠る気にならない。この時間も長くは続かない。
 それは、彼の自業自得。僕の教訓。


■ これでもネイルアーティスト志望なんですケドッ! ■

 サンディの爪は奇麗です。
 サンディ曰く、ネイルアートと言う物らしいです。専門にサンディサイズの道具箱がありまして、その中には色んな道具があります。無論、サンディサイズなので、何なのか見極めるのはなかなかに大変です。
『アインツ、ネイルアートに興味でもあんの?』
 私が凝視するものだから、爪の手入れをしていたサンディが疑わし気に見上げています。
「興味があるというか…何と言うか…」
『はっきりして欲しいんですケドー。ネイルアートは集中力が大事なの。はみ出したらアインツのせいだからねっ』
 サンディがふっと爪に息を吹きかけて、手入れをしている爪を目に近づけて見ています。彼女の爪は桜色でつやつやです。
「私にも、ネイルアートって出来ますか?」
 吃驚して机の端から落ちかけた体を、彼女は妖精の羽で浮かび上がって空中で驚くリアクションを続けます。
『うわっ!アインツ、お洒落に目覚めてみちゃうカンジ? 良いんじゃない? アタシ程にはなれないだろうけど、アインツも磨けば光るカモ』
 私は慌てて両手を振りました。サンディみたいなキラキラのひらひらな格好なんて絶対嫌ですよ!
「いえ、私がするんじゃなくて、私がリッカにするんです。もう直ぐ、彼女の誕生日なんです」
 実はリコスさんからリッカへと、誕生日プレゼントが届いたんですよね。ルイーダさんにそれとなく聞くと、リッカの誕生日がもう直ぐなんだそうです。私も何かプレゼントしてあげたいし、命を救われたり色々お世話になりっぱなしなんですが、喜んでくれるお祝いの品って思い浮かばないのです。
 そんな時、思い出したのはセントシュタインに着いたばかりのリッカの一言でした。
 お洒落をうらやましがっている様に聞こえました。リッカはこの歳で立派に働ける女の子です。でも同年代の子達はまだ遊び盛りで、お洒落や友人との関係を楽しんでいる。でもお金だってまだ沢山持ててないし、リッカにあう服を選ぶセンスも無いです。そこに、サンディのネイルアートを見かけた訳です。
 サンディがちょっと付いて行けなくて思考が停止しているましたが、ようやく飲み込めたのか神妙に言いました。
『つまり、アインツはネイルアートをリッカの誕生日プレゼントにするつもりなんだー』
 ふよふよと私の前に飛んで来ると、サンディはびしっと私の顔に人差し指を突きつけました。
『甘い!甘いよ!アインツ! どれくらい甘いかっていうと、大通りのにっこりモーモン洋菓子店の爆弾岩ショコラボール並みだわ! 素人がやりたい☆って言って出来るもんじゃないんですケド!!』
 ……………そうか…。それじゃあ、仕様がないですね。
 ちょっとがっかりでしたが、ネイルアートに関しては職人気質を持っているサンディなので私は大人しく引き下がりました。
 そこにサンディの突きつけた指が私の頬を突きました。
『あーもう。やる前から諦めちゃってどーすんの! このサンディ様がリッカの誕生日までに、アインツに特別に特訓してあげるわ!』
 はう! 見上げるとサンディは腕を腰に当てて私を見ました。
『でも、素人がその場で本人の爪にネイルアートはムリだからね。前もってネイルチップをデザインしてプレゼントすればバッチグージャン!』
 よーし!早速特訓よ!特訓!
 凄くやる気のサンディの背中を見ながら、未だにこの友人というか同居人を理解出来ない私だったりします。


