DQ系雑記ログ6


■ 部長と金の卵 ■

 汲み上げた井戸の水を、水瓶に移す音で一日が始まる。
 先日の夜遅くに空にして洗われた水瓶を、翌朝一番に満たすのは世界共通の業務だ。この水は朝食で使われ、宿泊客の多いセレドでは昼前には空になってしまう。
 セレドットの高い山並みに囲まれたセレドは、日が上り朝日が差し込む時間は遅いくらいだ。だから水瓶に水を満たす音は、まだ灯りが必要な暗い時間に始まる。その音に同僚達がもぞもぞとベッドの上で身動ぎ、水を汲んでいるだろう人物が眠っていたベッドが空なのを確認する。
 窓から下を除けば、ゆっくりだが動きを止めることなく井戸と水瓶の間を移動する赤い髪が見えるだろう。覗かない。覗くと手伝えって言われるから。
「部長って、働き者だよな」
 同僚の呟きに、全員が頷いた。
 この部屋は宿の離れで、宿屋で働くスタッフ達が寝泊まりしている。男女と勤務時間が異なるコンシェルジュと警備部とで、部屋が大抵分けられている。家族を伴って移動してくるスタッフや、共同生活が苦手な者は、異動先の町で部屋を借りる。
 俺達、警備部で一番偉い部長はというと、俺達と同じ部屋で寝泊まりしていた。厳密に言えば、誰が使ってもいい仮眠用のベッドだ。本当に寝るだけで、起きてる間は顔を合わすことはない。偉いからってスイートルーム使われるよりも、全然好感持てるけどな。
 部長は自己謹慎中という名の休暇中で、ダーマ神殿に修行をしに来たのだという。それだけでも、警備部はひっくり返したような大騒ぎだ。なにせ警備部一番の力自慢のオーグリード支部長ですら、笑ってどつき倒すと言われる警備部長だ。面倒くさがりが服着て歩いているような人が修行するってんだから、今代の勇者が大魔王に負けるんじゃないのかって噂すら流れ出す。
「そういえば、見たか? 金の卵」
「そりゃあ、見るさ。お客様として宿を利用してるんだから」
 警備部の噂で今一番熱いのは、なんと言っても『金の卵』だ。話題に上って、居合わせた全員が顔を上げる。噂好きの同僚なんか、露骨なまでに目が輝いている。
「オーガに負けない良い体つきだ。人間であれだけ筋肉隆々なのは、一種の才能だな」
 でもさぁ、同僚がベッドに寝転びながら言う。
「素人じゃね?」
 そうなんだよなぁー。全員が頷いた。
 ケネス部長が連れてきて教育することを決めた、ラチックという人間の男。彼こそが話題の中心である『金の卵』だ。中堅でも良いような年齢なのだが、全体的に世間を知らなそうな屈託の無さがある。人間にしては恵まれた体格は確かに才能を感じるが、警備部として宿全体の荒事に対応する俺達が武術において素人と判断するんだから素人なんだろう。それでも、ケネス部長が直々に教育するんだ。一流になるのは間違いない。
「所作の端々には洗練さがある。作法の教育はゼロじゃあないだろうが、武術は完全にど素人だぞ。あの金の卵。将来どこに配属されるんだ?」
「ケネス部長が本気で警備部辞める為に、後継を選びましたって割には若くないよな」
 部長がゼネラルマネージャーに顔を合わせる度に、離職届を提出しては目の前で真っ二つに裂かれる話は有名である。しかし後釜に据えるなら、警備部として所属させて寝泊まりもこの離れにさせるはずだ。警備部は宿で使う食材の買い付けや運搬も担うが、同行させる様子はない。部長が『金の卵』に内情を一切見せない所を見るに、後継者にするつもりはないのだろう。
 正直言うと、俺達部下は部長に辞めて欲しくない。
 部長は面倒臭がりだが、事が起きる方が面倒らしく細かい予兆も事前に潰してしまう。掻い潜ってやらかそうだなんて誰もできないくらい、部長の立てた警備計画は完璧だ。緊急事態にもかなり早い段階で駆けつけてくれるし、指示も適切。偉ぶった態度はないし、下っ端の意見も聞いてないように見えてしっかり聞いてたりする。
 なんだかんだで、ケネス部長は良い上司なのだ。
「ちらっと聞いた噂じゃ、グランゼドーラの兵士長が頭を下げてきたって例の話の候補らしい」
 トーマ王子ではなくアンルシア姫が勇者だった事実は、今は旅人達によってグランゼドーラから、地方都市に流れ伝わっている最中だ。そんな中で勇者と盟友の護衛をケネス部長に頼みたいと、グランゼドーラの兵士長が頭を下げに来た話は瞬く間に宿屋協会に伝わった。それを即拒絶した部長のブレなさもセットで。
