DQ雑記ログ3


■ 妖精の女王様とプラチナクッキー ■

 ネイルアート盛りまくり指先が、思った以上に上品に春風のフルートを取り上げました。付け睫毛にマスカラで更にもり立て、ラメや星で飾り立て、アイシャドーやアイブロウでばっちりと決めて別次元になった瞳が眺め回すのです。
 春風のフルートったら、もうデザイン古過ぎだって…!
 ポワっちはデントーとか大昔に危機を救った男の子とのオモイデガーとか言っちゃうけどさ、やっぱり春は毎年同じ違うじゃん。ポワンも少しイメチェンして弾けてみても良いのになぁ。
 でも、ポワっちはお硬いからなぁ。ドレス換えさせるのも一苦労だしぃ。
 雪ちゃんはちょっとあっためてあげれば、その気になってくれるのになぁ。
 そうだ、せめてこのフルートをラインストーンでモリモリ盛ってあげちゃおう!きらっきらでちょーゴージャスで、めちゃめちゃイケてるって感じにしてみよっと! この神の指先と称えられたアタシに掛かれば、最新鋭の流行総取りなんだから!
 あー、でも返すの面倒いなぁ。アインツはまた客の呼び込みなんて無駄な事に精出してるし…。
 そうだ、風の精霊ちゃんの友達の友達に、ナスビーラ飼ってる子が居たね! ちょっとお願いして届けてもらおっと。
 ベラっちー…って居ないや。ま、アタシが持って行ったってきっと分かるわよね!
 じゃ、おっ借りしてくねー!
「って事にならなくて本当に良かったです」
 私は力強く言い切りました。目の前でミルクセーキを啜るプクリポと言う可愛らしい種族の殿方は、これまた可愛らしい瞳をぱちくりさせてスライムのように微笑ましい口元をにこりを笑わせました。小さい拳をテーブルの上にぱっと出すと、グーと言わんばかりに親指を突き立てます。
「ねーちゃん、マジでそのネタ美味しい!」
「えぇ! 少しは怒ったって宜しいんですよ。ほら、私はちゃんとお詫びの品として、プラチナクッキー持参して来たんですから」
 この方のお陰で妖精の国の騒動が丸く納まったというのに…。妖精女王一同はお詫び必要なしって事になったらしいですけど、その内一人が大変いい加減なのです。笑って許しててへぺろ、じゃないですよ! お詫びの菓子折り一個は用意すべきですよ!
 そんなこんなでやって来た私なのに、この殿方ときたら朗らかで善人過ぎます!
 プクリポの殿方はふるふると首を横に振ります。遠心力にパイナップルの葉っぱのようなちょんまげが、ぐらぐらふさふさと動きます。
「いやいやいや、べっつに良いって。真面目そうなねーちゃんだから全く期待してなかった分、おいら無茶苦茶楽しませてもらっちゃった! いやー、やっぱり他人のギャグって勉強になるよねっ!」
 一頻り笑うと、殿方は持って来た包み紙を開けます。紙吹雪に使うんだと、包装紙は大変綺麗に剥がします。ぱかりと蓋を上げてプラチナクッキーの輝きに歓声を上げると、おひとつぱくり。
「お、ねーちゃんの持って来たクッキー超うめぇ! ねーちゃんも食べなよ、ほら」
「い、いただきます…」
 もそもそクッキーを齧りながら、プクリポって種族は明るいなぁとただただ感心するのでした。


