DQ系雑記ログ7


■ ラチックの睡眠事情 ■

 具合が悪いのか?
 そう訊いてくる、ガラガラとした声が遠い。重い瞼を上げると、赤い髪の色と、赤と碧に移ろう不思議な双眸がぼんやりとした世界に滲んでいる。ダーマで出会った師匠のケネスが、待ち合わせ場所に出てこなかった俺を心配して部屋にやってきたのだろう。赤い髪が動いて光るような赤と碧が見えなくなると、誰かと話す声がぼそぼそと耳を這った。
 眠くて、眠くて、体が重い。
 俺が寝床から体が起こせない理由は、ただの寝不足。ひたすらに眠いのに、眠れない。ただ、それだけのことだった。
 セレドの宿で俺は暖かく干され整った寝床に横になり、雨風を凌いで寒ければ暖炉で温めることのできる部屋で日々を過ごしている。野宿に比べれば圧倒的に快適な空間だ。食事もバランスの良い美味しいくて温かいものが食べれて、ケネスに鍛えられて経験したことのない疲労感を感じている。実際に眠れたと言うのは、気絶しただけだろうと思う程だ。
 眠れない原因もわかっていた。
 一人で、眠るからだ。
 実は、俺は一人で眠ったことがない。ブラックチャックは基本的に家族の団結が強い種族で、一族は皆固まって過ごす。生まれた時から家族と眠り、結婚してからは妻や子供達と眠っていた。一族から離れピペと共に旅をすることになっても、ピペを腕に抱いて眠っていた。誰かの温もりがないことが、これほど寂しく不安を掻き立てるとは思わなかったんだ。
 体は眠りたくて休みたくて仕方がないのに、頭がそれを許さない。積み重なって今では起き上がることもできなくなってしまった。
 鎧戸が閉められて部屋が暗くなる。甘い匂いがふと鼻先を掠めると、額を無骨な指先が思いのほか優しく撫でていった。その指先が思ったよりも暖かい。
「病気らしい兆しはないが、疲労が蓄積しているんだろう。今日は休め」
 離れていきそうな手を、俺は必死で追いかけた。ケネスの手首を掴むと、眠くて体温の高い子供のように暖かい。その熱がとても恋しくて両手で腕を掴むものだから、ケネスが『どうしたんだ?』とベッドに空いた片手を置いた。ぎしりと、寝床が鳴る。
「あの ケネス」
 恥ずかしいと思う。一族では長老と呼ばれるような年齢なのに。でも、ブラックチャックとして一生を終えていたならば、最後まで一族の者と同じ寝床に固まって眠っていただろう。もう、俺は人間として生きていかなきゃいけないのに、人の生き方で生きることができない。
「一緒に 寝て欲しい」
 はぁ? ケネスの露骨なまでに嫌悪に満ちた声に、息が詰まる。
 人間は一人で眠れる。ピペは俺達の家族として迎え入れたが、元々人間なので一人で眠れるようになるかもしれない。ミシュアは一人で眠っていた。
「一人じゃ、寝れねぇってのか?」
 俺はどうにか頷いた。あまりにも恥ずかしくて、ぐっと目を閉じて体を丸めてしまう。どくどくと脈打つ血液が、頭の中を嫌な感じに揉んでいる。
 繋ぎ止めていた手は離れはしなかったが、妙に動いて引っ張ったりしている。ごんと床の上に何か重たいものが落ちた音がして、頭のすぐ上あたりに何かを立てかける音がする。次の瞬間、寝床が驚くほど大きな音で鳴って熱と重みが胸を押す。恐る恐る目を開けると、ケネスがベッドの端に座って俺を見下ろしていた。
「ラリホー草を配合したアロマ焚いてる空間に長居しすぎた。ま、たまには二度寝も悪かないだろ」
 俺は体が燃えるようだった。恥ずかしさと、ケネスが俺の言葉を聞いてくれた嬉しさに心臓が飛び出そうなくらい強く脈打つ。俺はケネスの腰を抱き寄せると、そのまま布団の中に引き摺り込んで抱きすくめた。ぐずる子供のように腕の中のケネスが暴れているが、体格差も力も俺に分がある。体勢が整ってしまえば、ケネスでさえ簡単に逃れることは出来ない。
「ちょっと待て! それは添い寝ってレベルじゃねぇ!」
 他人の匂いが鼻から肺を満たして、他人の熱が体に染み込んでくる。大きさも今の俺には丁度良かった。ケネスは、思った以上に小柄なのかもしれない。
 良い人だ。頼ったら受け入れてくれる存在に、俺は言いようもない安心感を感じていた。ふわふわと浸っているうちに、俺は幸せな柔らかい眠りに沈んでいった。


