アレロラなお題まとめ


■ 二人でお茶をする ■

 ムーンブルクとデルコンダルの北の大陸に国を作ることになった。
 …どうしてこんなことに、なったんだろうとは思う。
 リウレムが言うには、北大陸はムーンブルクの始祖、初代サラマクセンシスが不干渉を子孫に命じた土地であるそうだ。なんでも精霊の勇者の仲間である、不死鳥ラーミアの繰り手達が故郷に似ているからと安住の地として住んだ事に由来するらしい。
 それならば俺が国を作るのは良くないだろうと思うだろう? だが、俺はラーミアの繰り手の末裔から土地を譲ってもらったという認識で、さらにアレフガルド出身なので初代サラマクセンシスの厳命の対象外であるらしい。ムーンブルク不干渉の掟は厳しく、俺を抱き込んでムーンブルク領の一部にするなんてことも出来ないらしい。
 初代サラマクセンシスなんて神話の存在だろう? とリウレムを茶化したら『ミトラの右拇指はミトラに準じて永遠なるもの。普通に悪戯してきますよ』とか言われた。
 なんにせよ、俺が先住民と思っていたラーミアの繰り手の末裔に認められた事が大きいようだ。だが、俺がやれることは殆どない。
 国を作るにあたっての手続きは、担当外交官としてムーンブルクから派遣されたリウレムが殆どを担う。こちらが用意するべき書類は、全てローラが書いてくれる。俺がすることは傭兵組合が機能し、現在のローレシアという集落が発展するよう尽力するだけだ。
 執務室という名の会議室は紙の海。真新しいインクの匂いを染み込ませた紙が、所狭しと積み重なっている。本来なら俺が座るだろう席は、妻が温めている時間の方が長い。手前の応接スペースには、徹夜をしたのだろうリウレムがくるまっていた毛布が抜け殻のように残されていた。
「ローラ。まだ作業しているのか?」
「んー。リウレム君が徹夜してくれたから、これでもだいぶ進んだの」
 学のない俺には分からないが、世の中には色々と面倒な事が多いようだ。その面倒事が紙という形に詰め込まれた書類というものは、本当に理解できない。何が書いてあるかすら、読めはすれども分からないだろう。だから面倒を全てローラに任せたら、俺の頭の上に王冠乗っけられてしまう日が来てしまうのだ。どうしてこんなことになった。
 ローラがすっと顔を上げる。俺が手に持っているものを見て、ぱっと笑顔になった。
「お茶だ! お菓子もある!」
「少し休んだらどうだ?」
 お前だって徹夜だったんじゃないのか? そう続けようとした言葉は、言うべき顔が書類に向いてしまって飲み込んでしまう。『あともう少しで一区切りだから』そう、先ほどよりも勢いよく羽ペンを走らせる。
 応接用のテーブルにお茶とお菓子を置いて、窓を開けにいく。この時期になるとアレフガルドを彷彿とさせる張り詰めた空気が温み、潮の香りが強くなる。小さく窓一つあければ、部屋の中のインクの匂いと手を取り合って踊り出すらしい。俺は少し眉間にシワを寄せて、次々と窓を少しだけ開けていく。レースのカーテンが柔らかく翻り、部屋の中の空気がようやくすっきりと一新された。
 振り返ればまだ、ローラは書類に向かっている。一区切りはいつ付くんだ。
 ため息を吐く。頑張る必要がどこにある。期限期限とリウレムもローラも言うが、別に人命に関わるような大事になんかならないだろう? この集落が国と認められなければ死ぬ奴など、俺の見える範囲にはいない。
 俺は椅子を引いた。ローラが顔を上げるのと、ローラの体が浮き上がるのは同時だった。短い悲鳴か呻き声を聞き流しながら、抱き上げたローラを応接用のソファーに下ろす。隣に腰を下ろして、紅茶を入れてカットしたレモンを浮かべてローラの口元に押し付ける。
「休めって言ってんだろ」
 いつもは白くて細くて良い香りすらして鮮やかな色の爪の美しい手は、今はインクの黒と香りに塗れている。それでも、おずおずと紅茶のカップを持ってゆっくりと唇にあてがう。啜って、レモンの香りのため息。美味しいと漏れる声色に、それは良かったとソファーにもたれかかった。
「もう一つは、リウレム君の?」
「そのつもりで持ってきたんだが、タイミングが合わなかったな」
 空のカップにローラが紅茶を注ぐと、レモンを浮かべて俺に寄越す。
「一緒にお茶しよう?」
 そうして俺に柔らかな体を傾けてくる。暖かな重さが位置を探るように身動いで、定めたと思ったらずっしりと全体重を乗せてくる。俺はベッドじゃねぇんだけどな。
 美味しいねぇ。それはなにより。
 風が書類をさらさらと撫でていく。レモンの香りが解けて、ここが誰かの戦場であったことも忘れてしまいそうなほどの穏やかさを演出している。互いの小声がその合間を楽しむように交わされる。
 小さく開いて閉じられた扉を見遣る。しばらく、誰も入ってこないらしい。


