DQ雑記ログ4


■ 円滑なる感謝に埋葬された告白の意味 ■

 ロレックスががたがたと大荷物を持って宿屋に帰って来た。帰って来たのは良いが扉が開けられなかったのだろう、廊下から開けてくれだなんだやんだと叫んでいるので仕様がなく僕が開けてやる。すると廊下には箱や手提げを持つだけ持ったロレックスが立っているのだった。
「どうしたそれは」
「あー、これはローレシア恒例のバレンタインという奴だ」
 どさどさと床に荷物を下ろすのを上から覗き込むと、それらの中身は全て食品のようだ。調味料から、薫製、乾物、携帯食料、飲料と様々。傭兵として携帯する食料の中では、やや高級な名の知れた名店の印が押された物もある。それらを検分している間にルクレツィアも隣の部屋から騒ぎを聞いたのか、入り口から覗き込んでいるので手招いてやる。あまりの食品の多さに、ルクレツィアはあんぐりと口を開けて見回すばかりだ。
「これ全部食べ物?」
「そう。ローレシアではお歳暮とかお中元とかあるんだけど、それは元々雇い主や自分より先輩の傭兵に贈る物なんだ。バレンタインとホワイトデーは、同僚や仲間に贈る行事なんだよ」
「バレンタインって恋人同士が物を贈ったりするんじゃないの?」
 僕もルクレツィアの問いは多いに同意したいが、なにせロレックスは傭兵大国ローレシアの傭兵だ。恋人同士の贈り物のやり取りで横恋慕や嫉妬や勘違いがあれば、手練の傭兵ばかりの世界では流血沙汰は免れない。平手打ち一つや嫌いの罵声で済まされない、まさに血のバレンタインだ。元々は僕らと同じ認識でローレシアには伝わっただろうバレンタインという行事も、その戦闘能力の高さと感情の激しさに変化を余儀なくされたというのが妥当な線だろう。まぁ、平和的な行事である事が最も望ましいのだ。良い事ではないか。
 もしかしたら、恋人同士の物の贈り合いでは圧倒的多数の男性が贈り物をもらえないという可能性が生まれその先には…面倒だからその話はどうでも良い。
 それに建国社があのアレフ国王なのだから、傭兵同士の連帯感や協調性を高めたりするのに利用した可能性もある。タダでは起きない。それがローレシアだ。
 ロレックスもそれは分かっているらしく、笑って濁しながら小さい箱を取り出して僕らに差し出した。
「まぁまぁ、細かい事はどうでも良いから。はい」
 包装紙に奇麗にラッピングされた箱は、この街では少し有名な洋菓子店の物だ。ルクレツィアが待ちきれず『開けて良いの?』と問えばロレックスも笑顔で快諾する。
 ルクレツィアが開けた中身は可愛らしい動物型のサブレの詰め合わせである。僕も思わず開けようとして、ロレックスが待ったを掛ける。
「何だよ」
「サトリのはブランデー使ったパウンドケーキだから、開けるのは夜な。第一、ルクちゃんの横や弱いリウレムさんの近くで酒臭い物拡げちゃ駄目」
 ロレックスらしからぬ正論に、僕は思わず悔し気に言葉を詰まらせた。
 だが、中身はそれなりに美味そうな物らしい。中身を見て、食べれないのも悔しい。大人しく夜に開けて食べる事にしよう。
 僕が礼を言えば、ロレックスとルクレツィアが嬉し気に顔を見合わすのだった。