■ 家 ■

 感覚的には家の代わりに塔が乱立しているようだ。この町は集合住宅というのが多いらしく、一つの塔にいくつもの家を入れたような造りになっているらしい。一つの扉の向こうには、幾つかの部屋と風呂や台所など一軒の家に必要な設備が揃っているそうだ。ムーンブルクの技術は凄いなと言えば、リウレムは素っ気無く『都会だからじゃないですか?』と言うだけだった。
 実家との揉め事の関係で王宮に良い印象が無いらしいが、俺と竜王に会ったのを機に仕官を目指す為に上京したそうだ。そんなリウレムの住む部屋の近くに、俺達も居を据える事にした。なにせ戦闘技術の無い女を連れて傭兵として身を立てるわけにはいかず、仕事の時はどうしてもローラを置いて行く必要があるからだった。そうでなくても、アレフガルドから出て来たばかりの世界は広過ぎる。少し立ち止まって見回す必要があると、俺個人は思ったのだ。
 何故リウレムの家の側かというと、知り合いが居るのが心強いからだ。体はでかいが人は良い印象のリウレムは、直ぐローラに好かれた。
 リウレムの案内で開け放たれた場所は、大人二人が暮らすには少し手狭に感じる程度の部屋である。前に住んでいた住人の名残なのか、奇麗に清掃された室内や家具には染みが点々としている。それでも塵や埃の類いは見えず、不潔な印象は何処にも無い。
 早速ローラが新しい住処に駆け込むと、嬉しそうに見回す。俺も上がろうとすると、ローラは嬉しそうに微笑んで上品に手を合わせて言った。
「おかえり!」
 ………………。
 俺が黙り込むとローラは首を傾げた。そして俺の横を『おじゃまします』と言って上がり込り、ローラの横に荷物を下ろしたリウレムを見上げる。
「あれ? 普通は家に帰って来る時って、おかえりってお迎えするんだよね?」
 リウレムの紫色の瞳が俺をちらりと見て少しして、納得したように息を吐いた。あまり表情も変えずに諭す様に話し出すリウレムの頭にスライムを放りなげる。
「ローラさん、アレフさんは傭兵だから家は…わわっ!」
 見事にスライムはリウレムの頭の上に着地した。あまり魔物に乗っかられる経験が無いからか、スライムごときでもリウレムは絵に描いたような動揺っぷりを晒してくれる。
 全く憎ったらしい事にリウレムの言葉は正解なのだ。
 傭兵は基本的に家を持たない。銀行の口座はあって、贔屓の店や宿はあっても、帰るべき家などないのだ。仕事中は当然の事ながら、仕事から解放され次の仕事を見つけるまでは宿を一時のねぐらにする程度。それに俺は生まれた家の人間とは決別している。この扉の向こうが、俺が初めて手に入れた帰る場所…家になるのだ。
「リウレム、お前は俺に悪い印象を与えない方がいいぞ。その内、俺が武術とか戦術とか傭兵として生きるイロハを教えてやるんだからな。お前みたいな現実的な考えの奴は、力を付けて天辺登っとけば俺が後々楽になるの」
「貴方の魂胆が只漏れだ」
 リウレムがやれやれと肩を竦めて、他の荷物を取りに入り口に引き返して行く。階段を下りて行く音を聞きながら、ローラが俺をにこにこを見上げている事に気が付いた。そっと俺の手を取ると、そのまま引っ張って来る。一歩扉の敷居を跨ぐと、彼女は満面の笑みで言った。
「おかえりなさい」
 俺は返すべき言葉を知ってる。
 だが、こんな言葉を返すなんてどれくらい久しぶりなんだろう。思わず顔が熱くなる。
「た…ただいま」
 あまりにも恥ずかしくて、ローラの顔すら直視出来なかった。


