DQ系雑記ログ5


■ 王様メーカー ■

 ローレシアと名付けた北方大陸の拠点の集落が宿場町よりも大きくなった頃、酒場の主人が雁首そろえてやってきた。おそらく、ローレシアの酒場の店主が勢ぞろいしていることだろう。洒落た口ひげのスカーフェイス、大きな口を開けて笑う豪快さが元傭兵をうかがわせるお人達。彼らのほとんどは引退した元傭兵達なのだ。今日もたくさん儲けたという明るい話題かと思ったけど、その表情は神妙だった。
 あまりにも普段と様子が違うので、あたしもアレフも顔を見合わせて話を聞く。彼の言葉にアレフは目を丸くした。
「傭兵の管理がめんどくさい?」
「もう、酒場と兼業でするのが無理なくらいなんだ」
 あたしは何となくわかったけど、アレフは意味がわからないと眉根を寄せる。その表情を酒場の主人達は非難しなかった。
 もともと、傭兵とは自分達で仕事を探す。直接、商人に交渉し契約するのだ。酒場の主人が商人から良い傭兵を紹介するというシステムは確かにあったが、傭兵がどこかの地域に所属するという概念がないので『傭兵の管理』という言葉がわからないのだ。
「アレフ、お前がこの北方大陸の陸路を開拓して、多くの傭兵の拠点にここはなった。ここの傭兵の行動範囲は、西の果てはアレフガルド、南はデルコンダル、南東にムーンブルク、その先のテパとルプナガまで行った奴もいるほど広大だ。そこは、分かってくれるな?」
「勿論だ。俺は定期的に護衛の仕事で回ってるからな」
「任期は半年から一年以上の時もある。そうなると、商人達が聞くんだ『あいつに仕事を頼みたいんだが、今どうしてる?』って」
 主人達はそのフレーズが心底嫌な思い出になっているんだろう。それぞれにうんざりした様子を見せた。
「口利きは酒場の立派な仕事。最初は『あいつは今どこどこに行ってる』とか返してたが、人数が多くなって来て帳面を作るようになった。それも、あっという間に満杯だ。ほれ」
 そう一人がテーブルに投げ出したのは、使い込まれた紙の束。あたしが手にとって見れば、ぎっしりと傭兵の名前と雇われた商人、目的地などが記載されている。横から見たアレフが顔を険しくした。
「この状況は俺だけでなく、ローレシアの酒場や飲食店どこでも見られる現象だ。誰もが悲鳴をあげてるよ。正直、酒場としては口利きから手を引きたい」
「すまなかった。気が付いてやれんで」
 アレフが頭を下げると、主人達は笑った。
「いや、傭兵は気づかんだろう。お前が悪いわけではないのに謝ってもらって、こっちこそすまん」
「だが、酒場や飲食店が商人と傭兵の間を取り持ってくれなければ、互いに仕事を見つける場所を失ってしまう。従業員を増やすとかで対応できないか?」
「お前に相談する前に、俺らが思いつくことは全てやったさ。だが、従業員に負担が増して頼めん。それぞれの持っている情報はバラバラの穴だらけでな、情報交換と収集やまとめで俺らが疲れ切ってしまう」
 確かに、それぞれの酒場で紹介していれば『あそこの酒場では知らなかったが、あっちの酒場ではどうだろう?』となってしまう。疲れきるのは酒場や飲食だけでなく、商人達もだろう。
 アレフも難しい顔をして腕を組んだ。
「酒場や飲食から、仕事の紹介を切り離す。そうするとしたら、何かしらの窓口を作らんと、商人も傭兵も露頭に迷うな」
 あたしはアレフの横顔を見る。皆のことを考えてる素敵な顔だ。ついに巡って来たチャンスの時だ。私は息を吸い込んだ。この言葉を告げれば、彼はもう逃げることもできないだろう、未来を決定づける大きな意味のある発言だ。
「傭兵のギルド、作ったら?」
 ギルド? アレフと酒場の主人達が首をかしげる。
「そう、傭兵の組合。傭兵の皆に登録してもらって、管理と紹介を一括で担うの。そうすれば、酒場の人達が情報摺り合わす必要ないし、商人の人達もギルドにくれば紹介してほしい人がいなくても代わりの人を用意できる。結構、合理的だと思うけど」
「流石、ローラ様。賢いなぁ!」
 手放しで褒める主人達だが、アレフは怪訝な顔だ。
「良い案だとは思うが、誰がやるんだ? それ」
「うーん、事務仕事だし人を集めて暇な奥様方にやってもらっても良いかな。登録と紹介料や報酬で、雇った奥様方にお給料出してあげられると思う」
 あたしが出来そうって呟けば、自分達の手から離れると殿方達の関心が失せて行く。でーもー、それじゃあ終わらないよ!
「ギルドの責任者は、アレフにしてもらうからね!」
 アレフが昔、竜ちゃんを初めて見た時みたいに驚いた。完全に予想外、そう言いたげな顔は結婚したからわかるけど彼の本心が曝け出されてて可愛い!
「それは良い。アレフ以上の適任はおらん。傭兵も商人も諸手を挙げて賛同してくれるだろう」
「待てっ! どうしてそうなる!」
 そうなるしかないじゃーん! もう少ししたら、その頭の上に王冠載せるんだからね! 覚悟しててよ!