■ 異文化のかくも理解し難き事か ■

 ロレックス君に朝とは思えぬ程に修錬に付き合わされて宿に戻った私を迎えたのは、驚いた事にサトリ君でした。彼は怒りすら滲ませた表情で私を見るものですから、私も思わず何か彼にしただろうかと考えてしまいます。少なくとも、昨日は仕事の関係で深夜に戻る事になってしまったので顔は会わせていない筈。それよりも前の事か…
「おっさん」
「は、はい。何でしょう?」
 考えの途中で割り込まれた言葉に、私も考えを中断してサトリ君を見下ろしました。
「おっさんはロレックスからバレンタインの贈り物をもらったのか?」
 バレンタインの贈り物…あぁ、そう言えば貰っていたな。その後の修錬が久々にハードだったものですっかり忘れていました。
 私は自分のタオルを入れていた布袋から、ラッピングされた箱を取り出しました。その箱をサトリ君が凝視すると、忌々し気に言いました。
「おっさんは何を返すつもりなんだ?」
「あぁ、ホワイトデーですね」
 アレフさんが何を考えているかは想像に容易い物ですが、なにもローラ様のチョコレートから逃げたいが為に行事の趣旨まで変えなくても良いと思うんですけどね。折角僕がチョコレートの正しい作り方を伝授してそれなりにおいしいチョコレートを作れる様になったというのに、ローラ様は中身に我々では考えられない冒険をなさるお人だからな。でも、アレフさんはちゃんと食べるんだからどうでも良いじゃないかって思うんですけどね。
 まぁ、今は恋人の居ない男性も、色々複雑な事情の恋模様でも穏便に済む平和的なイベントになっているから結果的に良かったのでしょう。
 私は少し顎を擦って無精髭が伸びている事を思い出しながら、サトリ君の問いの答えを考え始めました。
「食べ物を用意しようと思ってます。何せ彼は傭兵ですから、消耗品以外で荷物になっては相手が大変になります。薬草も考えたんですけど…ロレックス君は案外怪我しないし薬草類も呪文が使えないから旅人としては多めに所持してますし…」
 そこでだんだんとサトリ君の顔が険しくなっていくので、私は思わず言葉を矢継ぎ早に続けた。
「あぁ、でも薬草も良いと思いますよ」
 サトリ君は私の言葉に『何を言ってるんだ』という表情で私を見上げました。
「ロレックスの嗜好が分からん」
「はい?」
 私が問い返すと彼は黙り込んでしまいました。
 まぁ、ロレックス君の好き嫌いは無さそうに私は見受けましたから、取り立ててこれを贈ろうという物はありません。つまり、サトリ君はロレックス君のお返しに一ヶ月も前から悩んでいるという事になる。サトリ君の性格ではロレックス君の借りを一ヶ月も借りたままなのが我慢ならないという事も十分に考えられますが。
 それにしても修錬で良く居る私を、ロレックス君と仲が良いと思われても少し困るんですけどね。私は寄る年の瀬に若人の修錬に余裕がありません。
「贈り物ですから、サトリ君がよく考えて良いと思う物を贈って差し上げなさいな」
 私がそう言うと、サトリ君はなんともまぁ不機嫌そうに自分の部屋に帰っていくのでした。