■ 愛情スキルは私の方が高いとマウントを取ってくるローラさん ■

 デルコンダルからムーンブルク間への陸路の要所となりつつローレシア。そこは新興国さながらの混沌と熱気に溢れた地であります。まずは、この地が陸路の開拓と護衛傭兵の斡旋に由来することが特殊で、どこの国よりも屈強な傭兵を多く見かけることでしょう。傭兵達は新興国という新しいチャンスに目を輝かせ、新しく建つ建物、新しく開店する店を犬のように察知しては押し寄せます。新しい鍛冶場は初火入れの際には、雷と戦の神キショウンの祝福の儀式があるのですが、これも日時など公にされていないのに町中の傭兵達が集まってきます。
 流れてきた過去など気にしないおおらかな気質。仕事を熱心にする者には、多くの信頼が寄せられ評判が巡る。
 傭兵達の団結力を感じられる地域でありましょう。
 その傭兵達を束ねる者が、アレフガルドの竜殺しの勇者、アレフさんです。正直、褒められたお人柄ではないのですが、傭兵に対しては絶大なカリスマがあるのでしょう。僕の師匠でもあります。武術や剣、護衛としての知識、交渉、外交官としてムーンブルクが施す教育では絶対に得られぬ知識ばかり。それは素直に感謝します。それ以外は、うーんって感じですけど。
 ローレシアの首領であるアレフさん。必ずここにいれば会える、という場所がない。
 執務室など形ばかり。時折、ローラ様がその席にお座りになっていますが、アレフさんほど似合わぬ人も珍しい。
 彼は猫のようにローレシアを歩き回っているのです。厩戸で馬車を引く馬を見たり、馬車を持つ商人達と談笑するのが先刻のこと。傭兵組合の窓口に顔を出し、新しく登録しにきた若者に修練場があることを伝えて案内したのが半刻前。市場を歩いて最近入荷したデルコンダル産の果実の保存や加工について話し合っていたのが、ほんの少し前。
 あぁ、ようやく追いつきそうだ。ローレシアをくまなく歩かされたような気分で広場に出れば、蜂蜜色が光を浴びて輝いていた。
「もう、アレフったら、あちこち行かないでよー!」
「何か用事があったか? リウレムはあるみたいだが…」
 蜂蜜色が振り返る。この新興国には似つかわしくない、滲み出る気品と気高さが眩しい笑顔に縁取られておいでだ。その蜂蜜色に日陰のように覆いかぶさる傭兵に、僕は小さく頭を下げました。
「ムーンブルクが、この地を正式に国と認める方向で動き出しました」
 目の前の夫婦の反応は正反対だ。重く落ちた前髪の影で漆黒に見えるような焦茶色は驚きに見開かれ、色白い肌に美しく映える緑は美しくカットされたエメラルドすら色褪せるほどに輝く。二人が息もぴったりと駆け寄ったが、言ったことは当然ながら正反対。
「どうしてそうなった!」「本当! 嬉しいわ!」
 僕はと言えば、そんな反応に『うわぁ』と溜息を吐くだけです。アレフさんは知らなかった。ローラ様は知っていた。ってことは、ローラ様がアレフさんに内緒で、事を進めていたってことじゃん。僕はうまく利用されていたってことですね。ローラ様を出し抜けませんでした。アレフさん、すみませんね。
 僕の言葉を耳にした周囲で歓声が爆ぜる。それはそうだ。この国が大きくなればムーンブルクやデルコンダルに目をつけられてしまうでしょう。今の自由をこの先も続けるためならば、王国として独立するのが賢いのを本能的に理解しているのです。
「喜んでるんじゃねぇ! 一体どうなってるんだ! ローラ!」
 周囲の喜びが伝播して瞬く間に祭りのど真ん中になった空間で、アレフさんがローラ様の肩をがっしりと掴んだ。あまりに慌てたのだろう、ローラ様が痛みに顔をしかめる。それも一瞬のことで、ローラ様はうっとりとしてしまうほどに美しい笑みでアレフさんを見たのです。
「アレフが王様したら、皆が幸せになると思ったの」
「俺は王様なんかになりたくねぇわ!」
 大体な!そう語気荒く続くはずのアレフさんの否定は、ローラ様の薔薇色の唇に塞がれてしまいました。吐いた息を吸えず、たっぷりと唇を重ねられてアレフさんは苦しげに体を離した。それでもローラ様の肩から手を外したりはしない。ローラ様は妖艶な笑みを浮かべたまま、眉根を寄せて大きく息を吸うアレフさんを覗き込んだのです。
「ねぇ。アレフの全てを私はかつて奪ったわ。自由も、縁も、信頼も、全部アレフガルドごと捨てさせて、ここにきた。だから、それに代わるものを与えたいと思ってるの」
「だったら俺だってお前の…」
 全部を捨てさせた。言いたい言葉はまた、ローラ様が口で塞いでしまいます。全然、羨ましく感じないのが不思議でならない。
「アレフの望んでいる世界。それって、アレフが願ったまま手に入れられると思ってる? 傭兵アレフとしての今は、全部望んだままに手に入った? 違うでしょ? いっぱい挫折や失敗や苦痛の果てに手に入れたんでしょう? これもそう。王冠は確かに枷かもしれない。でも、アレフが最後には欲しがる望みには必要なの。貴方がどんなに要らないって叫んでも…ね」
 ローラ様の白い手が日に焼けた褐色の頬を包んだ。女神のように美しい横顔。我が子に愛を囁くように優しい声。その指先に込められた愛しさは、絶対的な信頼と幸せを願う甘い気持ちで胸焼けすらしそうだ。
「私が施す愛情。それは、貴方の想像のそれを常に超えるの」
 だから、せめて。顔が近づく。
 わたしのわがまま、一生叶えてね。
 そんな言葉を流し込まれて飲まされる。なんという。僕は天を仰いだ。


