DQ主人公一種七様創作計画


■ 壱日目 あまえんぼう ■

 青い光を潜り抜け、湿っぽい建物の匂いにまず息を詰めそうになる。この古代の神殿には磯の香りが全く無いから、どうしてもカビ臭さが勝ってしまう。それでも、こうして台座の上で完成した石版の世界から帰って来た時は、このカビ臭さが言い様も無い安心感が包み込んでくれた。
「あぁ、ようやく帰ってこれたわ! あー、くたくた!」
 マリベルのキツい口調も態とらしい。
 戦闘の時はもっと必死で、もっと切ないから、彼女も安心してるんだ。
 オレンジの髪と鮮やかなオレンジのスカートが、薄暗い洞窟で大輪の花のように咲き誇る。
 僕はランプの光を掲げてマリベルを照らした。服は薄汚れているけれど、怪我はなし。怪我をさせたらただじゃ済まさんからな! 網元のお嬢さんだから、アミットさんにもお父さんにも口酸っぱく言われてる。心配性だよね。マリベルは擦り傷一つでもホイミしろって言うから、大丈夫だよ。
「あたしは、もう歩けないわ。おぶってフィッシュベルまで連れて行きなさい!」
「えぇ!」
 また無茶な事を…。
 しかしマリベルに逆らうと、後々面倒なのは身に沁みている。
 僕はランプをマリベルに手渡すと、彼女に背を向けた。肩からマリベルの細い手が掛かると、僕の前にランプがゆらゆらと揺れる。背中に随分と小さく感じるようになった彼女の重みを感じると、腰を折って背中に乗せた。腕を後ろに回して、お尻に触れないように細心の注意を払う。うっかり触って頭をランプで叩かれたら、堪ったもんじゃない。
「よいしょ」
 掛け声一つでマリベルを背負うと、僕は歩き出した。
 ランプの光を追いかけるように、もう歩き慣れた神殿を進む。
「ちょっと、道が違うわよ。フィッシュベルの方向じゃないじゃない」
 マリベルの言う通り、僕はフィッシュベルの方向に向かっている訳じゃなかった。神殿から直ぐの所にある七色の海辺に向かってる。洞窟の闇に切り抜かれた真っ青な空、七色の水面、暖かさに溶け込んだ潮を含む風が瞬く間に僕等を包んだ。
 マリベルを白い砂浜に降ろすと、僕は彼女の少し後ろに座った。
「僕も疲れたから、少し休んでから帰るね」
「仕方が無いわね。さっさと休んで、あたしを家に送り届けなさいよ!」
 はいはい。僕は笑う。
 キーファが見つけた石版と神殿。僕等の人生は180度、変わってしまったんじゃないかって思う。グランエスタードでも、新しく行く様々な所の同い年の子供達は、旅をしている子も少なくないけど殆どはそうじゃない。魔物と戦ったり、危険な目にあったり、冒険なんてした事無い子ばっかりだ。
 でも、僕は日常を手放したりしなかった。
 我が儘なマリベル。僕は君の我が儘にホッとしてる。どんな見知らぬ場所であっても、海の香りのする君がいるとフィッシュベルに戻ったみたいだ。甘えちゃってるから、僕は君と冒険に出掛けてしまう。
 この甘えだけは、どうか…許して。
「なによ」
「なんでもない」
 抱きつくのが恥ずかしくて、背中にこつんと額をつけた。


