蒼天のソウラログ


■ 真珠貝の中に真実 ■

「お嬢様、冒険者に心奪われぬ事です」
 隣で花の密たっぷりのミルクティーを啜るアレックは、世界中を旅した経験を持ってる。冒険者を辞めて、今はお父さんの仕事で運ぶ荷物を守る仕事をしている。
「冒険者って誰?」
 あたしが訊ねると、アレックはふさふさと白髭を動かした。
「そうじゃな。ソウラの様な男の事かね」
「あたし、ソウラの事嫌いよ」
 あたしはアレックの話が大好き。お父様のお仕事について行くと、アレックの隣はあたしの特等席だった。物心付いた時から、そうだった。
 彼の隣にいると、彼は目に見える全ての事を教えてくれた。
 見えて来る川の名前や平原の広さ。訪れた宿場町の名産や、女将が作る裏メニュー。ちょっと詰んできた草花が、野宿の際の料理に乗っていて『こんな可愛いお花を食べちゃうの?』と泣いたっけ。毒消し効果がある花だったのは、最近知ったのよね。
 最近は彼を挟んで反対側に、ソウラがいる。
 ソウラはこの前、お父様の船が沈んだ時に助けてくれた漁師さんの子供。彼のお父さんとお母さんは、お父さんの船に残った船員達を最後まで助けようとして一緒に船と共に沈んでしまった。
 凄い大時化だった。
 水平線の彼方まで続く海と空の鏡面が、何時までも続くような穏やかな海だった。それがあっという間に波が立ち、稲妻を伴う雲が頭上を覆った。本当にあっと言う間。怖かった。空が怒って海があたし達を飲み込もうとしたんだもの。
 その日から、ソウラをお父様が引き取った。あたしも独りぼっちになって、お母さんの首飾りを手に泣いているソウラを可哀想だと思った。
 でも、アレックにあれこれ聞いて五月蝿いソウラは嫌い。あたしが質問したいのに、ソウラったらまるで隼切りみたいに立て続けに訊くんだもの!
 膨れっ面のあたしは、ミルクティーを一気飲みした。甘い紅茶の香りがお腹から一気に吹き出して来る。
「マルチナお嬢様は大変良い子じゃからな。嫌い、なんて仰ったのは初めてではありませんかな?」
 そうかしら? あたしは首を傾げた。
「お父様の言い付けは必ず守られますじゃろう? 食べ物でも会食に出たら嫌いでは済まされんと、好き嫌いも我慢出来るお嬢様はとても立派ですぞ。お留守番でも寂しいの一言も仰らないお嬢様は、小さいながらにお父様の事のお仕事を良く理解しておられる。ちょっと、良い子過ぎなくらいじゃ」
 そしてアレックは年を重ねても変わらない、プクリポらしい仕草で微笑んだ。
「じゃから、マルチナ様はソウラの事が好きなんじゃなって思うんじゃよ」
「好きじゃないもん!」
 即答にアレックは盾をお盆にして空のカップを片付け始めた。
「まぁ、男たるものちょっと馬鹿じゃからな。ほれ、ソウラが丁度来ましたよ」
 そう盾を傾けた先には、こちらに向かって駆けて来るソウラの姿があった。水から出てきたばっかり見たいに、全身ずぶ濡れ。雫をぼたぼた垂らして、ヴェリナードの大通りは彼の駆けてきた道が水溜まりみたいになってる。旅人達や住人達がなんだろうとこっちを見ている。
 しかも『ちなー!』って大声で叫んでるの! もう、信じられない!!
「ちなって呼ばないで!しかも、びしょびしょ!体拭いてらっしゃいよ!」
 アレックが差し出したタオルを引っ掴むと、ソウラの顔面目掛けて投げつけた。ソウラはふかふかのタオルを顔面で受けて、驚いたように足を止めた。ずり落ちそうなタオルから、膨れっ面があたしを見る。
「あーもう、ちなはいつも怒ってらぁ!可愛い顔が台無しだぞ!」
 余計なお世話よ!あたしもソウラの膨れっ面が映っちゃったわ!
「ほら!海に潜ったら真珠貝見つけたんだ。ちょっとくすぐったら、これ吐き出したぞ!」
 ずいっと突き出された右手が開く。
 まるで海のような鮮やかなウェディの肌。その手が開くと、まるで深海の底に慎ましやかに在るように丸い真珠が納まっていた。驚いてソウラの顔を見上げると、ソウラは悪戯でも成功したようににかりと笑った。
「ちなにやる!」
 あたしの手を取って無理矢理渡してきた真珠。それはヴェリナードの真上を通る日差しに、プラチナのように光った。とても綺麗。
 真珠に魅入っちゃってて、お礼を言わなきゃって顔を上げるとソウラがにやにや笑ってる。
「な…なによ」
「ちなは、笑ってる方が可愛いな!」
 あたしはソウラのタオルを引っ掴んで、重いっきりソウラの顔に叩き付けた。
 そんな嬉しそうな顔で、言わないでよ!