■ 矛盾☆コロシアム ■

 歓楽島ラッカランのコロシアムは熱気に包まれていた。その熱気の度合いと言ったら、最高温度のオーブンさながらだ。コロシアムの舞台にクッキーの生地を置けば、そのまま焼けちゃうってくらいだろうな。
 見渡す限り、殆どオーガで真っ赤か。ラッカランのからっと晴れた晴天に、ちょっぴり生臭い磯の香りがオーガの手に汗握って吹き出る血潮と相まって大変塩っぽい。
 はーーーーあ。俺、どうしてここに居るんだ?
 お願いされたからって、サーカスのステージお休みして、町の名物であるアクロバットケーキも焼けませんって謝ってまでする事じゃねーよ。だが、俺もプクリポの端くれ。祭がこれからだから、きっとつまんねーだけだ。始まりゃ面白いに決まってる。そうだ、きっとそうだ。
 俺がうだうだしている間に、ステージの下から合図が来た。始めて良いって合図だ。俺は立ち上がり、ステージの上に軽々と飛び移った。
「レディーーース・アンド・ジェントルメーーーーン! おまたせしましたーーー!」
 サーカス団で鍛えた大音量は、コロシアムの隅々にまで届いた。殆どオーガの観客達は、その巨体全身を使って歓声を挙げた。壮観で、ちょっと怖いくらいだ。
「遥か昔、何でも貫く矛と全てを遮る盾があった。どちらが最強であり正しいか、そんな命題は今も同じ! 今回はオーグリード大陸全土を巻き込んで、オーガ達の名誉をかけてこの矛盾を決める決闘が行われるぜ!」
 ばっと右手を西にやれば、名高きパラディンチェインを着込み、重厚な盾を持った4人組が現れる。
「ガートランドより、最強の盾! パラディンチーム!」
 さらに左手を東にやれば、深紅の戦士の鎧に身を包んだ一行が現れる。
「グレンより、最強の剣! 精鋭の戦士達ご一行!」
 そして両手を上に掲げる。
「解説も豪華絢爛! ガートランドのグロスナー陛下とグレンのバグド陛下です! 審判は完全に公平! ガタラのガラクタ城の主、ダストン殿です!」
 超殺気立つオーガの国王二人に挟まれて、ダストンは哀れな程に悲痛な声を上げた。お前さんの隣に俺も座らにゃならんのだ。少し黙っててくれ。座りたくなくなるだろう。
「ナブレットさん! どうして私なんかがこんな所に座らないと、いけねぇんでごぜいますか! 審判なんて超重要な役割なんて、私はぜぇええっったいに御免ですよ!」
「情けは無用」
「あるのは真実のみ」
 そう言われて頭を両サイドから鷲掴みにされるダストンである。普通だったら誰もが口から泡吹いて失神するだろうに、どんだけ図太いんだかぎゃぎゃ喚き続けている。
「と、とにかく司会遂行は私、オルフェアよりナブレットが行います! 皆様、とくとご覧あれ!」
 わぁっ!と歓声が響き渡る中、俺はステージから国王達やダストンが腰掛ける貴賓席まで飛び上がった。やっぱりプクリポサイズじゃないから、テンション上げてかないと届かないけど今回はギリギリセーフ!
 恨みがましく俺を見るダストンに、俺は溜息混じりに言った。
「あとで壊れて泡立たない泡立て器やるから、黙って座ってろって。一応、贔屓目、不正、脅迫そのた諸々に全く影響されない人物って、お前さんが選ばれてんだからさ」
「う。泡立たない泡立て器…欲しい。し、しかたありませんね。言っておきますけど、私がここに居るのは貴方のくれるガラクタの為ですからね!」
 はいはい。宜しくお願いします。
「さぁ、オーグリードの戦士達よ、ついに我等の求める命題に答えが出る時がやって来た! 戦士の『会心必中』と、パラディンの『パラディンガード』どちらが優れているか…!」
「パラディンガードが会心必中を防げば、パラディンガードが優れている。しかしパラディンガードが破られ、会心必中が当たるならば戦士の技が優れているということに他ならない!」
 それぞれの国王は朗々と声を上げ、試合開始を宣言した!
『さぁ、誇り高く勇敢なるオーガの民よ! 今こそ、その力を示さん!』
 矛盾の答えを決める戦いの火蓋が切って落とされた!