■ 僕と妹とくま ■

 僕はどこかで引っ掛けて裾が破けた法衣を見て、溜息をついた。
 サマルトリアグリーンとも呼ばれる、深い緑に染められた法衣は金糸の刺繍で縁取られた上質なものだ。僕は神職の資格を有している為に、訪れた村や町で冠婚葬祭の儀式を依頼される。例え旅の最中であったとしても、神の御前に立つ機会の仲介をするならば装いが粗末であってはならない。
 道中、服が破けるなんてよくある事。魔物に襲われたり、道で転けたり、柵や枝に引っ掛けたり、理由を考えたらきりがない。僕も簡単な縫い物はできるが、その場凌ぎが精々で宿の女将や街の仕立屋に依頼しなくてはならない。
 僕は再び法衣に視線を落とし、溜息を吐いた。以前、仕立て屋に頼んだ時は『これほどのお召し物をお預かりする事はできません』と三軒断られている。大きな町や城下町に辿り着かねば、直す事も出来ないだろう。
 ふと、視界に白い物が入り込む。
 見ると、小さいルクレツィアの手だった。破れ目を小さな手がそっと掬い上げると、金色の雲海が視界を覆い尽くす。どうやら具に服の状態を確認している少女が、赤金の双眼を僕に向けた時には桜の花弁が綻んで人の言葉を紡いでいた。
「サトリさん。ルクに修理させて欲しいの」
 拒否する理由が何処にあると言うのだろう。早速、僕から衣を預かって修復を始める。小さい手が手際よく針に糸を通し、躊躇いなく布地に刺して縫って行く様は勇ましいくらいだ。ルクレツィアは僕の妹よりも年下だというのに、技術の高さに惚れ惚れする。
「マール様は、本当にお裁縫が上手な方だね」
 そう、ルクレツィアが花が綻ぶように笑った。微かに傾げた小首に、焚き火の光を吸い込んだ金髪が溢れ出して森の暗がりを明るく照らす。この世界で最も深窓に位置する場所で育った、ムーンブルクの姫君。魔法王国史上稀に見る魔力の持ち主で、生まれながらに女王になることが定められた子供。森の倒木に腰掛ける事など永遠になかっただろうに、故郷を滅ぼされて運命を狂わされたのには心の底から同情する。
「裁縫は王族女性の嗜みだ。上手であって当然だろう」
「おいおい。妹が褒められてるだけなんだから、素直に受け取っとけよ」
 焚き火の側で夕飯の支度をしていたロレックスが、憮然とした表情で僕を見た。皮を裏打ちした青い服、動きやすさを重視した装いの傍らには、鋼鉄の剣が置かれている。ロレックスは慣れた様子で干し肉と茸を切り分け、鍋の中に放りこむ。
「まずは、ルクちゃんに『服を直してくれて、ありがとう』だろ?」
「マールは確かに裁縫が上手い。それは認める」
 あ、こら。無視するな! ロレックスの言葉を聞き流す。
 サマルトリアに残る妹を思い浮かべる。明るい金髪、深緑色の瞳、笑顔が似合う健康的な肌色、賑やかな笑い声。そんな彼女が僕の部屋を訪れる時、必ずと言って良い程に手に持ってくるものがあった。
 聖書を閉じ、星空を見上げる。ぱちぱちと爆ぜる火の粉が、星空に巻き上げられる様が美しかった。
「僕は知っての通り近年まで病弱でな。いつミトラ神の御元へ招かれておかしくない僕の居場所は、寝床くらいだった。そんな僕の枕元に幼いマールがあるものを持ってきた」
 『おにいちゃん! きょうはね すけさん つれてきたの!』そう、眩しい笑みと大声で扉を開けた妹が持っていた物。それは…
「くまの縫い包みだ」
「くま?」
 ロレックスが思わず上げた声に、僕は『そうだ。くまだ』と頷いた。
「最初はくまと呼ぶのも憚るような布の塊だったが、半年も経てば くまと分かる形になってきた。一年も経つと店の商品として遜色ないレベルに上達し、僕のベッドを占領するような巨大な物まで拵えてきた」
 枕元に一つ二つと増えて行く縫い包み。それらに囲まれて横になっている僕を見て、妹はニコニコと笑っていたものだ。『おにいちゃん、きょうは かおいろが いいね!』そんな事を言っては、僕の枕元で賑やかしく様々な話を一方的に浴びせてきた。ロレックスは僕のことをマイペースと言うが、僕のペースは僕が生活を維持する為に必要なのであって、妹には負ける。