■ 盾を掲げ、槍を捧げて ■

「どーか、戻ってきて下さい!」
 プクリポの土下座は端から見ても毛玉ごっこ。丸い頭の上に乗った獣の耳はぺしゃんと地面にくっ付いて、背中に突き出た尻尾がぷるぷると震えとるわい。
 わしは遥々メギストリスからやってきた、かつての部下達を見下ろしながら髭を撫でた。
「いやぁ、そう言われても困るのぉ」
 酒場のど真中。真後ろにはマルチナお嬢様やルビビやフーゴといった旅の仲間が居たが、それを差し引いても多くの客人でごった返しておる。仲間達はある程度察していても、他の客人達はいったい何があったのかしらと、訝し気だったり好奇心に輝く瞳で見守っている。
「いーえ! 私達、アレック様が戻ってきてくれるまで頭上げませんから!」
 ふーむ、決意の程はどれほどか。
 わしは槍の穂先に糸を垂らして、糸の先にプラチナクッキーを結わき付ける。簡易的な釣り竿だが、プクリポのヒット率は10割じゃ。目の前にプラプラさせておけば、軟弱共は下げた頭をがばりと上げてプラチナクッキーに飛びつきおったわい。
「アレック様、ずるいっすー!」
「とりあえず座りなさい」
 無理矢理席に着かし、丁度頼んだ食事が届けば食欲の塊のプクリポは頭の中身なんぞすっ飛ぶわい。もぐもぐもちゃもちゃ、口の周りがソースでベタベタになったり、ジョッキを煽ってゲップをしながら事の成り行きを聞いてもいないの喋りだす。
 アレック様、プーポッパン陛下が死んじゃったんですー!悲しくて泣いちゃいますー!
 ラグアス王子が1人残されちゃって、ちょー可哀想っすー!
 王子が引き蘢り脱して良かったっすけど、陛下が死んじゃって割と国政どころじゃないっすー!
 猛将と謳われたアレック様に戻ってきて欲しいですー!熟練1人でも増えて王子を支えて欲しいですー!
「分かった分かった」
 先日、プクランド大陸の王国、メギストリスの王プーポッパンの訃報が世界中を飛び交った。かつて仕えた主の死だ。わしだって悲しいに決まっておる。しかも残された王子も良く知っているから、不憫でならんわい。
 だからこそ、わしはしっしと訊ねた部下達に手を振った。
「支えるべき王子の元に、とっとと戻れ馬鹿者ども」
「アレック様もですー!」
「わしは戻らん」
 『どうしてですー!?』はもった声に、わしはこう言うしか無い。
「もう、守るべき仲間がいるからのぉ」
 そう笑って後ろで食後のテーィタイムをしている仲間達を見遣る。自信たっぷりに笑うマルチナお嬢様、控え目で嬉しそうに微笑むルビビ、照れくさそうに頬を掻くフーゴ。そんな彼等の笑みに応えて、わしも笑う。
 あんまりぐだぐだ言うと、ジゴスパークの刑だぞと凄めば尻尾まで縮み上がりおるわい。
 元部下達を説き伏せて、渋々とぼとぼ帰る尻尾を見送ると、お嬢様が言う。
「本当に良かったの? 帰らなくて?」
「良いんじゃよ、お嬢様」
 昔。そう、あれは15年も昔の話。
 若き日の王はわしに頭を下げてこう言った。
 『俺の妻を守ってもらえないだろうか』と。
 わしは仕えるべき主君の頼みを、二つ返事で引き受けた。『アレックなら、安心だな』不器用な王の笑みを今も思い出す。子供を授かり絵に描いたような仲睦まじい家族。ずっと続くと思っていた。王の妻が、王子の母が、死ぬまでは。
 王はわしを責めなかった。それが辛くて城を去る。
 今の旅が始まるころ。
 親しい友は、わしに頭を下げてこう言った。
 『私の娘を守ってもらえないだろうか?』と。
 わしは守れなかった女性の事を思い出して、受けるかどうかを迷った。守れず途絶えてしまったあの幸せの光景が、終わってしまった罪悪感が再び頭を擡げた。
 古くからの友人の頼みを断りきれなかったわしに、友は笑う。『アレックなら、安心だな』
 わしは槍と盾を手に誓う。
「わしはお嬢様のパラディンですからな」
 今度こそ守り切ろう。
 お嬢様が、ルビビが、フーゴが笑う。その笑顔がずっとずっと続くように…。