■ 本物以上の安物 ■

「パルミドの商人達の目は、お鍋の蓋でも嵌ってるみたいなんだよ」
 そう言ってゲルダは一頻り笑う。ゴブレットに波々と注いだワインが、極上純白のシルクのテーブルクロスに花を散らすのすら意に介さない。
 肴の干し肉のスライスを千切って口の中に剛胆に放り込むと、私に笑いかけた。野性味溢れる美貌は、見る者をぞくりとさせる危険で魅力的な香りを放っています。
 パルミド地方では名を轟かせる盗賊ゲルダの下に、商談を得ようと訪れる商人は多いそうです。その多くの商人達に、ゲルダは辟易している様子でした。パルミドでも砂漠の中の砂金を探すが如く、本物を見つけ出すのは大変な事なのです。
「おじさんみたいな人は、世界中探しても居やしないね」
 昔から変わらない健康そうな明るい笑みで、ゲルダは言いました。まぁ、私は鑑定眼の確かさで生き抜いてきた商人です。私よりも勝る眼の持ち主は存在して然るべきでしょうが、そうゴロゴロ居られて商売上がったりじゃ困ります。
 …って私が言いたいのは、そこじゃない。
「私は偽物本物に拘る質ではありませんよ」
「本物志向の奴は居るけど、その程度じゃ二流だよ。でも、おじさんは偽物も本物以上にしちゃうから凄いんだって」
 私は最近、昔なじみのゲルダの下に希望された武器を卸しています。ゲルダは人殺しなんてする子じゃありませんが、相当に稼いでいるようですね。まだまだ魔物が活発に活動する世界ですから、武具の需要は高いままです。
 私が卸した武器を列挙してみましょう。
 ドラゴンに対して大打撃を与える技術を施した鋼鉄の剣。本物のドラゴンキラーより竜の鱗が切れ易い仕様になっております。
 会心の魔人の金槌に匹敵する破壊力を叩き出す、限界まで鍛えた大木槌。
 毒、混乱等さまざまなバッドステータスを無効にする、普通の指輪。
 まだまだありますが、こんなものでしょう。
 当然ですがなかなか売れない。しかし、買わないパルミドの商人達の眼は節穴だと、ゲルダは言うのでしょう。
「偽物だろうと本物に劣らぬ価値を付属させる事こそ、腕の見せ所です」
 私がそう言って笑うと、ゲルダは弱々しく笑った。
「何でも盗み出せるって言い切れりゃあ、おじさんにだって見栄張れるんだけどね」
 なかなかどうして、彼女も大盗賊カンダタを未だに越えられないらしい。ヤンガスは盗賊から足を洗ってしまったようですし、盗賊は難しい職業のようですね。