■ まるで愛の病ですね ■

 サトリ君の護衛を任せているシクラが、ふよふよと宿に戻った私を出迎えたのです。ロレックス君がルクレツィア様の護衛を引き受けている代わりに、私達がサトリ君の護衛を担っています。シクラはサトリ君の魔導書をそれなりに気に入っているらしく、同じ部屋で過ごしているようでした。
 彼女が私を見上げると、珍しく不安そうに言いました。
「サトリが起きて来ないんだヨン」
「えぇ?」
 思わず懐中時計を取り出して確認すれば、朝食の時間は過ぎています。今食事を摂るとしたら遅過ぎる朝食というよりも、昼食と言った方が正しいくらいでしょう。
 書類の申請や手続きは、前日から積み重ねている事を確認し形にしただけなので時間が掛かりません。こう言う仕事は前もって準備が当たり前なので、書状を受け取るだけのようなものです。私がそんな時刻に戻って来れる事が珍しいくらいでしょう。
  サトリ君は体調管理を人一倍気にしています。この長い道中で一度だけ彼の主治医が病弱であった過去を語っただけで、彼自身が自分の脆弱さを見せた事はありません。彼が体調を崩す事も恐らく無い。あったとしたら船酔いくらいでしょう。しかし、彼の健康が彼の徹底した体調管理の上での事なら、彼は病気に苦しんだ過去に怯えているのかもしれません。
 ノックをして部屋に入れば、出掛ける前に見たまんまの布団にくるまったサトリ君の姿が見えました。
「具合でも悪いのか?」
「熱はないし、呼吸も安定してるヨン。シクラの目から見ても体調不良が見当たらないからお手上げヨン」
 彼女は毒の扱いに長けているが、同じくらい解毒の扱いも熟知しています。解熱や心拍操作も可能なくらいです。彼女がそう言うなら、体調不良ではないのでしょう。
 私はベッドの横に歩み寄ると、小さい声でサトリ君と声掛けました。ベッドの中に居る彼は直ぐさま私に振り返ります。金髪の下にある緑の瞳は力ないが、肌の色も白いが良いままだし呼吸も安定しているようです。眠っていなかったようで、私が帰ってきた事も今の会話も聞いていた様子でした。
「大丈夫ですか?」
「心配要らない。少し怠いだけだ」
 驚いた様に私とシクラは顔を見合わせました。日々サトリ君がしてきた日常を知る私達にすれば、その日常を放棄するなんて考えられないからです。無気力状態という事でしょうか? だとしたら何故? 先日、彼は一度故郷に戻っておられた筈。
「サマルトリアで何かあったんですか?」
 私の問いに僅かに反応したサトリ君は、そのまま毛布を被ってしまいました。拒絶に似た反応は、正解と肯定しているようなものです。
「きっと女絡みヨン。シクラの女のカンがそう言ってるヨン」
 シクラがピンと来たのかはしゃぐ様に言いました。彼女は周囲に恋愛話が大好きな人に囲まれて育ってきた為に、こう言う話題には敏感です。しかもその勘は怖い位良く当たる。
「いやぁ、サトリ君に限ってそれは…」
「故郷には幼馴染みの可愛い女の子とか居るんだヨン。そしてその子にフられたりしちゃって、サトリ傷心しちゃってるんだヨン。あぁ、可哀想だヨン!」
「例えそうだとしても、引き摺るのはよく無いですね。男の未練は女性に嫌悪されますから。しかし、女心は複雑です。私もお相手を前にしてお話を聞かないと断定は出来ませんがね」
「食事も喉を通らない、やる気も起きない。正に恋の病ヨン。付ける薬なんて無いヨン」
 ヨンヨンヨーン。シクラが楽しそうに笑うのに悪気が無いのだから始末が悪い。
 そんな中、サトリ君がむくりとベッドから体を起こしました。
「人の枕元で無駄口は止めてもらおうか…」
 素敵なくらいの殺気ですね。私は思わず笑みが引き攣ってしまいますよ。しかし、私はそんなサトリ君の腕を掴むと軽く引っ張ると、軽い彼は舞う様にベッドから引き剥がされました。
「…な、何をする!」
「いやぁ、付ける薬が無いなら飯食って皆と喋って仕事してればよくなると思いましてね。今日はルクレツィア様にお願いされてたアップルパイを焼くつもりなので、手伝って下さい。貴方にシナモンの加減をお窺いしたいな」
 そのままサトリ君の上着を肩に掛け、その細い背中をばんばん押します。
「さぁ、昼ご飯を食べに行きましょう」
「おっさん、しつこいぞ!」
「ロレックス君達が帰って来る前に本調子にならないと、君が大変な事になりますよ。私は口が堅いですが、シクラはどうだか」
 目の前には言いたくて仕方が無いシクラが漂っていて、その顔を見るなりサトリ君は彼女を追いかけて小走りになる。暫くすれば喧しい程の言い争いが始まった。シクラの触手が引っ張られ、無事な触手がサトリ君の頬に張り付いている。
 そうそう。皆元気じゃないと、他の人も気が沈みますよ。