「部長が突っぱねた話を、あの金の卵にさせるのか? 流石に素人に大魔王討伐って、酷じゃないか」
 まったくだなぁ。各々が身支度をしながら同意する。警備部はコンシェルジュの仕事の補佐もするから、コンシェルジュの制服に着替える奴もいる。大魔王討伐に行くなんて、命を賭ける真似はしたくない。部長は強いから大魔王を討ち取って帰ってきそうだが、俺達は少し腕の立つ程度で死にかねない。それを部長が素人に強いるとは、ちょっと思えないのだ。
 ケネス!そう低い声が嬉しそうに弾ける。窓から下を覗けば、噂の金の卵が部長に話しかけている。部長の持っていた水を満載にした桶を持って、一緒に運び出した。
 なんかもう、人間の擦れた感情なんかどうでも良くなるような、善人って感じ。疑うことも知らないで、どんだけ幸せな人生送ってりゃあ、あぁなれるんだろうかって思う。
「でもさ、部長があれを放っておくかな?」
 部長が大魔王退治に付き合うに、千ゴールド。えー、じゃあ、俺も付いていくに賭けようかなー。誰も部長が大魔王退治に行かないに賭けないのかよ!
 外から『朝からうるさいぞ!』って声が聞こえてくるけど、部長だってうるさいじゃん!


■ 勇者の父と盟友の保護者 ■

 私はアリオス。勇者の国グランゼドーラの国王であり、勇者アンルシアの父だ。
 長男であるトーマは殉死したが、娘のアンルシアは大魔王討伐の大役を達成し世界に平和が訪れた。息子の死と娘の大魔王と戦う宿命に神経をすり減らしていた妻も、安堵からか笑顔が増えてきた。この国が直面した大魔王の脅威が去り、私も肩の荷が降りたといえよう。
 六種族の祭典を行うため、各国の王に手紙を出すことなど、執務とは思えぬ心沸き立つ仕事だ。訪れた平和はこの世界を良い方向に舵取らせた。
 そして、勇者となったアンルシアには大きな責務が覆い被さって来る。
 勇者の血筋を後の世に残すための、縁談である。
 実は勇者の盟友探しで声をかけた名家の青年達は、幼き日からアンルシアの婚約相手として候補に上がっていた男子達だった。しかし、大魔王との戦いに赴くとなると尻込みし、盟友になることを拒絶した。これは勇者の王国の王族になるにあたって、致命的な欠点だ。次の大魔王は明日にでも現れるやも知れぬ。臆病者はアンルシアだけでなく世界をも危機に晒すであろう。アンルシアの盟友を断った男子達は、お見合いの候補から脱落していった。
 脱落者の人数は想像以上に多く、アンルシアの見合い相手はグランゼドーラの噂付きの女性陣の格好の話題であった。井戸端会議に花を咲かせる女人達の中で、最もアンルシアの夫に近い存在と名が次々と上がる。
 わっと廊下が賑わい華やかになる。城下町から勇者と盟友、そしてその保護者が戻ってきたのだ。朝市に出かけてきた彼らは、楽しんできたことを如実に語るように朗らかな雰囲気を振りまく。
「お父様。ただいま戻りました」
 盟友のピペを肩に乗せたラチックと、楽しげに話しながら歩いてきた娘は私を見て自然な笑みで笑う。それはトーマが影武者だと知って表情を強張らせていたアンルシアを思えば、心の底から喜ばしいはずなのだ。
「楽しんできたかね?」
 えぇ! とても! そう弾けるような笑みを浮かべて、アンルシアは私の問いに答える。
 アンルシアが盟友を得てから、笑顔を取り戻して行ったことは城の内外に止まらず喜ばれた。アンルシアは民に慕われた姫だったのもあって、兄を失った悲しみに、勇者という背負った宿命に同情的な感情を持つ民は少なくない。その笑顔が以前よりも眩く輝かせた小さな盟友は、その愛らしさにアンルシアに負けぬ人気を獲得していた。
 そんな国民的人気を誇る娘達が親しげに話しかける、威圧的な大男。見た目は人間にしては恵まれすぎた筋肉隆々な偉丈夫であるが、話しかけてみると朴訥で穏やかな人柄でファンも多い。ピペを背中のフードに格納し、アンルシアの騎士のように追従する姿は国民にとって見慣れた風景になっているだろう。
「ラチック。少し話があるのだが…」
 盟友の保護者は小さく頷いて、娘と盟友に先に行くよう声をかけた。そう、この3人は常に一緒なのだ。自分よりも娘に近くにいることが許されている。盟友はわかる。しかし、この男は盟友の保護者なのだ。嫉妬が心を焦がす。
 この盟友の保護者こそが、アンルシアの夫に最も近いと噂されていると当人は知っているのだろうか?