■ ウェルカム トゥ ナブナブサーカス団! ■

 花の民プクリポの大陸は、何処を歩いても良い香りでいっぱい。平原を歩けば野の花と、熟せば美味しい果実になる花の匂いが漂ってくる。籠を覗けばレッドベリーが山積みだ。荒野でさえ太陽と砂に焦がされて、甘い香りが香ばしく変わるらしいんだ。家が一軒あれば、そこから御馳走の匂いが沸き上がる。甘いチョコレートも、満腹の腹すら鳴らすカレーの香りも、メラでこんがりしちゃったキメラの香りもなんでもござれ。
 でもこの町は特別なんだ。ボクの鼻が吃驚しちゃったくらいなんだ。
 ウエハースの橋にビスケットのタイル、噴水の水はサイダーじゃないかっておもっちゃう。町の中央を陣取る建物は、遠目からでもデコレーションされたケーキそのもの。噎せ返る程の甘い香りが包むその町は、プクランド第二の都市、オルフェアの町。名物はアクロバットケーキだよ。
 ボクのおとうさんとおかあさんは、引っ越す前はここのサーカス団のスターだったんだって。ボクの両親が死んじゃったのを知って、サーカス団の団長さんが『うちに来ないか?』って誘ってくれたんだ。
 おとうさんとおかあさんは『団長さんはとっても良いプクリポだよ』って言ってたけど、どんな人なんだろう。あぁ、緊張して来た!
 ボクはドキドキしながら、真冬の海に飛び込む勢いでサーカステントに突撃した!
 でも、ボクはやめとけば良かったって思うんだ。中は真っ暗! 何も見えない!入って来た入り口も暗幕だったみたいで、外の光も入って来ない。
 すると、ぱっと光が差す。
 巨大な、それこそサーカステントに窮屈に押し込められたような人形だ! 小さければ可愛い顔だろうけど、大き過ぎてボク食べられちゃうかもしれないって悲鳴すら喉で止まってしまう。
「名乗るのはちょっと待ってな。俺が一つ、お前さんの名前を当ててみせよう」
 サーカステントに声が響き渡る。
 誰が喋ったんだろうって探すと、円形の舞台の真ん中、人形の足下に一人のプクリポがいる。紫の光沢のあるスーツとシルクハットを身につけたその人は、ボクに背を向けていたようだ。
「お前さんは俺がサーカス団を立ち上げた頃にお世話になった、芸人夫婦の一人息子、プディン君だ!」
 わわっ! どうして分かったんだろう!
 すると頭の上を何かが通り過ぎて、耳の先を揺らす。見上げると空中ブランコに腰掛けて滑空するピエロが、プププって笑った。
「さっき坂を上って来る姿見てるんだから、カンニングです。ブブー!」
「こら! バラしちゃ駄目じゃねーか!」
 シルクハットを右左して、旋回するブランコに乗るピエロを叱りつける。でも、怒った声は本気で怒ってる声じゃない。耳を澄ませば笑い声は色んな所から聞こえてくる。探せば光が届かない暗がりでは、玉に乗ってバランスを取りながら『そんな悪い団長にはバツゲーム!』とカラーボールが雨霰。最初は上手く逃げていたが、何処に転がっていたのかバナナの皮にすってんころりん! ボールにぼこぼこにされたり、転がされたりさぁ大変!
「あだだだだ! 皆やめろって!」
 一頻り怒ったその人は、一つ大きく咳払いをして片手を高く上げる。薄暗かったテントが、ぱっと明るくなった。
「ようこそ、プディン。会うのは久々なんだけど、きっと覚えちゃいねぇだろう。俺が見た時は、絞りたての生クリームのように可愛かったからな!」
 そう言って、歩み寄って来たその人は朗らかな笑みでボクに握手を求めた。握った途端に、ひょいっとステージ場に引っ張り上げられる。一瞬空を飛んだような感覚だったけど、やさしくふんわりステージに降り立った。
 まるで鳥になったみたいだった。一瞬の事でも身体が感じた感覚に、心臓がドキドキいってる。ボクは目の前に人を見上げて、思い切って訊ねてみた。
「も…もしかしてナブレット団長…さん?」
「さんは要らねぇなぁ」
 ナブレット団長さんはにやりと笑った。
 オルフェアの町の町長にして、オルフェア1のケーキ職人で、このナブナブサーカス団の団長を務めている人だ。おとうさんとおかあさんがお世話になって、これからボクがお世話になる人を見上げた。すると団長さんはボクの耳を指差した。
「ところでお前さんの耳の先っぽが茶色いのは、何故だか疑問に思った事はあるかい?」
 にこにこと団長さんはボクに問いかける。
「は…はい。でも、生まれつきなんじゃないんですか?」
 ボクがそう答えると、団長さんは『とんでもない!』と大袈裟に驚いてみせた。驚いた拍子に外れた紫のシルクハットを、ぴょんと宙返りして手に取ると頭に乗せ直す。あんぐりするボクに、団長さんは畏まってお辞儀をひとつ。
 そして、ボクの耳に大事な秘密を打ち明けるように囁いた。
「俺がうっかりお前さんの耳にカラメルを焦がし着けちまって、シミになっちまったんだ」
 え!!
 ボクの声がテント中に響き渡ったもんだから、他の団員さんも驚いてこちらを見た。玉乗りを練習していたピエロは、笑顔のメイクを不服そうに歪ませた。
「だんちょー。可愛い新入りを早速苛めないでくださいよー」
「おいおいおい、誰が苛めたってんだ。むしろ俺が苛められてらぁ」
 団長は不満そうに呟くと、シルクハットを自らの手の平に乗せた。そしてぱっと持ち上げた手の平に、沢山のフルーツと生クリームでトッピングされたプリンアラモードが乗っていた。プクリポの顔の形のクッキーには、チョコレートで『ウェルカム プディン君!』と書かれている。
「ナブナブサーカス団にようこそ!」