■ 弐日目 うっかりもの ■

 花弁を降らせよう。
 熟年にはまだ届かずとも女性と揶揄される年齢をそれなりに重ねた戦士の言葉に、僕達は目を丸くした。マチルダさんは雨風にぼさぼさになった髪を無理矢理兜に突っ込んで、沢山の魔物を倒した剣を握っている手で種に土を被せていた。
 マチルダさんは海岸を臨む墓石の回りに、マリベルの持って来た花の種を植えて朗らかに言った。
 『花が咲いたら、花は風に舞い上がって雨のように地面に振るんですよね。地面に落ちた花弁が地面に染み込むように溶けたら、また芽が出て花が咲くんですよね。あぁ、楽しみです!』
 まるで僕達よりも、もっと幼い子供が言うような不思議な常識。まるで絵本の物語のようだ。大人がそんな事を本気で信じているのか、それとも大人が現実からちょっと視線を逸らしたいから絵本の言葉を借りたんだろうか。
 僕は本気で信じてるんだと思った。
 そして、それは正しかった。
 マチルダさんの人としての人生は、見た目よりもずっと幼い時に終わってしまっていたんだ。
「花が…咲いたのね」
 マリベルが涙を溜めて呟いた。
 そこは本当に花弁が降る場所だった。
 マリベルの花の種は満開になって、海風に巻き上げられ雨のように大地に降り注いでいる。太陽を取り戻した大地で、緑は息を吹き返すように青々と茂り様々な花が咲き誇った。墓石だったとは誰も思わない丸い大きめな石は苔むし、藤の影の下でのんびりと時間を食んでいる。墓に備えた筈の人形は、もう跡形も無かった。
 見渡す限りに咲き誇る花は、昔、マチルダさんが言った言葉が実現したかの様な幻想的な場所になっていたんだ。
 マリベルが顔を擦っているのが、後ろからでも見えた。きっと泣いてるんだ。
「マリベル、どうして泣いてるのさ?」
「あんたって、ほんっとうに空気読まないわね!」
 僕の声を払うように、マリベルのオレンジの髪が勢い良く翻った。目元は擦り過ぎて腫れ上がり、目はまっ赤だ。ホイミしてあげよっかって言うどころの騒ぎじゃない。マリベルの顔は、本気で怒ってる…!
「マ、マリベル!? どうして怒ってるのさ?」
「怒りたくもなるわよ!悲しいのに、辛いのに、無神経な事言われて間抜け面見て腹立つわ!」
 マリベルの白魚みたいな指が、鼻先に突き刺さりそうだ。
「マチルダさんがあんなに優しかったのに、あんなにお世話になったのに、死んじゃって悲しくないの? もう二度と会えない、あんな最低な別れ方して辛くて苦しくないの!?」
 そりゃあ、悲しかったよ。
 でも、僕は海の男になるって父さんから色々心構えを聞いて育って来た。グランエスタードでは最高の腕を持つ漁師でも、嵐には勝てない。船の操舵を見誤って仲間が海に消えた事もあるって、父さんは辛そうに話す。でも、その時を嘆き悲しんで冷静さを失い仲間を危険に晒す事は決してしてはならない事だ。
 一緒に悲しんでも、マチルダさんは帰って来ない。
 僕は息を吐いた。
「マチルダさんの事を思い出そうとするとさ、なんだか笑顔しか思い浮かばないんだよね」
 マリベルが勢いを削がれて目を丸くした。
「僕達の選んだ事、マチルダさんが選んだ事、間違ってても正しくても、全力で後悔しないように選んだんだ。確かに悲しくて彼女は死んじゃって、凄く嫌な記憶はある。でも、僕は振り返る時にその瞬間を悔やむんじゃなくって、なんだか何でも無い時の他愛無い話や一緒に作ったご飯の味や彼女の笑顔ばっかり思い出すんだよね」
 自分で言ってて笑っちゃうなぁ。僕は思うがままに笑った。
「変だよね。あんなに酷い目に遭わされたのに」
 僕の顔が映ってしまう程に大きなマリベルの瞳から、どばっと涙がこぼれだした。堰を切って流れる大粒の涙を、他人に弱みなんか見せたがらないマリベルは拭おうともしない。僕は咄嗟に袖を引っ張って、彼女の涙を拭うけど止まらない。わわっ、どうしよう!
「うわっ!マリベル、今度はどうして泣いてるのさ?」
「煩いわよ!バカ!」
 茹で上がった胼胝みたいに真っ赤になって、唇がとんがって、彼女は力一杯僕を突き飛ばした。堪えきれずに尻餅をつくと、舞い上がった花弁の向こうに駆出すマリベルの背中が見えた。
 な…何がいけなかったんだろう?
 呆然とする僕の視界に、キーファの手が差し出された。キーファは呆れた表情で僕を見下ろし溜息を吐いた。
「ここは優しく無言で肩を抱いてやって、隣に座ってりゃあ良かったんだよ。あぁ、俺はお前らが似合いのカップルになるのを見届ける前に、爺さんになっちまいそうだよ」
 何だかごめん。
 項垂れた僕をキーファは立ち上がらせ、背を叩いて歩かせる。
 マリベルになんて言おう。何を言っても怒らせて、僕は嫌われてしまうのになぁ。
 花が綺麗で、憎まれなくて、僕はちょっと羨ましくなった。