「最初は妹の好意だと思った。ベットの上で一人では寂しいだろうと言っていたし、義母は僕の部屋に妹が足繁く通う事を良しとしていなかった。妹なりに僕の事を気にかけていたのだろう」
「やっぱ、フツーにプレゼントじゃん」
 ロレックスが炙っているパンの様子を見る。あちあちと呟きながらひっくり返す。
「プレゼントでは、なかったと思う」
 縫い包みは確かに増えていった。だが、時々、妹は縫い包みを下げた。その為に、部屋が縫い包みだらけになり、僕が生き埋めになることはなかった訳だが…。それに、不思議なことが一つある。
「マールは縫い包みに名前をつけていた。アーサー、カイン、クッキー、コナン、トンヌラ、パウロ、ランド、すけさん、直ぐは思い出せないがもっとあったはずだ」
 『きょうは パウロが おにいちゃんの そばに いるからね!』熱がいつもよりも高くて、僕自身が冥府に近い場所に立っているのを感じていたあの日、妹は涙目で縫い包みを置いた。あれは、妹にとって何を意味しているのだろう…?
 梟の鳴き声が夜の静けさに広がるなか、隙間に小さい笑い声が紛れ込む。僕は素早くロレックスを睨んだが、ロレックスは『俺じゃない』と力一杯首を横に振った。次に見遣ったのは、今まで静かに耳を傾けていたルクレツィア。彼女は口元を上品に隠しながら、肩を震わせて笑っていたのだ。
 僕達の視線に気がついて、ルクレツィアはかぁーと顔を赤らめる。
「ご、ごめんなさい。と、とってもマール様が優しくて…素敵なお話だったから…」
「いや、ルクちゃんが謝る必要ないから。俺でもサトリの口から出るには珍しい、微笑ましい話にしか聞こえない…あだだだ。引っ張るなよ!」
 余計な一言が多い。僕は神職として有難い神のお言葉を告げたりしているぞ。
 ロレックスは容赦なく引っ張った耳を抑えて蹲り、その背中越しにルクレツィアを睨んだ。
「確かに微笑ましい話題ではあるだろう。が、声を上げて笑うほどの…もごっ!」
「ルクちゃんが声出して笑うなんか珍しいからさー、サトリが別に理由があるんじゃないかって知りたがってるみたいだぜー! ちょっと教えてやってくれよー!」
 口をふさぐな! 苦しい!
 僕の凄みに不安げな顔になっていたルクレツィアが、ロレックスに励まされて笑みを浮かべた。
「あのね。マール様がサトリさんを守りたいって、すごく伝わってきたの」
 ルクレツィアは福与かな手でありながら手慣れた様子で、法衣を縫っていく。
「こうやって、ひと針ひと針丁寧に刺繍された衣は、文様もあってスカラと同じ効果があるんだよ。マール様、本当に刺繍が上手なの。ルクの縫い方下手っぴで恥ずかしいんだけどね、こんなに想いとまじないを込めた服を作るんだもの。サトリさんの衣を、マール様の為にルクが手直ししなきゃって思うの」
 確かに多くの手間を掛けたものは、強い念を帯びるという。それを持つ者を守る護符的役割を得ることは、よくある信仰の一つである。王族の女性が裁縫を嗜みにするのも、戦地へ赴く男子に自身の刺繍を守りとして持たせるのが起源とされている。
 あとね。ルクレツィアが続ける。
「くまさん達はね、サトリさんを病気や死から守る為に、マール様が作った子達だと思う。一つ一つ丁寧にマール様が作った縫い包みには、サトリさんを守る為の力が蓄えられているの。そんな子に名前をつければ、サトリさんを守る騎士様になってくれるんだよ!」
 想定外の話で、思わず目を瞬いた。
「きっと、破けちゃったり汚れた子がいっぱい居たんじゃないかな。そんな子達は、サトリさんを守る役目を立派に果たした子なんだ。偉いなぁ。神父様もその子達を見たら、きちんと役目を果たしたんだってミトラ神の御許に行くよう計らってくれるよ」
「そんなこと、マールは一言も言ってない」
 絞り出すような僕の言葉に、ルクレツィアは赤金色の双眸を向ける。
「言わないよ」
 ルクレツィアがにっこり笑って言う。
「まじない、だもの。秘め事であるのも重要なの。ルクがお話しできるのも、サトリさんがくまさん必要ないくらい元気だからなんだよ。マール様、サトリさんの事が大好きなんだね!」
 『おにいちゃん げんきになったね!』
 縫い包みを手にした妹の姿が、ルクレツィアに重なった。