■ 無自覚にローラさんをときめかせるアレフさん ■

 夜も深まり酒場の喧騒すら寝息に変わる頃、あたしとアレフは二人だけの時間を過ごすことが多い。アレフが傭兵達と飲み会をして朝まで帰ってこない事もあるし、アレフが傭兵の仕事で離れ離れの時は一人で眠ってはいる。でも、アレフガルドを出てからは夜はアレフが傍に居てくれることが殆どだ。
 アレフは柔らかい寝床が好きじゃなくて、ソファーや執務用の椅子に座って転寝することが多い。それは長年護衛傭兵を担ってきた、彼なりの眠り方なのだろう。そんなアレフに寄り添って、心臓の音を聞いて互いの体温が馴染んでいくのを感じるのが好きだった。
 囁くように名を呼んで、返事がないのを確認する。返事は欲しくなかった。ただ、誰にも言えないし聞いて欲しくない独り言。
 あたしはお姫様だから、王様にはなれないの。でも結婚した相手は王様になるから、誰が相手でもラダトームが安泰であるように王様と同じくらい勉強させられたの。先生はお母様だった。お母様の声が耳元で囁かれるように、言葉のひとつひとつ、威厳のある声色まで鮮明に思い出せる。
 ローラ。貴女の夫となる人の前を歩いてはいけません。3歩後ろを慎ましやかに歩きなさい。ローラ。貴女の夫となる人の名誉は、命に換えても守りなさい。ローラ。貴女がどんなに知識があって、物事の上手くいく方法を知っていても、口を開いてはいけません。ローラ。どんな激情を孕んでも、表情に出してはなりません。淑女は常に微笑んでいるのです。
 お母様の言葉は呪いのようだった。でも、言葉は淑女の規律で求められた模範だった。涙が出てくる。ラダトームからアレフの力を借りて逃げ出すことができたのに、お母様の言葉は声はどこまでもあたしから離れてくれない。逃げられない。
「何だ?」
 アレフの声。聞かれていた。思わず、体が強張る。
 恐る恐る見上げると、漆黒の双眸がこちらを見下ろしている。眠そうではあるけれど、眠ってはいなかったのだろう。声も眼差しもしっかりと私を捉えている。返事は欲しくなかった。呪いは消えなかった。でも、この場を取り繕うには本当は聞いて欲しくない独り言を言わなければ、アレフは目を逸らしてくれないだろうと思った。
「あたし、アレフの後ろを歩いたほうが良い?」
「守り易いように視界の中にいてくれ」
「あたし、アレフの名誉とか守りきれないわ」
「平民出身の傭兵に名誉なんて要らないだろう」
「あたし、ローレシアのこと色々口出してるよ。出しゃばりだって思わない?」
「思わん。上手く回ってるから助かってる」
 あぁ、自由な狼の王様。沢山の狼達が貴方を慕って、世界でも稀に見る大きな群れが出来ようとしている。そんな貴方に首輪をして犬にしようとしているのに、どうしてそんなに自由でいられるの?
「あたし、お姫様みたいに微笑んでいられなくて…」
 はぁ? アレフが露骨なまでに不機嫌な声を上げた。顔をあげれば、これでもかって嫌な顔。
「ローラが微笑んでるとか、嫌な予感しかしねぇわ。まだ我儘言って駄々捏ねられてたほうが安心する」
 思わず拳を振り上げて、アレフの胸板を叩く! 痛くなんかきっとない。でも、叩かずにはいられない!
 拳の下で、呪いが壊れていく。なんて清々しい気分にさせてくれるんだろう!
「うぅ! 酷い人っ!」
 あたしの欲しい答えしか言わない!
 本当に憎らしくて愛しい人!