 バルコニーに出ると、私は風景を見て心を落ち着ける事もせずに単刀直入に問うた。
「ラチック。君は娘のことを、どう思っている?」
 はぁ? 意味が分からないという意味合いを多分に含んだ、返事とも吐息ともつかぬ声が漏れた。首を傾げると無造作に伸ばした脂っ気のない髪が、もさりと動いた。
「良い子 思「それ以外で」
 それ以外。ラチックは呻きながら、どうにか考えをまとめようとしているようだ。
 本人もよく言っているが、頭脳明晰な質ではない。しかし理屈ではなく簡単な言葉で本能に訴えるような言葉選びは、彼の優しい性格が前面に出ていて好ましかった。私の思惑が汚れていると、彼の拙い言葉運びに思い知らされる。
「頑張り屋 あまり 無理しないで欲しい。とても 綺麗で ピペが いろんな ドレス 着せたがる。迷惑 申し訳なく 思ってる。でも 良い子。そんなこと 言わない。大丈夫 心配 なる」
 いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。私は頭振る。
 同時に娘同然に育てたピペを中心に考える彼が、絶対にそんな風に思うことはないと確信する。わかっている。問う前からわかりきっているのだ。それでも、私は言葉で聞きたい。
「君は、娘を女としてどう思っているのかね?」
 一拍の間を置いて、ラチックの驚きの声が迸った。
 意味を理解したのだろう。ラチックは私の肩を勢いよく掴むと、人の良い印象をかなぐり捨てた鬼気迫る顔が迫る。腹の底から出る声が怒鳴り声となって、私の顔を容赦無く叩く。
「アンは ピペの 友達! アリオス陛下! 貴方は ピペを そんな風に 思えるか!」
「う! そ、それは! ピペ君は幼いので流石にそんな風に思うことなど…」
 何事かと護衛の兵士が駆けつけてきてしまったので、私もラチックもなんでもないと下がらせる。ラチックは長いため息を吐いて、訥々と言った。
「アリオス陛下。俺 元々 ブラックチャック 知ってるな? 俺は 血族の長を 随分前に 息子に 譲った。貴方と ピペの歳の差、俺とアンルシア 同じくらい」
 見た目は私よりも年下に見えるラチックだが、彼の種族の年齢ではかなりの老齢になるらしい。生命のサイクルが人間よりも早い彼らは、人間を長寿というよりも育ちの遅い種族と認識するのだそうだ。なのでラチックから見れば、アンルシアもピペも手の掛かる子らしかった。
 ラチックは私から見ても、上に立つものとして必要な考えが備わっている。彼が庇護対象として、娘同然のピペの友人としてアンルシアを見ていることは疑いようもなかった。
 ラチックはぽんと私の肩に触れた。
「娘可愛い。仕方ない こと。アンが 幸せになれる 男と 結婚して 欲しい。俺も思う」
 非常に重みのある言葉だ。悔しいが、父としての経験はこの男の方が上だ。
「ちなみに、この国では君がアンルシアの夫に最も近いと噂されている」
 ラチックは頭が痛そうに項垂れた。漏れた言葉が彼が稀に溢す、魔物の言葉だ。
「再婚の話 いくつも 来てた。人間なって もうない 思ってたのに…」
 魔物にも再婚話があるのか。しかし断っていたのなら、彼は妻を今も愛しているのだろう。ラチックの性格なら、余程のことがない限り再婚などしなさそうだ。
 しかし、と零しながらラチックが顎髭をさする。
「アンの 夫。想像 つかない」
 確かに。そこらへんの良家の息子が見劣りしてしまう。
 私達は将来アンルシアの横に立つ男性を思い描いて、互いに長く唸っていた。


■ 勇者と盟友の恋バナ ■

 お父様がラチックと話があると言うので、私とピペは先に部屋に戻ってきた。元々トーマ兄様の居室だった東の塔の部屋だが、今は盟友であるピペと保護者のラチックに充てられている。ピペはこの部屋を使わせてもらうことを心の底から光栄に思っているらしく、スケッチは許すが就寝の為だけに使うようラチックが言い聞かせたことをきちんと守った。実際にアトリエとして使っている地下牢は、すでに絵の具塗れのカラフルな世界に成り果てているようだ。