■ サトリと妹とくま ■

 サトリは体が弱い。
 本人曰く、生まれた時から棺桶に片足を突っ込んでいたらしい。その言葉に嘘はないだろう。サマルトリアの王子の評判は、ここ数年でようやく人々の耳に触れられるようになった。それより以前は、国王陛下がサトリ王子の棺桶をまた新調なさったという大変喜ばしくない話題だ。ローレシアの傭兵達も、サマルトリアの次の王は女王なんだろうなと他人事でも思っていた。
 俺には縁のない人ではあった。だが、傭兵国家ローレシアに国として王子護衛の依頼があり、託されたのが俺であるならば避けることのできない問題だ。
 サトリの事を調べて心配になった虚弱体質であるが、本人は俺以上に自分の体調に気を使ってくれる。旅の間は突然の熱発や体調が低迷することはあるが、旅の日程を大きく変更するほどの大事に至ったことはない。
 それでも、数ヶ月に一度程度でくる。すごく、体調が悪い時が。
「うーん。これはまいったなぁ」
 部屋の扉を閉めて唸る。ローレシアに所属する傭兵は近くの組合の援助を受けられる。その一つには医療的な援助もあり、常駐していた医師がサトリの容態を見てくれた。医師はただの風邪とも、すぐ良くなるとも言わずに、少し時間をくださいと言って足早に帰っていった。難しい状況らしい。
 俺も切り傷やら感染症には多少の知識はあるが、酷い風邪のような状態に対してどうこうできる知識はない。栄養のある飯は用意できるが、それをサトリが食えるかどうかは別問題だ。
 小動物の足音のようなものが聞こえて顔を上げると、ルクレツィアが心配そうな顔で近寄ってきた。麗しきムーンブルクの王女様は、サトリには勿体ないほどの心配を寄せてくれているようだ。白い顔が青くすら見えて可哀想だ。
「サトリさん、調子よくないの?」
「うーん…」
 なんと言ったら良いものか…。下手したら死にそうなんて、とても言えそうにない。
 俺はにっこり笑って、ルクレツィアの頭を撫でた。
「大丈夫。サトリは最近調子が良かったんだって、寝る前にはぶつくさ言ってたからな。起きたら昨日の礼拝に行けなかったとか悔しげに言うんじゃないのか?」
 そうだったらどれだけ良いか。歪んでしまう表情筋をどうにか堪えて、俺は顔を上げた。誰かが駆け足でこちらに向かってくる。ルクレツィアが振り返った頃には、足音の主は廊下の角を曲がって勢い余って壁に肩をぶつけてしまった。組合の医師ではない。美しい新緑を彷彿とさせる明るい緑と金の縁取りのサーコート。胸のプレートにはサマルトリアの国章である風木犀が刻まれている。まだ若そうな兵士は、俺の顔を見てはっと表情を改めた。
「王子の護衛をしている、ローレシアの傭兵は君か?」
「はい。ローレシアの傭兵のロレックスです」
「いやぁ、探しましたよ。君らを途中で見失っちゃって…。これ、姫様から早めに王子に届けるようにって厳命されたので、任務を果たせないかと思いました」
 これ。差し出されたのはひと抱えもある布袋だ。大きい何かが入っているようだが、多きさの割にはとても軽い。
「開けて、確認してもいいですか?」
 目配せした兵士は手短に『どうぞ』と頷いた。
 袋はなかなかの業物だ。中身が汚れたりしないように防水撥水に優れた素材に、さらに衝撃や切り裂かれないようスカラの文様が全面に刺繍されたものだ。布袋だけでちょっとした鎧が買える。その中に入っていたのは…
 俺は、目を擦った。ちょっとあり得ないものが見えたからだ。
 二度見してもあり得ないと思ったものは別のものにならなかった。仕方なく、俺は袋から取り出して見た。ルクレツィアが露骨に目を輝かせて見せる。
「くまさんだ!」
 そう、くま。くまのぬいぐるみだ。かなり大きいのと、ちょっと小さめのが、袋から出てきた。
 これを、サトリに届ける。サトリは妹は大変マイペースで何考えているか良く分からないと言ってたが、とても旅に必要なさそうなものを、兵士に厳命させて届けさせるとは…。常識的に考えても、変わってるなぁ。
 固まる俺をよそに、ルクレツィアがクマを抱き抱えた。じっくりと赤金色の瞳がくまを見つめると、嬉しげにサトリの部屋に持っていこうとする。ま、まぁ、サトリは寝込んでるし、くまが添い寝するのは構やしないか…。
 扉が開いて閉まる音を聞きながら兵士に向かい合えば、兵士も自分が運んでいたものを見て複雑そうな顔をしていた。袋の上から触ったりしてみて、中身は察していたがまさか本当にくまのぬいぐるみを運ばされていたとは…という所だろう。ご愁傷様だな。
 気まずい雰囲気を取り持ってくれたのは、戻ってきたルクレツィアだった。
「サマルトリアのお姫様は、とってもお裁縫が上手なんだね!」
「あぁ。この袋もご自身でお作りになられたんだ」
 兵士も少し誇らしげに微笑んだ。確か、ルクレツィアより少し年上だったろうけど、その年齢で職人ならば工房を任されるのも時間の問題というレベルの物が作れるのだ。将来有望に違いないだろう。
 少し気持ちが明るくなったが、サトリの容体が改善した訳じゃない。難しい顔をした俺の袖を、ルクレツィアが引いた。
「大丈夫だよ、ロレックスさん。くまさんがね、サトリさんを助けてくれるよ」