■ 希望を察する事と訊ねる事の差は山よりも高き ■

「ロレックス君、一応両利きですけど腕だけは止めて下さいって言ってるじゃないですか」
「ちょっと本気になり過ぎちゃって。ごめんなさーい」
 笑いながら両手を合わせて謝り倒すと、リウレムさんはうんうん唸りながらも『帰ったらシクラに治してもらいます』と腕を擦る。リウレムさんの評価では最近俺の実力は上がっているらしく、加減を間違えて怪我をさせてしまう事もあるのだ。それでもリウレムさんの相棒が回復呪文も扱えるのでそれほど怒らないが、俺もリウレムさんも呪文が使えない人間なので修錬で怪我をさせないというのは暗黙の了解であったりする。
 宿への道を歩きながら、リウレムさんは思い出したかの様に俺を見下ろして来た。
「昨日のプレゼントありがとうございます。まさか干し肉とスルメイカとは思いませんでした」
「リウレムさんお酒は飲めない人なのに、酒の肴は凄い好きな人でしょう?」
 少量でも飲めばとんでもない二日酔いに見舞われる人なのだが、酒の肴になるものは結構好んで食べる人である。塩っぱい物が好きなのかと問えば、彼の先輩に当たる人々が大酒飲みか酒好きばかりだったらしい。付き合いで付いて行っても飲めない為に、延々と食っていたそうだ。
「こんな仕事ですから、意外に思われますけどね」
 人好きしそうな笑みを浮かべて再度お礼を言って来る。俺も別に構わないと返しながら、視界に今泊まっている宿屋が見えて来た。
「そう言えば、ロレックス君はお返しは何が良いですか?」
 その声に俺は驚いてリウレムさんを見上げる。同行者最年長の男性はにこにこと笑いながら俺の返事を待っているらしい。
 なにせ本来のバレンタインは好きな男性に女性が贈り物をするというイベントなのだ。男女構わず同期や仲間に贈り物を贈るなんて言うのは、ローレシアだけの文化なのだ。まぁ、外交官なんて仕事をしているので他国の文化には理解があるのだろう。彼にしてみれば俺と同じ年の子供が居ても可笑しく無い程の年下の男の子な訳だから、純粋にローレシア特有のイベントとして楽しんでくれているのだろう。気持ち悪いとか思われるどころか、ちゃんとお返ししてくれるつもりらしいから驚く。
 お返しをくれるというのが毛頭なかったせいもあるが、いざ何が欲しいか聞かれると浮かんで来ない。
 俺がうんうん唸っていると、一つ思い出した事があった。
「リウレムさんが使ってる髭剃り欲しいな」
 言った途端にリウレムさんが驚いた。
 髭が伸びるのが早い人なんだろうけど、リウレムさんは仕事の関係で一日に何度も髭を剃る事がある。実際目の前のリウレムさんは朝の髭剃り欠かしただけで無精髭がぼうぼう生えてる。髭を伸ばして口髭とか作れば良いのに、血相変えてそれだけは駄目ですと猛然と拒否された。とにかくそんな人だから、髭剃りがとんでもなく上手い。俺もそろそろ髭が生えて来る年齢になるから、リウレムさんと同じ物を持てば上手く剃れるかもしれないとか思うのだ。
 サトリは髭が薄いし生えるの遅いし、良く失敗して自分に回復呪文掛けてるしな。
「ロレックス君はまだ髭が生えるのは早いと思うんですけどね…まぁ、良いでしょう。私が使っているのを差し上げる訳にはいきませんが、同じような物を用意しておきますね。初心者用にクリームと鏡も用意しておきます。私も若い頃は顔に良く傷作ってましたから、慣れるまでは使っておきなさい」
 リウレムさんが失敗かぁ…想像付かない。
「じゃ、来月楽しみにしてる…っ」
 殺気に似た意思が俺達に向けられていて、リウレムさんも俺も即座に意識を向ける方に顔を向ける。
 そこにはすげぇおっかない顔で俺らを見下ろすサトリがいた。俺達の目の前で、サトリは不機嫌丸出しで乱暴に窓を閉めるのだった。
「何かしたっけ?」
 俺がリウレムさんに問うと、リウレムさんは引き攣った笑みで濁すだけだった。