■ 魔物の言葉事情 ■

 ガライさんってさぁ。そう僕に掛かる声の方を向けば、カウンターに頬をぺとんと付けた僕の勇者様の姿。じとっと納得いきませんって感じの瞳が、磨かれたカウンターに映り込んでいる。
「普通にあたし達の言葉喋ってるのに、魔物の皆にどーして伝わってるの?」
「賢いロトちゃんにも、分からないことがあるんですね」
 ぺしゃりと潰れた頬が、ぷっくりと膨らんだ。
「分かんないことばっかりだよ。ねぇねぇ、どーして?」
 ふむ。僕は顎に指を添わせて考える。なにせロトちゃんは賢いので、あまり何かを説明するという機会が僕にはないのだ。
「魔物と一括りにしても様々。先ずは、人語がわかる種族はロトちゃんが話しかけても通じます」
 それくらいは分かりますー。ぷぅっと息を吐いたロトちゃんに、僕は笑う。
 とはいえ、人語が分かる種族はそれほど多くはない。
 寿命が長い竜族や悪魔族系統は、良い暇つぶしになるからと人と接触する機会が多く人語の習得率が高い。人里の近くで暮らす魔物、人に育てられた魔物、モンスターマスターと共に行動する魔物も、人語を理解しているだろう。基本的に先に述べた二種族以外は人語を理解してはいない。個別に理解する必要性があって、理解しているに過ぎない。
「魔物の言語形態は基本的に、動物の鳴き声に近い音や抑揚に依存します。物理系統は衝撃の程度を言語とする者も少なくないですが、まぁ、声の波紋から感じ取ってくれたりしますね」
 魔物達の間にある言語は、人でいう訛りが強いものの共通という場合が多く、割とゴリ押しもできるんですよね。魔物でも協調性の高い個体なら、複数の魔物の言葉を使い分ける者もいます。
「僕は魔物に話しかける際、言葉にその音や抑揚を混ぜるのです。人の言葉ですが、声の質感や抑揚が魔物の言語なのですよ」
「全然気がつかなかった」
「人の声は複雑ですので、言葉に魔物の言語を混ぜて使い分けることは、そう難しいものではありません。あとは魔物達の理解力の高さもあります。話しかける僕の声色や様子から、こう言っているのかな?って察する力が人よりも優れているんです」
 ここらへんが魔物の大らかさに助けられる所です。互いに言葉が通じにくい為に、相手の様子から何を言いたいかを導き出す。理解しているように見えて、ノリと勢いで行動しているだけってことも少なくありません。
「あたしも出来る?」
「ロトちゃんはあんまり必要ないですよ。明るくて元気で楽しそうで、害意なんか微塵もないですもの。大事なのは言葉よりも気持ちの方です」
「ガライさん、猫とも話してたでしょう」
 ん。こちらが本題か。たまーに町で猫に話しかけるのを見られていたんでしょう。
「猫魔族系と言語形態が似てますから、意外に通じるんですよねぇ」
 でも。僕は小さく否定する。
「猫は気まぐれなので、お話しできているかと言われると微妙ですね」
 そうなんだ。ロトちゃんは唇を尖らせながら、とりあえず納得したようでした。