■ 賢者は世界を二つに分ち、勇者は世界を一つに統合す ■

 世の中には様々な可能性がある。竜王は歌う様にそう言って、焚火を眺めて赤金に光る瞳が瞬かせた。
「今は人間と魔物が微妙なバランスの上で共存しているが、それが崩れ去った時の可能性を常に考えている」
 俺は『そうだな』と相槌を打って焚火の火を掻き回した。ぱっとオレンジ色の光を巻き上げて、周囲の木々が暗闇から赤々と抜け出ては再び闇の中に引っ込んだ。竜王は少し驚いた様子で俺を見たが、俺の横に重ねられた2本の剣を見て少し納得したようだった。
 傭兵は人間の通り道と魔物の住処の境目を歩く人種だった。
 そうでなくても誰もが考えるだろう。人間は魔物に襲われ殺される事が多い。魔物が持っている基礎体力の平均は人間より高い場合が多かったし、人間は女子供も居れば俺のように戦闘員として訓練されていなければ男だってもやしだ。人は町の外へ出る事は、それなりのリスクを伴うという覚悟があって初めて出来る行為だった。
 魔物は人間を心の底では、未知数の可能性のある油断ならない爆発物のように思っているだろう。勇者ロトは圧倒的に優勢だった大魔王ゾーマの軍勢を、片手で足りる少数精鋭で撃破した。魔物達がどう解釈しようと、かつては地上の覇者だった魔物が今では共存を強いられる程退けられたのは事実だ。決して揺るがない。
 こう考えれば、微妙なバランスを崩されるという危機感は魔物の方が強いだろう。
 勇者ロトの存在はそれだけ強大なんだ。
 鍋の中に適当な野菜と肉を放り込んだ鍋を火の傍に寄せると、促す様に竜王に話しかけた。
「この前のローラの一件で見事に崩れそうになったが、何を考えていたんだ?」
「人間達が弱過ぎて吃驚して、考えを実行に移す程でもなかった」
 人間の俺にしてみれば、とてもじゃないが気分が優れるお話ではない。俺は半目になりながら竜王を睨みつけ、竜王も少し申し訳無さそうに目を伏せた。
「だが、魔物側が押されてるという想定で交渉は考えた。イトニーから後で聞いたが、お主の推測はかなり的を得ていたぞ。その時の推測は正解でも、状況や詳細は都度変化するもの。もっと大雑把で状況や詳細を伴わない程度の想定の中で交渉を考えるなら、こうだな」
 空気が緊迫の中で引き攣るのを感じる。俺も竜王の気配が言葉にする程ではない殺意や闘気や決意を滲ませて、空気を張りつめさせているんだと感じた。
「私の味方になれば、世界を半分くれてやろう」
「なんだそれ」
 なんというか拍子抜け。俺は詰めていた息を吐き出したついでに、そう言った。
 竜王の方は至極真面目だったらしく、不満そうに俺を見た。
「良い考えじゃないか。人間と魔物の境界線をしっかりと引いて、互いに不可知を決め込むのだよ。私の考えを理解するという事を味方という意味で短く括ってしまったが、長々と説明する事のできぬだろうしな。まぁ、相手が勇者ロトのように一人で盤上の形勢を覆す逸材なら、そのまま人間の王になってもらえばいいのだ。悪い取引じゃないだろう? 生きるか死ぬかを選択する場面で、生命と今後の事まで保証されるのだから」
 そこまで竜王の話を聞いて、俺は先ず少し申し訳ないと心の中で思った。
 竜王は先ず、魔物達の王だ。その実力は絶大で、人間の生命等サイコロを転がす様に扱う事が出来る。勇者と名乗る存在がどれほど強かろうと、多数の人間に推されただけの正義感で生命を賭けるのに抵抗が生まれる事だろう。大多数で攻め入っても、竜にはブレスで一網打尽だ。例え悪と馴れ合い等言語道断と正義を振りかざし神の御加護と叫んでも、勝機がない。まぁ、利口じゃ勇者はやってられない、正義の塊で馬鹿が勇者に相応しいってんならそれで良いんじゃないだろうか。
 それよりも俺が不思議に思ったのが、人間を生かす方向や共存に拘りが見える姿勢だ。
「勇者を殺してゾーマ以降の大魔王にでも、なればいいじゃん。人間に気を遣う価値がお前の中にあるのか?」
 あるから交渉を考えたりするんだろうけど。俺がそう心の中で答えを導き出してる間に、竜王はふぅと息を吐いた。火炎を吐く竜の息に煽られて、焚火がぶわりと膨れ上がった。
「人間の価値とかは分からぬが、人間を滅ぼすのは不可能だろうとは踏んでいる。何故なら、大魔王ゾーマの時代にそうしなかったからだ。出来なかったのかもしれない」
 勇者ロトの登場は突然で、あっという間に大魔王は倒されたらしい。登場する前まではアレフガルドの人間は絶体絶命だった訳で、根絶やしに出来なかった理由か何かで竜王は人間は滅ぼせないと考えているようだった。まぁ、戦争するには士気が要る。大将から下っ端まで殺す気満々って空気が必要だが、その当時にあって出来なかったものが士気のない今に出来るとは考えていないのだろう。魔物も人間も平和の中で随分とマッタリしてるしな。
「大魔王ゾーマは魔物の規格で量るのも失礼な規格外的存在だったらしい。意外に神々同士の小競り合いだったのかもしれんしな」
「カミサマってのを信じてんのか」
 意外だと言いたげに呟くと、竜王は首を振った。
「そう言いたくなる程、大魔王ゾーマの意思は魔物側に伝わらなかった。大魔王ゾーマはほぼ単独でアレフガルドを征服をやってのけた。魔物がかの存在を称え大魔王と呼んだのは、闇が支配し人間が恐れ戦いた後の話だ。人間に対する敵意も憎悪も、果ては目的でさえ、追従した者は聞き出す事も感じ取る事も叶わなかった。一番の理解者は、もしかしたら勇者ロトだったのかもしれない」
 何やら情けなくなって来たのだろう。竜王はそっと息を吐いて、囁く様に言った。
「大魔王ゾーマが去った今、この状況がきっと一番良いのだよ。だから互いに現状維持しようと持ちかけるべきなのだ」
 変革を望み『光の玉』を盗み出す奴の台詞ではなかったが、魔物の王たるこいつにはアレフガルドの外の世界を拓く事とアレフガルド内の維持は別問題なのだろう。賭けるべき命の数が違う。魔物と人間の常識の違いもあるだろうけどな。
 姿勢を崩して何気なく焚火に追加の薪を放り込みながら言った。
「俺は世界の半分なんて、要らねぇって断るだろうけどな」
「断る者は馬鹿者だ」
 竜王の即答に俺は一笑するだけだった。
「馬鹿で結構」
 人間の世界を自由に渡るには、馬鹿で丁度良いのだ。