■ 女性の会話の鮮やかさは宝石の如く ■

 朝も早く修錬に出掛けた二人を見送ったのか、シクラとルクレツィアがテーブルに着いてわいわいと喋り出す。
 スライムの性別というのはいまいち理解出来ないが、種族の中では男女という性別の差があるらしい。シクラは人間の言葉が喋れるしびれクラゲな訳で、言葉遣いも女らしさが現れているので性別は女だと分かる。魔物だが生まれて間もなく人間と共に生活する様になったそうで、彼女の常識は非常に人間に近いものである。だからだろう。やはりルクレツィアとは延々と女子トークが出来るのだ。
 やはり貰って数日と間がないからか、話の内容はロレックスから貰ったバレンタインのプレゼントらしい。
「触ってみるヨン。いつもよりもツヤツヤでスベスベヨン」
「わーー、ホントだー」
 感心しきりにシクラの触手を触るルクレツィアだが、傍目から見る僕でさえシクラの艶やかさがいつもとは異なるのが視認出来る程だ。どうやらロレックスがシクラに贈ったのは、有名所の天然水と塩らしい。体の9割が水分と言われるスライム族故に、人間以上に水質や塩分の質が体に反映されるのだろう。
「ロレックスにお返しは何にしようかヨン。ルクレツィアは考えているヨン?」
 シクラがそう訊ねれば、ルクレツィアがうーんと腕を組んで唸っている。
「シクラは考えてるの?」
「あまりネタがないヨンけど、虹か雪かどっちかにしようと思ってるヨン」
 成る程、シクラらしいお返しだ。ヒャド系の呪文に明るい上に、魔物特有の自然の力に干渉する能力もあるので不可能ではないだろう。その言葉を聞いて魔力にすぐれ呪文の知識に関しては歩く辞典レベルのルクレツィアも、凄い凄いと嬉しそうに声を上げる。
「ルクは虹が良いなぁ」
「天気の関係があるから、一ヶ月も前からどっちかには決められないヨン。でも天気がよかったら大きい虹を架けてあげるヨン」
 ルクレツィアがさも嬉しそうに笑っている。しかし、笑い声も僕の想像以上に早く納まってしまう。
「どうしよう。ルクは特技がないからそんな素敵なプレゼント出来ないなぁ。料理も上手じゃないし…。回復呪文券とか考えたけど、そんなのなくてもロレックスさんには回復呪文掛けちゃうし…」
 なんか色々混ざってないか。僕は聖書に視線を落としながらも内心で突っ込んでしまう。
「じゃあ、料理の技量とか関係ない物にしたら良いんじゃないかヨン? 例えばアイテムを祝福してお守りにするとか、複数の薬草や茶葉を調合してスパイスやお茶を作ったりとか…。ルクレツィアは呪文の腕があるんだから、素敵な贈り物作るなんて簡単ヨン。シクラもいっぱい相談乗ってあげるヨン」
「凄いシクラ!」
 想像以上に具体的かつ合理的なシクラの言葉に、ルクレツィアは手放しで賞賛の声を上げる。僕ですら横で聞いていて度肝を抜く程驚いてしまう。
「ロレックスさんが喜んでくれるものを、ルクは頑張って色々考えてみるね!」
「女は心意気ヨン! 頑張るヨン、ルクレツィア!」
 女同士の燃える友情と言うものなのだろう。迸る何かに男性の僕はとてもではないが近づけないものを感じてしまう。
 そこで、僕は祈りの時間だというのに聖書の内容が全く頭に入っていない事に気が付いたのだった。