■ 遊び友達な二人 ■

 グランゼドーラ城では日々、重要な会議が行われています。ナドラガンドという伝説の地に関してどうするべきか、各国の偉いお人や賢者様が一つのテーブルを囲んで話し合っています。
「全く、どうして俺が出席しなきゃらねぇんだよ」
 そう愚痴をこぼすのは、私達勇者御一行の最年長ケネスさんです。
 ケネスさんは世界宿屋協会の警備部長として、足繁くグランゼドーラ城の会議に参加しています。なんでも世界規模で起きたナドラガンド出現の影響を、世界各地に散らばる宿の報告を取りまとめることで最も状況を把握している人物になってしまったそうです。
 コマンダーコートセットに身を包み、怠そうにテーブルの上の資料を眺めています。
「お前の勇者様は一緒じゃないのか?」
 そう向けられた赤と碧の瞳を真っ直ぐ見つめ、私は頷きました。
 アンはお姫様のお仕事やお勉強で、ずっと一緒にいられません。時々、見学を許される時があって、修練やお茶の淹れ方を一生懸命学ぶアンをスケッチできる幸せな時間を過ごせます。
 他には盟友として一緒に出席を求められる行事もあるけれど、それはそれでとても退屈です。偉いお人と会って勇者の盟友ですって紹介されたらぺこりと頭を下げればいいんですけど、スケッチもできないし退屈で仕方がありません。しかも、皆一様にこんな幼子が盟友と驚くんです。世間体的にはプクリポで通しているのですが、プクリポとしても幼く見えるそうです。
 ラチックさんも兵士の方と修練に出かけてしまうと、私は一人で絵を描いてます。一人で絵を描くのも楽しいですから、ラチックさんが修練に行かれてしまうことは気になりません。
 でも、ケネスさんがいるなら遊びに行きます。
 ケネスさんは、私と遊んでくれるんです!
 私がじっと見つめて動かないのを眺めていると、少し椅子を引いてちょんちょんと指先が招くように動く。私がケネスさんの膝の上に座ると、テーブルがちょうど目の高さになります。テーブルの縁に手を掛けて、ケネスさんが物書きする手元を見ます。
 ケネスさんの字は綺麗ではないのですが、とても読みやすくてクセのある字を書くんです。そうして暫くすると偉い人が入ってきて、ケネスさんが暇で時間の無駄と曰う会議が始まります。ケネスさんはとても仕事ができる人なので、集中している時のペン捌きは私のスケッチに匹敵する迷いなきもの。それが会議になると途端に虫がのたうつように鈍るので、もどかしさは私もわかります。
 暇を持て余したケネスさんが、私の背中に指文字を書くんです。
 その指文字がすごいんです。
 レンダーシアで主に使われるアストルティア文字だけじゃない、5種族が使う独自の文字も自由自在に使いこなすんです。意地悪な時は魔物達が使う魔界文字も使って、7文字が混ざった文章を背中に書くんですよ! 背中に書かれた文字をレンダーシア文字に直してケネスさんの腕に指で描くと、次の文字が背中に書き込まれるんです。
 ちょっと難しい問題を解くと、頭を撫でて美味しいお菓子と甘いミルクティーを出してくれるんです。会議中は飲み物が自由に注げるので、誰も怒ったりしません。むしろケネスさんが出席者の皆さんに注いで回るくらいです。遊んでいる最中に意見を求められると、きちんと返すので誰も注意はできません。
 会議が終わって剣を握る人の手のひらに『さようなら』を書き込む頃、アンが私を探しに来るんです。遠くから威勢よく彼女の声が響いて、ずんずん私達に迫ってきます。
「ピペ! こんなところにいたのね!」
「こんな所で悪うございましたね」
 ケネスさんが手のひらを握って、うんざりしたように返します。私が書きやすいようにしゃがんだケネスさんを見下ろして、腕組みしたアンは首を傾げました。
「全く、こんな男のどこが良いのかしら?」
 そうですか? 私はケネスさんは素敵な男性だと思いますよ。
 勇者の盟友が大魔王の招待に応じるなんて、城の誰もが認めはしなかったでしょう。ラチックさんも強く言うことはできませんでした。そんな中でマデサゴーラ様との関係を肯定した、グランゼドーラにおいてただ一人の味方です。大事にしてくれる。一人の大人のように選ばせてくれる。とても嬉しいことだったんです。
 私はアンが嫌味を言うって方法でしか、彼に甘えられないのがとても不思議です。
 私はケネスさんの腕に手をかけて、顔を見上げる。少し背を伸ばしたら接吻してしまいそうな距離感に、ケネスさんが嫌そうな顔をするのも可愛いと思うんですよ。
 胸に『また あそんでください』と書き込むと、はいはいと彼は言った。