■ 不気味の谷の民 ■

「あの女はもうじき死ぬであろうな」
 そう呟いたゾフィーヌの言葉を、ワシの音声認識機能は正確に拾い上げた。何故ならばここはオーグリード大陸で最も人通りがあるだろうと言われた、グレン城下町の正橋門前であるからだ。清廉の滝の真ん前に立つかのごとき、騒音の坩堝の眼前で会話などできる訳がない。5大陸を巡回する大地の方舟が到着すれば地面も見えぬ人波であるのはどの国も同じだが、この地のこの場所に限っては常日頃のことである。
 討伐隊の隊員が声だかに勇士を募り、本日の討伐依頼の看板から戦士達が依頼を拾う。ある者は北の強敵へ挑む仲間を求め、ある者は遠い大陸への同行者を探すために声を張り上げ、ある者は稼ぎのいい美味い話を聞かないかと誘い続ける。エストリスが見れば、嫌悪に顔を歪め唾棄するに違いない。
 人々がまんまるポテトを洗うかのように流される道を見下ろすのを、ゾフィーヌは殊更に好んだ。いや、この男は生きる者も死んでいる者も等しく好ましく思っておった。エストリスのように魔族と竜族とそれ以外を区別することも、ワシのように己と己の作品とそれ以外を分別することもない。アビーのように芸術品か肥料かと見分けたりもしない。この男にとっては全てが平等じゃった。
「あんなに子供が小さいのに、可哀想であるなぁ」
 視線の先には坂を下っていく人組の親子連れの背があった。若い男女の夫婦は3人の子供達と手を繋いで歩いている。笑顔の親子連れの顔がチラリと見えて、己の親戚のようにゾフィーヌは愛想を崩す。
 あの母親が死ぬのであろう。
 ゾフィーヌの予言は、絶対であった。使い魔で追跡調査した結果が、全て予言の通り。
 死霊博士と名乗ることを許された男は、死者のみにあらず生者にも非常に詳しかった。肉体を動かす筋肉を熟知し、ありとあらゆる病気と怪我を治療根絶せしめる名医と言える知識も持ち合わせていた。それは死者が死者となる前が須らく生者であるからゆえの、ゾフィーヌであれば当たり前の事前知識であっただろう。
「本当はゾンビにしてでも生かしてあげたいところであるが、人とは難しいもので、それではいかんのであるよ」
 ゾフィーヌは髭を指先で整え言葉を続ける。
「肉体が停止した状態になると、本人の魂が宿っていようとも家族は拒絶するものなのである。特に、子供は露骨である。死んで悲しいくせに、魂を留め死体を生前のように動かせてやったとしても、『それは私の大好きな家族ではない』と言うのである」
 この男の顔は本当に柔らかい。スライムのごとき柔らかさである。その顔が悲劇を己のように感じて歪んだ。
「なんと哀れなことであろうか。拒絶によって魂は死ぬのである。死よりも恐ろしい、冒険の書を消すのは人の心である」
 まるで演劇の役者のような身振りを交え、ゾフィーヌは張りのあるバスを響かせる。
 ぷくく。ワシは笑った。
『それは不気味の谷じゃよ』
「不気味の谷…。『極めて近いもの』と『そのもの』の間にある、嫌悪感を感じる感情の波のことであるか?」
『そうじゃ。人であったものが人でなくなった、だが人である。それが丁度嫌悪感を感じる最も深い谷間に位置するのであろう』
 ゾフィーヌはふむぅと唸った。
 生者と死者の違い。それを均一にすることは、不可能である。生者が死者になった瞬間に、それが全く違うものになると、この男ほどに深く理解している者はおるまいて。
 ゾフィーヌは髭を引っ張り、勢い余って一本引き抜いて痛みのあまり悲鳴をあげた。涙目で追い続けた家族の背中は、グレンの住宅村へ続く角を曲がって消えていった。痛みを耐えて丸くなった背は、次の瞬間しゅっと伸びたのである。
「ま、死ぬ運命を変えることはできないであるから、仕方のないことであーる。内臓を取り替えれば生きれるであろし、受け入れられるであろうが、それをしてたらキリがなくなったことは学習済みであるからなぁ!」
 ゾフィーヌはグレン駅舎へ続く階段を覗き込む。
「むむっ! 人が大分空いてきたのである! エストリスに土産の拳骨飴を買っていってやるのであーる! 今は期間限定の苺カスタード味と、超ロストアタック激辛クールミント味が発売中なのであーる!」
 白衣を翻し、嬉々として駆け下りる背中を見下ろす。
 我々も不気味の谷底の住人であるだろうに。
 見上げた青空に浮かぶ太陽は、探し求める目的のように手の届かぬ位置で燦然と輝いている。