■ その心遣いの真意が彼の心に届く日が何時か来よう ■

 バレンタインを一ヶ月かっきり過ぎた日を境に変化した事が一つだけあった。
 朝も早くからロレックスが鏡の前で悲鳴をあげる様になったのだ。その横であーあと言いたげに頬杖を突いたおっさんが溜息を付く。ロレックスの頬には鋭い剃刀で傷がつき、鮮血が顎を伝って床に落ちる。手で押さえても刃が鋭かった事を物語る様に、指の間から血がにじんでいた。
 それでも半月程度経過した今では、このような髭剃りの練習での失敗は大分減った。おっさんの持っている髭剃りは慣れれば他が使えない程の使い勝手だが、その分扱いの難しい癖のある物だ。半月でものになるのは、おっさんでも正直驚きは隠せないだろう。
 おっさんは手早く清潔な布に薬草を塗ってロレックスに手渡す。それで抑えろと言いたげな仕草をすると、徐に立ち上がる。
「シクラを呼んで来ますから、待っていて下さい」
 おっさんの相棒。喋るしびれクラゲは回復呪文も補助も熱を持たない攻撃呪文にも精通している為に、彼女に回復を頼むのだろう。髭剃りの練習に回復呪文は欠かせない。なにせ、顔に傷が残るかもしれないからだ。
「ごめん、リウレムさん」
 ロレックスが苦く笑うのを諌める様に安静にと告げると、おっさんはいつもよりも足早に部屋を出て行った。残された僕は思わずロレックスと視線を合わせる事になる。
「情けないな」
「髭剃りが下手なサトリに言われたくねぇな」
 ………事実だが、面と向かって言われるといい気分じゃないな。
「おっさんやルクレツィアが居なかったらどうするんだ? 先が思いやられるな」
 ロレックスは呪文の制御ができない。それは呪文が使えないと同意義で、これから髭剃りも顔に傷が残るかどうかの瀬戸際を歩くようなものだ。おっさんのような境地に達するには数年の年月が必要だろう。
 僕の言葉にロレックスは気怠気に姿勢を崩した。ソファーに体を預けると、痛みからか小さく呻く。
「傭兵が顔に傷を一つ二つ持ってても何も思われやしねぇよ」
「僕は顔に傷を持った柄の悪い傭兵に護衛されるのは嫌だな」
 つ。と指先をロレックスの顔に向ける。回復呪文は確かに傍で行えば精密さも回復力も上がるが、上達すれば離れた場所で複数の存在を同時に回復する事も可能なのだ。ただし棒の先に付けた塗り薬を傷口に塗るような集中力が必要だ。自分が歩み寄って指でつけた方が楽なので、離れた所から相手に回復呪文を施す事は秀でた神官でも行わないだろう。
 ロレックスの頬に柔らかい光が雪の様に降り掛かると、驚いた様にロレックスは僕を見た。ごしごしと頬を布で拭うと、そこには傷一つない頬が手の下から出て来た。
「そうだな、先月のお礼はホイミ券でも作ってやろうか?」
 僕が皮肉を込めて言うと、ロレックスは面倒そうに顔を歪めて笑った。
「作ったら有り難くいただいとくよ」