■ 私と踊ってください ■

 レミーラの照明が照らす空間は、客人達の着飾った金銀細工や宝石を輝かせ、今日のためにと磨いてきた美しさを惜しげもなく引き立てています。立食の為に用意された沢山の軽食やデザート、飲み物は食べることよりも見栄えの良さに重きを置いてとても華やか。
 その中で一際美しいのは、なんと言っても娘のアンルシアね。
 大魔王マデサゴーラを打倒し、アストルティアに平和をもたらした勇者。美しさと強さを兼ね備えてはいるけれど、まだ年頃の女の子。メギストリスの一流職人が作っているガラスビーズを贅沢に散らした透けるような絹を幾重にも重ね赤から曙に移ろうドレスは、スカートの裾がふんわりと大きく広がるやや古風なデザインではあります。でも腰回りが絞られたシルエットは、アンルシアの戦いで引き締まった体格を女性らしく演出する。
 そんなアンルシアの目の前の男は整った顔を甘く蕩かすように微笑ませ、慇懃に頭を下げる。
「勇者姫アンルシア様にお会いできて、身に余る光栄です」
 一通り挨拶を済ませて下がっていく男性を見送り、少し休憩にしましょうとレガートが声をかける。小さく、しかし深く息を吐いたアンルシアに私は囁いた。
「素敵な若者ね。アンルシアは気になる方が居たかしら?」
「どの方も素敵な方ばかりで、とても決めきれません」
 そうアンルシアは困ったように返す。確かに、挨拶しか言葉を交わさない相手を、将来の伴侶に選ぶのは難しい。私もアリオスも娘を幸せにしてくれる男性と結ばれてほしい。アリオスの厳選は行き過ぎて、私が直々に注意しなくてはならなかったくらいだわ。
 私はもう剣を持たなくても良くなった娘の手に、そっと自分の手を重ねる。
「運命の相手はその瞬間に心を決めてしまうほどに、心に残るもの。きっと分かるわ」
「お母様もお父様と出会った時は、見た瞬間に分かったのですか?」
 可愛らしい質問に、私はうっとりと微笑んでみせる。
「若き将来の夫は誰もが見惚れる美貌に熱を秘めて、私の手を取りダンスに誘ってくれたものです。逞しい手が優しく私を包み込んで、風の中で踊っているかのような楽しい時間でした。その時は将来の夫になるとは思いもしませんでしたが、強く残った楽しさは、今では惹かれていたと言えたでしょうね」
 私と踊ってはくれませんか。膝をつき、まっすぐ見上げて私を誘ってくれたアリオスを今でもありありと思い出すことができます。幸せな記憶に、思わず笑みがこぼれる。
 咳払いの音を辿れば、アリオスが顔が赤らみ、視線が会場の上を泳いでいる。
「そ、そんな昔の話はよかろう」
「昔の話ではありませんわ」
 私はダンスの音楽がゆったりと流れ出したのに気がついて、夫ににっこりと笑いかけた。
「今も、そうしてくださるじゃありませんか」
 顔を真っ赤にした夫は立ち上がると、私の前にいそいそと回り出した。私のことを愛してくれると、傍目からも分かる可愛らしい人。さぁ、まだ結婚に魅力を見出せない娘に、愛し合う人がいる幸せを見せつけてあげましょうね。