■ 娘が今日も可愛い ■

 エスコーダ商会といえば、ウェナに留まらず世界に名が知られた実業団だ。
 現在は大地の方舟で相互行き来できる5大陸だが、当然大地の方舟で運搬できるものは限られる。ルーラストーンタクシー協会の抱えるチーム『彗星キメラ便』も、やはり人が運搬できる程度に限定される。しかも着地の衝撃に踏ん張れなければ破損するリスクもあるので、あまりにも重いものは保証対象外と言われる。世界最大手のアストルティア郵便局も、噂は聞かないが運営が友人チーム内までなら無料配送を決定して以降色々大変だと聞く。
 様々な運搬方法の中で、指折りの古さを誇るのが海運である。大地の方舟が登場する前は、主力の運搬技術であっただろう。やや元気が無くなった海運業を中心に企業を盛り立てたエスコーダは、己の名を社名にしても恥ずかしくもない一流の商売人である。
 古くからの友人は、昔の気障ったらしい髪型をやめて髪を撫で付け威厳ある佇まいだ。まぁ、それを言ったら『君だって昔はヘラリと笑ってた口元をヒゲで隠して、偉そうな感じじゃないか』と笑われそうである。
 お互い歳をとったものだと笑いながら、葡萄酒を傾ける。穏やかな食事の時間に、ふとエスコーダは言った。
「娘は冒険者としてやっていけそうかね?」
「問題なかろう。一番の問題点であっただろう、身の回りのことはルビビ君とフーゴ君が対応してくれる。訪れる街の情報はマルチナ嬢がしっかり予習しておるし、ワシは本当に護衛だけで楽させてもらっているくらいじゃ」
 そう笑って白身魚のマリネを口にする。酢の酸味と淡白な白身魚が身と共に解け、レモンの爽やかさが鼻に抜ける。
「まさか、目に入れても痛くないと豪語していた娘を旅に出すなんて驚きじゃわい」
 末娘のマルチナ嬢を、エスコーダはとても可愛がっておった。
 なにせ、まだメギストリスに勤めていたワシの所に届く手紙が、『娘が今日も可愛い』しか書いていない。連日『今日は娘が笑った』『娘の寝顔が世界一可愛い』『娘が可愛すぎて困る』と続いて、アルウェ王妃様の『うちのラグアスちゃん可愛い』が控えめに感じるほどだった。
 ワシは葡萄酒を啜りながら、意地悪な笑みを浮かべて見せた。
「しかも冒険者になる切っ掛けがソウラという少年なのだろう?」
 それはマルチナ嬢は明言せんかったが、ルビビとフーゴは確信しているようだった。ソウラという少年が冒険者になって、その後を追うようにマルチナ嬢が冒険者を目指し出したのだ。理由は、うむ、若いからのぉ。
「『娘が年頃になって悪い虫が付くなど許せるわけがない。無理難題を吹っ掛けて諦めさせてやる』と、息巻いておったではないか」
「ソウラ君だけは別だよ」
 そう、呟いたエスコーダに僅かに苦渋が滲んだのをワシは見逃さなかった。だが、その表情はすぐに消え、力強い頼もしい男を見るように目を細める。
「私はあれから何度もソウラ君の元に足を運んだ。だが、彼は決して私を責めなかった。本当はな、アレック、私はソウラ君や村の者に責められて当然だったし、責められて欲しかったとも思っているんだ。責められれば償いをしなくてはならない。償う方法は簡単さ。謝罪を求められれば、地面に頭を擦り付け謝っただろう。慰謝料を寄越せと言われれば、言い値に一桁以上上乗せして支払っただろう。そうすれば、私は許された気になれただろう」
 エスコーダは寂しそうに微笑み、手に取ったグラスの水に視線を落とした。
「ソウラ君や村の者が私を責めず何も求めない以上、私は贖罪の方法を模索しなくてはならなかった。様々なことをやったよ。ソウラ君が冒険者になると聞いた時、私は一流の武具を提供しようと持ちかけた。そうしたら、なんて言ったと思う?」
「断られは、したんじゃろうな」
 ソウラ君の姿を思い返す。武器は古いものだと見て取れたし、額当ては頑丈そうだった。だが、それ以外は冒険者の中でありふれた武具でしかない。強力な魔物を討伐する者が着込むような頑丈さよりも、世界を歩いて行きやすい軽くて丈夫な旅人の服と皮の装具だ。
 ワシの言葉にエスコーダが頷いた。
「応援してくれる気持ちで十分だ…だそうだ」
「冒険者らしい言葉じゃな!」
 笑い飛ばしたワシの言葉に、エスコーダも笑みを浮かべた。
「ようやく、私のするべき事が見つかった気がするんだ。私は若い人がやりたい事ができるように援助する事が、求められた償い方だと思っているのだ」
 それは大変殊勝な心がけだ。ワシはふむふむと心得顔で頷いた。
 だが。エスコーダが言葉を続けた。冷徹な経営者の顔よりも一段と冷たい瞳が、まだ見ぬ相手を睨んだ。
「可愛い我が娘へ求婚する者はカルサドラの火山に伝説の炎のリングと、清廉の滝にあるという水のリング捜索の試練を課す。絶対に可愛い私の娘を嫁に出すと思うなよ…!」
 がくっ!
 あぁ、割と大事な所が変わっておらん。