 トーマ兄様の好んだ緑が多めに使われている部屋だったが、汚してはいけないと絨毯やカーテンが入れ替わっている。藤の花の里で使われている複雑な織物は、芸術家達のこだわりを詰め込んでとても豪華だった。紫と曙を彷彿とさせる桃色を中心とした配所は、明るすぎず城内の荘厳さに良く馴染む。スケッチされた紙が束ねられて床に積み重なり、イーゼルと椅子が中央に置かれている。
 窓際のテーブルに腰掛けると、侍女達がお茶を持ってきてくれた。良い香りがふんわりと私たちを包む。ティーセットをスケッチしていたピペが、すっと私に見せるようにテーブルの上にスケッチブックを置いた。
『アンはどんな男性と添い遂げたいと思ってるんですか?』
「ど、どうしたの、ピペ。急にそんなこと…」
 ピペは椅子を降りて私の横に寄せると、椅子によじ登ってスケッチブックに言葉を綴る。
『だって、アンのウエディングドレス姿が早く描きたいです。意中の男性と並ぶ姿も素敵でしょうし、お腹が大きい状態を記念に絵に残すのも流行っているんですよ? それに子供を抱いて座ってる絵も描きたいし…』
「待って、待って! 早すぎない?」
 なぜかピペの中では、私は結婚して直ぐ子供を産んでいるらしい。思わず赤面しながら手を振る私を見て、ピペは考え込むように動きを止め、ぺろりと舌を出した。
『そうでした。魔物は子供が授かれるようになると結婚して、翌年には親になっているので…。そうですよね。人間って結婚って簡単にしないんですよね』
 ピペはお祖母様と故郷で過ごしたが、ブラックチャックに拾われて成長した為に常識がやや魔物寄りだ。ブラックチャックの世界ではピペくらいの年齢なら、もう独り立ちして家庭を持っているとは聞いている。
 軽率な発言だったと、しょんぼりするピペの頭を撫でる。
「お父様が言っていたけれど、今回の盟友探しの時に候補がたくさん脱落してしまったんですって。でも、私も世界を守ろうという気概のない男性とは結婚したくないから良かったわ」
 ふぅん。と、ピペは溜息のように相槌を打った。
 勇者の国の王族として生まれた時から、血を後世に伝えていく責務が重くのしかかる。千年前には大魔王に勝利し戴冠すると思われたアルヴァン様は帰らぬ人となり、今の王族は病弱な妹姫様の末裔だ。まさに自分の命と引き換えに子供を産み今に繋げた先祖を思えば、自分の代で血を絶やすなど考えもつかない。
 結婚し、子を成す。
 その責務は分かっているし、実行しなくてはと思っている。それでも、いざ、結婚することが目の前に迫ってくると実感が湧かなかった。それは、ピペも察しているのだろう。
『どんな男性がいいんですか?』
「想像がつかないわ。私より強い方がいいのかしら?」
 大魔王と戦うことに怖気付き、盟友を断った臆病者と結婚させられるなんて嫌ね。そう思ったら強い人が良いのだろうか?と思う。トーマ兄様も強かったもの。
『強いという条件なら、ケネスさんなんかどうですか?』
「嫌よ! あんな意地悪!」
 あまりの即答に、ピペが目を丸くする。
『言葉は辛辣ですけど、悪い人じゃないと思いますよ。アンも信頼してるじゃないですか』
 うぅ。うめき声が思わず漏れた。
 ナドラガンドと呼ばれた浮遊大陸が一瞬であれ世界に及ぼした影響は凄まじく、その影響をすぐまとめたケネスは、今頻繁に王城に出入りして対策会議に追われている。部下を引き連れコマンダーコートを翻して進むケネスは、侍女達の羨望の眼差しを受ける程度には凛々しい。正直、意地悪じゃなければ私だってカッコいいと思ったわ。
 ピペの言う通り、悪い人ではなかった。言うことは正しいばかりで厳しかっただけで、私達を守るための最善を選んでくれた。大魔王を相手に誰一人欠けず戦い抜けたのはケネスのお陰だと思ってる。
 それでも、縁談相手なんて無理よ。だって、私達の前だと疲れた休みたいしか言わないのよ?