 ルクレツィアの言葉の通りだった。サトリは翌日、今までの不調が嘘みたいに回復した。
 兵士が持ってきたくまは、一晩で真っ黒くなってボロボロになった。それをルクレツィアは教会に持っていって、感謝の言葉を掛けながら炊き上げたのだった。俺と兵士は心底不気味に思いながら見守るしかなかった。
「まったく、あいつは、どうしてくまのぬいぐるみを寄越してくるんだ…!」
 そんなことなど全く知らないサトリは、律儀に妹の作ったくまのぬいぐるみと寝ている。


■ 独り言か腹話術 ■

「なぁなぁ、イサークの兄ちゃん。手を入れてさー、くちパカパカできるぬいぐるみ作ってよー」
 プクリポって種族は、どうしてこう可愛いんだろうなぁ。僕はにっこりと笑いながら、愛らしいおねだりを聞いている。僕ってば縫い物も出来るんだよ。なにせ、レディ・ブレラを繕うの失敗したら、こんがり焼き魚だったからね。厳しい先生のもとで、若いながらに一流の裁縫師だよ。
「いいけど、どうしたんだい?」
「あんなー、後輩がどうやら腹話術漫才の練習してるみたいなんだ」
 腹話術漫才。プクリポの芸派の一つで、ぬいぐるみを持った芸人が一人二役で観客を笑わせるものだ。上達すると芸人さんは口が全く動かさないで、まるでぬいぐるみが生きてるように魅せてくるんだ。ルミラさんが言うには、過激派の腹話術プロレスはオーグリードで大人気らしい。
「相棒に独り言酷いとか『ぶれーせんばん』なこと言われて、ちょーかわいそーなの。やっぱ腹話術漫才は相棒のぬいぐるみがいねーと締まらねーんだよ。なぁなぁ、イサークの兄ちゃん。オイラの可愛い後輩のために、ちょちょいのぱっぱで作ってよー」
 座っている僕の膝をゆさゆさしていた、赤いパイナップル頭がびくりと揺れた。顔を上げると不満げな青紫の瞳で、口がつーんと尖ったルアム君が出てきているようだ。
「ちょ! イサークさん、誤解だって! 独り言にしか見えなかったんだよ!」
「相棒は芸の道がけわしーのがわかんねーんだよ! あんな人混みで公開練習なんて、鋼の芸人魂もってねーとできねーよ! ひどいこと言うと、オイラ泣いちゃうぞー! うえーん! 相棒のわからずやー!」
「なにが分からず屋だよ! 誰が見たって、あれは独り言だって!」
 左右の瞳の色が違う。珍しくルアっちとルアム君が喧嘩してるんだろう。いつも仲良しなのに珍しいなー。
『アンタ達の方がよっぽど腹話術漫才してるようにしか見えないよ』
 レディのツッコミで、僕は耐えきれず吹いた。