■ いつか、ストレートになる魔法の薬作るんだ ■

「セルセトアさんの髪ってキレーだね」
「あらそう? ありがと、ロトちゃん」
  椅子に座っていると背後にロトちゃんがぺったりくっ付いて来て、私の髪を弄っている。ロトちゃんの髪は堅くてごわごわしているから、いつかサラサラのお姫様のような髪になる薬を作るんだって良く言っている。自分の髪をお母様のような三つ編みにするのも大変だとか。私はロトちゃんの自然な髪型は好きなんだけど、男性やお洒落をする人にはそうは映らないのかも。
 ロトちゃんは髪を弄りながら背中でうんうん唸っている。
「どんな風にしたらそんな髪になるんだろう。お手入れとか、凄く大変?」
「んー。大変かなぁ」
 実は全然お手入れなんかしてないんだけどね。
 そこまで言って、ちょっと昔の事が頭を掠める。
「でもね、ディディ姉さんの艶にはまだ遠いかなぁ」
 後ろを少し見遣ると、ロトちゃんが不思議そうに私を見上げて来る。私は悪戯っぽく笑みを作る。
「私の知ってるお姉さんにね、とっても奇麗な色と艶を持った人がいたの。眺めてるだけでとっても幸せになるくらい、その人も旦那さんも私も大好きだったの」
  ディディプリス・ディアンドラ。大樹の一族の若者と添い遂げた大地の一族の女性は、美尾猫の精霊で美しい黒い尾を持っていた。その漆黒の毛並みは世界中のどの毛皮よりも滑らかできめ細かく、その尾に戯れに顔を突っ込んでは呆れられながらに怒られたものだ。その尾の美しさを彼女自身も誇りにしていて、常に最高の状態にする為に手入れは欠かさなかった。
 あまり自分の姿にこだわりは無かったものの、言われて見ると今の自分の姿は似ているかもしれない。
 あの黒。あの美しい艶。もう記憶にしか無いけれど、今でもあの美しさをありありと描く事が出来る。やっぱり自分は似てないかも。ディディの方がとっても素敵だもん。
 私が過去を懐かしんでいる意識を、ロトちゃんは何気なく叩く。
「へぇー。でも、あたしはセルセトアさんの髪もとっても素敵だと思うけどなぁ」
 私も言った。ディディに、素敵だって何回も。
 だから逆に私が言われるととてもくすぐったい。
「もう、言ったって何にも出ないぞ!」
 振り返ってロトちゃんを捕まえると、ロトちゃんもきゃあきゃあ言いながら戯れて来る。今は自分が姉さんで、もうお母さんだ。
 もしかしたら、私、とっても幸せなのかも。