■ はぐはぐ! ■

 プクランド大陸がお菓子の匂いに包まれる時期がやってくる。オルフェアはいつでも菓子の匂いだが、この時ばかりは花の都メギストリスもお菓子の香りが勝るのだ。バレンタインだホワイトデーだと、お菓子が食べれると託つけてプクリポ達が踊らされている。
 プクリポは年がら年中お菓子が主食ってくらい、食べてるだろう。
 他種族のツッコミも、流石の私は否定しない。
 私だって甘いの大好きだ。生クリームたっぷりのショートケーキだって好きだし、ハニーレイクのさえずりの蜜たっぷりのパンケーキなんて何枚だって食べれるさ。
「ラグアスー! ナブレットおじさんからケーキが届いたわよー! まぁ、おいしそう!」
「けーき けーき!」
 ラグアスが舌っ足らずな言葉で、母親のアルウェと並んで輝く視線をケーキに投げ掛ける。私も義兄さんのケーキはおいしいと思ってます。だからお皿持って執務室に押し掛けないでほしい。
 最近、喋れるようになってきたラグアスを連れて、執務室に堂々と進撃して来るから仕事がぶっちゃけ捗らない。
 アルウェは私や補佐官の視線もどこ吹く風で、ラグアスを抱きしめる。
「きゃー! ラグアスすごーい! お喋り出来るようになってえらーい! お母さん、はぐしちゃうー!」
 はぐはぐぎゅー!
 きゃっきゃ嬉しそうに戯れる母と子の姿はとても良いと思う。あぁ、凄く良いよ。ラグアスとアルウェがほっぺを押し付けあってニコニコしている様なんて、画家呼びつけて今直ぐスケッチしろとか命じたくなるレベル。彼女と結婚出来て良かったと心の底から思ってる。
「アルウェ…」
「はーい!お父さんも、お母さんにはぐはぐしてほしいよねー!」
「いや、ハグはいい」
 私が断るとアルウェはにっこり笑ってラグアスを抱きかかえた。
「わかったー! ラグアス、お父さんがはぐはぐしてくれるってー!」
 ラグアスの顔がぱあーーーって輝くのが見えた。私はあんまり優しい父親じゃないのに、なんでこの子はこんなに懐いてくれるんだろう。その無垢な手の平が私に抱っこをせがんで来る…!なんて抗い難い誘惑なんだ…!
 だが、私はメギストリスの国王としてやるべき事をしなくてはいけない。義務なんだ。
「アルウェ、ラグアスを連れて下がってくれ」
 アルウェは真ん丸い目をぱちくり。ラグアスもきょとんとしている。
 異様に長く感じられた沈黙だったが、アルウェの目がウルウルして来るとそれどころではなくなる。あぁ、泣いちゃうのか!?たのむ、泣かないでくれアルウェ。ラグアスも泣いちゃうじゃないか!私だって本当はこんな事言いたくないんだけど、ヴェリナードの女王が喉痛めたからって魔法騎士団とオルフェアの料理ギルドがハニーレイクでさえずりの蜜賭けて戦争中なんだって。女王の為に、プクリポの菓子の為に、退けない戦いがそこにあるんだ。今直ぐ解決しないとマジでヤバいんだよ!アルウェ分かって!私は一応王様なんだってば!
「ううーーっ!ラグアス!お父さんに突撃よー!無理矢理はぐしちゃうんだからー!」
 うわーっ!そうなるのか!
 突撃して来る母と子を避ける為に、私は執務机を踏み台にして跳躍する。空中二回転を決めて、執務室入り口に着地する。こんな時だけはプクリポの身軽さに感謝だ。メギストリス剣術を嗜んでるのも大きいけどな。
 私は腰に剣を下げているのを確認して、しゅたっと手を挙げた。アルウェ、ラグアス、補佐官を見て高らかに言う。
「ちょっと、私はハニーレイク行って戦争止めて来る!さえずりの蜜を土産に帰って来るから!」
「だめよー!逃がさないんだからぁ!」
 背後からばたばたと駆けて来る足音が響く。アルウェ!追いかけて来ないで!
 それが一瞬、不自然に途切れたので私は慌てて反転する。全力ダッシュで飛び出すと、宙を舞うラグアスを全力で抱き留めた。
「ラグアス抱いて走るんじゃない!」
 転けて床にへたり込んでいるアルウェの手を引いて立たせると、ラグアスを押し付ける。
「ハグは…帰ってからな」
 私がぼそりと言って駆出した。
 あぁ、アルウェがどんな顔かなんて見れない!恥ずかしくって顔でチョコレート溶かせる、きっと!