■ 引き金を引いた先に ■

 ガテリア皇国第二の都市ハルバイが陥落した。
 その知らせを、国王こそが心から望んでいた。ハルバイの堅牢な城壁の前に累々と横たわる、ウルベア地下帝国の兵士達の亡骸。それらは回収もままならず雨晒しになり、腐敗した悪臭にまみれ鎧兜の下は見るも無残に違いない。今も出兵した身内の帰りを待つ民になんと申し開きができよう。堅牢なるハルバイ。その堅牢を国王も理解している。民を、兵士を死地に追いやったのは自分なのであると、ウルベア地下帝国の国王ジャ・クバは己を責めた。
 王は追い詰められ、一つの命令を下した。
「何としても、ハルバイを陥落させよ」
 宰相として傍に控えるグルヤンラシュは、深々と頭を下げ『御意』と一言応えた。
 そして間も無く、ハルバイ陥落の知らせが届いた。その報告は国王の想像を超え、己の何かが壊れるほどの衝撃を与えた。あの堅牢なるハルバイは一夜にして燃え尽きた。偵察用の魔神兵が映し出した映像には、崩壊して1000の年を経たかのような廃墟が延々と映し出されていた。
「ハルバイの民は何処へ消えた?」王が問うた。
「凄まじい熱波によって、蒸発するように一瞬で燃え尽きたのです」開発に関わった博士の一人が答えた。
 王は言葉を失った。多くの兵の命を奪った憎きハルバイ。そのハルバイが地獄の業火のような熱により、この世に存在できぬ死に様を晒したことが王にとって表現出来ぬ程の衝撃として走った。映像に残るドワチャッカでは有り触れた台所の釜が、王の目に映る。
「これで、ハルバイ攻略に命を落とす兵がいなくなったのです。喜ばしいですね、陛下」博士の一人が言った。
 ハルバイの民が同じドワーフであることを釜から感じた王は、胸が張り裂ける思いだった。そう、ハルバイ攻略で命を落とすものはもういなくなる。喜ばしい。確かに。だが、ガテリア第二の都市であるハルバイの民は何千人といたはず。それらが残らず蒸発した? 誰一人生き残ることも許されない。我が国の兵士の命を奪ったもの、奪わなかったもの、小さき子供、生まれたばかりの赤子、罪もない存在までも余さず殺した。息が苦しい。王は霞んだ視界に見える手が血に塗れているように見えた。
 王の描いた陥落は、多くの兵を捕虜とし、民は支配下に置く程度。虐殺など、望んではいなかった。
「ハルバイを陥落させた兵器の名は何と申す?」王が絞り出すように問うた。
「復讐の月と名付けたのであーる」誇らしげな博士の回答に王は『そうか』と呟いた。
「復讐の月の研究に携わった者を、ウルベア地下帝国より追放する!」
 謁見の間がざわついた。ハルバイを陥落させた英雄である博士達が反論し、兵士達も動揺に互いの顔を見合す。