『ラチックさんはどうですか? 優しいし、強くなって戻ってきて格好良くなりました!』
 私はピペを肩に載せた大きな体を見上げるように、顔を上げて思い描く。
 年齢的には私よりも一回りくらい年上で、それくらいの縁談も確かにあった。彼の手はとても暖かくて、私のことを気遣って優しく触れてくるのがわかる。穏やかな物腰で、戦いになれば敵と私達の間に立って守ってくれる頼もしい背。愛称で呼ばれても、全く不快に思わない。
 ラチックはピペの保護者って認識だったけれど、私に一番近い男性って彼なんじゃないかしら? そう意識したら顔が熱くなってしまった。
 それでも、今思い浮かべた様々を思い返して頭振った。
「ラチックは私の命を何度も守ってくれたし、これからも守ってくれる頼もしい仲間よ。それが、結婚相手として見るだけで、比べて値踏みしてしまうようで自分が凄く嫌になるわ」
 なんとなく、恋愛に対して気乗りがしなかった理由が分かった気がした。
 私に持ちかけられる縁談は、この国で最も素晴らしい男性だろう。勇者の血に相応しいかとか、戦いでも知識でも何かに秀でているかとか、比べられたたくさんの中から選ばれる。
 比べる。それが嫌だった。
 私も理想の勇者と比べられて、あんなに嫌な思いをしたじゃない。
『アンは燃えるような恋で目が眩まなくちゃ、結婚は出来ないかもしれないですね』
 燃えるような恋。単語だけで顔が燃えるよう! 赤らんだ頬を手で包んだ私の横で、ピペもうっとりと想像を思い描いているようだ。めくるめくロマンスから戻ってきたピペは、鉛筆を走らせる。
『アンもラチックさんと結ばれたいと思うなら、早い方がいいですよ』
 どうして、ラチックを縁談相手にしたがるの? 貴女にとっては育ての親じゃない。
 ピペは舌をしまうと、スケッチブックに文字を走り書いた。
『ラチックさん、凄くモテるんです』
 確かに。それは、凄く良くわかる。
 私は私の盟友と、深々と同意するように頷き合った。


■ 勇者達の肖像画 ■

 どうして、こんなにやることが多いのだろう。目の前に山積みにされた問題は一向に減る様子がなく、少しでも後回しにすればどんどん積み重なって見上げるほどになっていく。このまま崩れ落ちて押し潰されて死ねりゃあ、どんなに楽なことか。生まれ変わったらキノコになりたい。
 しかし、書類の山の下敷きになった程度では死ねないし、部下も対処は俺にしかできないと逃げようものなら死に物狂いで追ってくる。普段は閑職といえる立場だが、一度問題が噴出したらさぁ大変。ここ数日間は休みなしだ。それくらい、初動が重要視されている問題なのだ。
 ナドラガンド。俺ですら、どんな所か想像できない場所だ。
 アストルティアの隅々にまで勢力を伸ばす、世界宿屋協会ですら、ナドラガンドにはコネクションがない。当然だ。繋がる可能性、行き来出来る可能性が全て神によって根絶された地だ。伝説にある厄災前のナドラガンドの情報は意味を成さず、5つの厄災でこの世界の地獄のなれ果てになったというふわっとした内容しか手元にはない。
 彼の地がアストルティアに害をなさぬよう封じるべきなのか。
 彼の地には伝説の竜族がいるのか。
 居たとして、アストルティアにいる我々と友好的な関係が築けるのか。
 彼の地に行くことは可能なのか。
 行けたとして、彼の地の厄災のもたらす環境を生き延びることが出来るのか。
 実際に派遣することも慎重に議論すべきことで、賢者達や各国の重鎮が頭を寄せ合って会議をしている。俺がその会議に混ざる必要などないのだが、なぜか席がある。座れと上から指示がある。この状況はアインツがいても、対応は俺がするのだろう。
 甘ったるい匂いと熱を、重苦しく口から押し出した。
 ふと、名前を呼ばれた気がして顔を上げる。
 見回せば会議室と喫煙可能なテラスを結ぶ動線からは離れており、王家や貴族が行き来するような区画に入り込んでしまったらしい。なんで兵士が止めてくれねぇんだ。そう思いながら身を翻そうとして、また、名前を呼ばれた気がする。
 見えた人影は遠くにある。声が聞こえそうな近くには、気配を感じない。