■ 報われぬ愛をこれからも ■

 そこは街道沿いであっても、お世辞にも栄えているとは言い難い宿場町だった。大きな町の間は早朝に出れば夕刻にはついてしまう間であれば、宿場町にわざわざ足を留める理由などないだろう。寂れ、いずれは朽ちて忘れ去られるような小さな宿場町。
 そこが小さくなくなったのは、なんとも不思議な理由だった。
 バンデルフォン王国が滅亡したという噂が、伝書鳩よりも早く世界を駆け巡って数年が経った頃だった。この街道を通る旅人達が、バンデルフォン王国で最も大きな国立劇場を見たと噂した。ステージから最も後ろの客席の客の口紅の色まで分かってしまう小ささながらも、外観も内装も贅を凝らされた劇場は、かつての花々の咲き誇る舞台を精巧に縮小せしめたと感動すらするだろう。神々があの美しい劇場が失われるのを悲しんで、あそこに建て直したと歌う吟遊詩人までいた。
 バンデルフォン国立劇場は、世界最高の舞台であった。王国亡き今、かつての舞台を懐かしんで、数多くの名だたる歌手が踊り手が演奏家が公演した。今では、バンデルフォンの悲劇も風化しつつあり、宿場町は劇場が建つ前の寂れ具合に落ち着いてきている。
「ここで、歌って良いですか?」
 そんな中、その劇場で歌を歌いたいと申し出た人がいた。旅の者という表現がしっくりする若者は、わざわざ足を留めて劇場の裏にあるバラ園を超えて家にまで訪れた。
 眩い人だった。ここには数多くのスターが訪れたけれど、その人は本当に星のような人であった。男と女の輝く所を選り抜いて、その体の中に仕舞い込んだ宝石箱のような人。バンデルフォンが滅ぶ前を懐かしむ、この劇場のファンにしては若い。例えバンデルフォン出身であったとしても、それを懐かしめるような年齢に達していなさそうな若者だった。
「断る理由なんかないさ。好きなだけ歌ってお行き。でも、1日待ちなさい」
 久々に劇場を掃除し、空気を入れ替え、オイルライブを補充する。舞台に立つ者への細やかな礼儀というやつさ。
 バラを摘んで花束にし、我が家にあった一番美しいリボンでまとめる。舞台のオーナーとしての勤めである。
 そして、一番良い酒。封を切ったばかりの葉巻。それをステージの一番前、特等席に用意する。それは、舞台を見る者の特権。その特権を行使できるのは、観客席にたった一人いる私だけだ。
「申し出を受けてくださり、ありがとうございます」
 旅人はそう深々と頭を下げ、そっと歌い出した。
 まだ伸び代のある歌声であったけれど、その声はなんとも懐かしい。こんな声で歌を歌う娘がいた。若くて瑞々しい、蕾が綻んで満開になった途端、どこぞの騎士と他所の国へ渡ってしまった娘だ。あの娘は好きだった。まだ磨く余地がある宝石。育てがいのあるバラだった。あぁ、あの娘が早々にこの世を去ったと噂に聞いた時は、流石に悲しかった。
 賑わいが聞こえる。あの拍手喝采。巨大な劇場の全ての客席を埋め尽くす観客が総立ちとなって、万雷の拍手を巻き起こす。あの娘も歌っていた。まだまだ伸び代のある声であっても、多くの人を魅了した娘だった。容姿も人柄も、神様がわざわざ見繕って与えたと思える程の稀有なる娘だった。
 拍手は潮が引くかのように遠ざかり、ついに私一人の拍手だけが残った。ステージを降りた若者は小さく頭を下げて、渡された花束を照れ臭そうに受け取った。
「いかがでした?」
「そうね。まだまだだけど、好きよ」
 葉巻に火をつけ、深く煙を吸い込むと、ふっと目の前の若者に吹きかけた。
 不意打ちだったんだろうね。若者は盛大に咳き込んだ。