■ 守り人の見た目 ■

 なぁ、アインツ。そう、聞慣れた声を見上げれば、それなりに見慣れた姿。警備部長のケネスさんは、私の隣に並んで机の上の書類の山を切り崩しています。私達は揃ってお仕事溜め込む癖があるので、書類もドラクロン山より高く積み上がってるとか、ゴブル砂漠並みに広がってるとか、流れる様は清廉の滝とか、誰も立ち入れないラギ雪原とか、呪われた大地を机の上に表現したとか地方地方で言いたい放題に表現されています。
「お前とは随分と長い付き合いだな」
 そうですね。私は頷きます。
 本当に長い間、ご一緒していただいてとても助けられています。宿屋協会のお仕事を通して、多くの人に幸せと喜びを提供する。私の地上での果てしない仕事は、長い年月の経過や孤独を打ち消すほどの遣り甲斐に満ちています。ケネスさんは喫煙できない代わりの飴玉を噛み砕くと、ふわっと甘い蜂蜜の香りが漂いました。
 改まって何を仰るんでしょう? まさか、お仕事を辞めたい…のはいつも言ってますね。
 私がじっと見ているのを物欲しそうに見ていると感じたのか、飴玉が口の中に放り込まれました。囀りの蜜と喉に優しいハーブの飴は、一見琥珀のようでとっても美味しいです!
「お前、出会った時から、背丈も、見た目も、年齢もなぁんも変わんねぇのな」
「ケネスさんも変わらないですよ」
 私の言葉にケネスさんは口元を歪めます。まぁ、原因がはぐらかしては可哀想です。
「私は、この姿が完成体なんですよ」
 そう言いながら、懐かしい話をします。
 星空の守り人。人々からかつて天使と呼ばれた私達は、背から純白の翼を生やし、頭上に輝く輪を戴く神の使い。陰ながら人間を守護しながら、人々の感謝の念を世界樹に捧げる使命を果たしていました。その使命は遂に果たされ、星空の守り人達は私を残して全て天へ還って行きました。
「星空の守り人は、生まれて瞬く間に完成体に成長します。私も自身を認識した時には、この姿でした」
「どう見ても子供じゃないか。お前のお師匠様やエルギオスサマは、若い男だったぞ」
 そうだ。ケネスさんは他の星空の守り人とも面識があります。私の成長が止まっていると思っているんですね。
「殆どの守り人は若い男女くらいの見た目ですが、稀に私のような子供や、オムイ様のような老人の姿が完成体の者もいるのです。全体の能力は劣りますが、優れた所もあるんです」
 オムイ様は星々の声が誰よりも聞こえるお方でした。それに、天使界が出来た頃より存在する始祖の天使の一人です。老体の天使は記憶力が優れていたり、思慮深かったりと、天使界の主要な機関を纏める役職を司っている方に多かったと思います。
 子供の姿の天使は…正直、何が優れているかよく分かりません。私も何が秀でて師匠の弟子になれたか分かりませんし、エルギオス様に唯一己に抵抗できると評価された理由は今もわかりません。
「守り人は死ぬか使命を果たすまで、ずっと完成体の姿のままです」
 守護天使は命を落とすこともある危険な任務。守り人の最後は、殺害か使命を果たすかの二つに分類されるのです。私も地上に残ることを許されたとはいえ、具体的な使命は言い渡されていません。しかし、今も地上で活動できるので使命に反することなく、しかし使命を達することなく道半ばなのでありましょう。セレシア様にお伺いすれば、使命は教えてくださるかもしれません。
 私の説明にケネスさんがふぅんと、微妙な納得を得たようです。
「デカくならねぇのか。小さいんじゃ不便だろうに…」
 にっこりと自然と笑みが溢れてきます。小さいから、子供だから、私がアインツだから、ケネスさんが気に掛けてくれて色々助けてくれるって分かっているんです。狡いのでしょう。でも、私はそれが嬉しいのです。
「ケネスさんがいますから、不便を感じたことはありません」
 だって、私が誰かと願った時、ケネスさんはいつも応じてくれるんですもの。不便に思ったことなんて一度もありません。これからも、よろしくお願いします。心の中で一言、本音を付け足しました。