 国王は玉座から立ち上がり、今まで誰にも見せたことのないような激昂を表した。いつもは温厚な声色が、破れ鐘のような怒号となって玉座の間に響き渡ったのだ。
「我は命じた! ハルバイを陥落せよ、と。故に、命令に忠実に従った研究者たちを殺めることはせぬ! しかし、今後、このような非道なる虐殺を行う兵器が、ドワチャッカ大陸にあってはならぬ! その者達を追放せよ!」
 優しき王が臣民に初めて見せた剣幕に、兵士達は慌てて博士達を取り押さえ連れて行った。博士達の反論や不満は扉が閉まるまで続いたが、王は英雄に対して無体なことをすると多くの兵が同情を寄せた。王は荒く息を吐き、崩れるように玉座にもたれ掛かった。
 グルヤンラシュ。王が呼びかけると傍に控えた青年に耳打ちをした。
「かの者たちに十分な報酬を。彼らは我が命に従っただけなのだから…」
「承知いたしました」青年はそう応え、静かに謁見の間を去っていく。王は謁見の間から人払いをした。護衛の兵はせめて一人でも御身の傍にと言い募ったが、王は頑なに退室せよというばかり。王の傍に控えることを許されたのは、かつて王が信頼を寄せた技術者が献上したカラクリのみ。誰もいない真夜中のような沈黙の中、王は玉座の上で項垂れていた。
 王がようやく頭を上げると、王の健康記録を取るだけのカラクリが王を覗き込むように傍にいた。その電光が発する緑色の光の奥に、王が引き留めたかった背中が見えた気がした。人々の生活をより豊かに。そう命じて献上された最初のカラクリ。このカラクリから多くのカラクリが世に現れ、人々の生活は確かに豊かになった。地を耕し、鉱山を拓き、街の治安を守り、そして…民の代わりとして派兵されるようになった。
 王はカラクリをそっと撫でた。毎日磨く表面は冷たく、指で触れると微かに駆動の振動が伝わってくる。
「真の豊かさとは…一体、何なのであろうな?」
 人々の生活をより豊かに。そう命じて応じた男は、今はもう敵国であるガテリア皇国にいる。今回のハルバイの陥落は、おそらくガテリアにとっての引き際を奪ったことになるであろう。戦争は何方かが倒れるまで続くであろう。たとえ王が戦争の指揮から遠ざかったとしても、宰相がガテリア皇国との戦争の指揮を取っていくだろう。宰相はガテリアとの戦争に対して強硬な考えで、民の言葉もあってか和平を考える人物ではなかった。
 誰に。王は喘ぐように口元を動かした。
「誰に話せば…共に歩んでくれるのであろうな?」
 カラクリはぴぴっと電子音で返す。その様子に王はふと笑みを漏らした。

 王が真の豊かさを語るに値する相手。それが敵国の皇子であると知るのは、少し未来の話である。