■ 勇者には理解し難い魔王の趣味 ■

 竜王と二人でアレフガルドの外の世界を旅して思う事は、大きく分けて二つある。
 一つは、竜王が非常に手の掛からない優秀な存在である事だ。魔物達の支配者として君臨しているだけあって、戦闘的な実力は語るに及ばない。人間に対する配慮も、ちっさい魔物の姿や人間の姿に変化出来るのでそこら辺の一般人より常識的だ。金銭感覚は人間と異なる為に俺から言わせれば随分と大雑把だが、野営等のサバイバル技術は位の高いだろう存在では卓越してる。それで本来の竜の姿で移動だって高速で出来るのだ。同行者としてこれ程、恵まれた存在は多く無いだろう。
 実際、竜王の部下からも主である彼は凄いと聞いていたが、これ程凄いのかと感心するばかりだ。
 そうそう、もう一つ竜王について思う事。
 奴の趣味が迷惑過ぎる。
 その迷惑が何時も突然過ぎる。例えばだ、眼下に平原が広がっている場所を休憩場所に選んだとしよう。
「あ」
 薬草でも買い忘れたかの様に呟き、徐に腰を上げる。ちっさい姿の竜王はてぽてぽと幼子の足取りを擬音化させたくなる足取りで数歩前に進む。杖を肩に掛けてフワリと手を宙に泳がせ、一呼吸。
 ぱちん。と指を鳴らした瞬間。
 ゼロ距離でイオを炸裂させたかのような衝撃と轟音が周囲を包み込んだ! 周囲の空気は一瞬にして猛火の中に放り込まれたかの様に灼熱し、俺の髪がちりちりと音をたてて焦げる。休憩で完全に警戒心を解いていた俺はと言えば、心臓止まるかと思うような驚きに防御も忘れて呆然とするばかりだ。そんな俺に向かって、ちっさい竜王は丸い顔を綻ばせてこれまた言うのだ。
「最近、魔力を拡散させて暫く後に発動させる方法を研究しているんだ。どうだ、結構使い勝手良さそうだと思わんか?」
 灼熱の念力と命名したら、格好良さそうだろ?とか平然と続けてくれる。ちょっと待て、俺のこの止まりかけた心臓の事とか無視な訳? そうなのだ。竜王はそういう事は全然考慮しない。魔物だから仕方がないのだろう。
 食事中にいきなり首飾りからビームを出してみようとか、杖に込めた魔力で何か出来ないかとかいきなり実験し出す。これがヤバい。町中でない限り完全に不意打ち的なタイミングなので、そこらの雑魚よりこの竜王の好奇心を満たす趣味が恐ろしい。
「な…なぁ、竜王」
「なんだ?」
「俺に一言断ってから、実行してくれないか?」
 本来ならキレて怒鳴りつける俺だが、予想を軽々と越える事ばかりで呆気にとられるばかりだ。既に何度か九死に一生を拾った程だ。怖々と言い出せば、竜王は訳が判らぬと言いたげに眉根を寄せた。
「断ってる間に忘れては困るではないか」
 頼むから同行者である間だけでも配慮して欲しい。
 俺は心の中でそう叫んだ。