■ 好奇心は猫耳のプクリポをも殺す ■

「ほんっとうに申し訳ありませんっ!」
 悲鳴のような謝罪に、俺も女将も何も言い返せない。
 温泉で勇者と大魔王の軍勢が衝突し、マデサゴーラ配下の二名が死んだというのだ。
 謝るべき相手は既に死んでいる。アンルシア姫に殺されたというべきか、勇者と大魔王の抗争に敗北して死んだというべきか、とにかく、死んでしまった者の死因は宿側には何の関係がなかった。
 無論、勝者である勇者や賢者を含むグランゼドーラから、お咎めはなかった。
 当然、敗者である大魔王マデサゴーラの使者が告げた言葉にも、非を咎める内容はない。
 ただ残されたのは、この宿で殺人が行われてしまったという不名誉な事実だけだ。宿泊している客人の安全を守る警備を取りまとめる俺も、流石に閉口する結果である。
 宿屋内で殺傷沙汰は珍しくはない。多くの宿屋は食事処を酒場として運用しており、酔っ払いと宿泊客とのトラブルは日常茶飯事だ。事件性を伴う部屋でのトラブル、客人の持病の悪化などによる突然死。宿屋の個室という密閉空間では、完全に防ぐことはできない。
 しかし、今回は例外だ。
「一体、何が起きたんだ? ギガデイン程度なら防げただろう?」
 何せ、コンシェルジュマスターの目の前で起きた諍いだ。あの盟友もいない半人前の勇者の力なら、盾を持っていなくともアインツが防ぎ切ることは難しくなかったし、一撃でマデサゴーラの直轄の部下が即死するとは思えない。だが、アインツは防衛できず、一撃で力のある魔族二名が死んだ。
 アインツは胸の前でぎゅっと手を握り込み、体の震えを止めようとしている。
「突然アンルシア様が激怒され、ジゴデイン級の威力の攻撃を放ったのです」
 暴走か。しかし、すぐ近くにある建物に被害はなく、魔族に向かって力が収束しているところを見るに暴走をは言い難い。恐らく枷が一時的に外れて、勇者の能力の全てが解き放たれたのだろう。今代の勇者の潜在能力は歴代一かもしれんな。
 さらに魔族達が大魔王の眷属であったことで、勇者の力が効きやすい状態だったのも一因だろう。俺は分析に満足してアインツの頭を撫でる。
「もうザオリクも届かないんじゃあ、仕方がない。後で改めて謝罪に行こう」
 まぁ、俺達が謝ることじゃあない。だが、お客様としてご利用されていた手前、守れませんでしたと謝罪しなくてはならんだろう。マデサゴーラが応じなくても、ゼルドラドが『マメなことだ。お疲れ様』程度に聞いて終了に違いない。
「凄まじい気迫で、体が動きませんでした」
 アインツは守るべき対象の為に、命を投げ打つことを躊躇わない。そのアインツを踏み止まらせる気迫とはなぁ。俺は擡げた好奇心のままにアインツに訊ねる。
「何が引き金だったんだ?」
「胸のことを言われていました」
 なんだって? 俺が思わず聞き返すと、アインツは先ほどの言葉を繰り返す。
「コニウェア平原とか、ぺったんことか言われていました」
 アインツは不思議そうに首を傾げた。
「私は元々両方無いので、憤る理由がわかりません。どうして怒ったんですか?」
 俺はその言葉を、アインツが子供だからという理由で強引に明後日の方向に投げた。突っ込んで訊こうものなら、底なしの沼に踏み込むのと同じと本能が告げる。好奇心は猫耳のプクリポをも殺すのだ。
「アンルシア姫は年頃の娘なんだよ」
 なるほど。そうなんですね。生真面目に納得したアインツに、俺は深々と嘆息した。


■ 価値あるお金の使い方 ■

 流石は金持ちだけが住む事を許されるレンダーヒルズ。地上げで手に入れた家財一式は、どれもこれも一目見ただけで高いとわかるものばかりだ。薄暗い蔵が押し込まれた金銀財宝に明るいくらいだ。
 しっかし、最後に入れたお宝だけはパッとしねぇ。確かに綺麗で立派だとは思う。だが、金銀財宝みたいに派手で、見ているだけで気持ちよくなるものじゃねぇ。
 それはオーガ二人でようやく持ち上がるほど巨大な、グランドピアノというものだ。黒い塗装は鏡みたいに俺を写しているし、形も存在感も決して安っぽくなんかねぇ。鍵盤という白と黒い板が並んでいる所を押すと、音が出る。俺には到底縁のねぇ、楽器というやつだ。ウェディなら少しは馴染みがあんだろうけど、こちとら、腕っ節に物を言わせ、肉と女にしか興味のねぇオーガだ。そんな崇高なご趣味はございませんってなぁ。
「全てさがったか?」
 すっと気配も足音もなく入ってきたのは、この組の長、ツバクロの兄貴だ。背が小さくて、童顔で、エルフだから筋肉質でもない。それでも、攻撃は全くあたらねぇし、ちょっと腕を持たれたら最後、どんな巨体も投げ伏しちまうんだからとんでもねぇ。
 『これで全部です』とデュバルが言えば、兄貴は『そうか』と頷いた。
 そうして一番手前にあったグランドピアノに掛けられた布を外し、鍵盤の蓋を開ける。兄貴は楽器でも嗜む趣味を持っていただろうか? 俺とデュバルが顔を見合す前で、兄貴は鍵盤を一つ押した。ぽろんと音が一つ転がる。俺にはこんな音を出す、こんなデカい楽器に何の価値があるのだろうと熟思う。持ち主だったウェディの小娘が、ババアと練習した思い出の品だって顔真っ赤にして泣いていたな。でも、思い出なんざ金にはならねぇ。俺の夕飯代よりも安いんじゃないだろうか?
「いけんな」
 ぽつりと兄貴が言えば、振り返りスタスタと蔵を出て行く。
「ちと、文を書いてくでのぉ、ピアノにはかもうな」
 兄貴のエルトナ訛りは、時々キツすぎて何を言っているかわからねぇ。デュバルに顔を向ければ『ま、ピアノを持ってけって言ってるわけじゃねぇから、置いとけって意味じゃねぇの?』っていうし、俺もそう思う。足早に去って行く兄貴の背が、いつもと違う気がした。