■ 休憩って大事だって話だよ ■

 ロトが背を丸めて盛大な溜息を吐いた。目の前には奴が広げている呪文の術式の計算書がちょっとした山になっている。ロトが研究中と籠る時は滞在時間が比較的長めの時を選んでいるが、それを差し引いても声を掛けるのを躊躇う。出発が数日遅れるなんて良くある事だ。
「まぁた行き詰まってるのか」
「うーん。この公式がねぇ…一致しそうでしなくって…でも、合致する可能性ばっかりが上がって来るからさぁ」
 ぼそぼそと呟く内容を聞いても、その公式が解けなければ梃子でも動かないという事を俺とガライは旅の付き合いで悟っている。ガライを見遣れば小さく肩を竦めて宿屋のフロントに向かう為に部屋を出て行った。
「なぁ、ロト」
「うーん?」
 唸っているのか返事をしているのか微妙な答えが返って来たが、俺は構わずロトの横に椅子を引っ張り腰を下ろして訊いた。
「体の速度上げるピオリムって呪文あるだろ?」
「あるねー」
「それ使ってパパッと終わらせちまえよ」
 ピオリムとは筋肉を一時的に活性化させ、瞬発力を含め移動に関する様々な能力を上げる効果がある。ロトは興味と関心のある事に限れば頭の回転は早い。計算式を書く動きだけでも上がれば、求める答えを得るのを早めるのに一役買うだろう。
 ゆっくりとロトが手を止めた。青い瞳がぼんやりと計算式の束の上を右へ左へ彷徨わせていると、長く唸って首を傾げた。
「そういうの無理なんだよ」
 虚ろな瞳を俺に向けて、ロトはのろのろと説明をする。
 俺みたいな考えの人間はとうの昔に既に存在していたらしく、事務仕事を捗らせる為に挑んだ仕官は多かったそうだ。まぁ、そうだろう。実際捗っていたらもっと普及してもおかしく無い。ピオリムは特殊な呪文ではあったが、習得はそんなに難しく無い呪文だったからだ。
「人間って、目で見た物を脳で分析して体に伝えて実行するんだけど、その情報を分析する時間は短縮できなんだ。ピオリムが戦闘向けの呪文で認識されてるのは、戦闘に思考する時間がそんなに絡まないからなんだ」
「まぁ、戦ってる最中にだらだら考えたり喋ったりしてる暇はねぇからな」
 ロトは頷いて目をしぱしぱ擦りながら計算書に向かい合おうとした。その頭を俺がむんずと捕まえる。
「煮詰まった時、効率が悪くなっちまった時にお勧めする事がある」
 訳が分からなそうに首を傾げるロトの耳にも届くだろう。ガライが茶器を載せた盆を持ってやって来る音がな。


■ 今は大変充実してます ■

 ガライが疲れ切った様子で戻って来た。まだ夕飯にも遠い時間である為か、『少し休んでから戻ってきます』と言い残して部屋に入っていった。
「ガライさん、お弁当食べたのかな?」
「お前が『調合』したんだから、味に問題は無いだろう」
  ガライは朝から今の今まで出かけっぱなし。理由は奴の目的である地方の伝説や伝承を聞いて来る為であるのだが、その方法がなんともまぁ骨の折れる作業である。先ずは宿屋の主人等から地方の昔に詳しい人物を聞き出す。それは難しく無い。そしてその人物を尋ねる。これからが大変なのである。
 俺達旅人は、当然余所者だ。見知らぬ外人がやって来て『ここの伝説や伝承を教えて下さいませんか?』と言って教えてくれるものではない。追い返されたり、拒絶されたりするだろう。
 ガライもそこで突っ撥ねられた経験は多かったらしく、ここから先のガライの根性は大したものだ。
  拒絶された程度で引き下がったりはしない。他愛も無い世間話をしたり話を傾聴し、時には仕事を手伝ったりして人々の信頼を得る。それから奴の聞きたがっていた話を聞く。ギブアンドテイクと考えれば当然な成り行きだろう。しかし、この方法は時間が掛かる為に、ガライは戻って来るとくたびれ果てて帰って来るのだった。
 心配したロトが弁当をこさえてやるのだが、食ってる時もあれば手が付けられない位忙しかった時もあるらしい。
 あのひょろっこい体の何処にそんな根性と根気が詰まっているのやら。俺は疑問に感じるぜ。
「全く、難儀な野郎だな」
「あんまり無理しないで欲しいけどね」
 俺達も理解はしているが止める事もできないので、こうやって同情くらいしかしてやれない。
「もう少ししたら、声掛けて飯でも食うか」
「出発も伸ばす?」
「それは奴の調子次第だな」
 俺の言葉を聞いてロトも『そうだね』と同意する。
 昔は色々あったらしいが、なんだかんだで愛されてんじゃねぇの? ガライはさ。