■ 地獄の沙汰にも音楽響く ■

 俺は空を見上げ、小さく嘆息を漏らした。
 明けない夜の世界は、言葉以上に心を重くしてくれる。アレフガルドが何時から太陽の昇らない世界になっているかは知らないが、年端も行かぬ幼子は太陽を知らぬと言う。太陽を知って語るべき老いたる者は、夜空の冷たさが蟠る闇に呑まれて消えて行く。
 人々は絶望していた。
 月の光で僅かに育つ作物で細々と生きている人々は常に満たされなさを抱いていて、人々の折れまい心を嘲笑うかのように闇は人々を包み込んでいる。太陽の光を知る俺や老人が打ち拉がれ絶望する中、それが当たり前と思っている若者達を見るのは痛々しかった。
 若者や子供達にどれだけ太陽の事を説いても、誰一人理解できない。人々の光と希望となるべき若き命は、闇の中で生まれ光を知らぬが故に光る事もできなかった。
 これでは、この世界は滅んでしまうに違いない。
 漠然と、しかし確信をもって思う。
 俺は立ち上がり、出来る事を始めた。剣を振るい魔物を倒し、人々を元気にしようと笑い気丈に振る舞った。人々が俺に希望を見出すのは容易かったろう。俺は人々の理想の勇者を演じ、俺は人々に希望の笑顔が広がる事を嬉しく思う。世の中、ギブアンドテイクだ。
 だけど、俺も人間だよな。
 疲れる事は、当然ある。
 期待され頼られ続ける事を、苦痛に感じてどうしようもない事だってあるんだ。
 俺は霧が煙る森を1人彷徨っていた。ラダトームから北の街は魔物と冬の豪雪に滅んでいていて、旅人の往来は殆どなかった。街道として整備された道も、森に呑まれ獣道のようだった。魔物達の領域なのに、不思議と魔物達の気配はない。
 無音に近い沈黙に心臓の音が、故郷の鐘の音のように響き渡っていた。
 ふと、俺は足を止めた。
 そんな事は有り得ない。俺は耳を掠めた音が、ここでは絶対に聞く事のない音に否定した。だが、耳に音は触れ続ける。
 それは、口笛と竪琴の音色だった。賑やかなポルカの曲調に笑い声のように口笛を響かせ、物悲し気なベースラインの竪琴の音色の上を、堅い靴底が石の上を行く足踏みが跳ね回っている。踊りたくなるような音楽の回りには、幾重にも重なった踊りの輪があるかのような賑わいがあった。
 人の住む街ですら、こんな賑やかな酒場はない。
 人里を離れ、魔物も出没する森の奥深くで、一体何が起きているんだろう。俺は息を殺し、気配を消して慎重に歩を進めだした。賑わいが大きくなり、熱狂とした気配がある。何かで明かりを灯しているのか、黄金色に輝く霧を俺は日向と見間違えた。
 俺は木と草影から賑わいを覗き込んだ。
 なんということだろう。
 魔物達が踊っている。滅茶苦茶な踊りだろうが、そんなのは関係なかった。人々よりも嬉々とした活気ある表情で、ぞろりと牙を並べた口を大きく開けて、隣の種族の違う魔物と肩を組み、別の魔物の身体の一部を踏みつけたりして楽し気に踊っている。魔物達のダンスホールのようだ。
 俺は輪の中心に目を向け、驚きに目を丸くした。
 輪の中心に居たのは、若い人間の男だった。使い込まれ旅慣れた事が一目で分かる外套の下には、泥にまみれたブーツと緑を基調にしたゆったりとしたアレフガルドの伝統的な装束が翻る。緑の帽子に挿した練獄鳥の羽根をひょこひょこ動かしながら、青年は口を窄めて口笛を響かせ、軽快に竪琴をかき鳴らして魔物達と踊っている。
 彼と歌っているのだろうか。魔物達も雄叫びを上げたり、笑い声のような声を上げたり、朗々と声を響かせ歌っているつもりの者も居る。
 魔物達だって生き物だ。
 人間が勝手に害がある生き物だと区分けて居るだけなのだ。
 俺はそろそろと木の影に腰を下ろした。この活気ある賑わいに耳を傾け思う。俺は剣なんか振る必要なんか無いんじゃないのか。人間も魔物も上手くやって行けるんじゃないのか? ただ、理解が足りないだけだろう。意思の疎通さえ、信頼さえあれば、共に歩む事だって出来る筈だ。でもそれが一番難しい事で、何百年かけたって埋まらない底の見えない崖である事も分かっている。橋でも掛けるか。虹の橋なんて素敵じゃないか。
 浮かんだ思いに、自分も笑ってしまった。
 俺はいつからロマンチストになっちまったんだよ、ってね。揺れる地面に、聞こえぬとばかりに俺は笑ってしまった。
 口笛と竪琴は、いつのまにかサンバを演じ始めていた。