■ 参日目 らんぼうもの ■

 大地を巨大な音が揺さぶった。
 村を包み込む森からは沢山の鳥が飛び立ち、動物達の警戒の声があちこちから上がる。畑に挿した案山子が傾げ、牛や羊が驚いて柵を倒して駆出した。
 そして村の人々も何事かと思って飛び出して来るのだ。
 僕は手に持った大金鎚を振りかざし、もう一度勢い良く振り下ろした。まるで真横に雷が落ちたような轟音が響き渡る。
「な、何をするんじゃ!」
 村長が青い顔で叫ぶので、僕は大金槌を肩に担いで見遣った。
「見て分かるでしょう?」
 僕の目の前には真っ二つに折れた、村の歴史を語る石碑。僕は視線を石碑に落とすと、再び大金槌を振り下ろして更に砕く。粉々にする。
 音が響き続け、村人も仲間も誰1人止めなかった。
 石碑が壊れても間違った歴史が無くなる訳じゃない。村人は嘘を伝え続けて信じて行くだろう。でも、目に見えて残るこの石碑がなければ、昔の事を留める手段は失われる。人の記憶は曖昧だ。石碑が無ければ簡単に、信じる嘘も忘れられてしまうだろう。
 僕が手を止めた時、村の中央には最早石碑は無かった。地面に無数の灰色の小石が転がっているだけだ。
 いかなる時も人を信じ人を愛せ。なんて尊い神父様だったんだろう。
 腹立たしかった。神父様がここまで苦しめられる、そして苦しめた神様って存在を恨む程だ。メルビンには悪いけど、神様は良い奴じゃないよ。ほら、僕がこうしてるのも神様の導きなら、善行じゃないだろう。
 さぁ、神様。僕が間違ってるなら、都合が悪ければ、今すぐ村人を使って殺せば良い。
 僕に飽きたなら捨てていっていいんだよ。


■ 肆日目 せけんしらず ■

 代価は其方の秘密ひとつ
 グレーテ姫の形の良い唇が、そう動いた。銅鑼よりも響き渡る声もなく、月明かりに星を宿す唇がそう告げる。頬は日向のように白く、瞳は深淵の闇のように深い色を落とす。
 僕がぼけっとしているからだろう、瞬き一つするとグレーテ姫は声を出して言った。
「安いものじゃろう? それだけで偉大なる国の女王の、寵愛を受けられるのじゃからな」
 僕は目を真ん丸くした。口から漏れるのは、息が中途半端にしか入らなかったフルートみたいだ。
 グレーテ姫は昼間とは打って変わって、穏やかな呼び鈴のような声で言った。
「鈍いのぉ。妾の言いたい事が、わからぬと?」
 長い亜麻色の髪を風に流し、挑戦的な瞳で僕を見る。胸を張ったグレーテ姫は、腰に手を当ててふんぞり返った。
「本来ならば偉大なる国の命令には、如何なる民も逆らう事は出来ぬ。しかし妾が夫とする者は、すなわち王となるべき者。王となるからには、女王である妾に我が国と同等の対価を差し出さねばなるまいて」
 なにやら難しい言葉で頭が痛い。ガボの気持ちが良く分かる。こんな時ガボは、育ての親である狼に意味を聞いていたりする。本当に彼女は博学なのだな。せめてメルビンが隣に居てくれたら、意味を教えてくれるのになぁ…。
 仲間を呼びに行く事はできない。姫は僕と二人っきりで話がしたいって言っているんだから。
 頭の中で色々整理してみたら、余計こんがらがっちゃう。
 まず、意味の分からない言葉が多い。『ちょーあい』ってなんだ。
 次に、姫の言っている事が分からない。あぁ、バーンズ陛下やフォロッド王って、きっと僕が馬鹿だから言葉を選んでくれてたんだなぁ。お父さんもバーンズ陛下に話す時は、改まった口の利き方をするのは王様達が話す言葉を勉強しているからなんだ。僕は船に乗りながら勉強なんて出来ないや…。
「これこれ、なにをぼーっとしておるのじゃ」
 ぺちぺちと頬を叩かれ、僕はハッとする。グレーテ姫が詰め寄るマリベルと同じくらいに顔を寄せている。僕はマリベルの怒った顔と、母さん以外に、こんなに女の人に顔を近づけられた事無いや!
「ご、ごめんなさい。グレーテ姫」
「姫は要らぬと言っておるじゃろう」
 そして姫はにやりと笑う。僕の顔に彼女の花の香りのする吐息が掛かる。
「秘密一つ妾に伝えるだけで、其方は妾を手に入れられるのじゃ。どんな秘密を明かしてくれるのじゃ?」
 ひ、姫様はアイテムじゃないでしょ!
 僕は慌てて彼女の肩を掴んだ。これ以上近づかれたら、キスされちゃう! マリベルは女の子にキスをさせるとか最低ね!とか、この前見かけた恋人達を批難してた。僕は良く分からないけど、姫様に最低な事しちゃ失礼だよ!
「グ…グレーテ」
 …やっぱ無理だ!
「…姫は物知りだし頭がいいけど、城から殆ど出た事がないですよね」
 僕は姫に畳み掛けるように言った。
「だから、僕がこれから色んな所に連れて行ってあげます。大臣さんや国の人にはナイショで、ルーラで一時間とかちょっとだけだけど、僕が綺麗な場所や素敵な人に会わせます。だから…これは僕達だけの秘密です」
 グレーテ姫が目を真ん丸くして、顔がかぁーーーって真っ赤になった。姫は口元を手で押さえると、慌てて僕に背を向けた。
「う…うむ。楽しみに…しておるぞ…」
 小さく肩を震わす姫に上着を掛けてあげながら、さっきの質問はどうなったんだか首を傾げた。