 俺は素早く巡らせた視界に、それを見つけた。大人の男が両手を広げたくらいの縦横幅を持った、勇者アルヴァンと盟友カミル、勇者の妹君と当時最も高貴な立場だった女性の肖像画だ。椅子に座って上品に手を重ねた女達は、穏やかな柔らかい笑みを浮かべている。そして椅子の後ろに立っている勇者と盟友は、背筋を伸ばし凛々しい立ち姿だ。
「ん?」
 女達が勇者と盟友に振り返り、談笑し始める。そんな馬鹿なと目を擦ると、勇者と盟友が頼もしき戦友とは思えぬ熱の籠った眼差しを絡めている。
 ど、どうなってるんだ。
 あまりの不気味さに後ずさった俺は、はっきりと名前を呼ばれた。真後ろ。そこは壁だ。壁紙のざらりとした感触を手で撫でて確認する。
 声の方角を振り返ると、そこにも一幅の絵が掛けられている。
 椅子に座ったアンルシアがピペを膝に乗せ、その後ろにラチックと俺が描かれている。俺だ。コマンダーコートセットに隼の剣を二振り装備した俺が、確かに絵の中にいた。
 絵の中のアンルシアが呆然と絵画を見上げる俺を指さして、ようやく見に来たわ!と笑った。ピペとラチックが笑い、嘆息した俺がどこかへ行かないよう裾が握られてしまっている。なんだか、普段と変わらない雰囲気が絵から漂ってくる。
 ピペが勇者の肖像画を描くと聞いていたが、これがそうなのだろう。さすが、マデサゴーラが推挙する芸術家なだけある。絵は写真と見紛うほどの精密さで、絵画独特の曖昧さが雰囲気を引き立てる。これが一流の名画と説明されれば、誰もが納得するような絵だった。
 しかし、なんかもう、絵というか、これは…。
 くいくいと裾が引かれ、足元を見るとピペが立っている。思わず口の中に転がっていた、囀りの蜜とハーブの飴を噛み砕いてしまった。ほ、ほんもの、だな。柔らかい絨毯で足音が消えてたにしても、どうして気がつかなかったのか?
 『どうですか?』そう、ピペが大きく口を動かす。
 どうって…。今代の勇者一行の肖像画を見て、ピペに視線を戻す。
「絵の形をしたヤバいもの過ぎて、一刻も早く立ち去りたい」
 えー、って顔してもダメだ。なんで、絵画が生きてるみたいに動くんだよ! 怖過ぎか!
 み な さ ん を え が い た だ け で す
 しがみ付いたピペの指文字がそう言う。いやいや、知らない。どうでも良い。俺は横っ腹にピペをくっつけたまま、日差しの眩しいテラスを逃げるように目指す。笑い声が聞こえるが、それが絵なのか本物なのか聞き分けられないほどに似ていた。


■ 偉大な勇者の物語 ■

 こうして、勇者ロトは大魔王を倒し、世界に平和が訪れたのでした。

 そう書かれた文字を読んで、顔を上げる。
 目の前には柔らかい茶色の髪の上に、ちょこんと緑の帽子を被った吟遊詩人のガライさんが座っている。『どうでしょうか?』とあたしの反応を待ち侘びている表情は、キラキラと輝いているというよりも不安いっぱいって感じ。
「うん! 嘘ばっかりで良いと思う!」
「ほ、本当にこれで良いんですか? 僕が言うのも何ですけど、かなり現実に則していないと言いますか…」
 ガライさんは縺れるような口調で、あたしの読んでいた『勇者ロトの伝説』の原本に視線を落とす。そう、この本は嘘ばっかりだ。勇者ロトが男か女かもちゃんと書かれていないし、瞳の色だって曖昧で、髪の色も明言されていない。ガライさんの目の前にいるあたしとは全然性格も違って、勇敢で大魔王をすっごい魔法でぶっ飛ばしちゃうんだ! 全然別人! 誰、この人って感じ。
 強いていうなら、オルテガ父さんがモデルかな?って思う。
 でもね、そういう勇者ロトを書いて、後世に残してくれって私が頼んだの。馬鹿正直に書き残したって、誰も得しないのわかるんだもの。
「大丈夫、大丈夫。ガライさんが街の地下にある大空洞を洞窟にして、あたしの本当の物語を残しておいてくれるじゃん。あれで良いんだよ。誰にも見つからないところに、勇者ロトって存在が忘れられた頃くらいに見つかるのが丁度良いの」
 えぇー。ガライさんが理解し難いって顔で見てる。
 しょうがないよね。だって、ガライさんは吟遊詩人だもん。元ネタのことをきちんと理解してて、それを魅力的に脚色して旅先のお客さんを楽しませるのがお仕事だ。元ネタとか創作どころか、真っ赤な嘘を広めなきゃいけないのってプライドに反するんだろうなぁ。
 あたしは唇を尖らせて、宙を見る。おじいちゃんが教えてくれたお話を思い出して、ガライさんに話してあげよう!