 兄貴が手紙をどこぞへ出してから数日後、俺はデュバルとグランドピアノを持って木工ギルドへやってきた。木箱とピアノの間にスライムゼリーを入れた袋を詰めているのは、『ピアノに振動を与えないため』らしい。俺にはよくわからないが、兄貴がそうしろと言うのだ。
 そうしてやってきた木工ギルドは、相変わらず木屑だらけで貧相でしみったれた場所だと熟思う。
 俺達を見てキハダが『げっ』と声を漏らした。
 久々に会うんだ、ちょっと遊んでやらねぇとな。ぐるっと細っこい肩に腕を回して、にっこりと笑ってやる。ビビってやがる。へへ、可愛らしいねぇ。
「よう、キハダさん。元気でやってるか?」
「カンナさんが言った大口の客って、あ、あんた達のことかよ!? 何しにきたんだ?」
「さぁ。俺達はツバクロの兄貴に頼まれて、荷物を運んだだけだ」
 木箱を解体し、グランドピアノを覆っていた布が取り払われる。現れたピアノにキハダが『綺麗だなぁ』と声を漏らした。綺麗。まぁ、汚くはねぇ。だが、綺麗っていうと、俺的にはキラキラしてる物の方がしっくりくる。
 ギルドマスターの小娘がグランドピアノを見て、徐に鍵盤を弾く。ぽーんと音がギルドの中に響いた。肉の薄いエルフで色気のカケラもない小娘が、小難しそうに顔を歪める。
「へぇ。木が過剰に湿気を吸ってだいぶ傷んでるねぇ」
 そんな小娘の後ろに一歩控えるように立っていた兄貴が、小さく頷いた。
「流石、お嬢。一つ音を弾いただけで分かりおりましたか。スミツボのオヤジさんが、草葉の陰で喜んどりましょう」
 俺がキハダを見下ろすと、キハダは小さく首を振った。
「お、俺が分かる訳ないだろ。大事に使われてて、外からの見た目じゃ痛みが分からないよ。そ、それにしてもアンタの所の親分さんが依頼主なの? あのピアノが傷んでるって、あの親分さんが見抜いたの?」
「あの小娘みたいに一回音出したら、手紙書きに行ったんだからそうじゃねぇの?」
 俺の言葉を聞いたのか、小娘は嬉しそうに兄貴に笑いかけた。
「へぇ、ツバクロ。アンタの目は、まだまだ濁っちゃいないみたいだね。今から職人に戻らない?」
「勿体無いお言葉ですな、お嬢。持ち主がウェディで長年使っていると知れば、分かるもんでしょうよ」
 俺がキハダを見下ろすと、キハダはぶんぶんと首を振った。ピアノの天板を開け、底を覗き込だりしている小娘に兄貴は言う。
「一週間後にウェナから調律師が来るよう、手配しております。時間が掛かるなら、もうちと遅くできますが、いかがしましょう?」
「ちょうど良いくらいだよ」
「前金は50万、調律終了後に残り50万、振り込ませてもらいます。引き取りはリーネという娘の使いが来るじゃろうて、よろしゅうお願いします」
 へ。俺は目を丸くする。こんな古臭いピアノとか言う楽器に、100万ゴールドも使う価値があるのだろうか? ちょーりつしって奴にも金払うんだろ? それ以上じゃん! っていうか、それ、金にしないの?
「ツバクロ。アンタが取りに来ないの?」
「ワシはちと預かっとるだけなもんでしてね」
 娘が『ふーん』と兄貴を見て笑っている。そんな小娘の顔を見て、ツバクロの兄貴は肩を竦めた。
「お嬢。そがな苛めんでください」
 時々、兄貴の金の使い方が分からねぇ時がある。こっちが損してるだろうに、なんで、皆、嬉しそうなんだろう? 俺には分かりそうもねぇな。