■ 伍日目 いっぴきおおかみ ■

 洞穴には僕とガボの二人きり。いや、ガボの育ての親のお母さん狼や、借りた駱駝も一緒だ。
 僕が洞穴の入り口を見遣ると、まだまだ砂嵐が酷い。運良く洞穴を見つける事が出来て避難出来たけれど、外は日が暮れて来たのか暗くなって来ている。僕の耳に暴風雨のような音を叩き付けながら、砂嵐はまだまだ続く。
 今日中には砂漠の民の村には帰れないだろう。
 こんな砂嵐では無事と伝える手段は無くても、砂漠の民も危険を冒して探したりはしない筈だ。僕達は、砂漠を救った英雄だからって変に納得するかもな。
 僕が洞穴の奥に戻ると、ガボはお母さん狼の毛皮に包まれたまま僕を見上げた。生憎薪が無くて、冷え冷えとした空気にランタンの光が岩壁を照らしている。
「砂嵐、まだまだ続くか?」
 丁度生え変わりの時期らしく、ガボは歯が抜けた口元を見せて笑う。僕は小さく首を横に振った。
「収まりそうにないね。ここで一晩明かそう。この砂嵐じゃあ魔物も身動きが取れないだろうから、きっとゆっくり休めるよ」
 僕は駱駝に括り付けた荷物を解き、食材を取り出すと呪文で温めたりして簡単な食事をする。ガボが美味かったーって笑ってお母さん狼の腹に飛び込むまで、そんなに時間もかからない。ガボの寝息が、外の轟音が静まり返ると聞こえて来た。
 砂漠の夜は寒い。
 僕は外套を胸元に掻き寄せて、静かにランタンの光を見ていた。魔物の心配が無い分、とても静かな夜だが岩壁は硬くてとても眠れそうにない。
 僕が顔を上げると、ガボが毛皮に顎を乗せながら眠そうな顔をしている。
「どうした? 眠れない?」
「ううん。そうじゃない」
 ガボは目を擦ると、やっぱり眠気眼のままで僕を見た。
「狼みたいだなって」
 僕が不思議そうにガボを見遣ると、ガボは大きな欠伸をひとつして言葉を続けた。
「オイラ、いつも不思議に思ってたんだよね。ご飯の時も戦う時も旅の時はいつも一緒だけど、マリベルやキーファとはちょっと離れてるって感じ。人間って群れで生きるって教わってたけど、ちょっと違う感じ。そしたらさ、今見たら、狼みたいだなぁって」
 僕は息を呑んだ。ガボは表現する言葉は幼いが、観察眼に優れていた。よく見られていた事に思わず動揺する。
 きっと皆が気が付いているけれど、その事を口にした事は無かった。言えば、幼馴染みの友人達をどうしても傷つけてしまうのがわかっていたし、聞けば彼等も傷つく事がわかっていたからだ。
 ガボは関係のない、最近仲間になった子供だ。
 彼なら何の感情も伴わずに、僕の言葉を聞いてくれるだろう。僕は子守唄のように静かに、ゆっくりと言葉の意味を噛み締めて言った。こんな事を話すのは、きっと一生に何度もないはずだから。
「マリベルは網元って言う偉い人のお嬢さんなんだ。僕の家は漁師だから、将来はマリベルの家の下で働く事になるだろうね。キーファは…もう居ないけど、大きなお城の王子様だろ。とてもじゃないけど住む世界が違う。キーファは気にするなって言ったけど、僕は回りの人の陰口を耳に入れないって器用な事は出来なかったんだ」
 ふーん。ガボは相槌を打った。その軽さに、僕も少し気持ちが楽になる。
「人間って大変だなー」
 世界に一つだけの島。世界が小さかったからかもしれない。
 世界が広がり大きくなって、僕は将来マリベルの家のお抱えの漁師になるって選択以外を選べるようになったって思ってる。他の港で働く事も、どこかの国で勤める事も、どんな選択も選べる事だろう。
 だからかな、最近は昔みたいな気まずさって、そんなにない。
「なぁなぁ、こっちにおいでよ。かーちゃんの毛皮ふかふかで あったかいぞ」
 ガボがお母さん狼の毛をぽふぽふしながら言う。
「オイラは皆の仲間。群れからまだ独立できないから、もっと仲良くしてほしーぞ」
 キラキラと輝く目で見つめられると、どうにも断れない。僕がガボの隣に座ると、ガボの育ての親の柔らかい毛皮と暖かさが包み込んだ。ガボが『にーちゃんだー』って抱きついて、直ぐに眠りに落ちて行く。
 お母さん狼の鼻先が、ガボの頬を愛おし気に押し付ける。
 包み込む温かな空気に、僕は小さく欠伸を漏らした。