「ねぇねぇ、ガライさん。冒険の書って知ってる?」
「えぇ。勿論です。生きとし生ける者全てに、一冊ずつ与えられる本のことですよね」
 そうそう。あたしは頷いた。やっぱりガライさんの世界は、あたし達の世界よりも昔のことが鮮明に語り継がれてる。
「冒険の書は生まれてから死ぬまでの全てが書き込まれる。でも、本当はそうじゃない。冒険の書は誰でも書き込めるの。本人だけじゃない。本人の親しい人、もしかしたら通りすがりの他人ですら、冒険の書に書き込むことができるの」
 えぇ!? ガライさんが驚いた。驚くよね。だって、冒険の書って教会の神父様とか、書き込むことができる人が決まってるんだもん。
 あたしは笑いながらガライさんに言う。
「例えば、小さい頃、仲良しだった友達がいたとして、なんにも影響受けないなんてないでしょ? 一緒に遊んでかけっこが早くなったとか、戦士を目指して木刀振って未来のお仕事に本当になっちゃったりとか、しちゃうんじゃない。結婚だって大イベントじゃん。その人と一緒に暮らして、子供が生まれたなんて冒険の書に書き込まれて当然だと思うでしょ? 親しい親が殺されちゃって復讐に駆られたとしたら? その殺されたってことを書き込むのは、殺したと告げた仇だとしたら、誰でも書き込めると思わない?」
 確かに。ガライさんはどこか納得したように顎をさすった。
「冒険の書は、その人の人生だけに影響する訳じゃない。誰からも影響を受けるし、誰にでも影響を与えてしまうんだ」
 そしてあたしはガライさんの書いてくれた、勇者ロトの伝説の原本を撫でる。理想の勇者の冒険が描かれている。お伽話のような、どこかこの世界の人ではないような人間臭くない人の物語が詰まっている。人間臭くないのは当然だ。だって、この本の中に居るのは勇者ロトであって、あたしを構築するものを何も注ぎ込んでいないんだもの。
「勇者ロトはきっと、これから先、たくさんの人に影響を与えていくんだと思うの。親が子供に『勇者ロトのような勇敢な人になりなさい』って言うかもね。ガライさんの残す物語を読んで『勇者ロトみたいになりたい』って憧れる人がいるよ。勇者ロトは人間じゃない方がいい。人間はずるいし、ダメなところがあって、憧れる存在にはなりえない。だから、嘘がいいんだよ」
 目に浮かぶようだなぁ。あたしは笑う。神様みたいに扱われる勇者ロト。やっぱりあたしとは別人だ。
「本当に、良いんですか?」
 あたしは頷いた。力強く、絶対に否定しないって勢いをつけて。
「例え、世界が勇者ロトを書き換えて、あたしをあたしで無くしたとしても、本当のあたしを知っている人は、大事な人だけでいい。大事な人があたしをあたしと信じて見ていてくれる限り、あたしは勇者ロトじゃなくて、あたしで在れるんだから!」
 にっこり笑うあたしを見て、ガライさんも笑った。
「では、この勇者ロトの物語を、後世に伝えていく事にいたしましょう」
 ガライさんは原本を手に取った。未来に語られ現実になるそれを、少しだけ申し訳なさそうに下がった目尻が見下ろしていた。