■ 陸日目 ずのうめいせき ■

 構えた刃の向こう側に、無防備な君が見える。
 でも僕は剣を構えている訳ではないし、相手が無防備なのはこれから何をされても意志を曲げるつもりなどないからだ。僕は言葉の暴力を振りかざし、キーファはそれに耐えるしか無い。そうしなければ、いけなかった。
「キーファ、本当にこの時代に残るって言うのかい?」
 僕の言葉にキーファは『何度もそう言ってるだろう』と苦笑いした。僕もその解答をすでに十回以上は聞いていただろう。
「そんな事をしたら、バーンズ陛下やリーサ姫がどれだけ悲しむか分かってる?」
「承知の上だよ」
 それも何度も聞いた答えだ。いい加減、飽きて来たんじゃないかな? ちょっと変わった話題でもしてやろう。
「それどころか、僕やマリベルやガボはそれなりに罰せられるんじゃないかと思うんだ」
 真新しい言葉にキーファが度肝を抜いたように目を丸くした。そんなキーファに、僕は尚も言う。
「だって、そうだろ。君がもし誰かに暗殺されたとしたら、暗殺者は誰にも裁かれないと思うのかい? こんな過去の時代に残ったら、僕達の時代には君は死んでしまっているよ。僕達は君を見殺しにしたって言えるだろう」
 今までの石版の時代は、どれも過去の時代だ。それも、随分と昔。人々に語り継がれて、本当かどうか怪しくなる程に時が経っている。当時の事を覚えている人は誰も生きていない。
 厳密に過去の何時の事だかは、どうにも分からない。
 それでも、過去のある程度近い年代が石版として現代に残っているのは分かっているのだ。その年代に、何かがあったんだ。現在にエスタード島以外の全ての島や大陸が消えてしまう程に、大きい何かが…。
「グランエスタードでは重大な犯罪者は基本的に、国外追放と言う事実上の死刑だ。今は他に大陸があるから死ぬ事は無いかも知れないが、追放されたとしたらアミットさんや僕の父も迷惑がかかるだろうね。エスタード島の流通経済は混乱の真っただ中に突き落とされる訳だ」
 あぁ、それは嫌だな。僕は推測して少し後悔した。
 それを表に出す事は絶対にしない。
「それに、バーンズ陛下が新しく現れた国々と、全く外交をしてないと君は思っているのかい? 国外追放で、はい終わりなんてそんな事は無いんだよ。一度、国を追放されたなんて肩書きは一生付いて回るんだ」
 それも確かな事だった。
 エスタード島の者達には突然現れたけど、新しく現れた島は島で歴史を積み重ねていた。石版の時代から現代まで、人々の人生が積み重なっているのだ。不思議で変だけれども、そうなんだからしょうがない。
 キーファは首を横に振った。
「親父は、そんな事を絶対にしねぇよ。バカ息子のやる事だって、お前達を責めたり罰したり絶対にしない」
 根拠も無しに、良く断言出来るよ。
「君は、俺の人生だ。俺の自由だと言う。その通りだと思う。君が何を選択したからって、世界は何事も無く回って行くんだ」
 キーファはとても申し訳ない顔をした。心臓を鷲掴みにされて握られて苦しんでいるようにも見えた。
 そんなキーファに…僕はさらに追い込む事は言えなかった。
「そんなことも分からないで、君の襟首掴んでグランエスタードに引き摺って行きたいよ」
 親友は笑う。
「本当にお前は、頭がいいよ」
 ごめんな。ほんとうに、ごめん。
 謝るなら、帰ろうとは言えなかった。言えば彼は帰ってくれるだろうに、バカだなぁ。
 僕は彼の謝罪に聞こえない振りをした。


■ 漆日目 しあわせもの ■

「勇者さんはお忙しいわね」
 勇者だなんてそんな。僕はアイラの言葉に苦笑したが、否定の言葉は言えなかった。なにせ、僕達は魔王を倒した勇者御一行として世界に知れ渡っている。そして何故か、僕はその御一行のリーダーだ。
 石版を使って世界を復活させる旅。僕とマリベル、そしてキーファが最初のメンバーだろう。後から一緒に旅をするようになった仲間達は、皆、良い人ばかりだ。
 その中でも年長者で神の右腕と称されたメルビンは、旅慣れて実力もある戦士だった。それなのに若い僕を立てて、名前に『殿』まで付けて来る。修正しようと何度も言っては見たけれど『いやいやいや、助けられた恩義、立てて来た武勲を思えば当然じゃよ!』と笑い飛ばされる始末である。
 そんな僕は父の手伝いで漁から帰って来て、その足でグランエスタードにやって来た。あぁ、勿論お風呂に入ってから。マリベルに『そんな磯臭い身体でお城に行かないで!あんたはフィッシュベルの顔みたいなものなのよ!身だしなみくらい気をつけなさい!』と叱られたからね。
 今回は砂漠の城に外交に行くそうで、本格的に王政に関わり始めたリーサ姫の護衛だ。彼女の護衛には僕以外にもアイラも一緒に行く事になっている。リーサ姫とアイラは、端から見ても仲の良い姉妹のようだ。
「僕にとっては楽しい旅行だよ」
「そうね。他の国の護衛の方が緊張してるくらいだもの」
 ふふふ。アイラはそう言って、少々ぎこちない手付きで紅茶を入れる。はい、どうぞ。僕の前に暖かい紅茶が差し出された。
「僕としては魔物と戦うよりも、父さんと漁に出る方が大変だよ。父さんは厳しいからね」
「それだけ、貴方に期待してるのよ。私も神の踊り手として幼い時からの厳しい修行は、それはもうキツかったわ。毎日毎日、踊りの稽古。今では期待に応えられるレベルにされてしまったわ」
 アイラは言葉の割には明るい口調で、そう言った。
 形の良い唇がにっこりと持ち上がる。
「貴方なら、引く手数多でしょ? 色々噂を聞かない日は無いわ。シャークアイ様が後継者に指定した第一候補だったり、グレーテ姫が侵略してでも手にいれたい理想の男性だったり、メルビンは結構本気で神の兵に誘いたがってるわね。ガボがモンスターパークの一日管理人してたら、箪笥の中から『モンスターマスターになってよ』って魔物が現れたそうじゃ無い。ガボはその件で貴方に会いたがってたわ。アミットさんは貴方とマリベルの縁談を進めてるけど、リーサも貴方を見る目がちょっと男を見る目だから、マリベルも悠長に構えていらんないわね」
 まてまてまて。僕は目を丸くしてアイラを見た。
「全部、初耳なんだけど…」
「あら、そうだったの」
 アイラは目を大袈裟に丸く見開いて、弾けるように笑った。楽しいとき面白い事には、大きく口を開けて綺麗な歯並びが丸見えでも全く意に介さない。そんな彼女は笑い終えると、にこやかに僕を見た。
「魔王を倒して大きな目標を達した貴方は、神を復活させて使命を果たした時のユバールの民と似ているわ。何をしたら良いのか、分からない気持ちが良く分かる。何でも選べる選択肢に戸惑う気持ちが良く分かる」
 アイラは僕をじっと見る。その視線の真っ直ぐさを、懐かしいと思うのが少し寂しい。
「だから、迷うと良いわ。でも、迷って苦しいなら、これね」
 言いながらアイラは、懐から小瓶を取り出した。ぽんっと気持ちの良い音を立てて栓を抜くと、僕の紅茶に小瓶の中身を入れようとする。
「何それ?」
「意外に美味しいのよ。元々甘いから、私はお砂糖変わりに使ってるわ」
 テーィカップに期待の数だけの王冠。アイラは冷たい紅茶にビバ=グレイプを落とした。